第13話 追われる者

 楼は未だに熱が残る耳をさすりながら、街道を抜けた先にある石橋に腰を下ろした。


「あんな奴らが幹部でこの派閥は大丈夫なのかよ」

「……」


 どうして腰を下ろしたのかというと、先ほどからずっと茜がだんまりなのだ。

 信じてきた皆に見捨てられて落ち込む気持ちもわかるが、そんなに落ち込まなくてもあの様子じゃすぐに元通りになるだろうに。


「ありがとうございました」

 形式的なあっさりした感謝の言葉だった。

「別にお礼を言われることなんてしてない」

「あの時、楼さんが何も言ってくれなかったら私はまた……」

「一人になんかならない」


 俺はたまらず口を出してしまったが、本来口を出さなくても会話は落ちるところに落ちたのだろう。なんたって、ここは物語の世界なんだ。主人公が孤立すれば話は進まない。


「俺が黙ってれば、きっと幹部の誰かが同じこと言ったさ」


 そういう面では誰かの活躍の機会を俺は奪ったことになるけどな。

 震える声を振り払うようハッキリ言葉に出す茜。


「だとしても、楼さんは助けてくれることを選んでくれた」

「ロマンを否定されたのを黙っていたら、ロマンだけを求める俺が間違ってるみたいだったからな」


 茜は楼の前に立ち頭を下げた。それが感謝の意を表していることは楼にもわかったが、楼は立ち上がり無理やり頭を上げさせる。


「茜はいつまで他人行儀でいるんだ。俺はまだそんな距離感の人間なのか」

「あの……」


 きょとんと頬を赤らめる茜の瞳は涙で潤んで、今にも泣きそうであった。


「茜、どうしたんだ」

「いえ、あの、これは……」


 必死に顔を背け、焦りに焦る姿からは悲しみは感じられない。

 勝手に出てくる涙の理由がわからないから、自分でも戸惑っているだけに見える。


 だから理由を閃くよう言った。


「そうです! これは目にホコリが」

「もっとマシな嘘あっただろ」


 相も変わらず抜けている。


「じゃあきっと、楼さんの立派な姿に感動して」

「俺はもとから立派だ」

「ロマンしか語らない子供では?」

「お前も同じようなもんだろ」


 互いに笑い合い、茜は涙を笑い泣きしたものだと誤魔化す。


 会議室の空気が悪かったのだろう。茜も俺も前までの明るさを取り戻せた気がする。あの会議室は清掃の必要がありそうだ。木漏れ日を浴びた茜が何よりも綺麗で明るく見えるのであれば、掃除など容易いことだ。


 この空気を噛み締め、俺を見つめる茜。


「本当に私を助けてくれるんですか」

「嘘ついてどうする」

「でも戦えないじゃないですか」

「そんなの今から考えればいい」

「なら一緒に考えます」

「もちろんだ」


 別にこんな空気を作ろうとなんて思っていなかった。

 ただ、茜の瞳がこそばゆく、暖かい空気を作ったのだ。

 恥ずかしく目を逸らした木漏れ日は、真っ青な空により眩しく感じる。


「楼」


 向けた視線は翠の双眸を捉え、さらに眩しい彼女が薄く赤らめた顔で微笑んだ。


 同時に肌を撫でる風が茜の髪を揺らし、甘い香りを運ぶ。


「ありがと」


 その時の顔が妙に印象的で、顔が熱くなるのを感じた。

 何かまた、一歩近づけた、そんな気がする。


「おう。こちらこそ、ありがとう」


 俺はその場の空気が居心地悪く、その場を離れようと歩き出す。


「あ、照れてますね。楼さん、こういうの慣れてないんですか」


 背後からからかう茜をもう心配する必要はなさそうだ。むしろ調子づいたのを懲らしめる必要があるのかもしれない。


「慣れているわけないだろ」

「やっぱり照れてたんですね」

「照れてない」

「いいや、照れてましたね。認めたらいつか私の驕りでお菓子食べに行きましょう」

「……照れてた」


 我ながらちょろい奴だと思う。だが、あの飲み物の味が忘れられなくて――

 突如不自然に僅かな沈黙が生まれる。


「楼さん……」

「……なんだ?」

 声音が低く変わり、何かが起きたのだと察する。


 立ち止まる茜に従い、前方を見る楼の視線の先には黒いスーツを着て、濃い鼠色の髪を短く切り揃えた男が小さく映る。


 どう考えても、この世界にそぐわない。


「走って‼」


 茜の声とともに、俺も後ろに方向転換して走る。俺よりも速く走る茜に置いていかれぬよう入り組んだ街中を選んで駆けた。それは人混みであったり、路地裏であったりしたが、一向に振り切れる気がしない。むしろ距離を詰められている気すらする。


「待ちなさい!」

 さらに言えば、追っては一人から二人に増えている。

 増えた追手は声からして女性。チラリと見えたのは胡桃色の髪に一本真っ白いラインがあることくらい。髪型はおそらく一つ結び。


 不運なことに男女ペアの追手は賢いため、楼たちは人気が少なく、行き止まりによって、廃墟のような建物に追い詰められる。

 だが、廃墟であれば隠れる場所はある。きっと逃げる機会も。


「茜、こっちに隠れよう」

 一瞬の思案を見せた茜の手を引っ張り、すぐに隠れられる廃ビルの一階に入った。


 受付のカウンターだったであろう裏に隠れ、耳を澄ませると彼らはビルの入り口からさほど遠くない位置にいる。しかし、この場所から離れる足音は、周辺の捜索に移ったようだった。


 すぐに身を隠した俺の選択は正しかったということだな。


「ふぅー、これで一安心」

「あの人たち速すぎます」

 楼は苦笑いしながら、先ほどまでの追走劇を思い返す。


「あれは化け物か何かだ」

 それほどまでに速かった。俺だって足に自信がないわけではなかったし、それより速い茜ならなおさらだろう。しかし、彼らはそれすらも凌駕する速さで追いかけてきたのだ。しかも、あいつら息切れすらしている様子はなかった。


 俺たちとて、息切れをしているわけではないが、呼吸は乱れている。だというのに、あいつらは追跡に一切の隙もなく、化け物じみた速度で追ってくるのだ。

 だが、この世界で追われるとすれば、あいつらが誰なのか見当はついている。


「あいつらが特殊改編保安局なんだな」

「ええ、まさかもうここまで来ているとは思いませんでした」

 とは言うものの驚いている様子はなく、いずれ来るのが今来ただけだからと割り切っているようにも見えた。


 だが、なぜ捕まえようとするのだろうか。

 改編を疑われていることには納得できる。だが、組織の人間が茜を今捕まえてしまえば、それこそ明日計画されているシナリオに影響されるのではないか。

 それこそ結末に関わるのではないか。


「一度冷静になってあいつらと話してみたら上手くいくかもしれないな」

 納得できない部分があまりにも多いから、呟いただけだが、茜から即座に否定される。


「そうはいきません」

「どうしてだ?」

「今だから言いますけれど、追われている理由にもう一つ心当たりがありまして」


 とても嫌な予感がする。


「実はお借りしたものは本だけでなく、このネックレスもなんです」

 茜の胸に輝く銀のネックレス。藤の宝石が今もまだ輝いていた。


 よく考えれば、茜がそのネックレスを持っていることはおかしいのだと、気づくべきだった。このネックレスの能力は物語世界、行き来すること。であれば、物語世界の主人公が持っていていいものではない。


 特殊能力の使用が可能なネックレスなど、盗まれては絶対いけないモノではないか。


 茜の泳ぐ視線をジト目で見つめる楼。

「今まで黙っていたのはどうしてだ?」

「……」

「なぜネックレスの話をしなかった?」

「楼さんと一緒の時に追われるなんて思いもしなかったというか……」

 じっと見つめる楼の瞳は絶対に見まいと、捻じれるほど首を捻って目を背ける。


「ああーもう、わかった。そのネックレスがなくなると俺は帰れなくなるから奪われるわけにはいかないし――」

「あ、いえ。それは大丈夫だと思います」

「ど、どうしてだ」


 嫌な予感がする。


「取り上げられる前に、捕まるかと」

「お前は馬鹿かああああああ」

「しぃっ!」


 わざわざ俺の口を手で押さえ、人差し指を当てるが、もう遅いだろう。

 俺も叫んだのは悪かったさ。だが、叫んでしまうだろ。理不尽に捕まってしまうことを、こうも易々と伝えられでもすれば。


 だが幸いなことに、組織の二人は足音だけさせてこちらに向かってくる気配はない。

 しかし、近くに来たことは会話が聞こえることから確かなようだ。


「あなたが遅いから探す羽目になったのよ」

「何を言うんです。僕は遅くなんかありませんよ」

「いいや、遅かった。あなたが速ければ連携も上手く機能して捕まえられたのに」


 何やら痴話喧嘩をしている様子だが、俺の中に引っかかるものがある。

 真剣に聞き耳を立てる俺を訝しがる茜。


「元はと言えば僕が考えた作戦だ。僕の想定以上の速度で君が走らなければ作戦は上手くいっていたというのに」

「口だけ達者とは御立派ね。私の弟はこうはなっていないといいけど」


 ああ、思い出した。


 この声は――


「またその話ですか。一体、信樂君はいつになったら……」


 気づいた時には遅かった。


 俺の身体は勝手に動いていた。


 そりゃ仕方ないだろ。俺は五年待ったのだ。五年会えなかった家族がそこにいるのに、動かない奴はいない。


「チカ姉……」

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