第10話 背負う業

 あまりの疲労と、あの部屋の不快感に耐えきれず、場所を移すため街道を歩く。

 この基地は地下ではなく、森の中にある基地であるため建物にツタが絡まり街色が緑一色に見える。俺の世界では考えられないほどに緑で溢れてる。

 実際楼の世界、現実では倒壊したビルに藻や雑草が生える程度だった。


「新鮮で、空気が美味しい気がする」

「この街はそれが売りですから」


 とは言うものの、訪れる人はおらず、新保進派の基地でしかないのだが。加えて、負傷者と逃げた非戦闘員により落ち着きなど感じられない。

 だが、あの湿度の高い個室に比べたら何倍も心地よかった。


「それで、どうして俺の世界の組織なんかに追われてるんだ。まさか本を盗んだからじゃないよな」

「だったらいいんですけどね……」

 ため息交じりの言葉には飽きれが垣間見える。

「疑われているんです」

 ――当然だろう。


「……物語から来たなんて誰も信用しないと思うぞ」

「違います。それは信じてもらえました。ただ……物語の改編を疑われているんです」

 楼は驚き、二つのことについて思案を巡らす。


 まずは、頭が硬そうな国の組織が物語から人がやってくることを信じたという事。これは事実だとは決して思えない。


 そしてもう一つ、物語の改編を疑われているという点。これを疑うということは物語の改編を取り締まっているようではないか。


 だが、それも間違っていないように思える。組織の名前は特殊改編保安局。物語から人が来ることを知り、改編を阻止する組織だ。つまり目的はワームの討伐ではないか?

 であれば、ワームだって組織に任せておけば良かったはず。


「なんで茜はワームを自分で倒そうとするんだ? 任せるよう言われなかったのか?」

「言われましたよ。断りましたけど」

「どうして断るんだ。俺を頼るより、彼らの方が確実に討伐できるって茜なら気づかないはずないだろ」

「それは目的の相違ってやつです」


 突然立ち止まる茜。その視線は俺ではなく建物を向いていた。正確には、ウインドディスプレイに置いてあるお菓子を見ている。


「あ、あの。こういう話は落ち着いたところで話すべきだと思うのですが……ほら、ちょうどあそこに良いお店があります。今回は私の驕りでいいから、行きましょう!」

 不穏な気配を隠すよう明るく振る舞う。


 目を赤子のようにキラキラさせて、一切動く気のない姿を見たら断れやしないだろう。なんたって、こんなんでも現実離れした美貌なのだから。


「今失礼なこと考えませんでしたか?」

「店に入るんだろ?」

「はい! では行きましょう!」


 陽気なステップを踏む茜がどうやって派閥の長をやっていられるのか、疑問でしかない。

 こんな姿みたら虜になる人も大勢いるだろうに……


 慌ただしく、人に溢れる街と違い、こんな状況ゆえか店員一人しかいない店内は静かな曲で落ち着いた雰囲気を作っていた。

 鼻にツンとさす酸味を優しく包む甘い香りで、無意識に喉が鳴る。


「私はクリーミーアプリコットパイにするけど、楼さんは何にします?」

 店員にカウンターで呪文を告げる茜は俺にメニューを見せるが、あまりの種類の多さに圧倒されてしまう。


 どれもこれも美味しいのだろうが、何せ俺はスイーツとやらに疎い。

 であれば、このオススメだという……


「俺はキャラメルムースチャイカシスで」

「なるほど、やっぱり定番をということですか……」


 何やら俺の選択を深読みしているが、それがオススメだからという理由では茜との会話に支障が出そうなので言わないでおく。


 すぐに受け渡される泡がのったミルクティーを持って席に着く。

「それで、目的の相違って」

「ん、おっおあってください(ちょっと待ってください)」


 ボリボリとパイを口に頬張る茜の様子から、どうやら食事が終わらないと話はできないらしいな……ん、美味しい。

 口に付けたコーヒーと泡は共に甘いのだが、カシスがそれを和らげるから甘さに自棄をささず飲め……って、もうない!


「んふふ、楼さんもこのお店の美味しさに気付いてしまいましたね」

 いたずらっぽく笑う茜に俺とて反撃をしないなんて生ぬるいことはしない。


「口にパイがついてるぞ」

 パイの破片をつけている姿は子供そのものと言える。

「も、もちろん。わざとです。たまには可愛らしいことをしようかと……」

 なにを言い訳しているのかわからないが、真っ赤な茜に話を促す。


「それで、組織と目的が違うんだろ? どう違ったんだ」

「あー、そんな話してましたね」


 ――ホントに大丈夫かこの主人公。


「簡単に言えば、私はワームによって変えられた結末を修正したいのに対して、あの組織はワームの討伐だけが目的でした」


 であるならば目的はさして変わらないのではないか? ワームを倒せば必然的にワームによって変えられる結末は修正されるはずだ。

 しかしその疑問にはすぐに解が提示される。


「もちろん絶対悪がワームである以上組織との協力も視野に入れましたが、組織は変えられた結末をこれ以上変えるのを嫌うため、私は対立せざるを得なかったのです」

「変えられた結末? そうか。この世界は既に結末が変わった世界であり、これから変わる世界でもあるわけだ」

「はい。ですがワームの画策によって既に世界は変わっています。組織に任せたうえでのワーム討伐ではワームしか倒せません。組織は変えられた結末が理想なわけですから」

「だから俺たちで結末を変えたうえでワーム討伐をしようってことだな」

「ええ、だから下手に協力関係を結べず私は組織から逃げてきました」


 なるほど事情は理解できた。ただのワーム討伐ではなくなり仕事は増えた気がするが、もっと大事なことを言ったよな。組織から逃げた――という事は……


「……その言い方だと今も追われているように聞こえるんだが」

「そうです。今もきっと私を追ってこの世界に来てるんじゃないでしょうか」

「……」


 どうしてそんな大事なこと先に言わなかったんだ。いや、茜自身追われていることを言えば俺は協力しなかったかもしれないのだから、言わない選択は茜からしたら正しいのかもしれない。だが、俺にとっては問題が増えただけじゃないか。


 しかも、修正……いや、改編のお手伝いをしているようなもんだ。


「あのー、茜さん」

「はい?」

「やっぱり俺協力できないかなって……」

「拒否します!」

「だよなー」


 茜を振り切るっているのも俺には不可能だろうし、おそらく茜がいないと俺は帰れない。特殊改編保安局の人を探して、事情を説明すれば帰ることくらいは……いや、だが、事情聴取とやらで連れて行かれるに違いない。


 そんなことになれば本格的に街を追い出されかねない。そもそも俺はさっさと帰って、街長からの依頼を解決しなければいけないのではないか。だがしかし、もしかしたら、この世界にいる街長もとい責人との問題を解決すれば事態は解決する可能性も……


 いや、もう仕方ない。乗り掛かった舟と言うやつだ。


「さっさと片付けるぞ」

「はい!」


 頬を桜に染めて笑う茜は子供のようにしか見えない。街長と幼馴染と言っていたが、決して同い年という事はないだろう。


「茜って子供っぽいが幾つなんだ?」

「子供っぽいって失礼ですね。私はこれでも十七ですよ」

「じゅ、十七、だと……」

「え、そんなに驚きます?」

「いや、驚くもなにも、俺と同い年じゃないか」

「え、てっきり年下かと」

「それは俺のセリフだ」


 信じられないが、嘘をつく理由もない。正直言って不服という感情しかないのだが、推測通り街長と同い年というわけではないということか。


 未だ驚きを露わに「こんなちんちくりんと一緒ですか」とか「きっと嘘を言っているに違いありません」なんてことをブツブツと楼に聞こえるよう言ってくる茜。


「わざわざ聞こえる声でありがとう」

「どういたしまして」


 急に通常運転に切り替える茜。本当にコロコロ替わる茜の表情は、よく言えば表情豊かであるのだが、普段クールぶっている分、頼りなさを感じざるを得ない。


 楼はため息を吐きながらも、いい加減話を進める。

「だいだい事情はわかってきた。だから、これから解決していくにあたって、この物語のシナリオを知っておきたい」

「私も知っておいてもらいたいので構いませんが、その前に責人のこと、私の過去について知っておいてもらいたいんです」


 それは俺も知っておきたいことだった。責人が街長だからという理由もあるのだが、一番の理由は茜が裏切り者と呼ばれていたということだ。

 主人公として信頼感のある顔つきに切り替えた茜は続ける。


「私が最初に所属していたのは元化派、つまり今の敵対派閥でした。当時は元化派と保進派という二つの派閥が日本を割っていたのですが、保進派は能力是認主義なので武力によっての解決を得意としていました。元化派は逆に専守防衛を貫いていたのです」

「今とは真逆だな」

「ええ、だから私も賛同できていました。とはいうものの、私と責人は戦いとは程遠い学生をしていたので派閥について意識することなどニュースを見た時くらい……今なんかよりもかなり平和な世界でした」


 確かに俺がこの世界に来てから学生服を見ていない。もっとも学生服を実際に見たことはないのだが、資料で見たような学ラン、セーラー服などは確実に見かけていない。


 つまり、それが意味することは、現在はその時よりも――


「争いが加熱したんだな」

「はい。保進派のテロによって」

 俯き、思い出すよう目を瞑る姿にはネガティブな感情がひしめくように感じる。


 やがて紡がれる言葉は小さな震えを伴っていた。

「そのテロは私たちの学校を襲ったのです。多くの学友が亡くなりました。いともたやすく学校生活は奪われて――」

 机に乗せている手は助けを求めるよう震えていた。


 だから俺は手を重ね促す。思い出させるのは辛いだろうが、俺がこの物語を正しく導こうとするなら知らなくてはいけないことだから。


「その時から私たちも戦場に立ちます。幸い能力に恵まれ目覚ましい活躍をすることができ、派閥の幹部による支持で責人が代表、私が副代表を務めるまでになりました」

 だが語られるその言葉には喜びも何もない。むしろ影を落としていた。


「しかし、それなりの立場を持つと今まで知り得なかった派閥の汚い姿を目にするようになります。具体的に言えば保進派に所属する非戦闘員の扱いです。私としては戦闘員は罰せられても、非戦闘員は監視程度でいいと思ったのですが、最初のテロは敵対意識をあまりに加速させ過ぎました」


 学校生活を奪うほどの大きなテロだ。そのテロは学生まで戦闘員に変えてしまった。敵対意識だけではないのだろう。根本的な社会構造、倫理観、全てが壊れ始めたと考えるのが自然だ。


「元化派は非戦闘員から財産すべてを取り上げて、最低限の生活を元化派の下でしか送れないようにしてしまったのです」


 社会は分断したんだ。そんなことをすればどうなるかなんて考えなくてもわかる。財産などなく、日常的に迫害を受け続けるのだ。


「生かしてるなんて言えないな」

「ええ、そしてそれは私の家族にまで及びました」

「どうしてだ? 茜が元化派の副代表なのは周知の事実だろ」


 茜は拳を作り、悲しみの感情が怒りへと変貌を遂げる。

「私の親戚が隠れて保進派に情報を売っていたのです」

「だが、それは親戚の話だろ」

「そうです。親戚が保進派だから、私の家族も同様の仕打ちを受けたのです」


 明らかに異常だ。加速させ過ぎたと言ったが、それは留まることを知らなかったのだろう。そして誰も止める人がいなかったと……


「私は今までの功績から罰を避けられたものの、日に日に衰弱する家族を見ていられなかった。だから、私は決めたんです」


 一呼吸置いて俺の目を見つめ言った。


「私の正義を貫こうと」


 そこで楼は思い出した。この世界が物語なんだと。そして茜が主人公なのだと。

 茜が子供のように振る舞うことは当たり前ではなかったんだ。きっと、その決断によって背負わされた重い業を軽くできる刹那の娯楽だったのだ。


「多くの人を殺しました。捕虜のような扱いをした元化派の人間。テロを起こし社会を分断した保進派の人間。裏切り者と散々罵られてきました。ですが、やっと作れたのです。争うことなく、干渉することなく互いの意思の下暮らせる派閥――新保進派が」


 肩の力を抜いて、背もたれに寄りかかった茜は落ち着いてこの後を語る。


「しかし、私たちは元化派の第一基地を奇襲することになります。互いの意思を尊重したいとはいえ、元化派に意思の尊重を求めなくてはいけませんからね……そしてエンディングは、戦いを通して私と責人のわだかまりが解消した結果、両派閥仲良くなるというのが今後のシナリオです」


 正直言葉が見つからなかった。目の前でたくさん人を殺したと聞いて驚きはしたものの、それが茜の信念である以上、同情するのも違うと思った。だから少し悩んだだけ。


「楼さんの想像する征條茜はこんな人ではありませんでしたか? ですが、これが事実で、これが私に与えられた過去なんです」

「与えられたって……」

「私はどこまで行っても物語の中の一人なんです。だからすべて私が背負うべき過去に過ぎないんですよ」


 茜は自分が物語の主人公だと知っている。自分では案外気にならないと言っていたが、もしかしたら今までの悲惨な出来事、背負っている業のすべてが、物語の主人公に与えられたものだと知って安堵したのではないか。


 だが、茜に救いはあるのか?


「茜は救われるんだよな」

「ええ、結末が変われば」

「ワームを倒せば救われるんだよな」

「はい。ですが、一度忘れてくださっても結構です。殺人をした人を助けるということ、それは楼さんが目指す信樂楼にはなれない呪いになるかもしれません」

「そんなこと」

「ないって言うでしょうね。けれどやっぱり思ってしまったんです。私はあなたのロマンを潰してまで助けて欲しくないって――一度考えてみてください」


 茜は俺に一枚の紙を置いて店を出て行く。紙には今日泊まる宿と、明日の会議の時間がかかれていた。答えはそれまでに……そう言っているようであった。

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