第9話 設定

「話があるんだろ? 俺もあったからちょうどいい」


 俺が救護室で医療品の提供を断られていたところを、茜に引き留められ連れられた個室は正直、不快で入りたくもない部屋だ。


 それは鼻にツンとさす臭いと、湿り気のある空気が充満して清潔の対局にある部屋。おそらく原因は外からの光を僅かにしかいれないことと、石で囲まれていること。


 だというのにベッドがある。

 棚と出入口しかない簡素な部屋であることを考えると、元は牢屋か何かだろう。


 尤も、こんな部屋のベッドで寝てしまえば次の日には身体が湿疹まみれに違いないのだから、拷問部屋ともいえるかもしれないが……


 それをさておいたとしても、先の戦闘で焼かれてしまった服を着る茜と、二人きりというのも俺としては居心地悪く感じる。露出する肌面積が増え、正直気になって仕方がない。


 この感情が表に出ていたのか、それを察して謝罪する茜。

「ごめんなさい。こんな部屋しかなくて」

 だが、謝られる必要はないのだ。


 逃げて向かった先も当然隠れ家のような基地。

 第二基地のように何もない畦道から入り口が開いたりもしなければ、規模感もやや小さいように感じる。


 おそらく第二基地ができる前からあった基地ということなのだろう。


「仕方ない、事情が事情だ」

 清潔感のある部屋は重症患者によって埋まっているのを俺は知っている。医療品の提供を断られたときに見た、逼迫した基地内に、二人きりになれる個室などない。


 この基地にも以前から住んでいる住民はたくさんいるにも関わらず、後から押し寄せた俺たちが個室を使わせてもらえるだけありがたい。


 尤も、この話が終わったらすぐさま水浴びにでも行くつもりだが。


「では、その腕見せてもらえますか?」

「腕? これはもう大丈夫だって。血も止まってるから」

 実際のところまだ痛むし、血も出ていないわけではない。ただ、切られた直後よりはだいぶマシにはなっている。


「だとすれば医務室になんか行こうとしません。いいから出してください」

「あれは包帯の一つでも貰えたらと思ったからであって、これくらい治療するまでもない」

「まったくもう、あなたの世界ではそうかもしれませんが、私の世界ではその傷はしっかりとした処置が必要な傷なんです」


 俺の世界、つまり、現実を否定されたわけだが、俺だって処置ができるなら今すぐにでもしたい。


 だが、この基地は医療品の不足だけじゃなく、全てにおいて不足しているのだ。


「処置をした方がいいのはわかってるが、戦力にもなれない俺より戦力になる酷い怪我をしている人はかぞえきれないほどだ。それに突然現れた外部の人間が医療品を分けてもらえるわけないだろ」

「ええ、そうでしょうとも。だからじっとしていてください」


 俺の言っていることを理解しているようで、理解していない返答が返ってくるが、医療品が使えないと言うなら一体この密室で何をしようというのか。


 楼の腕を掴んで傷の大きさを目で見た後、茜は突如自身の服の裾を口で咥え破きだす。


「お、お、おい、何してんだ!」

 勢い良く破けた服は茜の可愛らしいお腹と下着をチラリと見せてしまう。

「んッ‼ み、見ないで!」

 腕で隠して顔を紅潮させた茜は涙目になりながらも、きつく楼を睨む。


 やっぱり茜は変なところで抜けていると思わざるを得ないが、今回下着はチラリとしか見えていない。色だって部屋が暗いから紺だったような気がする程度しか見えていないのだ。そこまで気にする必要はないと思う。


 当然俺は紳士なので唇を噛み締めることで視線を逸らしたのだが。


「見ましたか」

「見てない」

「色は?」

「紺」

「ッ!」


 ――ぺチン


 というように平手打ちをくらい、意図せず答え合わせまでしてしまった。地味に痛いが、今回ばかりは言わせてもらう。


「不可抗力だったろ。俺だって、見たくて見たんじゃないんだ」

「じゃあ見たくなかったって?」

「ああ、そうだ」


 ――ぺチン


 なぜか二度目の平手打ち。まったく女心ってやつは俺には理解できないものらしい。


 裂けてしまった服は、裂けた部分を結ぶことで上手く下着を隠す。

 服装の変化としては可愛らしいお腹が露わなところだ。

 これが見られるなら平手打ちは許そう。今からやろうとしていることに察しがつくからな。


「服を破って包帯を作ろうとしてくれたんだろ?」

「……はい。ですが戦った時に服が虫食いになったから上手く切れなくて……」

「グラティアで切れば良かったんじゃないか?」


 黙りこくってほのかに顔の赤い茜は「そうですよね」と言って、グラティアにより生み出した硝子のナイフで包帯を作り始めた。ここまでくると茜自身も、自分が抜けているのだと気付いてそうだが……


 できた包帯を傷口に巻く茜に言ってみる。


「茜って抜けてるとこあるよな」

「何のことでしょう?」


 言葉と同時に包帯をきつく縛ってきた。認める気はないってことかよ。

 そして落ち着いたと思うと、急に頭を下げる茜。


「ごめんなさい」

 この謝罪が平手打ちでも、包帯をきつく縛ったことでもないのは明白。

 これからこそが本題なのだ。


「その傷も私が守れなかったからできてしまったからであって」

「だろうな。だが、どうしようもなかったはずだろ? 茜に自由意思なんてものはなかったんだからな」

 俯き拳を震わせる茜に続けて言う。


「あれはシナリオに従っていた。茜に声をかけても、揺さぶっても何一つ変えられなかった。誰にも変えられない進行だったんだ」

 確かに茜は俺を守ると約束してくれた。けれども、今回ばかりは茜が悪いはずがない。

 おそらく茜はこのことを――


「知らなかったんだろ? シナリオ中に自由意思がないなんて」

 こくりと弱弱しく頷く茜は、何かを後悔しているようだった。


「だから謝る必要はない。それより、今後の話をしよう。シナリオ進行に従って動くなら、俺も今後のシナリオを知っておきたい。だから――」

「いいんです」

 冷たい言葉だったと思う。


「もう、いいんです。ワームの討伐も私がやります。だからッ」

「何言ってんだ。茜はシナリオ進行を無視することができないんだぞ」

「だったら、シナリオ以外の時間に」

「やっても変えられなかっただろ。茜には無理だ」

「でも‼ それじゃ楼さんを守れない」

 必死に声を荒げる茜に冷静に返す。

「なら守らなくていい」

 死ぬのは嫌だ。死ぬつもりはない。だが、シナリオ通りなら回避のしようがあるはずだ。


「シナリオの進行中は隠れてればいい話だろ?」

 だが、これには欠陥がある。

「ワームが変えるのはシナリオなんですよ」


 間違いなく、ワームの討伐を俺がするのであれば隠れていられない。いつか戦わなくてはいけない時が来る。どれだけ相手が強大な敵であっても。


「なんとか生き残ってみせるさ」

「ダメです。私は誰も犠牲にさせない」

 さも当たり前のように俺を犠牲者にしやがった。


「犠牲にならないかもしれないだろ」

「その腕で良く言いますよ。楼さんは戦えません。だってあなたは……」

 わかっていた話だ。茜を納得させることもできないと。

 だって俺は……


「無力だから」


 昔っからそうだ。父さん、母さん、チカ姉と比べられて、俺はなにも成せない。

 だから今まで引きこもっていたんだ。そう言われないために。

 でもそこから引っ張り出したのは茜だろ。


「俺はそれでもやる」


 この世界で見つけなくちゃいけないんだ。


「ここで引くのは俺のロマンが許さない」

「まだ見つけてもいないロマンに従うと?」

「ああ、そうだ。俺のロマンに答えは出てないが、根付いたロマンはきっと間違ってない」


 だから茜の瞳をまっすぐ見た。決して逸らさず、俺のロマンを伝えるために。

 茜の翠が揺れ、逸れ、再び俺を捉える時、納得するよう頷き誰にも聞こえない程度の声でボソッと呟いた。


「まだロマンあるじゃないですか」

「何か言ったか?」

 当然楼には聞こえてない。


「私は間違っていなかったと再認識しただけです」

「いきなり自画自賛かよ」

 顔を緩ませほっとした様子の茜を見て楼もほっとする。


「今のは褒めたんですよ」

「そうは聞こえなかったけどな」

「本当です。楼さんが本で語るロマンを持つ人で良かったと安心したんです。私だって、本を読んだだけで、本当にそうか賭けでしたから」


 そう言えばそうだ。俺の本を読んでロマンに魅入られたから俺を頼ったって言っていたじゃないか。だとすると――


「俺のロマンに惚れてたのか」

「どうしてそうなるんですか。信用に値するかしか考えてませんよ」


 なんだよ。まったくツンツンしやがって。ここは嘘でもそうだと言ってくれれば、やる気が出るって言うのに。


「そもそも、どうして俺の本を持ってたんだよ」


 信用に値するかどうか以前に、この世界に俺の本がないと茜は俺のところへ来られなかっただろう。どんな手段で俺の本を手に入れたというのか。


「それは、組織の人から、パッと借りただけで」

「本当に借りたのか? それになんだ、組織って。元化派の奴か?」


 言い淀む茜。視線を合わせず、話そうとしない。つまり隠し事ってわけだ。しかし、ポツリと呟く。


「元化派じゃありません」

「じゃあ誰だ」

「……特殊改編保安局」

「って、なに?」


 まるで学生が好きな人の名前を呟くように言う事は構わない。しかしその名前を知っていて当然であっては困る。俺は今日この世界に来たばかりで、何も知らないも同然なのだ。


「え? 知らないんですか?」

「逆になんで知ってると思うんだ」

「楼さんの世界の組織でしたから……」


 何か自分がおかしなことを言っただろうか、と首を傾げる茜。


 十分すぎるほどおかしなこと言っているのに自覚がないようだ。俺の世界の組織から本を盗んだというならそれはつまり、茜はこの世界以前に現実にいたという事ではないか。だが、俺の部屋に現れた時は確かに本から出てきた。


 そこから導き出される答えはつまり……


「俺の世界で本を盗んで、この世界に逃げ込んで、また俺の世界に来たってこと……か」

「楼さん。私は盗んでません。借りただけです」

「そんなことはどっちでもいいんだよ‼」


 今考えるべきなのは、どうして茜は組織から本を奪えたかだ。


 その特殊改編保安局とやらは聞いたことないが、明らかに国の組織だ。各街にこんな物騒な組織を設置できるほど余裕はない。つまり、その国の組織から本を奪える状況にいたわけだ。ということは……


「茜……違えばそれでいいんだが、特殊改編保安局に目を付けられたりとかしないよな?」

「……」

「どうして何も言わないんだ?」


 茜はこれまでにないほど笑顔で言う。


「追われています」

 状況は最悪だ。

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