第8話 与野責人

「責人はどうして犠牲を許容できるんですか」


 一心不乱に攻撃を繰り返す硝子は、責人に掠りもしない。そこにあるのは技量の差なのか、能力の差なのか当の本人達しか理解できない差が如実に表れているだけだった。


「許容したくてしているんじゃないんだ。せざるを得ないんだよ。僕の正義は完遂しなくては正義にならない。だって正義を貫けないならば、それはただの偽善だから。まさしく以前の茜が抱いていた正義のようにね」


「……ッ‼」


 同時に放たれる硝子の礫は責人の火球にぶつかり爆散。気温をさらに上げる。


 この熱気はおそらく常人には耐えることはできないだろう。この場で耐えられるのはおそらく責人だけ。その証拠に時間経過とともに茜の攻撃は威力も、速度も、全てにおいて低下している。


 戦況は完全に責人に傾いていると言えた。


「大丈夫だ。僕なら君を幼馴染のよしみで再び仲間にできる。だから、降伏してくれ。代表の茜が降伏すれば戦いが終わるんだ」

「できるわけない!」

「どうしてだ‼ 茜が最初に望んだ平和だろ。一度は元化派として戦ったんだ。能力なんていらないってそう想ったから共に肩を並べて戦ったんじゃないか。それとも本当にあれは偽善だったって言うのか」


 この戦闘は完全に責人のものだ。

 受けだけだった責人の剣は前方へ傾き、攻撃へと移り変わる。


 そうなれば一方的と言えた。灼熱は茜の可憐な服を、礫を、剣をすべてをも飲み込み、焼き尽くしていく。怒りの形相を表す灼熱が茜本人を焼かなかったのは、責人の中にある幼馴染のよしみが邪魔をしているようであった。


「あつい!」

「ッ、降伏するんだ、茜‼」


 食いしばる歯、剣を握る手、そこからは血が垂れ身体の限界は誰が見ても明らか。

 しかし――


「私の正義は‼ 犠牲を許容しないこと‼ だからできない。偽善と言われようとも、降伏なんてできないし、しちゃダメなの‼」

 砂嵐のように舞う硝子は茜の感情そのものを表しているようであった。


     †


 街長の名は菊輪和重、だというのにこの世界では茜に責人と呼ばれている。外見は今朝見た傷の痕からまんま同じ。よって、それが意味することはただ一つ。


 責人は街長であって街長ではない存在。


 それがわかったとして、俺はどうすればいい。俺も茜と戦えばいいのか? いや、俺は街長となんて戦えない。そもそも無力な俺が戦おうったって足手まといにしかならない。


「シナリオが完遂されるのをここで待つしかないか」

 傍から見たら戦場にぼうっと突っ立っている馬鹿に見えるが、色々考慮した結果ここが一番安全なのは間違いなかった。しかも、楼は彼らの会話を聞くべきだと考えていた。


 犠牲を許容しない茜。犠牲の上で正義を貫く責人。そして彼らは幼馴染だという。今後この物語を救うとして、この物語上におけるは知らなければならないはずだ。


 ――思考の刹那。


「うあああ」

 その声が聞こえたのは楼の背後であった。


「いっ……」

 不意打ちにより右腕に深い傷を負うが、痛みはわずかと言えたのは幸いだ。だがこれも、流れる血の量からアドレナリンによる一時的なものだとすぐさま推測できた。


 目の前に立つ男の草製ナイフは計六本。それぞれ指の間に挟めるほど小さいが、足許のそれを蹴ると質量は確かにあることがわかる。


「ぼうっとしてた俺が全面的に悪いんだろうけど、不意打ちは卑怯じゃないのか」

 まるで獣のように血走った目で見つめてくる男。

 戦場で安全な場所があると考えた俺が安易だったのだろうが、こんなに見つめられるのは想定外だな。


 彼らはシナリオ通りに動いているはずで俺など目もくれないというのが俺の仮説だっていうのに、これでは間違いだったことになる。


「死ね‼」

 そう言って投げる手さばきはアサシンのそれで、ナイフは直線的で速度を持って俺を的確に狙ってくる。だが、楼の身体能力からしてみれば避けることくらい容易いことだった。


「俺はチカ姉には勝てないが、運動神経悪くねぇんだよ!」

 何を言っても意味をなさないことは理解しているが、無駄口が叩けるくらい余裕がある。


 走りながら緩急をつけ、軽やかな身のこなしですべてを躱して見せると比例するかのように草のナイフは無尽蔵に投げつけられた。


「クソ、どうして、どうして」


 無尽蔵とはいえ、掠りもしないそれは怒りを募らせるには十分。

 また、怒りが募れば正確性に欠き始めるのも当然だった。


 俺を狙う事は仮説通りならありえない。この物語のシナリオに、信樂楼が狙われるなど書かれているはずがないのだから。

 だとすると想定外の行動をとれる者。


「お前がワームか‼」


 楼は自分の手にすり抜ける棒を呼ぶことで、棒のみを具現化する。

 おそらくワームにだけ使えるであろうこの棒を草のナイフを躱しながら下から振り上げ男の身体を切断――しなかった。


 大量の紙が瞬時に散らばるだけで、男から血の一滴も垂れず、すり抜けただけだ。


「どうして」


 今度は楼の番だと言わんばかりの焦りと疑問が頭を埋める。

 その場で膝から崩れ落ちる男の身体を棒は確実にすり抜けた。だから紙が散らばっている、クソ……だったらすり抜けた理由は? ワームじゃなかったからか?


「え、ここは、どこ?」


 だが、今回は効果がなかったわけではなかった。

 男は辺りを見渡し、自分が今まで何をしていたか、忘れているような挙動をする。


「お前、自分が今まで何してたかわかるか?」

「え、な、なんだお前。近寄るな! あぁそうか。わかったぞ。思い出した。お前、新保進派のやつだな」


 ナイフを手に後退りする男。

 その姿は先ほどまで見せた獣のような瞳はなくなり、むしろ弱気に見える。


 男は竦む足を背後へ引くと足許にある紙で滑り尻もちを搗く。悲鳴を洩らし怯えた顔で「来るな」と叫び戦場の中に消えてしまった。


 この一連の状況を考え、男の様子を見ていた楼。


「この棒の能力は冷静さを取り戻す能力なのか?」


 よく思い返せば、最初使った時は茜によって冷静かどうか見る暇もなかった。だが、今回は冷静な姿を突如見せ始めた。


 現状すり抜ける棒を使用したうえで視認することができない以上、ワームは狩ることはできなかったと考えるべきだ。同時に、俺が襲われたのはワームのせいではない、ということもわかった。


 これだけでも、大きな収穫と言えよう。

 だから俺は後方の警戒をしつつも、再び視線を二人の戦闘に移した。


     †


「どうして犠牲を許容できない。今までできていただろう」

 防壁であり、攻撃もする砂嵐のような硝子の礫を処理することに追われながらも、責人は茜に訴える。


「敵対派閥の人が酷い扱いを受けることを私は知らなかった。知っていたら元化派として戦うことなんてしませんでした」

「知らなかったなんて通用しない。周りから見たら知っていてやっているようにしか見えないんだぞ。みんなはきっと茜の親が酷い仕打ちを受けたのが許せないからだって、そう思っているんだ。それをわかっているのか」


 弱まる硝子の嵐から茜の動揺が窺える。

 茜自身もわかっているはずだ。傍から見たら自分がどう見えるか。それはこの動揺から十分と言うほどに伝わる。


 だから弱まった隙を責人は逃さず、より熱く大きくした炎の剣で物理的に切り開いて茜までの道を作る。


「だけど、今なら戻れる。裏切り者の呼び名を捨てられる」


 悪魔のささやきに聞こえただろう。信条がなければすぐ傾いてしまうほどに。

 だが、責人もわかっていた。茜に信条があるということくらい。


「呼び名なんて何でもいいんです。私は責人と同じく、正義を貫き通さなくてはいけない。私を信じるみんなのために」


 勢いを取り戻した茜の砂嵐は、さらに勢いを増し、硝子を宙に飛ばすことで戦場全体に礫を落とした。致命傷にはならない。だが、逃げる隙にはなる威力だった。


 二人は見つめ合い、茜が背を向けることでこの戦は終幕する。


     ◇◆◇


 ――カ、カァン


 魔法がとけたかのように我に返る両陣営。だが、茜が作った隙は未だ継続中であり、退却という名の逃亡をする新保進派のみんなを助けていた。


 しかし、戦場全体に広がったということは、硝子の礫は味方すらも受けるという事で。


「いってぇ」


 楼の頭にも当然の如く降り注がれていた。そしてこれがまた楼を冷静にさせたため、完全にアドレナリンの放出を停止させてしまう。


「結構深くいってやがる」

 手で押さえることで止血を試みるも、大した効果はやはり得られない。

「楼さん……その腕‼ 大丈夫ですか‼」

「ああ、大丈夫だ。だから早く逃げないと」


 責人から離れ、俺へ駆け寄るもゆっくりしている時間はない。責人はまだそこに、茜を見つめて立っているのだ。


 あいつの攻撃は茜ですら苦労したのだ。叶うはずはない。だから今すぐにでも、距離を取って、逃げないといけない。その姿がたとえ街長の姿をしていたとしてもだ。


「早く逃げるぞ。俺はあいつとは戦えない。戦ったら間違いなく死ぬ」


 責人の周りには火の粉が舞い始め、明らかに攻撃の体制に移ろうとしている。

 その眼に慈悲の眼などない。


「クソ、なんなんだよ。あいつは」

 俺と共に、走って逃げる茜は至って冷静に、それでいて悲しい顔をして呟く。


「与野責人。私の幼馴染で、元化派の代表。私の敵です」


 戦闘中にしていた会話からおそらくそうであろうとわかっていたことだが、彼は街長ではないということがここで確定する。


 彼の炎は俺らを追うことなく、独りでに燃え盛り、ずっと何かを見詰めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る