第6話 基地

 走った先で電車を乗り継ぎ、緑豊かな山を乗り越え、茜の仲間であろう人に車で送ってもらった先は開けた土地だった。


 電車や車というかつて人類が生み出した叡智の結晶。現代では、あることにはあるだろうが、一般市民が使用できるわけではないそれを、こうも易々と使えたのだ。最初にして最高の体験に興奮冷めやらぬ中、たどり着いたのはロマンの欠片もない場所。


 田んぼと畦道。小さなトタン壁の建物。どこを見ても山ばかりで人気を感じない。


「どうしてこんなところに……」

「いずれわかります。それより楼さんのあれは何ですか」

「俺にもわからないって」

「どうして楼さんの本がバラバラになって出てくるのですか」

「それは俺が一番知りたいに決まってるだろおおお」

 またもや響く俺の声はこだまする。


 都市部よりも綺麗に返ってくるこだまは気持ちがいいものだ。

 隣の茜はため息と共に呆れた声を出す。


「はあ、ここだからいいものの、気を付けてください」

 清々しい「おう」という返事にもため息を吐く茜は気疲れしているようだった。


 それもそうだろう。物語世界と俺のいる現実世界を行き来して戦闘までしたのだから疲れて当然だ。休める場所さえあれば休んでもらうのがいいな。


「何か勘違いしていませんか? まあ、いいですけど。それで私考えたんですけど、あの本って全部こっちに来る時に飲み込まれた本じゃないんですか?」

 自分の胸にあるネックレスに触れて言う茜。


 そうだ。よくよく考えてみれば俺の本はこの世界に来る時、茜の魔法によって生み出された白い円に飲み込まれていたじゃないか。


「ということは俺の本は飲み込まれたからバラバラになったのか?」

「飲み込まれたから、という理由ではないかと……」

 視線をわざわざ逸らし、言い淀む茜。


 だが茜の言う通り違うのだ。飲み込まれたからじゃない。それは理解しているが、そうであれば自ずと導き出される答えを理解したくないのだ。


「俺は信じないぞ」

 だって、もしそうであれば。


「俺の本がすり抜けるたびに消費されていくなんて信じられるわけがない」

「ですが、そう考えるしか」


 信じたくない。だって、もしそうであれば消費された本たちが報われない。確かに一瞬の隙を作りはしたものの、すり抜けてしまったがゆえに何も成していないことには変わりないのだ。


「いや、きっと特別な能力があるのかも――」

「すり抜ける能力ですか?」

「……コホン。あの能力は明らかにこの世界に来てからの能力。それはつまりこの世界に来て、俺も能力者になったってことだ」

「すり抜ける能力なんて聞いたことないですけど……」


 どうして茜は突っかかるのだ。俺の能力に嫉妬か? 硝子の能力じゃ満足できないって言うのか? いいじゃないか、俺だって意味の分からない能力といえど、能力者になれたってことなんだ。ロマンあるだろ。興奮したっていいだろ。


「冷静に考えて、すり抜ける能力に使いどころなどないはずです」


 まるで俺が冷静ではないような語り草だが、実際そうであることは否めない。

 しかし、実は頭も冴え、思考し仮説も立てている。

 その仮説とは――。


「こいつはワームってやつにだけ使えるんじゃないのか?」


 人には通用しないのであれば、人以外の存在。本の内容を変えようとするその存在だけ通用する可能性が残っている。


「なるほど、確かにそれなら楼さんが世界に来て得た能力として理解できます。楼さんのたまに見せる推理力だけは尊敬出来ますね」

「おい、それは喧嘩売ってるのか?」

「事実ですから」

「よし来た。いつでもかかってこい」

 ふざける楼を傍目に、茜はやや広めの畦道で立ち止まる。


「とりあえずそれは実際にやってみないとわかりませんので、置いておきましょう。着きましたので……」

 着いたといえど、そこは何も変わらないただの畦道。しかし黙って立ち止まる茜。やがて、変化は訪れない。耐えかねてため息を漏らす楼。


「空から何か降ってくるのか?」

「いいえ……逆です」


 その言葉の意味が分からず、再び問おうとしたその刹那。


 ――ガタン


 大きな音と共に目の前で地割れが起こり始める。しかし、割れた先が視界に入り、やっと言葉の意味を理解した。空の逆は地だ。


 開かれた入り口に現れたのは石の階段。薄暗いなかを慎重に降りる。

 そして降りた先の景色に感嘆の息が漏れた。

 これがここに来た理由……

「まさかここは」


「ええ、ようこそ。新保進派(しんほしんは)の第二基地へ」


 電飾と建物、大勢の人間で溢れかえるそこは地下世界。そしてそこには人類のロマン、男のロマン、楼のロマンが詰まっている。


 ここは物語の世界なのだ。


 現実に存在した過去の遺物で興奮していた俺が馬鹿なのか。いや、きっとその過去にいた人間ですら、この地下世界を見たら興奮するだろう。


「ロマンってこういう事なのかよ」


 現実離れした世界を見て感じる熱い衝動は、今まで考えていた楼のロマンをあっさり上回る。やはり楼の抱いていたロマンは現実から逃げる言い訳でしかないのだと、強く実感させられた。


「どうですか? 来てよかったですか?」


 俺は確信する。間違いなく俺が求めるロマンは、この世界にある。


「ああ、来てよかった。来れてよかった」


 誇らしげに歩く茜の顔にも高揚が見られるが、そんなことにも気づかないくらい地下世界の景色を堪能していた。そんな楼の姿を見た茜は満足し、上擦った声をあげる。


「時間ができたら私がこの街を紹介してあげますよ」

「紹介? この街特有のなにかがあるのか?」


 まるで隠し玉を明かすかのように、悪者顔をする茜。「んふふふ」という笑い声はこれからこの街のことを話す様子には見えない。だがこれも自信の現れだと考えれば余程の自信があるように見えなくもない。


 そんな茜が興奮した様子を隠す素振りもなく今までで一番元気な声で話す。


「なんとですね……第二基地のスイーツはとぉーっても絶品なんですよ」

「スイーツ? ってお菓子だよな?」

「はいそうです! あまーいお菓子です!」


 あまいお菓子など、焼いた砂糖菓子くらいしか食べたことがないのだが、スイーツはどれほどあまいお菓子なのだろうか。まず間違いなく、現実のそれよか何倍も美味しいのに違いないだろう。


 楼の中で高まる期待と食欲。それはいつのまにか顔を緩ませ、言葉に勢いを与えた。


「それなら食べさせてくれよ」

「え、自分で買ってください。私は自分で精一杯なので」

 あっさりした返答。


「今のは紹介してくれる流れだろうが!」

「紹介くらいはしますよ?」

「そういうことじゃねぇよ!」


 高まったそれを突き落とされ冷静になるが、やはり不服だとため息が洩れる。

 まったく、茜はどうしてこんなにも抜けているのか。この世界のお金を持っているわけがないことはわかっているだろうに。こんなんでも物語の主人公だというのだから、本当かどうか怪しくさえ思えてくる。


「本当に主人公なんだよな?」

「……」

 なぜ見つめられているのか……


「私何かおかしいことしましたか?」

 何を真面目に考えているのか。


「抜けているから言っただけだ。急に真面目になるな」


 どうも何か合わないんだよな。迷いなくハッキリ言ってくれればいいものを、自信がないのか迷って、それこそ主人公らしくない。こんなんじゃこの街の行く末が心配だ。


「茜は主人公なんだから胸張って主人公面してたらいいんだよ」

「言われなくてもそうしてます」


 きりっとした口調で言い切る。

 まったくそうは見えないというのに。

 だが、この街にいる市民を見つめる視線。そこには確かに優しさを感じる。


「主人公というより街長みたいだな」

「なんですか、それ」

「みんなの笑顔が仕事の糧みたいな? そんな匂いがぷんぷんする」

「私はそんなに臭いません! ですが、笑顔は確かに糧にもなりますよ」


 天井に張り巡らされる淡い灯の下、足を止めて再び見渡し熱を帯びた声を発する。


「ここにいる人みんなが、グラティアを必要としている人達なんです。グラティアを取り上げられたら笑顔はなくなってしまう」


 その言葉を聞くとやっぱり主人公らしいのだから、思わず笑みがこぼれる。

 そしてきっとこの主人公は――


「だから守りたい、と」

 首肯して続ける。


「私はみんなを守りたい。能力を必要としている人は虐げられてはいけない。だから私は何でもする。武器を手に取り、何としてもこの場所を守らないといけない」

 それは茜の信条であり、決意であるようにも聞こえた。


「守られる運命があるんだろ?」

「ええ、だから変えられてはいけないんです」

 振り向き、覚悟を顔で語る茜は頭を下げる。


「どうか、お願いします」

「任せろ」


 こんなセリフ、俺にとっては柄にもないセリフだ。だが、弱気など見せられるものか。そんなのロマンに欠ける。


 きっと俺のロマンはそれを許さない。だから俺は続けて言う。


「茜と一緒に守ってやるよ。俺だって外から来たヒーローなんだからな」


 紅潮するのを感じるが、これは胸の高鳴りから。


 俺はこの世界でロマンを見つけに来たのだ。


 そしてきっと、俺のロマンはこういうことだ。


「茜さん‼ 大変です‼」

 唐突に割り込む声には焦燥があった。

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