第4話 さあ、世界へ
「まったく……どうすればいいんだよ」
倒壊したビルと赤茶の砂が地面を覆い、ただでさえ乾いた世界。
にも拘らず、俺に向かう市民の視線も乾いたものだ。
いや気にしている場合ではない。街長の話もそうだが、その話と同じくらい立場を危うくする悩みの種がトレーラーハウスで待っている……そんな予感がする。
「帰ったぞ」
雪崩で崩れていた本は積み重ねられ、ベッドの上で座る主人公さんは俺に見向きもせず読書を楽しんでいる。
「ええ、お帰りなさい」
「いやいや、お帰りなさいじゃないだろう。なんでくつろいでるんだ」
「信樂楼さんを待っていたんですよ」
さっさと帰れって言ったつもりなんだが……というか――
「フルネームで呼ぶのやめろよ。気持ち悪い」
「え? じゃあ信樂さん? いえ、楼さんで構いませんか?」
「そこは何でもいい。それより、何でまだここにいるんだ」
開いていた本をポンと閉じて小首を傾げるが、そんなことをしても騙されない。
「お前わざとやってるだろ」
「何のことでしょう?」
「容姿が良いからってなんでも上手くいくと思うなよ」
「……ふん」
おい可愛いな。
そうやって、ふてくしても俺は動じるつもりはないがな。
「自分が美人だってわかっているのは嫌いじゃないが、それで上手くいくほど世の中あまくないんだぞ」
「……はあ、わかりましたよ」
こいつため息吐きやがったぞ。やっぱり故意犯だったのか。
「ですが楼さんは私に感謝すべきでは?」
「感謝? なにを感謝するんだよ」
「私が上手く隠れなければ見つかって大変なことになっていたのでは?」
「それはお前も同じだろ」
確かに茜が見つかれば外部の人間を匿っていたことを責められかねないが、問題の根源は茜に他ならない。排他的なのはあくまで外部の人間に対してなのだ。
俺が内輪なのかはグレーだが、それは今は良しとしよう。
「ですが、私は本の中に帰ることができます」
「なら帰れよ」
「ああ、いや、そうじゃなくて……」
遂には涙目になる茜。
こいつ真面目ぶってるだけで意外と抜けてるな?
「あ、あのですね! 私には楼さんが必要なんです」
「俺は助けてやれない」
「どうしてですか!」
茜に逼迫が見られるも、助けれられないのもまた事実だ。
「俺にそんな能力がないからだ。死ねないんだ、俺は」
「死なせません。私が守って――」
「守られるわけにはいかない」
「……またロマンとやらですか」
「ああ……守られるのは理想の俺じゃないからな」
口をパクパクさせ言い淀む茜。余程の衝撃だったのか沈黙すら生まれる。
しかし、これだけは覆すわけにはいかない。俺のロマンでさえも貫き通せないならば、これまで積み重ねてきた想いも努力も無駄になる。だから――
「そんなことで……弱い者の言い訳じゃないですか。強くないからって逃げて、挑戦もせず何も成さない。大体、楼さんはロマンだ理想だなんて言って、そんなのコンプレックスでしかないじゃないですか!」
「――ッ‼」
「大方、信樂智佳さんという方へのコンプレックスでしょう?」
「どうして……」
「あなたしか住んでいないであろうこの何もない部屋で、あなたのモノでもないトロフィーが飾ってあるんです。能力がどうのと自分を卑下するのだってそう。バレていないとでも思ってるんですか。バレバレですよ、このばかたれぇぇ‼」
振り絞り慣れない茜の暴言だけが部屋を支配する。
チカ姉へのコンプレックス? ああ、そうだとも。コンプレックスだよ。だが、だから何だと言うのだ。だって、しょうがないじゃないか……
「お前に何がわかるって言うんだよ。外へ出れば親だ姉だって言われて、勝手に比べられる気持ちがお前にわかるかよ。数百しかいないこの街で、何かするたびにそう言われるんだ。これがコンプレックスになって何が悪いんだ」
「私は比べてない」
自分の拳に力が入っているのに気づく。
「私はお姉さんと比べてない。楼さんに助けてほしくて、だからッ‼」
また出される文庫本。それは俺が書いた本。本と言うには完成度が低いかもしれない。
だが、チカ姉を越えるにはこれしかなくて書いた本だ。
楼は呼吸をした。ゆっくり吸い、ゆっくり吐いた。
「どうして俺なんだ」
「楼さんのロマンに魅入ったからです」
「俺の……ロマン」
あれ? 俺のロマンってなんだっけ?
忘れたわけじゃない。だが、なぜか、今持つ俺のロマンは俺が望むそれと、前まで持っていたそれと、なにか違う気がする。
だからだろう。それに茜は気づいていたのだろう。
ひそめた眉で俺を睨む茜は明らかに怒っているようだった。
「そうですよ。楼さんのロマンですよ。楼さんのコンプレックスなんかどうでもいい。でも、そんなものであなたの気高いロマンを潰すな!」
どうして彼女に怒られているのだろうか。
彼女とは今朝あったばかりだというのに、どうして彼女が俺にロマンを思い出させているのか。どうして彼女は涙目なのだろうか。
「どうしてそんなに真剣に……」
ハッとした茜は自分の顔がどうなっているのか気づいて、袖で必死に顔を拭う。
「そ、それは、助けて欲しいからであって……」
首から頭の先まで真っ赤にした茜はあわあわと焦りだす。
まったく茜が真面目なのか抜けているのかどっちなのか、それも最早どうでもいいことかもしれない。
「ありがとう。あ、茜……」
「な、なに照れてるんですか! 一度呼んでるじゃないですか!」
「べ、別に照れてねぇし‼」
張り詰めた糸がほぐれ、「もー」と怒ってはいるようだが、そこには真剣さはなく、笑みを浮かべぷんすかしている。
だが、まだ話は終わっていない。
「そもそも何ですか。楼さんのロマンって」
「え?」
いやさっきまで散々否定していたっていうのに……わからないって?
「茜もわかってないのか」
「どうして私がわかるんですか。私は魔法使いでもなければ、心理学者でもありません!」
魔法使いじゃないことについては反論の余地があるが、確かにそうだ。
「さっきまで語っていた俺のロマンってなんなんだ」
「それは、何というかイメージですよ。明らかに本で読んだあなたのロマンと違っていたから違うと言ったまでです」
だとしたら俺のロマンってなんなんだ。
俺だって前とは違うという事しかわからないっていうのに。
「ですが、わかっていたとしても教えるつもりはありませんよ」
「なんでだよ」
「こういうのは解を教えず、解法を教えるのだと相場が決まっていますから」
「そう言って解法すらわからないんだろ?」
「いえ、解法ならあります」
何となく察しはつくが、それを意図して指摘しない。
「それは?」
「私を助けてください!」
だと思ったよ。
俺の能力問題は解決もしていなければ、死ねないのも事実。ましてや、俺は自分のロマンを失ったんだ。後退したといってもいいだろう。
そんなこと茜自身もよくわかっていることのはずだ。
「わかっています。どうせまた断るんですよね? ですが、話を聞いてください」
ほう? 何を考えているかわからないが、話を聞くくらいなら何ら問題ない。
「私の物語には楼さんが必要です。そして楼さんにはロマンが必要なはずです」
「助けることでロマンを見つけろって?」
「ええ、私の世界を救うことでロマンを見つければいいのです」
「それじゃ最初となんら変わらないな。ロマンを求めて死んだら元も子もないだろ?」
もとより死ぬことを是とする人などいない。
だが、かつての俺が抱くロマンはどうだっただろう。死すらも覚悟して求めていたのではないか。だとしたら今のロマンは道を逸れていると言えるだろう。
ああ、だからかつてのロマンに魅入られた茜は言っているのか。
茜の据えるまっすぐな視線は楼だけを捉える。
「だから私が守ります」
「でも、それは……」
「理想と違うと言うのでしょう? ですが、今の楼さんは自分のロマンすら見失っているではありませんか」
そうだ。だが、違うんだ。理想から逸れたら俺は――
「もう誰も気にしなくていいんです。楼さんは楼さんに他ならないんです」
無責任なこと言うなよ。
散々言われ続けて、ロマンだなんのとほざいて、ずっと持ってきた感情を。
茜の言う通り捨ててしまっていいって言うのかよ。
これが甘言だと言うのも理解している。
だけど、それ以上に茜の言葉は俺が欲する言葉だったのだ。
「わかった……茜に賭けよう」
「そうでしょう。じゃんじゃん私に賭けてください」
誇らしげに胸を張って調子に乗っているが、その気丈のある体つきが、ただ露わになっているだけ。もちろん意図して向けた視線ではないが、その自信と自身の選択を楼は胸に繰り返し重ねる。
「どうしたんですか?」
顔を覗く茜は無遠慮に近寄る。
甘い匂いと先の姿が脳でフラッシュバックを繰り返す。
なぜこうまで甘い匂いがするのか、女性は皆そうなのか、それとも彼女が物語の主人公だからなのか。いや、忘れるんだ――俺ならできる。目指すは無だ。無を目指せ。
楼の紅もやがて落ち着き……
「どうもしていない」
「いや、でも熱などあれば」
「どうもしていない」
「そうですか……では物語の世界へ行きましょう」
「どうもしていな……え? なんて?」
唐突で理解が追い付かない。
「だから私の物語、『グラティア』へ行く用意をしてください」
おそらく俺の頭がおかしくなっていないのであれば、茜は俺を物語世界へ誘おうとしているように聞こえるのだが……
「俺って、物語世界へ行くのか?」
「ええ、最初からそのつもりでしたが」
「そんなの聞いて……」
いや、考えればわかる話じゃないか。
物語を正しき物語のするための戦いだ。現実で完結するわけがない。
何より茜自身が物語から出てきた存在。物語世界に行くことは自然なはず。だが――
「本当に行けるのか? 俺が、物語世界に」
速まる鼓動に火照る身体。
こ、これは――
「すげぇロマン感じてる」
さも当たり前のように言っていた茜も楼を見て呆れた様を見せるが、微笑み囃すように調子づかせる。
「きっと興奮する世界だと思いますよ。なんたって物語なんです。言わば人の妄想が具現化した世界。そんな世界は常識なんて通用しません。きっと楼さんのロマンを見つけられる物語だと保証します」
「常識なんて捨ておこう。俺のロマンを見つけるために‼」
まっすぐ立てた一指し指を楼に向けた茜は、むすっとした声で補足する。
「世界を救うことを忘れないでください」
「ああ、そうだったな」
「忘れてましたね‼」
ちまちまと説教を始め、まったく騒がしいやつだ。耳障りで、部屋も人生で一番散らかして、清衣にバレそうにもなって、今日は本当に騒がしい。
それでも今は胸が軽い気がする。
「はいはい、わかったよ。助けてやるよ」
「もう、お願いしますよ?」
この気持ちは高揚もあるが、それ以上に――
「……ありがとな」
「え? 何か言いましたか?」
「言ってない。そんなことより、さっさと行こう。用意するものなんてないからな」
「でしたらすぐに行けます」
当然のことのように言われ戸惑うが、茜は本を読んで会話をしていただけだ。物語世界へ行くというのだから大層大掛かりな準備が必要だと思っていたが違うのか。
だとしたら、どうやって?
それを察したのか茜は『グラティア』の本を手に持ち、自分の胸を弄り始める。
「おい、いきなり何して」
「何してって、これですよ」
茜が手に持つのは銀のネックレス。藤の宝石を付けた明らかに高価なジュエリー。この世界では見ることすら叶わない嗜好品であるものの、楼からしてみれば、ただのアクセサリーにしか見えない。
「本当にそんなもので?」
「ええ、それでは使って見せますから握ってくれますか?」
茜の首に通したそれの宝石を右手で優しく握る。
急接近して鳴り始めた動悸がどこかこそばゆくて、目線を逸らすも茜の眼は真剣そのものだった。
「では行きます」
〈世界は神話で出来ていた〉
透き通る耳あたりの良い声だった。
楼の握る宝石が引力を持ち始めると同時に、茜の手に持つ本を中心として宙に白い円を創り出す。本から零れる文字が俺たち二人を巻き込むように周回して加速を始める。
「す、すごい」
だが、神々しく神秘的なのはそこまでだった。
加速を始めた文字たちが部屋の本を巻き込み始めたのだ。
「おい。どうなってんだ。俺の本が……ってあぶね」
もはや本の竜巻に飲み込まれたと言ってもいい程に危険な状況と言える。なんたって、本とはいえアレは硬いのだ。物質として十分な質量をもっているから、そんなものが頭に当たれば俺は――
「これも想定通りか?」
「い、いえ。想定、外です……」
決して目を合わせてくれない茜に、ため息を漏らし微笑み言う。
「死なないって、守ってくれるって、言ってたよな?」
「そ、そうでしたかね?」
「茜、お前、図ったな‼」
あたふたさせた視線は、やがて楼を捉え微笑み……いや、苦笑して返す。
「あークソッ‼ あっち行ったら覚えてろ!」
傍から見たら恐喝しているようにも見えるだろう。しかし、周りの目など構わない。今は生きることに必死だ。そもそも俺の評価なんてたかが知れている……そう、どうせ俺はこの街から――
「あ、忘れてた」
「何か忘れものですか? ですがもう諦めてもらうしか」
忘れものならまだよかった。絶対に忘れられない、この街から追い出されない為に頼まれていたことがあったじゃないか。
街長ごめんな。俺と一緒に共倒れしよう。
「楼さん、大丈夫ですか?」
「ああ、もう大丈夫ということにした」
「それって大丈夫じゃないですよね⁉」
騒がしい茜を他所に収縮を始める円は宙に浮かぶ本すらも飲み込む。
そして俺たちすらもきれいさっぱり――
「ロマンにベットしてやろう」
――飲み込んだ。
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