第3話  街長

「行くって、どこ行くんだよ」


 淡々と歩き進む清衣は、のんきな声で答える。

「どこって、信樂さんが行く場所といったら街長のところしかないでしょう?」


 間違いはないのだが何だか癪だ。そもそも、どうして俺まで付いてきているのか。呼ばれてもいなければ、行く予定もないのだが。


「街長から頼まれてわざわざ迎えに来たんですからぁ、感謝してチップを払ってくれても、構いませんよぉ?」

「そんな余裕がある程、裕福な暮らしできたらな」

「だったらさっさと本を書き上げてくださぁい。物好きなお客様が待ってくださってるんですよぉ」


 生活するので目一杯な人がほとんどなのだ。本を買うなど物好きとしか言いようがない。だがしかし、つまるところ物好きのために本を書く俺は……


「馬鹿にされた気がする」

「しましたもん」

「……」

「ほら着きましたよぉ」

 石膏の家へ慣れた足取りで入る清衣は、俺の反応など意に介さない。

 まったく俺はこんなところ来たくもないってのに。


「失礼します」

 乾いたノックの音と共に重い足を部屋に入れる。


「ああ、信樂君、少し待っていてくれ」

 先に入った清衣にサインを書いた紙を次々に渡す白髪の、それでいて若い男がいた。


 楼が待つこの部屋は来客にも対応できるよう質の良い内装に家具を備えている。執務机の前にある柔らかそうなソファに、大理石のローテーブルはなかなかお目にかかれるものではない。


 清衣との執務に追われる街長、菊輪和重きくわかずしげの腕には不自然な数多の傷跡がある。それは以前会った時にはなかったもの。肉体労働をしていないとは言わないが、俺と同じように室内での仕事が中心ではないのか。

 そもそも、あそこまで傷がつくようなことは日常生活ではまずないだろう。


「よし、待たせた」

 最後の紙を清衣に渡した和重が優しく俺を見据える。

 俺としては、これから優しい会話がされるとは到底思えないのだが。


「じゃ、頑張ってねー、信樂さん」

 軽い足取りで出ていく清衣を見送れば、いよいよ二人の空気は重苦しくなる。


「……俺に、用ですか?」

「用というより説教と言ったほうがわかりやすいか?」

 はぁあああ。何となくそんな気はしてたさ。だが、もしかしたら国から来た報告に関してだと思うじゃないか。


「わかっていると思うが、君の仕事に関して不満の声があるのはわかるな?」

「ええ、毎度のことですから」

「その不満も抑えてはいるものの、いつかは決めなくてはいけない。この現代で不必要な労働力などないからな。だからよく言えば、君を必要としているわけだ」

「俺は父や母のように、ましてや姉のようにはなれません」


 諦観したような生易しい視線を下げ、俺の視界に見えるよう机の本を手元に寄せる。

「こう見えても私は本が好きだ。皆はただの娯楽と言うが、娯楽以上のものがあると私は考えている」


 それには同感だ。

 確かに現代において本は娯楽でしかない。しかし、描かれる物語はロマンで溢れ、時に知恵を、時に勇気を読者に授ける。だから感動した。真似したくなるほどに、憧れを抱くほどに、時代にそぐわない感情が宿る。


 この影響の良し悪しを別とすれば、娯楽以上の価値があると納得せざるを得ないはずだ。


「けれど理解されない」

「彼らに本を買う金などないのだからな」


 平然と言いのけるが和重もまた、貧困生活を強いられている一人だ。

 彼は自分の利益のために搾取する人柄ではないし、そうであれば数百人程度のこの街、池袋の治安は保てない。

 彼の意向から明らかに背くのは俺くらいだろうからな。


「だから本を書く作家という存在は認められるわけがない。それくらい私も何度か言ったことがある上に、既に君自身も気づいていることではあるだろう」

「だからって辞めるつもりはないです」

「ロマンを求めるから、だったかな?」

 和重の意味ありげな笑みを突き放すかのように頷き返す。


「私に君のロマンとやらは理解できないが、君の能力は理解しているつもりだ。ご両親、そしてお姉さんのように君も――」


 口を歪め手に力が入る。

 楼が無意識に洩らす感情も和重にとっては既に知り得たことだった。


「そうカッカするな」

「俺は父さんでも母さんでも、チカ姉でもありません」

「あぁそうだろう。だから君も作家として培ったその機転や知恵を街のために使ってはどうだ?」


 そんな能力があるのであればトレーラーハウスに引きこもってなんかいない。

 そんな能力さえあれば……


「それはでき――」

「できないんだろう? だがいつか、決断しなければならない時が来る。私もこんななりで二十五だ。ここだけの話、子供まで授かった。街長としての仕事を全うしなければいけない。このまま君の家族がもたらした偉功だけで贔屓できると思うな」


 和重の見せる恐ろしく厳格な風貌が彼を街長足らしめるのだと楼は魅入って理解した。


 街長が正しいことを言っているのも理解できるが、俺だって自分が間違っているとは思っていない。

 街長の言うように排他的な世の中で献身的に働くことは、社会を保つためには必要なことだろう。だが同時にそれは、俺の中で自分を諦めることに他ならない。だから――


「ロマンを見つけます」


「……勝手にしろ」

 投げやりな言葉でありながら街長の顔が緩むのはなぜなのか。


「時に信樂君。我々の社会にもロマンはあるとは思わないか?」


 何言ってんだコイツ。とは言いはしないものの、態度には出たようだ。

「まあ聞いてくれ。最近世では不審な事件が起きているというのだ。そのせいで食料供給にも問題が出ているらしいのだが報告はないか?」

「そういえば今朝そのような報告が」

「あっただろう。だが、どうして君の報告書に事件の詳細が記載されていないのか、疑問には思わないか?」


 俺の報告書にあったのは食料支給のカットという報告だけ。詳細すら見ていないものの、事件によって起きた食料問題ならばわかりやすく記載されているはずだ。であれば、どうして? 


「その事件が大々的にできないからか?」

「正解だ。この事件はあまりに不審であるがゆえに、発表などすれば市民の混乱は免れられないだろう。いや、混乱で済めばまだいい」

「ならなぜ俺に話すんですか」

「君の能力に期待しているからさ」


 この街長は本格的に頭がおかしくなったようだ。

 食料問題を起こす不審な事件を国が解決しようとしないわけがない。そして、現にできていないからこそ結果として食料支給カットが起きたのではないか。


 そのような解決するのが難しい事件を俺の能力で出来るとでも? いやできる訳がないだろう。親より姉より能力の低い俺ができると思っているのであれば、街長の頭は二十五にしてイカれたと言ってもいい。子まで授かったというものの、不憫な奴だ。


 楼のバカにする笑いは伝染するよう街長の顔にも表れる。

「無理な話ですね」

「そうでもない。なんたって君の前にその不審な事件の予兆を持った人がいるんだからな」

「は?」

「私の腕を見て何とも思わないか?」

 それはつまり――


「……その傷が予兆だとでも?」

「ああそうさ。これは突如浮かび上がるようにできた傷でな。こいつができた人間がおかしくなって事件を起こすってのが不審事件の真実。別に不作で食料に問題がってわけじゃない。食料問題はただの結果だ」


 こんなことならただの不作の方が何百倍もマシだった。不作ならその時を耐え忍べばいいだけだっていうのに、街長に傷ができたっていうならそれは――


「この街が、池袋が危ない」

「だろうな。だから君が解決しろ」

「できる訳ないだろ!」

「なら私は出ていく」

「ッ‼」

「池袋にいる市民だけには迷惑をかけれないからな」


 そうか、なるほど、わかった。

 これは説教でもなかったわけだ。

 これは脅しだ。

 俺が問題を解決しないならお前の生活も危ういぞ、そう言いたいわけだ。


「悩んでいるようで悪いが残念ながら時間もない。一週間だ。一週間で解決しろ」

「ふざけんな! 国だって解決できない問題を俺が一週間で解決できるわけないだろ」

「じゃあ諦めろ。働け。君が自由に生きられるにはそれしかない。それかこの傷がただの傷であることを祈るんだな」


 高圧的いや、意図して演じる横暴な和重の声には震えがある。

 賭けるしかないのか。俺に。


「……ちくしょう」

 小さく呟く声はその場に染みを残した。

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