第2話 来訪!旅商人

「断る」


「え」

 呆ける茜は、ここに来てやっと人間らしい反応を見せる。

 彫刻みたいに絵になる姿をここまで保っていただけ末恐ろしい奴だ。


「ど、どうしてっ! 信樂楼さんはロマンだけを追い求めているんじゃ」

 茜がどこからか出した文庫本。それには見覚えがある。


「だから俺を訪ねてきたってわけか」


 その文庫本にはしっかりと『信樂楼』の名が刻まれている。

 確かに俺の本はロマンだけを追い求めると書き続けたさ。なんたって、それが俺の美学なんだからな。だが、所詮は一冊の本でしかない。


「どこで手に入れたか知らんが、俺はロマンだけを追い求めて死に急ぐ馬鹿じゃない。俺にとってのロマンは手段であり、結果だ。わざわざ死ぬ手段は取らない」


「私と共に戦えるのにですか?」

「今のは嘘だ。一緒に……ってならねぇよ!」


 なんなんだ。一瞬靡いちまったじゃないか。というか、そんな真面目そうな風貌で意外とお茶目なのかよ。


「そうですか……残念です。一緒にお菓子でもと思っていましたのに」

「……」


 こいつ自分の美貌を理解してやってるな。

 事実だが、もうそれには乗らな――あ、上目遣い可愛い……

 必死に頭を振って、翠の双眸を見据える。


「な、何度も言わせるな。悪いが俺は助けてやれない」


 ――茜は瞳を細め、立ちあがり、剣を構える。

 対して楼は一切の動揺など見せやしない。

 それに比例して力の入る茜を見て、わざと笑って見せる。


「俺はこう見えても作家だ」

 訝し気な顔の茜を見て続ける。


「そんで俺だったら無関係の者を脅してまで言いなりにさせる主人公は書かない。なんでかって? そんなカッコ悪いロマンの欠片もない主人公は主人公じゃないからだ」

「でもそれで皆が救われるなら私は――」

「やらないね」


 そんなに体を強張らせる必要ない。

 だって自分が言ったんじゃないか?


「お前は主人公なんだろ」


「……」

 コテンと腰を落とす茜の表情が緩んだ。

「まったく、作家とはこうも変人ばかりなのですか」

「ああ、そうだろうな」

 ごめんな、世の作家、過去の作家。だが、こんなところで死ねないんだ。


「でしたら、私の作者も変人だったのでしょうね」

「さあな。そんなのもうわかりゃしない」


 この本は2030年の本だ。今から五十年前の作家なんて皆死んでいるだろうしな。

 世界が荒廃していなければかつての医療で生き残れたかもしれない。そして、自身の生み出した彼女に会えたかもしれない。そしたらきっと味方をしてくれただろうに。


「というわけで、他を当たってくれ。俺は部屋を片付けるから、出てくなりして欲しいんだが、下手に見つからないように気を付けろよ。俺だから良かったものの、普通はもっと排他的で……」


 ――チリリン


 このベルが何を示すか茜ですら気づいた。

 そして、今一番鳴ってはいけない音でもあるのだ。


「茜‼ 隠れろ」

「え、あ、はい!」

 狭いトレーラーで隠れる場所など端からないが、幸いにして本棚が壊れ本の山が築かれている。だから適当に……


 ――チリリン、チリリン、チリリリリ


「うるせぇえええ‼ わかったよ! 出るから待っとけ!」


 何度も何度も鳴らしまくりやがって。こんなことする奴一人しかいねぇ。

 いや何人もいてたまるか。


「せぇぇええい‼」

「はい。清衣せいですよぉ」

「何が清衣ですよだ。何度も鳴らすな」

「女の勘がビビビッと、ね」

 勘の鋭い奴め。

 アヤメ色のツインテールをゆさゆさ揺らしドヤ顔をする清衣。


「じゃあその勘は外れたな」

「なら中を見せてくださぁい」

「イヤだ」

「ジー」


 額に滲む脂汗。清衣の蒼い瞳は俺一点をじぃーと見つめ、僅かなやましさすらも見逃すことはない。彼女が持つ商人の眼。それに負けることなく見つめ返す楼。


 楼が耐えかね今にも逸らそうとするが、先に逸らしたのは清衣だった。

「まぁ、何を隠そうがいいですけどねー。信樂さんもオトコの子ですからぁ」

 こいつの言葉は癪に障るが、最悪が回避できればそれでいい。


 安心感を覚え脱力し、不覚にも安堵の息を洩らす。

「隙ありぃ」

「あ! おま――」


 倒壊した本棚の下にいびつな山を作る数多の本。そして被されるタオルケット。


 こんな光景俺ですら見たことないのだ。俺のことを少しでも知っている人が見れば明らかに不自然。


「あれーこんなに散らかってぇ、おかしいですねぇ?」

「いいや、何も、おかしくないが」

 上ずった声を商人が見逃すわけがない。


「潔癖で綺麗好きの信樂さんですよぉー?」

 鋭利な八重歯を見せつけ、調子に乗ったいやらしい視線。


 入られた時点で失敗。もはや今考えるべきは発見後の言い訳。いやしかし、茜はただの外部の人間じゃない。そして商人の清衣がこんな面白い話を無視するはずがない。せっかく協力回避に持ち込んだっていうのに。


「じゃ、失礼して」

 指先でつまんだタオルケットは宙を舞い、茜の姿を露わに――


「あれーここに何か隠れていると思ったんだけどなぁ」

 茜はそこにいなかった。


 じゃあどこに? 入り口は一つしかないし、隠れる場所なんてあるわけない。


「ただ散らかっているだけなんて珍しいこともあるなぁ。まぁいいか。お遊びはここまでにしてさっさと行きますよぉー」

「あ、遊びって……」


 俺の精神はその遊びのせいで擦り切れているが、そんなことより一体どこに……


 清衣を追って出る前に振り返った部屋では、ベッドの下からグッドマークが伸びていた。

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