続きものだけど未完
タイトル未定 拾われる話[未完]
砂糖のように甘い果実を齧り続けた貴族としての日々。
砂混じりの拾ったパンを齧り悪事燻る路地裏で目を逸らし続けた日々。
二つは交じることがない程に対象的で、しかし上から下に落ちる一方通行の道だけは図太く存在する。下から上に這い上がる下克上なんてものは落ちて数日夢見るだけ。
三日も経てばその日の食にありつけるかが思考の大半を占め、残りは視界に入った犯罪をみて見ぬふりすることに割かれる。
太陽の当たらない、地上から遠く離れた溝のような路地裏で、戸籍を失った男は今日も薬の売買を横目に腐った空気を吸い込んだ。
彼は生まれてからの約十年をシスイ・ヴァーニスという名を与えられ、貴族へ従属する従者という約束された立場を得る家に生きていた。
主に仕え、屋敷の掃除や整備をする。料理をし生活の基盤を整え支える側の人間として、シスイ・ヴァーニスも言葉を理解し始めると共にその立場を理解した。
主の意思を尊重し、言葉には逆らわず、行動や言動だけでなく心境も共に主の望むままに沿って生きる。
それが当たり前であり、そこから上にも下にも進んではならない。
だから、他人に貶められたときにはもうどうしようもなかった。
その人によく思われていない事は自覚していた。
上にも下にも進めない自身に改善のしようがないこともわかっていた。事実、シスイはいつもの変わらぬまま接し過ごしていた。
それが駄目だったのなら、この立場でこの名前でこの存在として生を受けたのが間違いだったのだろう。
屋敷から連れ出され街へと降りて更に郊外へ。狭い道を突き進む主に、ついていくことしかできない従者。
光のない路地裏で壁に突き飛ばされ背中を打った。驚きと共に出そうとした声がぶつかった衝撃でうめき声となって漏れる。
驚愕と恐怖。慌てるように主を「お嬢様」、と呼んだ彼はたった一言で自身を立場を理解する。
「貴方、どなたかしら」
自身が堕ちたことを。
どうやら原因はイカれたバーの裏手にあるゴミ箱から拾ったサンドイッチのようだ。
当たった。大当たりだ。
ドブ川に吐き捨てた吐瀉物が、そう嘲笑っているようにすら見えてくる。昔のことも思いだした。酷い幻覚だ。
口の中が気持ち悪い。一番にまず水だ。
元シスイ・ヴァーニスは膝に手をついて立ち上がり、フラフラと歩き出す。確か少し行ったところに井戸があったはずだ。目的地はそこしかない。
壁を杖代わりに弱った体を井戸へ進める。途中で座り込む同類を見つけ足が止まったが、ポケットの中にあった飴玉を対価に通る間だけ避けてもらった。
壁の途切れる交差路で次の壁へと移ろうとするたびふらつき壁に身体を打ちつけること数回。漸く井戸へたどり着いた。
井戸の外に垂らされた紐を引けば、ローラーが揺れて回って桶が引き上げられる。しまった、水を入れる容器を何も持っていなかった。
井戸の枠に桶を置いて自身の身体で側面を支える。両手で水を掬って口に含み、桶を身体で押して井戸の中に落とした。外の紐の端が勢いで落ちないように、水に濡れた手で紐を掴んで井戸の底にはゆっくりと桶をつけた。
近くのドブ川へ水を吐き捨てる。
口の中の嫌悪感は水と共にどこかへ行ったが、空っぽになった胃は空腹感を訴えてきた。しかし体調不良で憔悴しきった身体は食料を漁りに行く気を起こさない。
ポケットの中の最後のアメを口の中に放り、固い砂糖の塊を噛み砕いた。砂よりも柔らかい。貴族の人生のように甘い。
井戸から少し離れて壁に背をつけ座り込んだ彼は、甘い涎を飲み込んで目を閉じる。アメを譲った同類が自決を選ばなきゃいいが、と生きる意味も理由も存在しない空間で生存を願ってみた。
意識を飛ばして、目が醒めれば気分は上場。醒めなかったならば、きっとその時が一番幸せだ。
◇
気分は上場。齢十一の人生も、案外悪くないまま過ごせている。
ジョークだ。こんな黴臭い生ゴミ捨て場のような空間で生きていて案外悪くないなどと本気で言うやつがいるのならば、そいつの精神はとっくに死んでるしそいつも死んだほうがいい。
ぐう、と腹がなった。目覚ましのアラームか。助かる。
朝飯を探しに行こう。この辺の頭の沸いたバーならパンの一つくらい見つけられるだろう。こんな楽観的に考えて生きていられるくらいここはまだ人の世だ。
このゴミみたいな場所には彼より背の低い子供も割といる。そのため食べ物の取り合いで喧嘩をする子供っぽい甲高い声はどんよりと湿った空気を吹き飛ばすように響く。今日もまた、服がひんやりと冷えるくらいの早朝だというのに喧嘩をしているらしかった。
その様子には誰も見向きしないが。
他人のことを気にしている余裕があるのならばこんな行き方をしていない。自分が生きることしかできないからこの空間のこの光景に代わり映えがないのだ。
それにしても今日は随分冷える。手先がひんやり冷たくて、身体に触れる服ですら冷たい箇所がある。そろそろ防寒具を拾わなければならないかもしれない。
そんなことを考えながら、いまさっき拾った硬いパンを齧る。ガリッ、と音がなったのはパンが削れたからか、歯が削れたからか。乾燥と寒気でどうしようもなく固くなったパンを片手に持ったまままた歩き出す。このパンのことは後で考えよう。
「──君、料理はできるか」
まず考えるべきは、こんなクソみたいな腐った空間でそんな言葉をかけてきた見知らぬ人間への返答だ。
彼は元従者。元執事だ。キッチンに足を踏み入れることもしたし、調理器具に触れることもした。この質問への返答はイエスだ。
「掃除は」
掃除ができなくて何が従者だろうか。向こうにはそんな事情知り得ることもないのだが、とりあえずまあ、これもまたイエスだ。
「洗濯は」
首を横に振れる問が一つもない。繰り返すようだが、主の身の回りの世話をできずなにが従者か。命以外のものを失ったその原因が"仕事ができない"ことでない彼にとって、主人に世話を焼くための手法は全てできて当たり前だ。
これもイエス。
「……見つかった」
何がだろうか。
「この三つの仕事をやってくれる人を探しているんだ。良ければ、君にお願いしたい」
この腐った空間で、人類の最底辺しかいないような空間で。メイド探しを。
この女性は何を考えているんだろうか。空腹で回らない頭がそう思考する。
「どうして大人に声をかけないんです。僕みたいな小さなガキより大人の方が可能性があるでしょう」
返そうと声に出た言葉はそれだった。
実際、家事ができる子供を探すより家事ができる大人を探したほうが早く済むはずだ。探す場所のことを一度捨て置いたとしても。
女性を見上げる。彼を見下ろす彼女は一度きょとんとした幼気な目をして、すぐにそれが当たり前だと言わんばかりの自信を瞳に宿し言った。
「飯を食うつもりがいつの間にか自分が食われていた。なんて笑えないだろ」
──たしかに。
それはなんとも笑えない、触れたくもない話だ。
この薄暗い空間じゃあ夜になれば食べ物だけじゃ満足しないクズだって蔓延ることになる。どうしても食料にありつきたい女はその身を売るし、女を抱きたい男は食料を対価にその身を求める。
金に飢え、食に飢え、何もかもに飢えている自分より力の強い人間と二人きりになれば、駄目と言われて盛るほうが当たり前だ。
自身を防衛しつつ生活を整えるのには子供が丁度いいと思った。要するにそういう事なのだろう。
「私はレウストリア、錬金術師だ。普段から研究に没頭してしまうことが多くて部屋は散らかりっぱなし、食事も用意する時間があるのなら研究をしていたい。そんな私の私生活を、君には管理してもらいたい」
「……僕の得意な仕事です」
「それは良かった。君の名前は?」
名前。
ここに堕ちたときに失くしたも同然なものだ。彼にはそんなもの残されていない。残っているのはゴミの中から着せられた薄っぺらい衣服と、昨日食べたアメの包み紙。それと左手に持ったパンだけ。
「……ああ、もし君が追い出された人間だというのなら、その時失うのは"繋がり"だけだ。君自身だけの名前は残ったままになる。そもそもファーストネームは借り受けるものでなく刻み受けるものだ」
そんな言葉がシスイを包む。
存在だけが確かにあり、しかし居場所は存在しない。名前という個人を表すものも宙ぶらりんになっていたシスイにとって、その言葉が名前と自分を再び鎖で結びつける鍵になった。
「シスイという、与えられた名が残っています」
そうか。と呟いた女性──レウストリアは、シスイの左手からパンを奪う。懐から小さな瓶を一つ取り出して先の細い管の先端を指で折った。
瓶を逆さにして中の液体をパンにかけると、パンは徐々にその硬さを和らげレウストリアの手に握られた箇所にシワが寄り歪むほどまで柔らかくなった。
「なんですか、それ」
「砂糖を溶かしただけのただの甘い水だ」
近くで様子を伺うように何度もこちらを盗み見ていたシスイの同類に、レウストリアはそのパンを手渡した。端をひとかけだけ千切り、口に放る。ゆっくりと咀嚼して、飲み込む。
「大丈夫、薬物は入れてない」
自身の行動の安全性を示した彼女は、その後すぐに相手に背を向け歩き出す。行き先は路地を抜けたその先だ。
シスイは半年過ごした最悪の環境を振り返ることもなく、レウストリアの後を追った。
幻想スクラップ【短編集】 八夜 灰 @Acsh_828
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