第14話 おふろ

 ロイドに案内された脱衣所と呼ばれる部屋で服を脱ごうとして躊躇った。

 直前になって背中の痣や、家族につけられた生傷を思い出し生まれたままの姿になるのは抵抗があったのだ。


(ええい……今更どうってことないでしょう)


 最終的にお風呂の誘惑に勝てず、クロエはボロボロの服を脱ぎ、浴室へ。

 入った途端、木の香りがふわりと漂ってきて思わず目を閉じてしまう。


「わ……」

 

 目を開け飛び込んできた光景に、クロエは感嘆の声を溢した。

 蝋燭のランプによって照らされたその部屋は、今まで見たことのない作りをしていた。


 入って手前は身体を洗うスペースらしく、木で出来た桶や何か液体の入った小瓶が並んでいる。


 その奥に長方形型の大きな箱が設置されていて、なみなみとお湯が張られていた。

 ほかほかと湯気が立っていてとても温かそうだ。


 この時点でわくわくメーターが振り切れてしまうクロエ。


 ロイドに習ったお風呂の作法に従って、まずは桶で身体を洗い流す。


「いつっ……」


 まだ治り切っていない傷に湯が染みて痛みが走ったが、じきに温かいお湯に包まれた気持ち良さが勝った。


 シャンプーとか石鹸とか、何やら聞いたことのない概念の説明もされていたので、髪や身体につけてみる。


「あいててて……でも、いい匂い……」


 やっぱり傷に染みるが、花や果物のような甘い香りがして思わず頬が綻ぶ。

 ずっと嗅いでいたい匂いだった。


 それに、ふわふわと泡立つ新感覚も面白い。


 なんだろう、うまく言えないが。

 身体がとっても清潔になっていくような気がした。


 念入りに身体を洗った後、いよいよ湯船に身を入れる。

 足先からおそるおそる、身体を浸していく。


「……ほぁ」


 気持ちよくて息が漏れるという現象を、クロエは生まれて初めて体感した。

 

 全身をじわじわと熱い温度が包んで心地よい。

 身体だけでなく心まで温かくなっていくよう。


 こんな気持ちの良い催し物がこの世にあったのかと、クロエは天にも登る気持ちになった。


 天井には窓ガラスが設置されていて、見上げると夜空が見える。

 ゆったりとした夜空を眺めていると、不思議と心が穏やかになっていった。


 目を閉じるとすぐに眠気が襲ってきそうになるが、ロイドに『風呂で寝たら風邪をひくから意識はしっかり保っておけ』という忠告を思い出し慌てて頬をつねった。


「痛い……夢じゃない……」


 確かめるように呟く。


 二週間前、母親に殺されかけて、実家を飛び出して。

 野を超え山を超え、山を超え川を越え山を超えて辿り着いた王都。


 お金も頼れる者もいない中でこんな待遇を受けるとは思っていなくて、自分が今見ているのは死に際の夢なんじゃないかと疑ってしまう。


(……だとしたら)


 夜闇に飲まれてしまうかのような、底知れぬ恐怖を感じる。

 だが、考えたって仕方がない。


 現に今、自分は気持ち良いと感じているし、傷のところや抓った箇所は痛いと感じている。


 これは夢ではない、現実。

 そう信じるしかなかった。


 なんにせよ、温かい水をこんなにも贅沢に使って身を清める習慣があるなんて……。


「都会って、凄い……」


 呟いたその時。


「湯加減は大丈夫か?」

「〜〜〜〜!?」


 ざぱんっ!!


 突如として脱衣所から聞こえてきたロイドの声に、クロエは盛大に水飛沫をあげてしまう。


「すまない、驚かせてしまったか」

「い、いえ! 大丈夫です! 湯加減はちょうど良きに存じます!」

「なんだその言い回しは。タオル、ここに置いておくぞ」

「はい! ありがとうございます」


 ロイドが足音が遠ざかる。


(ううう〜……恥ずかしい……)

 

 ぶくぶくと、湯に口まで入ってしまうクロエ。


 気を抜くとロイドに対して発動してしまうこの胸の高鳴り、体温の上昇。

 それはどんな感覚の中でも、夢じゃなく確かな現実であることを証明しているように思えた。

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