第3話 王都への憧れ

「……よし、あと半分」


 屋敷の本邸から隔離された離れの一室。

 姉リリーの要望(めいれい)に従って、クロエはちくちくとドレスに刺繍を施していた。


 時刻は日付も変わって三時を超えたところ。

 家族全員分の洗濯や明日の家事の準備等をやっていたらすっかり遅くなってしまっていた。

 明日(というか今日)も早くから朝食の準備をしなければいけないため、そろそろ刺繍を終わらせたいところだったが、疲れと眠気と身体の痛み、そして何よりも……。


「さむい……」


 手元が悴むほどの寒さが、作業を大幅に遅らせていた。

 

 この離れはもともと倉庫として使われていたが、クロエが忌み子認定された後は彼女の住処となった。


 粗末なベッドに足が壊れた机と椅子。

 隙間風が入室し放題の壁、窓。


 一言でボロ小屋と形容して差し支えないだろう。

 

 もちろん防寒のための改修などされているはずもなく、毎年冬が近づくにつれて芯まで凍るような寒さに見舞われる。

 一応、後付けの暖炉もある薪は支給されるものの、死なない量ギリギリを攻めているとしか思えないほどの心許なさのため、慎重に慎重に使わねばならない。


 意識が朦朧としてからが勝負だ。

 まだ、薪を使う時ではない。


 無いよりマシな毛布を肩から被って、クロエは集中する。


「ふぁ……」


 思っているそばから漏れた欠伸が眠気によるものなのか、寒さで意識が遠のいているためなのか区別がつかない。

 後者だったら流石にまずいと、クロエは自分の親指を針でちくりと刺して意識を覚醒させた。


 しっかり集中しないと、姉に指定された花の刺繍が崩壊してしまいまた怒られてしまう。

 残された気力を振り絞って、ちくちくと刺繍を形作っていった。


「終わった……」


 そろそろ陽が出てきてしまう時間にようやく、刺繍が出来上がった。

 何度か見返したが、我ながら良い仕上がりだと思う。


 クロエはようやく一息つけた。


 手は眠気覚ましのひと針を何発かお見舞いしたのもありボロボロだが、姉からの仕打ちを考えると安い代償と言えよう。


「…………いつまで、続くんだろう」


 ふと、呟いた。

  

 時たま、思うのだ。

 辺境の片田舎で、同じ場所で、同じ毎日の繰り返し。


 それが平穏な日々だったらまだ良い。

 しかし家族から、使用人からも虐げられ、痛みしかない日々だと、心奥から沸々と湧いてくるのだ。


 ──このままでいいのだろうか?


 って。


 クロエがそれだけしか世界を知らなかったら、こんな思考になる事もなかった。

 だけどクロエは知ってしまった。


 唯一、クロエに味方をしてくれた侍女──シャーリー。

 王都出身のシャーリーは、クロエにたくさんのことを教えてくれた。


 ──いいですか、お嬢様。世界はお嬢様が思っているよりもずっとずっと広いのです。王都には山や川が見えないほどたくさんの建物が立っていて、この町とは比べ物にならないくらいたくさんの人もいて、美味しいもの、綺麗なもの、本当にたくさん、たっくさんあるのです。例えば……。


 この町しか知らないクロエにとって、シャーリーの話はどれも魅力的で、楽しくて。

 王都に対する憧れを持つのに、時間はかからなかった。


「いつか……行ってみたいな、王都」


 おそらく一生、叶わぬ願いだとしてもそう思わずにはいられなかった。

 

 ……正直なところ、逃げ出そうと思えば逃げ出そうとは出来た。


 外出を禁止されていると言っても、兵士が固く屋敷の周りを守っているわけでもないし、王都への道のりはシャーリーにおおかた教えてもらっている。


 だが、何せ距離がべらぼうにある。


 幼い頃からただっ広い屋敷の敷地内を歩き回っていて体力には自信があるとは言え、流石に厳しいと思われる。

 そのため『ひとりでは王都まで辿り着けるわけがない』という諦めがあった。


 加えて、『お前は忌み子だ』と言われ続け刷り込まれ続けた罪の意識が、クロエをこの片田舎に縛り付けているのであった。


 まだ見ぬ世界。

 大都会、王都への憧れは憧れのまま実行へと至ることはなく、ただクロエにため息をつかせるだけであった。


 ……。

 …………。

 ………………考えてたら寝てしまってた。


「……いけない!」


 クロエは飛び起きる。

 

「今何時……!?」


 日の出方的に寝坊の可能性が濃厚だ。

 まずい、朝食の準備が遅れてしまったら、また怒られてしまう。


 自分の支度はそこそこに、クロエは本邸へと駆け出した。 

 ものの数分で本邸にたどり着き、調理場へ向かおうとすると。


「おかあ……さま?」


 目の前に、母イザベラが立ちはだかった。

 それだけで、クロエの肩がびくりと震える。


「あの……?」

「……その汚れた血を一滴も残すな、と言ったわよね?」


 底冷えするような声。

 いつもと明らかに雰囲気が違う。

 

 クロエは一瞬にしてイザベラの言葉を理解し、すぐさま床に手と膝をついた。


「大変申し訳ございません……!! 何度も確認し、綺麗に拭き取れたと思ったのですが、拭き残しをしてしまい……」


 バシンッ。


「いぁっ……」


 頭を思い切り横に叩かれ、クロエの身体が倒れる。


 ぐらぐらする視界、叩かれた頭に熱い痛み。

 かろうじて上半身を起こし怯えるようにイザベラを見上げると。


「どうして、お前はいつもそうなの?」


 クロエを見下ろすイザベラの瞳に浮かぶ感情は……殺意。

 

 そして──イザベラの震える右手には、ぎらりと光る銀のナイフが握られていた。

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