閑話1 巨悪令嬢にして悪女巨星たる大首領

 ポッカリと空いた穴の向こうに、夕暮れ時のオレンジ色の空が見える。


「う~ん、見事にブチ破られましたねー……」


 魔王城の玉座の間で、見上げる魔王ファスロが抑揚のない声で感想を漏らした。

 同じく、彼の周りで天井の穴を見上げているリーリスが呆れ口調で言う。


「……どんな馬鹿力でやったのかしらねぇ、あれ」


 当然ながら、魔王城の壁は石造りで、しかも分厚い。

 建材も最高品質のものを使い、魔力による防護結界を常時展開している。

 その防御力は魔王軍にとっても自慢の種であり、モンスター100体を一撃で消し飛ばすような大魔法の直撃を受けても耐え凌ぐほどの堅牢さを誇っている。


 はずだった。


 しかし金城鉄壁であるはずその魔王城の天井と屋根に、今は大きな丸い穴。

 サードがダイナミック謁見を行なった際に蹴破った跡だ。


「魔法は使っとらんかったよなぁ?」

「そうねぇ。使ったようには見えなかったわねぇ」

「つまり、自力かい!」


 やはり天井の大穴を見上げているゴリアテの眉間に思いっきりシワが寄った。

 戯れに、ファスロが彼に問いを投げた。


「ゴリさん、あの人と力比べして、勝つ自信はありますか?」

「へぁっ!?」


 魔王軍随一の武闘派〈黒鬼将軍〉は、すっとんきょうな声で返した。


「ないんですね」

「な、な~にを抜かしよるか、ファスロ! ワシは天下の魔王軍三巨頭が一角〈黒鬼将軍〉ゴリアテ・ヴァーレンじゃぞ! たかがあんな若造如き、たとえ何があろうとも、誰に頼まれようとも、どれだけ金を積まれても、もう二度と、絶対に、戦うのはゴメンじゃわいッッッッ!」


「総力を挙げて敗北宣言してんじゃないわよぉ」

「黙れコウモリ! きさんとてアレとやり合うなんて絶対イヤじゃろうが!」

「まぁ、そうだけどさぁ……」


 ツッコんだリーリスだが、ゴリアテに指を突きつけられ苦い顔でうなずく。


「しゃあないしゃあない、何せありゃ、オジジでも勝てん相手じゃて」

「「はぁ!?」」


 アゴ骨を鳴らして笑うスケルトン老師に、二人は声を揃えて驚愕する。

 あっさり言い放たれたその言葉は、老師を知る者にとっては衝撃的すぎた。


「それは、本当ですか、老師」

「戦えば勝負にはなろうな。が、無理じゃの。勝ち筋が見えんわ」

「それほどですか……」


 ファスロが低く返す。

 スケルトン老師は冗談は言っても嘘を言う人物ではない。事実なのだろう。


 しかし、ファスロにとってもそれはすぐに信じられるものではなかった。

 長らく武術師範を務めてきた老師は、いわば死んでるけど生ける伝説。


 そんなスケルトン老師をして「勝ち筋が見えない」と言わしめる男、サード。

 絶対に敵に回してはならない相手だと、ファスロは警戒する。

 だが、それ以上に彼は――、


「老師」

「何じゃい、魔王陛下」

「僕は、彼の主の方が気になりますね」


 あの黒いドレスの女。ステラ・マリス大首領アンジャスティナ。

 最強の男サードも怖いが、ファスロはむしろ彼女こそ脅威だと感じていた。


「大首領の小娘か……」

「あれ、ねぇ――」


 アンジャスティナの話題が出るや、二人が揃って歯切れの悪い物言いをする。

 ファスロにはちょっと意外な反応であった。

 ゴ連とのことを考えれば、もっと怒りをあらわにしてもおかしくなかろうに。


「二人は、あの大首領さんに思うところがあるのですか」


 気になって、ファスロが尋ねてみる。


「ありゃ、本当に人間か?」


 そしてゴリアテから返ってきた答えが、それだ。


「いや、人間じゃった。あれは何の力も持たない、ただの小娘じゃった」


 言葉をそこで一旦区切り、ゴリアテは何と、その巨体をブルリと震わせた。


「だが、見下ろされたのは、ワシの方じゃった」

「見下ろされた、とは……?」

「あの小娘の目が語っとったわ。ワシが格下なんじゃ、と。そして、ワシは抗うまでもなく受け入れてしもうた。格が違うと、認めてしまったんじゃ!」


 床を見下ろし、彼は声を震わせ吐露した。

 握った拳が震えている。怒りによる震えではないと、ファスロにも理解できた。


「ゴリさん……」

「ワシに格の違いを感じさせるあの小娘は、一体、何モンなんじゃ」


 まばたきもせずに呟くゴリアテの頬を、汗が伝い落ちていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、正体不明扱いされたアンジャスティナは――、


「ベッド、ベッド! おふとん、おふとん!」


 賓客用の部屋で、とても無邪気にはしゃいでいた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 再び、玉座の間。


「あの女はねぇ、神なのよぉ」


 ゴリアテに続いて、リーリスがそんなことを言い出した。

 ファスロが彼女に「と、言うと?」と促すと、逆に問い返された。


「確かにあの女はただの人間よぉ。でも、視点が違うのよぉ」

「視点が、ですか……」

「そうよぉ。あの女はぁ、自分以外の存在に何の感慨も持っちゃいないわぁ」


 言われて、ファスロも思い当たるところはあった。

 超然としか呼べない絶対的強者の空気を、あの少女は確かに纏っていた。


「あの女からすればぁ、私達も、その辺の小石も、そう変わらないはずよぉ」

「生き物とすら認識されていない、と?」

「奇跡的にそう思われていることを願えばいいと思うわよぉ」


 リーリスは投げやりに肩をすくめる。

 彼女はアンジャスティナに対する理解をとっくに放棄している。

 今見せた態度からも、それが伝わってきた。


「強さを理解できるだけ、まだ、サードとかいうヤツの方がマシだわぁ」


 と、リーリスのため息交じりの一言。

 なるほど、それは確かにその通りかもしれない。

 アンジャスティナは、あまりにも得体が知れなさすぎる。

 

「神の視点と気位を兼ね備えた、ただの人間、ですか……」


 口に出してこそわかる。

 そんな人間が存在する可能性があるのだろうか、という当たり前の疑問。


 しかし、あるのだ。そんなあり得ない人間が、実在している。

 それを、自分達は目の当たりにした。


「確信をもって言ってやるわよぉ」


 顔に強張った笑みを貼りつかせてリーリスが断言する。


「あの女、今まで誰かに頭を下げたことなんて一回もないに決まってるわぁ」


 それを否定する材料を、ファスロは持っていなかった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、人に頭を下げたことがないに決まっているアンジャスティナは――、


「待て、愚物。何をしている」

「何、って、土下座の準備ですけど?」


 サードに向かって自ら床に額を擦りつけようとしていた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 みたび、玉座の間。


「大首領アンジャスティナ。やはり、恐ろしい相手のようですね」


 ファスロのしみじみとした呟きに皆が黙りこくる中――、


「そんな恐ろしい大首領の嬢ちゃんを、ライアちゃんが案内しとるワケか」

「「あ!」」


 スケルトン老師の指摘に、ゴリアテとリーリスが顔を見合わせる。


「おおおおおおおおお、こりゃあえらいこっちゃああああああああああ!」

「まままま、待ちなさぁい、落ち着くのよぉ、ライアをたた、助けなきゃぁ!」


 そして、途端にこの取り乱しようである。

 ファスロが「ふぅ」と軽く息をついた。


「落ち着くのは君ですよ、リーリス。まだ何か起きたワケでもないでしょう」

「あんたねぇ、自分の妹のことでしょぉ! もっと取り乱しなさいよぉ!」


「失敬ですね、僕は今とても混乱しています。冷静さを欠いています」

「冷静そのものの言い方で言われても、そうは見えんのじゃ!?」


 ゴリアテに叱られてしまったが、焦っているのは本当だ。

 ゴ連の件もあり、アンジャスティナが変なことをするとは思えない。

 しかし、それでも拭いきれない不安が、この数分で見事に培われてしまった。


「兄上様ー、戻りましたー」


 だから、シュトライアが戻ってきたときは、心底ホッとしたのである。


「ライアァァァァァァァ!」

「ライアちゃ~~~~ん!」


 ゴリアテとリーリスが、諸手を挙げて戻ってきたシュトライアに駆け寄った。


「わひゃあ」


 トコトコ歩いていたシュトライアが、鬼気迫る二人に圧倒され、転んでしまう。


「ぬお、ライアが転んだぞ!? ゥおのれ、アンジャスティナァ! 許せん!」

「よくもうちの子を転ばせたわねぇ、大首領アンジャスティナ、許すまじよぉ!」

「いや、君達のせいでしょ」


 的外れな怒りを燃やす魔王軍最高幹部二人に、だが魔王は無慈悲だった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、魔王軍から熱い風評被害を受けそうになったアンジャスティナは――、


「……ぷしゅう」


 別にそんな被害がなくても、焼け死んでいた。

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