第6悪 私こそが、絶対の主なのですよ

 浮島に昇る前、サードに言われたことを思い出す。


「実際に戦うのは俺だ。が、魔王軍に戦いを挑むのは貴様だ、愚物」

「――はい」


「何故かは、わかるな?」

「私が、ステラ・マリスの大首領だから、ですよね」


 私は断言する。

 すると、珍しくサードが笑ってうなずいた。


「そうだ。今後、貴様は大首領として振る舞わなければならない」


 彼に告げられ、体温が下がる思いがした。握る拳も、何だか冷たく感じる。


「ステラ・マリスの戦いは、何のための戦いだ」

「私が生きるための戦いです」


 この世界で生き残る。それが私の最終目的。私の勝利条件だ。


「ならば、生きることを願え。生きることを諦めるな。生きることを信じ続けろ」

「はい。私は願います。私は諦めません。私は信じ続けます」


 サードに説かれ、私もそれに合わせて繰り返す。

 それは、自己暗示と呼ぶにはあまりにもささやかな、自分に対する言い聞かせ。


「では往くぞ。一路、魔王城へ」

「はい。……ところで、どうやって?」


 ――尋ねた三秒後、私は荷物にされた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 そして現在、ドカーン、ドカーンって、立て続けに二回、すごい音がした。

 体も激しく揺さぶられて、のどの奥から吐き気と一緒に、な、何かが!

 イヤな感じの酸っぱみが口の中いっぱいに広がっていくゥ!?


「ハァッ、ハハハハハハハハハァ――――!」


 耳元からは、サードのバカ笑い。

 直前の二回の爆音は、彼が魔王城の天井を蹴破った音だろう。

 そして大きな衝撃がこの身を襲って、風を感じなくなった。着地したらしい。


「目を開けろ」


 彼の腕から下ろされて、そう言われる。

 全身には、まだ落下時の圧が感覚として残っており、何だかちょっと、夢心地。


 でも目を開ければ、もうそこは戦場だ。

 消えゆく浮遊感に別れを告げ、意を決した私はまぶたを上げた。


 灰色の、とても重々しい空間が、そこにあった。

 かなり広く、柱、壁も濃い灰色。

 立っているだけで不可視の重圧がのしかかってくるかのよう。


 反面、蹴破られた天井の破片が転がる床は、反射するほど磨き上げられていた。

 そこに、上下反転しながらも私の姿がしっかりと映り込んでいる。


 蒼髪の青年を侍らせた、黒いドレスを着た金髪を結い上げた女。

 ドレスのフリルとレースをあしらったオフショルダーのプリンセスライン。

 胸元には色褪せた造花のコサージュと、血の色を思わせる細いリボン。


 大きく広がる漆黒のスカートは、さながら月下に咲き誇る黒い薔薇のよう。

 サラリとした光沢を放つ長い金髪が、ドレスの黒地に映えて美しい。

 切れ長の碧眼に、結ばれた真っ赤な唇。肌は白く、だが血色はすこぶるよく。


 その姿、あまりにも毒々しい。それが、今の私。

 かつての公爵令嬢にして、これから悪の大首領になる女。

 アンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームの艶姿よ。


 そして――、


「何者かな?」


 目を向けた先、玉座の間の最奥から、まだ声変わりしていない少年の声がする。

 玉座のひじ掛けに片ひじを突いている一人と、その左右に立つ三人。

 魔王シュトラウス・ペリドットと、魔王軍最高幹部の三巨頭だ。


「初めまして、魔王軍の皆々様」


 緊張を表に出さず、私は恭しくスカートの両端をつまみ、カーテシーでの一礼。

 しかし魔王と三巨頭は反応を見せない。こちらを観察しているのだろうか。


 私は別に観察などしない。元々、この場にいる全員のことはよく知っている。

 例えば、三巨頭の一角、身長4mを越える筋骨隆々の巨漢である彼。


 肌は鉄のような黒みを帯びて、額の左右から反り返った二本の角が生えている。

 彼の名前は、ゴリアテ・ヴァーデン。

 本編中で〈黒鬼将軍〉の異名をとる魔王軍随一の武闘派だ。


 続いて、コウモリの翼を生やしたウェーブのかかった紫髪の彼女。

 豊満なその肢体を包んでいるのは、派手に肌を露出させた煽情的に過ぎる衣装。

 彼女こそはサキュバスの女王、リーリス・ラブリュス。


 残る一人は、煤けた灰色の髪をした背筋の曲がった陰気な眼鏡の青年だ。

 色褪せたローブを纏うその見すぼらしい姿からは、何のすごみも感じられない。


 彼はファスロ・L・グラハム。

 魔王シュトラウス・ペリドットの相談役で、魔王軍筆頭錬金術師。また――、


「オイ、コラァ! 陛下が何モンか聞いちょろうがァ!」


 私の思考は、だが、ゴリアテの怒鳴り声によって中断させられた。

 玉座の間全体を揺るがるような大声。だけど、私は少しも揺るがない。


 もちろん、見た目だけね! 内心、今にもビビって泣きそうですわよ!

 でも、それを表に出さなきゃ動じてないのと一緒なの!


 私は、表面だけたっぷり余裕を保ちながら返答する。


「そうですわね。では、まずは自己紹介を。魔王軍の皆様、ご機嫌麗しく。私はアンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームと申しますわ」

「アンジャスティナじゃとォ!?」


 私が名乗ると、何故かゴリアテが仰天した。


「き、きさんがあの、アレスティア王国の巨悪令嬢かい!」


 巨悪令嬢って何よ!?


「へぇ~、この子があの巨悪令嬢なんだぁ。ふぅん、確かにワルそうかもぉ~」


 リーリスが興味深げに目を細めた。

 待って、待って、あのって何ですか。あのって! 一体どのあのなんですか!


「巨悪令嬢アンジャスティナ。またの名を、悪女巨星アンジャスティナ、ですか」


 ファスロがボソボソと聞こえにくい声で言う。って、また知らない名前出た!

 何なのよ、その、男の子向けロボットアニメのタイトルみたいな私。

 私が逃げてる間に、私の評判は一体どんな究極進化を遂げてしまったの!?


 ――っと、いけない。ロールプレイが崩れかけた。


 私は再度、深呼吸をする。

 思いがけない奇襲によって、思わず地金を晒しそうになってしまった。

 ダメだ、この程度で動じたらダメ。もっと面の皮を分厚くしていかなきゃ。


「フフフ」


 努めて、私は薄気味悪く笑う。


「巨悪令嬢、ですか。何とも甘い評価ですこと。私の悪名もまだまだですわね」


 使えそうな風聞なら、いっそ自ら誇ってしまえ。

 今の私はとっくに悪の大首領。巨悪のレッテルはむしろ望むところだ。


「それで、祖国を逃げ出した大罪人の巨悪令嬢が、何だって僕達のところに?」


 響いたのは、幼くて、だがどっしりとした重みを感じさせる声。

 短い黒髪の少年――、の、姿をした魔王シュトラウス・ペリドットのものだ。

 十代前半にしか見えないその身から、不似合いすぎる圧力が放たれている。


 さすがは魔王というほかない。

 でもロールプレイの甲斐もあってか、私もこの空気に慣れてきた。

 玉座から続く赤いカーペットの上に立って、私はまっすぐ魔王と相対する。


「本日は魔王軍の皆様に宣戦布告、並びに降伏勧告をするために参りました」

「……宣戦布告? 降伏勧告?」


 私の宣言に、魔王シュトラウス・ペリドットの顔つきがにわかに変わる。


「はァン? 人間風情がワシらに宣戦布告じゃとッ!」


 そして撃発するゴリアテ。それは予想通りの反応で、彼はさらに私へ怒鳴る。


「きさん、ドコのモンじゃ! アレスティアか、東方のヴァレンシアか!」


 ゴリアテのその詰問に私は確信する。今だ。

 ヒールの先でレッドカーペットを踏みしめて、私は口元に右手の甲を当てた。


「アレスティア? ヴァレンシア? 何をおっしゃられますの、ゴリアテ将軍、私が『率いる』のはそんな『チンケな国』などではございませんことよ!」


 さぁ、笑え、笑え。力の限り。

 ここからがステラ・マリスの大首領アンジャスティナのショウタイムよ!


「オーッホッホッホッホッホ! 私はアンジャスティナ。巨悪令嬢にして悪女巨星、そして、いずれ世界を征服する悪の秘密結社ステラ・マリスの大首領、アンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームでしてよ! たかが大陸二大強国如きに収まる器ではありませんの!」


 私は高らかに笑い、そして高らかに宣言する。

 以前の、パーティー会場でのハッタリ口上とはワケが違う。


 今回のこれは私のこれからの生き方を決定づける、正真正銘の宣誓なのだ。

 これによりステラ・マリスからの魔王軍への宣戦布告という構図が成立する。


 そして私は右手を腰に当て、軽くあごを上げて魔王を睥睨した。

 マウントを取った気になって、口元に笑みを。

 可能な限り余裕に満ち、相手を小馬鹿にする歪み切った自尊心まみれの笑みを。


「魔王シュトラウス・ペリドット陛下におかれましては、抵抗は無駄ですので、速やかにステラ・マリスの軍門に下っていただきますよう、お願い申し上げますわ」

「なるほど、つまり君達は魔王軍を乗っ取りに来たワケなんだね」

「乗っ取るだなんて心外です。私を絶対の主と認めていただきたいだけですわ」


 なめきった声と態度で、私は魔王を煽り倒す。

 すると少年魔王の顔に深く大きく、それでいて残忍な笑みが刻まれた。


「ゴリアテ、潰していいよ」


 魔王が命じたその声に、私は内心でガッツポーズをする。

 私からの宣戦布告、誰でもない魔王自身が受諾した。マッチメイク、成立だわ!


「おおおおおお、魔王陛下、その言葉を待っちょったわい!」


 咆哮と共に飛び出した〈黒鬼将軍〉が私めがけて突っ込んでくる。


「きさんのガラァ、踏まれたアリみとぉにペシャンコにしちゃるわァ!」


 勢いよく振り上げられたその拳に、私は最悪の末路を想像してしまった。

 悪寒が背筋を抜ける。恐怖に足が竦む。のどの奥からは悲鳴が漏れかける。


 だけど、私はグッと堪えた。

 全身に力を入れて震えるのを耐えた。笑みを崩さずに、悲鳴が出るのを止めた。


 大丈夫だ、私は死なない。私は、私が生きることを信じている。

 例え、私を殺す暴力が眼前に迫ろうとも、自身の生存を心から信じ続けられる。


 だって――、


「ホザくなよ、でくのぼうが」


 硬いものがぶつかり合う音がする。


「ぬぉ!?」


 ゴリアテの巨大な拳が、私に当たる寸前で止まっていた。

 当然、私なんかには止められない。止めたのは、私の前に立つ彼だ。


「これより先、貴様が言うことは何一つとして実現しない」


 〈黒鬼将軍〉ゴリアテの拳を片手で軽々と受け止めて、蒼髪の青年が言う。

 そう、今の私は、自分の生存を確信できる。


「学ばせてやろう、でくのぼう。――俺が上で、貴様が下だ」


 だって、私にはステラ・マリス最強の戦士サードがついているのだから。

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