第9話 信頼

翌日、父は学校を休んだ。

今まで、父が学校を休むなんてことはなかった。

母は心配そうにしていたが、休むわけにはいかず、出勤して行った。


こんなことは初めてだ。

仕事ばかりで、両親との時間をゆっくり過ごしたことのない私は、どう両親と接していいのか、わからず戸惑っていた。学校へ行くべきか、それとも父の側にいた方がいいのか、どうするのが正解かわからない。


すると、勢いよく玄関のドアが開いた。

「真琴いる?」

姉の真央が、息を切らせながら飛び込んできた。

「お姉ちゃん!」

姉は私の肩を抱くと、そのまま誰もいない部屋へ私を連れ込んだ。

「お姉ちゃん!急にどうしたの?」

「お母さんから電話あったのよ。父さんどう?」

「どうって、私には何も言ってくれないからわからないよ。ただ、学校は休んで、部屋にこもってる。」

「そっか…わかった。私が父さんについてるから、真琴は学校に行きなさい。大丈夫だから。」

「わっ…わかった。落ち着いたら、またわけを話してくれる?」

「そうね…わかった。」


よくはわからないけど、両親は今まで、良くも悪くも家庭を顧みる暇もないほど、教師に部活動にと仕事に没頭してきた。

それだけ魅力的な仕事なんだろうと思っていた。

なのに、一転この状況は学校で何かあったのは間違いない。

でも、顔に怪我なんてやはりただ事ではないと思う。


私は一日中、学校にいても落ち着かなかった。

帰宅すると、家の前に救急車がパトランプを光らせながら、止まっている。私は一瞬で、血の気が引いた。

「父さん!父さん!」

家の中に駆け込むと、父が担架で運ばれているところだった。

「父さん!」

私が駆け寄ると、姉が私を引き止めた。

「何があったの?」

「倒れたのよ。とりあえず、付き添ってくるから。」

「え?私は?」

「母さんに連絡して、あとで一緒に病院に来てくれる?」

「わ、わかった。」


私は救急車を見送ると、母に急いで連絡を入れた。


2人で病院に駆けつけると、姉がちょうど病室から出てきたところだった。

「お父さんは?どうなの?」

母も今日ばかりは冷静さを欠いていた。

「胃潰瘍だって…過労とストレスが原因みたい…とりあえず1週間ほどの入院だって。」

「そう…でも、母さんも今、学期末で学校を休めないのよ。」

「大丈夫よ。私が付き添えるし、真琴も放課後は付き添えるでしょう?」

「ああ、うん。大丈夫だよ。」

「じゃあ真琴、お父さんについててあげて、母さんは入院手続きして、私は入院に必要なもの家から取ってくるから。」

「わかった。頼むわね。」

母は姉の手を握りしめた。

やはり、こう言うところは長女だな。しっかりしてる。それに比べて私はオロオロするばかりで情けなくなってきた。

やっぱり私はまだまだだ。見た目も大事だけど、中身が伴わなきゃ。大人の先生に好きになってもらおうなんて全然無理。


静かに眠る父の横に、ため息をつきながら座った。

こんなにまじまじと父の顔を見るのは、いつ以来だろう。白髪混じりで、シワも深く刻まれていた。

「いつのまにか老けたね。」

頬は殴られた跡なのか、あざになっていた。

「酷いなぁ。第一声がそれとは…」

「え?お父さん!気がついたの?大丈夫?どこか痛い?」

「でもそれくらい顔を合わせる暇がなかったんだな。悪かったなぁ。こんな歳になるまで、お前のことちゃんと思いやってやれずに…」

「別に…そんな…」

「親失格のくせして、教師失格なのは当たり前だな。」

「そんなことないよ!お父さんもお母さんも、寝る暇も惜しんで、生徒たちに尽くしてきたじゃん。」

「そうだな…。でも、真琴。人から信頼を得るのは、時間もかかるし、大変な労力が必要だ。でも、そこまでして培ってきた信頼も、失うときは一瞬だ…」

私はただ黙ったまま、耳を傾けていた。

「今まで家庭を犠牲にしてまで、俺が積み上げてきたものは何だったのか…」

こんな弱気な父は、初めてだ。いつも凛としていて、実直な父が、小さく見えた。


その夜は、姉が泊まり込みで付き添うことになり、私と母は帰宅した。


家に着くと、母は深いため息をついた。

「疲れたから、もう寝るわ。」

憔悴した様子で、そう言うとゆっくりと寝室へ入って行った。


それでも翌朝には、パリッとスーツを着て、母は仕事に出掛けて行った。

結局、何があったのか、みんな口をつぐんだままで、2、3日が過ぎた。


放課後になって、父の病室へ向かった私は、ドアの前でうろうろとする小さい男子学生を見つけた。

「父の中学校の生徒さんですか?」

声をかけると、とても驚いた様子で走って逃げてしまった。

お見舞いだったのかしら?でも、何であんなに驚くかな?

病室へ入ると、白髪の品の良い男性がベットの脇に立っていた。

「こんにちは。」

慌てて挨拶をして、椅子を勧めた。

「ああ、もう帰るところだから大丈夫だよ。君が2番目の娘さんだね?」

「はい、真琴と言います。」

「お父さんの看病お願いしますね。」

「は、はい。ありがとうございます。」

その人は、素敵な笑顔を見せ、帰って行った。

「今の人は?」

「ああ、校長先生だよ。」

「お見舞いに来てくれたんだ…あ!そういえば、病室の前に男子学生が来てたけど、声をかけたら驚いて帰っちゃった。」

「どんな子だった?」

「うーん、小さくて色白の可愛らしい男の子だったよ?」

「そうかぁ…そうかぁ…」

気のせいか、父の顔が少し嬉しそうに見えた。

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