♯3 宿屋、地獄の火炎に包まれる

「ぷっはーー! うまい! この罪悪感なくゴクゴク飲める感じが最高っ! まるでアルプスにり立った天使の涙を飲んでいるかのような清涼感! ただの水とは思えない!!」

「……どんなに色々言ってもただの公園の水だからね、お兄ちゃん」


 妹と公園にご飯を食べに来ていた。

 今日のご飯は無料で際限なく飲めて最高だ!


「ごくっごくっ」

「いい飲みっぷりじゃん」

「うぅ、白いご飯が食べたいよぉ……お肉が食べたいよぉ……ひもじいよぉ」

「奴隷のくせに生意気言うな!」

「ひどいひどい! 迫害だ! 奴隷にだって権利はあるのに! 助けてリンカーン大統領!」

「あっはっはっはっ! お前馬鹿だなぁ。異世界にリンカーンはいないんだぞ?」

「そんなの知ってるし!!」


「……じっ」

「な、何よお兄ちゃん! 急に私のことじろじろと見て」

「いや、きったねぇボロ布だなぁと思って」

「だ、だから新しいの買ってって言ってるでしょ! ぶかぶかで色々見えちゃいそうだし……」

「大丈夫、お前の粗末なものなんか誰も見ないから」

「むっきーーー!!」


 ぎゃいぎゃいと騒いでいる妹を無視して空を見上げる。

 真っ暗な空を見上げると今日も星が綺麗だった。現代と異世界で唯一変わらないところかもしれない。


 ……んっ? 真っ暗?


「なんかあっちのほうの空赤くなってない?」

「ホントだー! 私たちの宿屋の方だよね。なんだろう、赤くて綺麗だね」


 い、嫌な予感しかしない!

 どきがむねむねする! 

 じゃ、じゃなくてするっ!


「と、とりあえず早く宿屋に戻ろう!」

「ん? どうしたのそんなに急いで?」

「いいから早く!!!」


 妙な胸騒ぎが収まらず、ダッシュで自分の部屋に戻ることにした。




※※※



 

「えぇええええええ!!」


 ダッシュで宿屋に戻ったら衝撃の光景が眼前に広がっていた。


「や、宿屋が燃えてるぅうううう!」


 轟々とした炎が宿屋を包んで舞い上がっている。


「誰か―! 水魔法を!! 水魔法使える人こっちにきてー!!」

「回復魔法使える人いますかー!?」


 てんやわんや!

 阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「あっ、あんちゃん! 無事だったんだね!」

「オーナー! 無事で良かった!」

「と、とりあえずあんちゃんを見つけたから全員の無事は確認できたよ! 本当に良かった!」

「みんな無事なんですね……よ、良かったぁ……」

「で、でもね。この調子じゃ、あんちゃんの住処すみかも働き口もなくなっちゃうかもしれないね……」

「そ、そんなことはどうでもいいんです……みんなが無事ならそれで良かった……」


 俺は、宿屋が消し炭になるまでただ眺めていることしかできなかった。




※※※



 

 コケコッコー!

 

 朝がやってきてしまった。

 火の元が鎮火したのは朝方になってからようやくだった。


「あ、あはははは、全部燃えちゃったねお兄ちゃん……」

「うぅ……」

「ほ、ほら元気出してよ、お兄ちゃんにはまだ私がいるでしょ?」

「……たった一夜で全てを失ってしまった」

「私のはなし聞いてた?」


 奴隷の妹がなぜか嬉しそうに俺に声をかける。


「……なんでお前そんなに嬉しそうなんだよ」

「えっ? そ、そう? そんなことないって、あはははー」


 なぜか挙動不審になる我が妹。


「ま、まままままさか!?」

「な、なーに?」

「お前がやったのかーーー!!」

「ち、違う! 違うって! さすがにそんなことしないって! 私だって住む場所なくなるんだからそんなことしてもメリットないでしょ!?」

「じゃあ何でそんなにニヤケてるんだよ」

「えっ? そ、そう?」


 妹が急いだ様子で口元を手で隠した。


「いいか、素直に白状しろ。今ならまだ罪をつぐなえる」

「だから私じゃないって言ってるでしょ! 失礼だなもうっ!」

「じゃあ、その笑みの正体を教えろ。すごい不気味なんだけど」

「……」

「ふんっ、沈黙ってわけか! なら、この奴隷に記された契約の証で無理矢理……!」

「待った待った! 無理矢理はやめて! 無理矢理はやだ! 痛いのはやめて!」

「じゃあ白状しろ」

「お兄ちゃんが一生懸命書いてた書類がなくなって喜んでただけ!!」

「はぁ?」

「これで私のこと返品できなくなったでしょ!?」


 妹が笑いをこらえようこらえようとして、えらくゆがんだ表情になっていた。


「はぁ、仕方がない。また書類貰ってくるか……」

「ちょっとちょっとーー! いい加減私を返品するの諦めたらどうなの!?」

「俺が諦めるのをお前が諦めろ」

「……そんな少年漫画の主人公みたいなセリフ、お兄ちゃんには似合わないよ」


「あと、七日以内に書いて持ってかないとなぁ、この前の奴隷商人のおっちゃんまだいるかなぁ」

「お兄ちゃんお兄ちゃん、ちょいちょい私のこと検索ゼロにするのやめてくれない?」

「おぉー、検索ゼロなんて現代ジョーク! おもしろーい。さすが俺の妹」

「むきーーっ! なんか馬鹿にされている気がする!」

 

 はぁと大きなため息しか出ない。

 たった一夜にして、俺はこのアホな奴隷以外の全てを失ってしまったのだ。


「もしかしてお兄ちゃん、従業員から無職にジョブチェンジしたことになる?」

「うるさいうるさい!」

「あっ! 無職はジョブじゃないからただの無職でしかないか、ぷぷぷぷ」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!」

「とりあえず、寝床探さないといけないよね? それまでに書類は間に合うのかなぁ」

「それは絶っっ対に間に合わせるから大丈夫!」


 妹の返品期限まで残り7日!

 まさかの事態が起きてしまい、やることが山積やまづみ状態だ!

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