第三章 その➀
ぽっかりと時間の空いた夕暮れどき。
ジャックはひとりで庭にいた。今日はロランヌのクインガーデナーとしての仕事は午前のうちに片付いたため、昼食と午後のお茶が終わってからは屋敷の仕事に専念できていた。
バローとジャックの二人だけで屋敷の仕事を回しているとはいえ、仕える主人もロランヌひとりだけのため、毎日山ほど仕事があるというわけでもない。だから、夕食時まで呼ばれなければ自由に使える時間になった。
その自由時間に読んでしまったもののことを、ジャックは後悔していた。
切り裂き魔のことが気になって、わざわざ雑誌を買い求めたのだ。最近のものでは記事の扱いが少ないかもしれないと思い、古本を多く取り揃えている店に行った。「雑誌なんて馬鹿が読むものだ」とバローに言われたのが気になって、一応変装してまで行ったのだ。
そんなにしてまでジャックが切り裂き魔のことを知りたかったのは、己の存在に自信がないからだ。何者かわからない自分は、悪者かもしれない――この思いは気がつくと芽生えていたが、それは順調に育っているように思う。ジャックの恐れと不安を養分にして。
切り裂き魔について知ればこの疑いを拭えるのではないかと思ったが、知れば知るほど疑念は強まってしまっている。
というのも、雑誌の記者が推測した切り裂き魔の特徴とやらが誰にでも当てはまるように書かれているからなのだが、そのせいで自分だったとしてもおかしくないと思ってしまうのだ。
教養のある男の犯行ではと書かれたり、か弱い女の犯行ではと書かれたり、町の人々に信頼されている人物とか誰にも気に留められない人物だとか……扱う雑誌や時期によってまちまちだ。
そうやって身近な人物の中に犯人がいるかもと思わせるのが、その手の雑誌のやり口なのだろう。だがその狙いが違った効果を発揮して、ジャックは怖がらせられている。
せめてジャックが生まれる前からこの手の事件があったのならよかったのに。残念ながら切り裂き魔の噂が流れ始めたのは、ちょうど十二年前頃からだ。サジュマン家の惨劇と前後するように、凄惨な殺人事件が起きている。腕試しに数人殺し、その後サジュマン家の犯行に踏み切ったのだろうと世間では考えられている。事実、女王によるランバージャックの粛清後、切り裂き魔による殺人は起きていない。
模倣したような事件や不安をかきたてるような出来事があるたび、人々が切り裂き魔の名を口にするだけで、ランバージャックの犯行と断じることができる実際の殺人はあれ以降起きていないのだ。
だが、人々はどこかにランバージャックの生き残りがいることを危惧しているし、ジャックも心配している。
何より心配なのは自身が切り裂き魔なのではないかということと、ランバージャックなのではないかということだ。
切り裂き魔の犯行がか弱い女にも可能だったのなら、当時七歳だったジャックにも不可能ではないのだろう。
保護されたのが惨劇の夜で、しかもそれ以前の記憶がないということが、ジャックをどうしようもなく不安にさせるのだ。
「ジャック、こんなところにいたのね! バローさんが呼んでいたわよ。わたくしがベルを鳴らしたからだけれど」
本当に何をするでもなく庭で不安に打ちひしがれていると、いつの間にか外に出てきたロランヌに声をかけられた。
「ロール様、すみません……」
「いいの。本来はあなたが自由にしていい時間だったんだもの。でも……あまり長いこと外でひとりで物思いに耽っていると、心配になるわ」
「……見てらしたんですか?」
何か用があって呼びに来たのかと思ったが、どうやら違ったらしい。ふと屋敷のほうを見ると、ここからはサンルームの端が見えた。ということはつまり、サンルームからもここで見えるということだ。ロランヌはもしかしたら、しばらくサンルームからジャックのことを見ていたのかもしれない。
じっと動かず何をするでもない従者を見れば、確かに心配にもなるだろう。
「何か、悩み事があるのでしょう? バローも、最近のあなたは何か変だって言っていたわ。眠れないとか、そういうことではないのよね?」
ロランヌはジャックの質問には答えず、正面から見つめてきた。言い逃れや嘘を決して見逃さないぞという、強い意思を感じる目だ。
その目で見つめられると、ジャックは落ち着かなくなる。この紫水晶のような目は、何でも見透かしてしまう気がするから。
「……バローさんに『馬鹿になるからやめておけ』と止められていたゴシップ誌を読んで、怖くなってしまっていたんです。いい年して、恥ずかしいですが」
嘘をつかず、どう説明したものかと思って、ジャックは口を開いた。ゴシップ誌を読んだのも、怖くなったのも本当だ。だから嘘は言っていないのだが、ロランヌが誤魔化された様子はなかった。
「切り裂き魔のことを、調べていたのでしょう?」
おそらく、あえてなのだろう。視線をそらしてロランヌは尋ねてきた。
「あなた、マダム・ブランシュのところであの話を聞いてから、ずっとおかしいものね。バローさんも、変なことに首を突っ込もうとしているのではないかって、心配していたわ」
ロランヌの声には咎めるふうも、ひどく心配する様子もなかった。ただ事実を確認しているという感じだ。
「ジャックは、切り裂き魔のことが恐ろしくてたまらなくて、それで調べているのでしょう? しかも、自分がその切り裂き魔なのではと考えて、不安になっているのよね?」
今度はジャックの目を見て、ロランヌは問いかけてきた。これは質問ではない。ロランヌは、知っていることを開示したにすぎない。何でもお見通しというより、この件に関しては自分があまりにもわかりやすかったのだろうと思って、ジャックは降参することにした。
「……そうです。ロール様のおっしゃる通りです。俺、自分が切り裂き魔なんじゃないかと思って、ずっと不安だったんです。ガーデナーでもないのに冥界の花樹を見ることができてしまうし、何に使うかわからない花鋏は出せてしまうし……」
言ってしまうと、心細さが増した。まるで小さな子供にでも戻ったかのような気分になって、それがジャックは嫌だった。
素直に認めて打ち明けたジャックの言葉を、ロランヌはどう受け止めたのだろうか。三歳も年下の少女の言葉を、ジャックは期待してしまっている。
「ジャックは、お花しか切れないわ」
笑うでも馬鹿にするでもなく、ましてや慰めるでもなくロランヌは言った。意味がわからず、ジャックは反応に困った。自分の言葉が伝わっていないとわかったからか、それとも面食らったジャックの顔がおかしかったからか、ロランヌは笑いだした。
「だって、花鋏は花を切るためのものでしょ? それを言ったのよ。何も驚くことはないわ」
「それは、そうですけど……」
「確かに、花鋏でも冥界の花樹を傷つけることはできるけれど、逆にいえば冥界の花樹しか傷つけることはできないのよ。人体を傷つけることはできないし、傷つける必要なく人間を害することができるとも言えるわ。……ここまで言ってもわからない?」
ロランヌは小首を傾げてジャックを見上げた。直接的な物言いではなくわかりにくいが、自分の主人が何を言おうとしているのか感じ取ることはできた。
「俺は、切り裂き魔じゃないっておっしゃりたいんですよね?」
「そういうことよ。状況がそうだと言っているし、何より悪いやつには捻じくれた花樹が生えていると決まっているものだもの。……あなたのは、よくわからない植物というだけで、捻じくれたものじゃないわ」
ロランヌはジャックの答えを聞いて満足そうに微笑んでから、彼の胸のあたりをじっと見つめた。冥界を覗いているのだろう。それに倣いジャックも自分の花樹を見つめたが、花も蕾もつけていない、何かわからない木があるだけだ。花樹まで得体が知れないなんて、勘弁してほしい。
「薔薇の木に似てる気がするけど……そんなわけはないのよね。『王族以外、薔薇を咲かせてはならない』から」
「いや……まず王族なわけがないですし」
ロランヌの呟きにとっさに答えたが、それすら自信を持って言えないのだと、あとになって気がついた。
その日は本来何の予定もない、穏やかな一日になるはずだった。
だが、突然電話で連絡を受け、ロランヌとジャックはマダム・ブランシュの店へと向かっていた。いつも朗らかでどっしりとしたマダムの慌てる声に、不吉な予感を感じている。
こんな日に限って馬車をすぐに出すことができず、そろそろ御者を雇ったほうがいいのではと、ジャックは本気で考えていた。そのくらい、気が急くほど嫌な感じがした。
「おお……! お嬢様! 来てくださって、ありがとうございます。私、不安で不安で……」
やっとのことで店に到着すると、憔悴しきったマダム・ブランシュに迎えられた。ドアに閉店の札はかけられていないが、とても営業できそうには見えない。ロランヌは駆け寄って、ようやく立っている様子のマダムを支えた。
「マダム、一体どうなさったの? 顔色がすごく悪いわ」
「私はね、大丈夫なんですが、クロエがすっかり怯えきってしまって……店に来てもずっと震えていて、これはもしかしたらお嬢様のお力を借りなければどうにもならないかもしれないと思って、それでご連絡したんです」
マダム・ブランシュはクロエのことを心配しているが、彼女自身が動転してしまっていて話になりそうにない。だからロランヌはジャックに目配せして、奥へ行ってクロエを連れてくるよう指示した。
命じられたジャックは、作業場のノックしてからドアを開けた。
作業場の中は布製品などの独特の匂いと共に、落ち着かない静寂に満ちていた。作業台に向かってお針子たちは手を動かしているが、どこか気もそぞろといった感じだ。来店して表で接客されているとにドアの隙間からうかがい知る作業部屋は、いつも若い娘たちのおしゃべりと活気に満ちていたのに。
「すみません、クロエさん。マダムに呼ばれてお話を聞きに来たのですが……」
「お嬢様が? すみません、わざわざ……今行きます」
ジャックが声をかけると、別のお針子に背中をさすられていたクロエが顔を上げた。それから目尻を拭って立ち上がると、ドアのほうへとやって来る。
「すみません、お嬢様。来ていただいて……でも、きっとお嬢様にお願いしないとどうにもならないと思って。お医者様が原因がわからないって言うんですもの」
クロエは作業部屋から出てきたが、不安でたまらないのだろう。目に涙をいっぱい溜めて、息継ぎをしながらやっとのことで言葉を発している。
「クロエ、大丈夫よ。落ち着いて、ゆっくり話していいの。一体、何があったというの? 大変なのは、あなた? それとも別の人?」
ロランヌはクロエをなだめるように、子供に話すみたいな優しい声で言った。おそらくクロエのほうが少し年上のはずだし、身長も見た目も彼女のほうが大人に近い。それなのに今は、ロランヌのほうが遥かにお姉さんのように見える。
「えっと、あたしじゃなくて、友達が。友達が大変なことになってしまったんです」
ロランヌの声を聞いて、少し落ち着きを取り戻したらしい。クロエは深呼吸を何度か繰り返してから、自分の友人のことについて話し始めた。
動揺している人間の話というのは、行きつ戻りつしてわかりにくいことがほとんどだ。クロエの話も、なかなか要領を得ないものだったが、ロランヌはそれに適宜相槌を打ち、補足し、質問を重ね、筋の通ったものにしていった。
「怪しい花売りの女に切りつけられて、それでショックで倒れてしまったということなのね?」
「そうなんです。でも、傷自体は大したことがないし倒れるようなものではないから、目覚めない理由はわからないってお医者様が……」
クロエの話では、同じ借家に暮らす幼馴染の女性が、おかしな花売り娘に声をかけられて突然切りつけられたのだという。間一髪それを逃れた女性だったが、帰宅してクロエに事情を話すと、ぱったり倒れて目覚めなくなったそうだ。
突然倒れて目が覚めないという話に覚えがあるロランヌとジャックは、そっと顔を見合わせた。
「わたくしたちがこの前目撃した人と、状況は似ているわね」
「そうですね。……偶然にしては話ができすぎている」
不安を隠してそう言い合ったが、ジャックは自分だけが知っている情報とも符号しているため、余計に心がかき乱されていた。
このタイミングで花売り娘の話を聞くことになるなんて、あまりにもできすぎていると言うしかない。
「その花売りの方とお友達は、面識があったのかしら? それとも、全く知らない人に切りつけられたの?」
ロランヌが努めて平静を装って尋ねると、クロエは怖さを思い出したのかまた震えだした。
「全然、知らない人だって言ってました。それに意味不明なことを言われたって」
「どんな?」
「『きれいに咲いたね。今が一番いいときだね』って……」
あまりの不気味な内容に、ロランヌが言葉を失ったのがわかった。ジャックも顔に出さないよう努めたが、内心では相当に焦っていた。
(その女、高値で取引されるって花を収穫しようとしたのか? ということは、やっぱりその花は冥界の花なのか……?)
フレールからの情報と結びつけ、ジャックは事態の深刻さについて考えていた。もう、単なる噂話ではない。身近なところで事が起きてしまった。そしておそらく、このきな臭い何かに、気づかぬうちに関わってしまっていたのだ。
「……恐ろしいことだよ。きっと若さを妬んで切りつけたんだね。そいつが何者かわからないけど、おかしなやつがまた現れたんだ。そいつはきっと、同じことをまだまだ繰り返すよ」
マダム・ブランシュも怯えて、恐ろしい予言でもするように言った。元々、切り裂き魔を恐れていた人だ。この件で彼女の恐怖は現地味を帯びてしまったのだろう。
「そのお友達は、まだどうにか助けられるのよね? そのために、わたくしを呼んだのでしょう?」
恐怖に心を支配されてしまっている二人をなだめるために、ロランヌは落ち着いた声で語りかけた。
この出来事を伝えるためだけに、クインガーデナーを呼ぶわけがない。昏睡の原因が冥界にあり、それをどうにかできないかと考えて呼んだのだろう。内心動転していても、ロランヌはそのことをきちんと理解していた。
「そうでした。……本来なら、私ら庶民がクインガーデナーに冥界の花樹を診てもらうことなんか、できないのはわかっているんです。でも、その子が死んだらクロエがどうなってしまうか……考えるだけで可哀想で」
「お金は、あたしが頑張って払います! だから、あの子を助けてほしいんです」
自分たちがロランヌを呼んだ理由を思い出し、マダム・ブランシュもクロエも必死で訴えてきた。
ジャックは、知り合いのよしみでタダで診てくれとでも言うかと思っていただけに、クロエの発言に少し驚いた。
冥界の花樹は常人には見ることができない。だからこそ、信じない人間も、それを見るガーデナーを心のどこかで軽んじる人もいる。
だがクロエは、ロランヌの力を信じて頼り、相応の対価を払うと言ったのだ。主人のことを認められているとわかって、ジャックは安心した。
「我々はクロエさんのご友人のところに、お見舞いに行くだけです。ねえ、お嬢様?」
ジャックが尋ねると、ロランヌは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。その顔にはジャックの配慮に気づいて感心する表情が浮かんでいる。
「ええ、そうね。わたくしたちはただクロエのお友達が心配で、お見舞いに行くだけよ。だから、何も心配しなくていいのよ」
ロランヌがそう言って微笑むと、マダム・ブランシュもクロエもひどく安心した顔をした。
クロエに案内されてやってきたのは、労働者たちが多く暮らす住宅街だった。
四、五階建ての建物が多く、それらを細かく区切って貸し出している賃貸物件ばかりが建ち並んでいる。クロエが住んでいるのは、それらの中でも一等古い、安アパートの一室だった。
「狭いところですみません。メアリ、お嬢様が来てくださったのよ。この子、新聞で陛下とお嬢様が一緒に描かれてるのを見て、あたしのことをすっごく羨ましがってたんです」
アパートはドアを開けるとすぐ台所があり、その奥に部屋があった。その部屋のベッドの上に、メアリと呼ばれた女性は横たわっていた。
赤毛で、そばかすが目立つ白い肌をした女性だ。平時よりもその肌が青白くなっているだろうことは推測できた。
「メアリ、こんにちは。ちょっとあなたの冥界の花樹を見せてもらうわね」
居間に入ったロランヌは、横たわるメアリにそう声をかけた。狭い部屋の中では、ロランヌの美しさが際立った。ベッドに寄り添う姿はさながら宗教画に描かれた天使のようだと思ったところで、ジャックは我に返った。ここに来た目的を見失ってはならない。
「……これは、どういうことですか?」
ジャックはロランヌに倣ってメアリの冥界を覗いて、そこにあったものに戸惑った。
そこには、枯れかけた何かの花と、それとは対照的に青々と葉を茂らせた植物があった。枯れかけの花に絡みつくように生えているそれは、蕾までつけて間もなく花開きそうな状態にまで育っている。
「寄生されているわ。メアリの元々の冥界の花は、この枯れかけたマーガレットね。この余計なものに寄生されて養分を吸い取られたせいで花が弱って、それで倒れてしまったのよ」
ロランヌは弱ったマーガレットに手を添え、何とか寄生したものを引き剥がそうとした。だが、その植物は頑強に根を張り、引き抜こうものならマーガレットまで道連れにすると言わんばかりだ。
「ジャック、あなたの力が必要かもしれないわ。マーガレットを傷つけないように、この植物を断ち切って」
「えっ」
「花鋏は、植物を切るためにあるのよ」
「……わかりました」
言われた通りにやるという選択肢しかないのだと理解して、やるしかないと覚悟した。
手に神経を集中させ、花鋏を出現させた。片方だけでいいと思ったがうまくいかず、いつものように両手に出てきてしまった。それでも、やるべきことは変わらない。呼吸を整え、寄生した植物に向き合った。
「くっ……」
その花鋏が初めて何かに触れる感覚に、ジャックは戸惑った。本来この鋏は、何にも触れられないものなのだ。それはこれが、冥界に属するものだから。だが、当然同じ冥界に属するもの同士だと、干渉することができる。
「ジャック、マーガレットを傷つけることを恐れないで。いざとなれば、わたくしに手立てがあるわ」
ロランヌは、自分の能力に戸惑って次の行動に移れないジャックを励ますように言った。
心配されている、能力がないと思われたくない――プライドが刺激され、ジャックは改めて覚悟を決めた。
鋏に力を込めると、茎が抵抗するように押し返してくる感触がした。そこを無理に断とうとすると絡みつかれたマーガレットの茎が巻き添えを食らってブチブチと千切れそうな音を立てる。だが、ここでためらってしまえば寄生した植物をどうにかすることはできないとわかっている。
ロランヌの言う手立てというものが何なのか、ジャックは全く見当がつかない。それでも、主人が大丈夫だと言った言葉を、従者である自分が信じない理由はないのだ。
「――切ります!」
宣言して、ジャックは鋏に一層の力を込めた。ブチブチという音を通り越して、茎はメキメキという音を立てた。
慣れない感触に手首や指の筋が軋むのを感じながら、それでもジャックは力を込め続けた。頭の中に、この邪悪な寄生植物が断ち切られるのを思い浮かべて。
「あとは任せて!」
ブチンと切れた直後、ロランヌがジャックを押しのけて冥界に手を差し入れた。そして素早くマーガレットの茎を掴む。
マーガレットはやはり、寄生植物に絡みつかれていた影響で千切れかかっていた。だが、ロランヌがその今にも死に絶えそうな茎に触れると、光が瞬いたのちにそれは接ぎ合わされた。
ロランヌの能力は、この接ぎ木の力だと言われている。それを今、彼女は遺憾なく発揮したのだ。
「さあ……この栄養剤を投与したから、もう大丈夫なはずよ」
「ありがとうございます! ……ああ、メアリ。本当だ、顔色が戻ってきてる」
ロランヌがメアリの無事を告げると、そばで見守っていたクロエが感激に涙した。医者にも原因がわからないと言われ、弱っていくのをただ見ているしかできなかったのだ。それが助かったのだから、ほっとして泣くのも無理はない。
「別の植物に寄生されて、養分を吸われていたのがよくなかったの。でも、健康で栄養状態がいい人なら、こうはならなかったはずなのよ」
安堵するクロエとは対象的に、ロランヌは難しい顔をしていた。もしかすると事態は、楽観視できるものではないのかもしれない。
「貧しい、栄養状態が悪い人が、運悪く寄生されているということですか?」
「運悪く、だったらいいわね。……狙ってそうされているのかも。どちらにしても、早い段階でピーから買った薬を服用すれば、救われる人も増えるはずよ」
ロランヌは何かを掴んだようだが、そのときそれを詳しく聞くことはできなかった。
クロエに薬売りのピーの存在を教え、「同じ症状の人ならこれで助けられるかもしれない」と教えてからアパートを出た。それからマダム・ブランシュの店へ戻って同様の説明をして、ピーに今後の相談をしてから屋敷に戻ったのは、もうすっかり夜になってからのことだった。
「ジャック……わたくし、嫌な予感がするの。きっと何か、大きな事が起こる前触れなのよ」
夕食もそこそこにロランヌを就寝させようとベッドへ入れると、彼女は不安そうに目をしばたたかせた。昼間は薄化粧をしているが、夜に寝るときはしていない。それも相まって、今のロランヌは幼く、頼りなさそうに見えた。
嫌な予感というのは、ジャックも当然感じていた。だが、自分がすべきは彼女の不安に同調することではないともわかっていた。
不安がって、何かが進展することはない。もちろん楽観視もできないが、一緒に怯えるよりもジャックにはしなければいけないことがあった。
「大丈夫ですよ、ロール様。あなたを傷つけるものは、俺が絶対に許さない」
少しでも不安を慰められればと、ジャックはロランヌの銀の髪に口づけて部屋を出た。
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