冷たい土曜日

第18話


 ご案内のとおり、文化祭は予定どおり開催の方向らしかった。

 ふつう直近で生徒の死亡事故などが起こったら、文化祭の延期や開催にさえチャチャを入れかねない向きはつねにあるものだが、今回それはなかったようだ。


 不幸な死亡事故はあったが、通学路上での事故であり……と事故を強調する俗物校長に、じゃあ校内の事故だったら中止したのかと小一時間、問いただしたいところだ。

 そもそも使用禁止の道を使っていたおたくのお子さんがわるいんですよ、と学校側が稲葉家にねじ込んだ可能性……いやいや、すべては詮無い。


 ──いずれにせよ、文化祭は執り行われるのだ。やるとなったら、やらねばならない。

 派手な看板が書き散らされたドアを抜けると、そこは一応立派な「カフェ」に仕上がっていた。

 店の名は『小池屋』だった。


「なんてだるい名前だ……」


 吐き捨てる拓斗。

 ちなみに隣のクラスの「占い館」は『哲子の部屋』だ。

 担任が大柳哲子だからだろう。


 たく、この学校の教師はなにを考えているんだ? 自己主張が強すぎるぞ、オマエラ。

 毒づきながら小池屋のドアを開けた。

 担任の小池はまだ現れていない。


「おーっす。ひさしぶり」


 言ってから、しまったと思った。

 拓斗にはひさしぶりでも、クラスメートたちにとってはちがう。


「おはよう、拓斗。風邪、治ったんだな」


 なんとかごまかしつつ話題をつないでいると、何度もその言葉を向けられた。

 青木はずいぶん、拓斗の風邪を広く世間に喧伝してくれていたようだった。


「ああ、バッチリさ。きょうのために仕上げた喉だからな。でもアレだな、この教室もなかなか凝ってるな。けっこうマトモに仕上がってんじゃん」


 手近の男子生徒の背中を薄っぺらな鞄で叩いて言うと、ふりかえった彼は不思議そうに首をかしげた。


「ナニ言ってんだ? おまえ、きのうはほとんど最後まで残って、黙々と作業してたじゃねーか。おまえを洗脳することに成功して、広瀬のやつも満足なんじゃねーの」


 拓斗が強姦の準備に余念がなかったころ、青木もやるべきことをやっていた。

 本来の拓斗が、けっしてやらないことを。


「そ、そうか。そうだったな。ふっ、まじめに作業するのはあたりまえじゃないか、キミたち。べつに広瀬に洗脳されたわけじゃないさァ」


 そんな広瀬とは今朝から一度も、会話どころか挨拶さえ交わしていない。

 ちらっと見かけたので声をかけようとしたが、さっさと逃げられた。

 かける言葉を探すのだが、どうやら向こうに、拓斗への言葉はないようである。

 いままでと立場が180度逆転した気分だった。


 窓際の、本来拓斗の席があるべき場所はきれいさっぱりなくなっていて、お客用の椅子が並べられていた。

 適当な椅子を見つけて座ろうとしたとき、担任の小池が現れた。


「上島、放送部。準備のほう、行っていいぞ」


 小池は拓斗を見つけると、すぐにそう言った。

 放送部顧問の橋爪サンから、念を押されていたのだとみえる。

 拓斗は軽く手を挙げ、


「そーでした、行ってきます。──みんな期待してろよ。とくにウチのクラス、リキ入れて宣伝してやるからな」


「頼むぜ、拓斗」


 一様にあたたかいクラスメートに送られた。

 基本的には善良らしい彼らから、この短い再会の間に稲葉や青木についてのいやな話を思い出させられることはなかった。

 きのうまでの青木はどうだか知らないが。


 話題といえば、悪シ鷹とMakaSの抗争というレアどころもあるし、なにより文化祭という当面のビッグイベントに注意をとられているからでもあろう。

 と、そんなことを考えながら歩いていた注意力散漫な拓斗は、出口のところに座っていただれかの椅子に躓いた。


「おっと失敬」


 すなおに謝って見下ろす目が、かち合った。

 ……広瀬。


 瞬間、彼女は椅子ごと引き潮のように遠い彼方へと離れて行った。脊髄反射のすばやさだった。

 拓斗はしばし呆気にとられていたが、やがて軽く肩をそびやかすと教室を出た。

 相手にしている場合ではなかった。


 それにしても、なんなんだ、あの態度は。

 完全にきらわれてるってわけか?

 いや、まあべつにいいけど……親友の気持ちを忖度するほどに、哀れを催す。


「どーでもいーけどさァ」


 捨て鉢にボヤいて歩き出した。

 そう、べつにいいのだ。

 広瀬なんか、どうだって。


「なにがいーのよ、たくと?」


 と、生徒が歩かない時間であるはずの廊下、背後から声をかけられたのですこしあわてた。

 ふりかえると、眼前にはまたしても困ったやつ。

 体重を右足に乗せ、右手を腰に当て、首は右に傾け、左手はだらりとスカートのまえに垂らして、カチカチと指輪を鳴らしている。


 これが彼女の得意のポーズ。

 まったく無気力でだらしない。

 なにより一年まえの自分を見るようで恥ずかしい。


「ちっ、工藤か」


「あれ、風邪、治ったんだ。おととい帰るとき聞いたら、たくと風邪ひいて声がぜんぜんちがうって、四組のだれか言ってたよ。おかしいよね、同じ日の昼間はマトモだったのにさ」


「ゴホゴホッ。しかしなんだな、おまえが朝から学校いるなんて、めずらしいよな。しかも休日サタデーにさ。どういう心境の変化だ?」


 質問に質問で切り返し、先の質問をうやむやにする。得意技だ。

 もっとも工藤も、自分のことしか考えていないのでお互い様ではある。


「たくと、ほとぼり冷めるまで一か月くらい、いっしょに旅行しない?」


 唐突になにを言い出すかと思えば、このアホウは。


「新しいジョークか? 笑えないな。言っとくが、めんどうな話はごめんだぜ。そうでなくても、いまのオレはヘヴィな環境なんだからな」


 こっちのほうがずっとヘヴィよ、と工藤は自信満々に言い張った。


「知ってのとおり、そこの廃ビルでMakaSのやつらがまとめて、だれかに殺されちゃったじゃない。警察はようやく今朝から捜査してるけど、悪シ鷹うちらは、きのうのうちに知ったんだよね。MakaSのだれかが見つけてさ、当然うちらが犯人って決めつけて」


「……そうか、そういうことになってんのか」


 殺人事件に関しては、登校の時点でわかってはいた。

 例の廃ビルは絶賛キープアウトだったが、周囲に積まれている事故車の意味はよくわからなかった。

 すぐに、チンピラどものあいだで例の件がどう処理されたのかを理解するにいたり、理想の展開のような気もしたが、ただの罠のような気もする。


「悪シ鷹の連中ってさ、ケンカ好きなバカばっかじゃない」


「後者の点では、おまえに言われたくないだろうよ」


「ふん。──だからさ、みんなメチャメチャ殺気立っちゃって、ちっとも優しくないんだ。あたしもうイヤだよ。ね、いっしょにフケよ。あたしいま十万くらいならもってるし、クスリ捌けばもっと稼げるだろうし。これでもけっこう尽くすタイプだよ。たくと、どうせたまってるでしょ?」


 つねにたまっていると思われているらしい拓斗は、内心忸怩たるものをおぼえつつ、


「たまってねーよ。それより、殺したのが悪シ鷹のやつだって証拠でも出たのか?」


 モートー旅に出るつもりなく、さっさと会話の路線を修正した。


「知らない。けどあいつら殺してだれがトクするって、うちらしかないじゃない。だからむこうは宣戦布告だと思ってるよ」


「そうゆう思い込みって、よくないと思うな」


 原因となる「場面」を目の当たりにしている拓斗としては、やはりすこしばかり気が咎めた。


「べつにさ、あたしはどっちだっていいのよ、そんなの。あたしが欲しいのはいつだって、あたしといっしょにいてくれるやつ、遊んでくれるやつなんだから……。

 ところがきのう以来、こっちもむこうも大変なことになっちゃうし、だから、だれも遊んでくれないし、ひとりで遊びまわれる状況でもなかったし。きのうは学校ガッコにもこらんなかったかんね」


「おまえが学校こないのは、いつものことじゃないか」


 再び歩き出しながら鋭角的に答える。

 が、その程度は彼女の許容範囲内で、


「学校きてたほうが、安全になっちゃったからね。こないわけいかないんだ」


「安全? おいおい──ギリギリどころか、じつはかなりヤバい話かァ?」


 階段を上がる歩調が、すこしだけゆるんだ。

 すると工藤は、驚きを込めて大きく目を開き、


「知らないの? やっぱ変、いつものアンテナ高いたくとらしくないよ」


「最近、電波状態わるいんだよ。で、なにが起こってんだ?」


 工藤は軽く肩をすくめてから、一転きつく表情を引き締めて答える。


「戦争よ。昨夜とうとう、ヒブタ切られちゃって、ウチらの溜まり場もことごとくやられたの。いつもの居場所プレハブなんか火に飲まれて、あたしら焼け出され組よ」


 抗争という話は聞いていたが、その規模を知ったのははじめてだ。

 なるほど、だから旅に出ようなどと抜かしたわけか。この日和見め。


「せっかくだから文化祭でも楽しめよ」


「つまんないよ、ひとりじゃ。教室にも、なんとなくいられないしさ。クラスの手伝い、ちっともしてないし」


 ふと寂しそうにつぶやく工藤。

 去年は悪シ鷹のバカどもを連れて、いいように校内を徘徊していた女が。


「元気出せよ。おまえらしくないぜ」


 このバカは悩んではいけないのだ。なぜならバカは悩まないものだから。

 すると工藤はまたしても工藤らしくなく、はにかんだようにモジモジして言った。


「たくと、あたしさ、あの……あのときはアリガトね」


「あのとき? どのときだ?」


「あのとき、さ」


 工藤は遠い目をした。

 ……オレがこの目に弱いことを知っているのだ。

 ほどなく思い出した。

 たしかに昔、追い込まれていた彼女を助けたことはあったが、単にヤリたかっただけの中学生が目的を達しただけという件については、言わないでおこう。


 それでも彼女にとっては、大事な思い出らしい。

 ふと、ふりかえると工藤は意外なほど真剣な目つきで、拓斗を見つめていた。

 ……もしかしてまだ、いっしょに「逃げよう」とでも思っていたりするのだろうか?

 拓斗はゴホンとひとつ咳払いすると、


「人生楽ありゃ苦もあるさ」


 しみじみ言ってやった。そして足を止めた。

 工藤はなにかを期待したようだが、単に放送室のまえまできていたからにすぎない。

 拓斗はステンレスのドアノブに手をかけて、


「なんにしてもオレには関係ないね。オレはオレだし、おまえはおまえ。勝手にするし、勝手にしろよ」


 凄絶なほどキッパリと言い切った。


「そんな……っ」


 工藤の声をさえぎって、ばたん、と閉じられるステンレスのドア。


「冗談じゃねーって。ヤバいやつらのモメゴトなんか、いちいち相手にしてられるかよ」


 ……わるいが、これが現実リアルというものだ。

 もっとも、そこが安全地帯というわけでは、けっしてないのだが。


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