第19話


 放送室、アナウンスルーム。


「さあ、いよいよはじまるぜ。われらが埼東高校サイコーな文化祭初日。きょうくらいはハメはずしても、許してくれよな、セ・ン・セ(はぁと)──それじゃいってみよーかァ。アーユーレディー?」


 九時七秒前、そんな感じの放送をしたことが夢のようだ。

 担任の小池に「よく言う、いつもハメはずしっぱなしのクセしやがって」と失笑を買ったのは、イマハ昔竹取ノ翁トイフモノ有リケリ。


 時計を見上げると、午前十一時にさしかかっていた。

 この完全防音の放送室にて、都合二時間近くも喉を酷使しつづけていることになる。

 山のような原稿は、だいたいDJタクトを指名している。

 ……ご指名ありがとーございまーす、ってオレはホストじゃねえ!


「これは希望だろ? 谷、おまえが読んだっていいし、宣伝したいやつに自分で読ませたっていいじゃねーか」


 スタッフオンリーの調整室に向けて叫ぶが、


「そうすると放送室内の秩序が乱れるだろ」


 AD谷に代わって、オンリーワンの部長が言った。


「それは山ちゃん先輩の統率力しだいじゃないんスかね?」


「言うじゃないか、拓斗。だが放送部にとって年に一度の晴れ舞台、せめて内輪だけで取り仕切りたい、と思わないか?」


「だったら山ちゃん先輩も読んでくださいよ。このコミュニズム的なアンチテーゼ、山ちゃん先輩なら、みごとに止揚してくれると期待してます」


「てっつがくゥ」


 合いの手を入れる谷の横顔をギロリと睨みつけ、目線をもどした山ちゃん先輩は、


「それは至言だ。だが謙虚さのない韜晦だ。そして放送部にとっては愚行だ。クオリティを追及しているからな、われわれは。──若いころから職業意識をもつのは、格別わるいことでもないぜ。とはいえ、あんまりブッ通しってのも酷だろう。三十分ほど休憩やるから、校内の見学でもしてこいよ」


 山ちゃん先輩はさわやかな笑みを浮かべて、軽く親指を立てるお得意のポーズを見せると、あとはさっさと自分の椅子にもどって、隣の海ちゃん先輩となにやら相談しはじめた。


「三十分、だってさ。よかったでちゅねえ、拓斗くん」


 嘲弄に似た谷の言葉を無視して、拓斗は短い溜め息を漏らした。

 労使交渉を諦め、フラリと歩き出す。


 三十分。

 この信じられないくらい極悪な休憩時間。

 もし拓斗がフランス人なら、木靴サボを機械に投げ込んで労働を放棄するだろう。

 ──革命万歳!




 きょうばかりは土足OKの校舎内を、履き慣れたバスケットシューズで踏みつけ、なんとなく自分の教室へと向かう。


「へえ、けっこう繁盛してんのかな」


 わが学び舎の内を、外から覗きながらつぶやいた。

 お客様至上主義を標榜しているカフェは、よほど居心地がイイのだろう。長時間居座ってしまう客が絶えないおかげで、入りはいいのだが回転があまりよくない、という。


「ってわけで、あの女たちなんかもう一時間も、ああやってくっちゃべってんだぜ」


 ウェイター役のクラスメートが、姿を現した拓斗に近寄ってきて、そう愚痴をこぼした。


「へえ。そんじゃ、このオレのナイスな宣伝効果も半減だな」


 適当に応じながら、クラスメート特権で店舗の裏側バックヤードへはいりこんだ。

 どのくらい儲かっているのか見たかったからと、コーヒーを一杯もらいたかったからなのだが、そこで拓斗は、またしても気まずい思いをしなければならなくなった。


「や、やあ。広瀬、いたの」


 考えてみれば、彼女がここにいるのは当然の話だ。


「う、うん。あ、宣伝どうもありがとう。おかげでお客さん、けっこうはいってくれてる」


 言いながら腰を浮かせる。

 ……こらこら、どこへ行こうというのだ。


「そりゃよかった。こんなオレでも、クラスに貢献できてるワケだ」


 謙譲の美徳を示す拓斗の目のまえから、広瀬はさっさと逃げ出してしまった。

 ちょうどふりかえると馴染みの女子クラスメート、ウェイトレスをおおせつかっているらしい吉沢よしざわ宏美ひろみが鈴音を響かせてとおりかかったので、


「あ、コーヒーくれる? 代金はツケといてね」


 注文した。洒落のわかる彼女はコミカルなしぐさで、


「お客さん、そいつは困りますねえ。うちは支払いのきれいなかた専門なんですよ」


 吉沢って女はいいだぜ、と青木には紹介しておいたのだが、残念ながら彼は広瀬以外の女には目もくれない。


「失敬な。おいどんを、そこいらのイチゲンの客といっしょにせんでもらいたかこつじゃけんのう。つまりワイは常連でごつばってんたい」


「いややわあ、だんさんのいけず。うちはいつかてだんさんを待ち焦がれとるんどすえ」


 いつものように夫婦漫才のようなものを開始する。

 吉沢はノリのいい子だ。


「よいじゃろ。朕はコーヒーをご所望じゃ」


「お熱いの、それともひゃっこいのがよろしおすか? はあ、ゆうたら旦那、冷っこいのんは好きとちゃいましたな。そしたらミルクと砂糖は?」


「キミから溢れ出るミルクを受け止めるわが全身全霊の愛は、マンドラゴラの叫びも苦らしめ得ぬほどに甘く、その情熱は灼熱の溶岩よりも熱く仕立てあげるに足る肉の宴。んー、ラブリーん」


「お客さァん、うちはそういう趣旨の店じゃないんですよね。淫行条例にかかりますよ」


「警察だけは勘弁してください、淫売屋のマダム! ──などというバカなくだりは」


 目のまえの箱を、相手に差し出すしぐさの拓斗。

 応じて受け取った吉沢は、それを自分の横に移すしぐさ。


「おいといて。さっさと注文してくれる。暇なようで忙しいようで暇なんだから」


 いきなり事務的な態度に変わった。

 こういう女っていいな、と思うこともあるとかないとか。


「はいはい。いやもちろんホットコーヒー。ミルクと砂糖は絶妙に」


「ゼツミョーね、了解」


 ものわかりのいい吉沢は応え、バックヤードを出てカウンター奥の男子生徒に注文を告げ、手早くその「絶妙」に仕立てられたコーヒーを持ってきた。


「ほっぺた落ちるから、覚悟しといてね」


「ほほう! このウエシマにコーヒーで挑もうとは、片腹痛くてUっCっCですな」


「相手にとって不足なっしっしーよ。缶コーヒーなんかに負けないから」


 もちろん味のわからない男・拓斗は、一口啜って、感想を待っているらしい吉沢に、


「あちいよ、コレ。こんなモンが飲めるか、舌をやけどしたぞ三億円払え、って因縁つける客いない?」


「いまのところは。だって熱いものでしょ、ホットコーヒーなんだから」


「そうだけどさ。ま、オレのキミに対する愛よりは冷たいけどネ」


「あはは」


 彼女は軽い笑い声を残し、行ってしまった。

 こうして、相手をしてくれるやつがいなくなったので、しかたなく黙って灼熱のコーヒーを飲み干すことにした。


 それにしても、と拓斗は考える。

 ……青木にはわるいが、広瀬はもうダメだな。

 かける言葉も見つからない。どうやら、よけいな策を弄してしまったようだ。

 心中、深謝せずにはいられない。


 深くうなだれ、熱くて飲めないコーヒーを見つめていると、隣の椅子にだれかが座った。

 そちらに顔を向けると、またしても吉沢がいた。

 彼女は自分のぶんのコーヒーを持ってそこに座り、ニコッと笑った。


「乾杯。──熱っ。ホント、めちゃめちゃ熱いわね」


「だろ? これが取っ手のついていないカップに入れて出されたら、まちがいなくイヤガラセだぜ」


「でもコーヒーは熱いものだって、バーテンの三沢くんは言ってたよ」


 言い訳がましいことを述べ立てながら、猫舌らしい吉沢は飲むのを諦めてその小さなマグカップを手近の机上に置いた。

 それならなぜホットなどを注文したのか。たまにわからないことをする女だ。


「仕事はどうした? 休憩か?」


 吉沢はエプロンを脱ぎながら、


「自主休憩。拓斗の得意な」


「心外だな、ヨッシー。オレはちゃんと部長の許可をとって休んでいるのだよ」


「べつに拓斗が、いまサボってるなんて言ってないじゃない。つねにやましいことを持ち合わせている人間が抱く、被害妄想の項に分類ね」


「いつから心理学者になったのかね、吉沢くん」


「きょうから。──それよりねえ拓斗、広瀬さんとなにかあった?」


 思わずコーヒーを吐き出しそうになった。


「どど、どうして?」


「うーん、なんていうか……変だもん」


「具体性に欠ける形容だな、それは。ヒジョーにわかりづらいぞ」


「そう? でも、なんにでも形があると思わないほうがいいんじゃないかな。たとえば感情。恋とか、憎悪とか、悲しみとか、歓喜とか」


「それは立派な形容詞だよ、ヨッシー」


「形容してほしいの?」


「できるもんなら」


「それじゃたぶん、広瀬さん恋してるよ」


 再び吐きそうになった。

 拓斗は腫れ物を扱うように、吉沢との対話方法を模索する必要があると思った。


「キミはアレかね、よもやオレのキライな有閑マダム式論法を、ここに打ち立てんと欲するつもりじゃあなかろうね。なにかもっとこう──形のある証拠のようなものをとらまえたうえで、しゃべったほうがいいのとちがうかな」


「緻密に構築してほしいの? なら申し上げましょう。きのうまでの拓斗も、恋してた」


 若干、気持ちわるくなる拓斗。

 げんなりしつつも、応じざるを得ない。


「断定するね、キミは」


「拓斗のこと、よく観察してるもの、あたし。見てておもしろいから」


「オレは昆虫か」


 吉沢はにこにこ笑って、日記帳をつけるしぐさ。


「さあ観察日記つけないと。まるがつばちにち、たくと爆誕!」


「ヒャッハー、卵の殻とかでオレさまを止められると思うなよ、待ってろ世界! などというバカなくだりは」


「おいといて。すごく変な気分なのよ、いま。きのうの拓斗と、きょうの拓斗、ぜんぜんちがうんだもん」


 ぎく、ぎく、ぎく、と心臓から音が出ているのではないかと疑うくらい、吉沢の「分析」は的を射ていた。

 そうして彼女は、つぎのようなことを言った。


 最近、拓斗はよく見ているらしい、広瀬を。いつもは見向きもしないのに、広瀬自身がドギマギするくらい。

 おととい、最初は広瀬から話しかけた。

 それは同じ中学から進学してきた数少ない仲間が死んだからで、それについてのお悔やみとかそういう社交辞令だと思っていたが、徐々にそうではないことがわかった──。


 吉沢の語り口は、徐々にノッてきた。

 彼女はいまや、必ずや得られるであろう解答を目指して問うた。


「ね、拓斗、あのとき広瀬さんと、なにを話していたの?」


 なにを話したんだ、青木?


「いや、まあ、その世界情勢についていろいろとな。最近流行ってるだろ、いわゆる流行性感冒のX香港型インフルエンザ」


「そう、話したくないんだ。でも、なんとなくわかってるのよ、あたし。稲葉くんだったよね、死んじゃったひと。そのときのこと、どうしてか知らないけど一生懸命に謝ってるのがわかったわ。広瀬さん、何度もごめんなさい言ってたでしょ。そしたら拓斗、快く許してあげたじゃない。いつもの拓斗ならぜったい、それをネタに反撃の狼煙をあげるのに」


 拓斗ってやつは、そんなにイヤなやつだったのか。

 困ったものですな……。


「ヨッシー、キミはオレを誤解してる」


「たしかに、きのうまでの拓斗はちょっと理解の範疇を超えてたわ。いまの拓斗はわかる、なんとなく。ただ、わからないのは広瀬さんなのよ。恋してるのはわかるんだけど、それにしては変な兆候が見られるじゃない? なんていうのかな、こう……困惑してるみたいな。もうどうしようもなく溢れそうになっちゃって、自分をどうコントロールしていいのかわからない、っていう感じの」


 拓斗の知らないあらゆることを、彼女は知っているのではないかと思った。


「サイコミステリーの読みすぎじゃないのか? 他人の心が手にとるようにわかるなんてこと、ぜったいないぞ」


「ぜったいっていうのは、この世にないのよ。あたし昔からそういうの得意なの。だから拓斗とも波長を合わせることができたのね。陽気なウカレポンチの拓斗と」


「なんでもいいが、それで結局なにが言いたいんだ? オレにどうしろと言うんだ?」


 すると吉沢は、まさにでじっと拓斗を見つめ、言った。


「どうしろこうしろなんて、そんな大層なこと言えないし、言わないわよ。単なる傍観者っていうが、壊れちゃうじゃない。

 ただなんとなくソワソワするっていうか、こう……なにかが起こりそうな気配っていうの? 心にジワジワって滲み出してくる不安に近いような気持ちが、どうしても拭いきれないのよ。

 だって、きのうまでの拓斗は沈み込んでいて、なんとなく危うくて壊れそうだったでしょ。そしてきょうは広瀬さんが、壊れそうなくらい不安定じゃない。こいつはなにが起こってるんだろう、起こりつつあるんだろう、どうなっていくんだろうって、もうどうしていいかわからないくらいに興奮しちゃって。

 ホントのところ、なにが起こっているのか教えてよ、拓斗」


 このイカレポンチめ! それはオレのキライな有閑マダム式論法そのままじゃないか。すこしでも彼女に人間味ある暖かい対応を期待したオレが、バカだった!

 拓斗は猛然と立ち上がり、声を荒げた。


「おまえのような人間に語るべきことは、なにひとつない、断じてない、いっさいない。今後、二度と再びオレに話しかけないでもらいたい。わかったか、このヨシザウルス・ポンコツチンスキー・スカヤ!」


 憤然として背を向ける。

 自分でもなにを言っているのかはよくわからなかったが、いま言える最高のパフォーマンスを発揮した、つもりだ。


 一瞬だけ視界の隅に映った吉沢は、ちょっと悲しげに笑って、なんだかんだ言いながらもきれいに飲み干されたコーヒーのマグカップを手に、立ち去る男の背中へ向けてポツリと言った。


「毎度ありがとうございました、拓斗」


 毎度? あ、そういえば代金払ってなかったような気がする。

 ふふん、ウェイトレス失格だな、ヨッシー。


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