第12話
「け、喧嘩はよくないなあ」
ほんのすこしだけ駆動と距離をとったが、彼女にはとくに他意はないらしい。
そもそも、まだ事件化もしていない。
あのことはまだ「だれも知らない」はずだ。
「けどさあ、最近のMakaSってキレてんのよね。性格とかじゃなくて、アタマ使ったやり方が」
「アタマ……」
つぶれたアタマが
「ほんとはうちの学校から東が悪シ鷹のシマウチってことになってるんだけど、あいつらそれ破ってこっちきて商売とかしてさ、当然ケンカとかなるじゃん、それでこっちがクルマとか単車とか潰してやると、あいつら警察に告訴しちゃったりなんかしてね、損害賠償とか、そういうことやるのよ」
むしろ工藤の「関係ない話」に逃げ込むように、凄惨な連想から目を背ける。
たしかに頭のわるい工藤をふくめた暴走族にとって、それは警戒すべきことだろう。
頭いいやつがひとりでも加わると、クソみたいな組織の性質も大きく変わる。
「浜の真砂は尽きるとも、世に紛争の種は尽きまじ、か。司法機関も大変だ」
「でさ、最後に捕まるのはみんな悪シ鷹のやつばっかなんだ、たまんないよね。そういえばたくと、お父さんが裁判官だったよね、うちらの顧問とか相談役とかなってくれないか頼んでよ」
こればかりは聞き逃すことができず、断固として答えた。
「冗談じゃない。うちのオヤジさんはまじめな人なんだ。オマエラみたいな不良と、うちの親をつきあわせるわけにはいきません。母親はどうでもいいけど父親はだめだ、ぜったい」
「ふうん? 女はいいや、めんどくさいから」
「おまえが言うな」
いや、こいつだから言えるのか。
たしかに、このタイプが必要なのはオトコだ。
「そーいやさ、このガッコの先輩で、いたじゃん? たくとも親しかったんでしょ、名前は、ええと……」
「藤原先輩か? あのひとなら、どうとでも好きにしてやっていいぞ。できるもんならな」
固有名詞のおかげで記憶回路がつながったらしい工藤は、ポンと手をたたいて、
「そう、フジワラだ! もう五年まえだっけ? 当時のMakaSぶっつぶした、クレイジーなヤンキーだよね?」
「ヤンキーじゃねえよ。ふつうの高校生だ……と当人は言い張ってたぞ。カノジョ拉致られたから、助けただけだって」
なるほど、考えてみれば昔からMakaSはクズだったんだな。
パウロ拓斗・エーケーエー・隠れキリシタンとしては、ほんとうに許しがたい。
いやパウロの時点で隠してないが。
まぁカスだよな、という評価がそのままチーム名になった、MakaS。
その名にたがわず、カスが多い。
マゾヒストとしても知られるサディスト、という意味だと一般には伝わっているが、単に創業者のイニシャルだったという説も濃厚だ。
要するに、どっちでもいい。
しょせんクズだ。
「いやそれで組織つぶすとか、もうランボーでしょ。ヤクザにもコナかけて、日本にいられなくなってアフガンいったんだっけ?」
「どんな伝説になってんだよ、アホか。たしかにそれで高校は中退したが、ジャーナリストになって海外の……戦争とか取材することもあるって話は聞いた」
言われてみると、若干の不安をおぼえた。
あのひとは……ヤベエな、たしかに。
外人部隊にはいって最前線で活躍していても、不思議ではない気はする。
「なんか、すげー速いクルマ乗ってんでしょ? バラギの知り合いから聞いたよ」
「ああ、そーいや走り屋っぽいの取材してたこともあったみたいだけど……」
工藤が知っていることについて掘り下げてみようかという誘惑をおぼえたが、足りない脳みそを使いすぎて話し疲れたらしい彼女は、しばらくおとなしく煙草を吸っていた。
麗らかな秋の午後である。
ふと彼女は身体を起こすとポケットから別のシガーケースを取り出し、そこから薄紙を取り出して床に置いた。
拓斗は再び、ここから逃げ出したくなった。
工藤は取り出した十センチ四方ほどの薄紙のうえに、焦げ茶色をしたおがくずのような切れっ端をトントントンと落とすと、それを手際よく適当な細さにクルリと巻いて、根元の部分をキュッとひねった。
「たくともヤルでしょ?」
質問形式ではあるものの、当然そのつもりだろう。
工藤ならひとりで一本吸いかねないが、ふつうは二~三人でそのくらいの量が適当だ。
こうして拓斗と工藤の時の輪が交わったとき、するコトは決まっている。
ドラッグにセックス……ああ、なんてエピキュリな響きだろう。
白日の下で交合する拓斗らは、いつもクスリをやっていた。
その違法な煙草を完成させると、いそいそとブレザーを脱ぐ工藤の手を押さえ、
「いや、いまはやめとこう」
スコラ派にしてストイックな拓斗のことばに、彼女は驚いたように切れ長の目を見開いた。
「ちょっと冗談でしょ。せっかくこうして会えたのに、しかも天気いいしハッパあるし、舞台は整ってるじゃない」
「整わなくていい舞台もあるのだ。淫蕩な皇后メッサリーナにして悔い改めることのない永遠のマグダラのマリアよ、忠告するから聞くがいい。麻薬はカラダを破壊するんだぞ。知ってると思うけど」
すると工藤は鼻白んだように肩をすくめ、
「麻薬じゃないよ、大麻だよ。あたしだって知ってるんだから、そのくらい」
しょっちゅう無知を嘲られているだけあって、たまに知っている話が出るとうれしげだった。
「てか、それ教えてやったのオレだろ」
マリファナ。ハッパ、クサとも呼ばれる。
大麻の葉と花だけを選んで乾燥させたものの呼び名で、おもな精神作用成分はΔ9―テトラハイドロカナビノール(THC)。
使用にあたっては、通常のタバコよりもやや細めに巻いて中身がこぼれないように両端をよじる。
一本で、うまく吸えば一晩にすくなくとも三人が、マリファナの陶酔を満喫することができる。
その貴重な一本を手に、彼女はだらしない口調で言った。
「じゃあこれも知ってると思うけど、なんか最近
「たまってねーよ。それに、MakaSと悪シ鷹の抗争にも興味ナシ。だいたいオマエラのような不良どもの勢力争いが、オレのように朴訥で純真で爛漫で清潔なナチュラルボーイに関係していいわけがないだろ。汚れたやつら同士、勝手にやってくれ」
言われた工藤はプゥと頬を膨らませ、
「ふふーん、だ。あたしだってべつに、そんなコトどっちだっていいわよ。あたしはあたしと遊んでくれるやつがいればさ、それでいいんだから」
一瞬、工藤が寂しそうな顔をつくったからといって、だまされてはいけない。
彼女にとってセックスは特技であり、プライドであり、生きざまでもある。
すくなくとも抱かれているあいだは、相手の男に認められているとでも思っているのだろう、そしていつでもそう思いたいのだ、この愛らしいうつけ者は。
「おまえはいっぱいいるだろ、相手なんか。このまえもヒャッハーしてたじゃねーか」
脳みそお留守のパリピたちに交じって浮かれる工藤の写真は、世界に公開されている。
「たはは。やー、見られちゃったか。そんなことよりたくとさ、SNSナメてっしょ。更新頻度低すぎだし、いいねしても無視だしさ」
「ばかたれ。ああいうのは要所でビシッと決めときゃいいんだ。ねちねちと絡み合いたがりやがって。オレは孤独とプライベートを大事にしてんだよ」
「ただのめんどくさがりじゃん! ま、そういうクールなとこも、わるくないけど」
べたべたしてくる工藤。
……うぜえ。
「わるいけどな、おまえと同じく、オレも相手に不自由はしてねえんだよ」
工藤の貧弱なアイデンティティが揺らいだ。
「あいかわらずナンパなんだ。でもたくと、ホテル代くらいは出すんでしょ? ここならタダだし、なにより現役女子高生のあたしとタダでエッチできるんだよ。ベリグな話だと思うけどなあ。悪シ鷹の男だったらお金かクスリもらわなきゃやらせないよ、あたし」
「おまえそうやってセックスやらして金もらうのって、犯罪なんだぞ」
日本には昭和三十三年に施行された売春防止法がある。
「いいじゃん、べつに。好きでやってるんだから」
たしかに、他人に強いられてやるのは論外でも、自分の意思で行なう売春や買春は犯罪ではない、と拓斗も思う。
じっさい世界の先進国でも、売春そのものは合法化されている国が多い。
だがこの清潔な日本国では、そういうわけにはいかないのだ。
「そういうわけにはいかないのだ」
「カタイこと言いっこなしよォ。ねえ、たくと。ハッパでも吸ってさあ」
肺に深く煙をため込みつつ、拓斗のほうへそれを差し出す。
受け取らずに視線だけ向けると、彼女の目に
「やんないとチクるからね」
彼女の最後の懐刀がそれだ。
そんなことをすれば自分も破滅だし、拓斗がすべてを暴露してしまえば芋蔓式に広範囲へ累が及ぶ。
一蓮托生、最悪の事態をも免れない。
「そんなことしたら」
「あたしが終わっても、あんたがいっしょだったらさ……」
肺に深く煙を溜めたまま膝を抱えて遠い目で市街を望む工藤は、背筋がふるえるくらいそそった。
頭や性格は腐っているが、
ただでさえ炎上案件であるルッキズムに、工藤の綺麗系ナイスバディという「事案」は、いろんな意味でタチがわるすぎる。
「――わかったよ。でも今回だけだからな」
溜め息交じりに言って特殊な煙草を受け取る拓斗の、なんたる意志薄弱、なんたる「だけ」の汎用、なんたるちあサンタルチア。
工藤は並びのいい
「だからたくとって好きさ」
「だから工藤ってキライさ」
すこしずつ煙を吸い込んで、しばらく肺に止めておく。それからゆっくり吐き出した。
一口目はあまり変化がなかった。ほんのり甘い味と、刺激のないくすぶった匂いがした。
二口目を吸うと、ようやく効いてきた。浮き浮きした楽しい気分だった。
彼女の台詞に中身はないということを知っていたが、なぜかその一語一句が重要なものに思えた。
ほどなく周囲の景色が生き生きと見えてきた。
やはりハッパは密室でやるより、こういう屋外の大自然(?)のなかでやるにかぎる。
色彩はどんどん鮮やかになり、太陽はますます明るく、さまざまな光をふりまいていた。
拓斗たちはやけに陽気になって、ふざけ合った。
なにもかも、ひどく滑稽だった。
なにより拓斗自身の滑稽さが、異常に際立って感じられた。
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