第11話
太陽は天頂にかかっていた。
拓斗は立入禁止で侵入不能ということになっている旧校舎屋上、いいあんばいのインディアンサマーのなか、独りこの奇異な展開について考え込んでいる。
月曜日、火曜日、なにより水曜日から木曜日にかけて。
サイエンスフィクション的にいえば、インプリンティングというやつだろうか。
青木が重傷を負ったとき、いちばん近くにいたのが拓斗だった。
その情報を脳に刷り込んで、彼は再生した……?
バカな。
SF作家でも、もうちょっとマシな設定を考える。
「変身願望、かな」
自分自身に再確認するように、ポツリとつぶやいた。
青木の恋慕に起因した突飛な誤解が、あろうことか実を結んだ……。
誤解──そう、どう考えても事実誤認である。
だってそうじゃないか、マーさん。
あの広瀬が、じつは上島拓斗を愛しているなんて……。
しかし青木はそう信じていた。
信じてしまっていたから、青木の深層心理は代替的な慕情の享受法として、上島拓斗への変身願望を募らせてしまったのではないか。
あえて臆面もなく言わせてもらうなら。
問題は、なぜそのありえない事実が結実したかのほうだ。
むろん月曜日深夜、青木が手術室で受けた脳外科の術式のなかに、なんらかの解答が隠されているはずだ。
……考えてもわからないので、考えるのをやめた。
それよりさきに、考えておかなければならないことがある。
第一にして最大の懸案は、きのう青木が殺してしまったチンピラどもの処理。
これは警察の仕事だが、警察はその仕事のなかで必ず拓斗らに接触しなければならなくなるはずだ。
どうやらまだ事件自体、嗅ぎつけられていないようだが、優秀な捜査能力を世界に誇るわが国の国家機関が一度捜査に乗り出せば、進展は速かろう。
第二に、病院から逃亡中の過失致死及び殺人犯・青木の
ただしリーガル的にいえば有罪が確定するまでは推定無罪が原則、かつ昨夜の行為に関してはすべて正当な(?)防衛手段であり、また当時の彼は精神錯乱によって完全に責任能力が欠如していたという点から、謹んで「
第三に、いま、上島拓斗として登校し、広瀬涼子に接する青木正広が、いかにボロを出さずに学校生活を継続し得るか、という問題も……あることはある。
しかしこれは、まったく拓斗にとってはどうでもいい話で、第一、第二の難問に比較すればあまりにも軽々にすぎる。
勝手にしてくれ、と丸投げするのもなんなので、福子のウィッグをかぶせながら一応、ひととおりの「指導」はしてやったが、彼が「あこがれの拓斗」をどこまで演じきれるか、そんなものは……知ったこっちゃねえわ。
ふて寝しよう、と決めこんだとき、四限の終了を告げるチャイムが鳴った。
いつもなら「ヒップ」「リスペクト」「リリック」「チェキラッ」をキーワードに、DJタクトによる放送部の時間だったが、さすがにそこまで期待するのは不可能だ。
青木には風邪を装うように言ってあるので、「お昼の放送」はきょうも音楽を流すだけになるだろう。
オレのナイスボイスを期待しているリスナーのみんな、スマン。
それにしても麗らかな小春日和だ。
こういう日、この場所は絶好の昼寝スポットである。
在校生でこの場所を知っているのは、
「あれェ? だれかと思ったら、たくとかァ」
不埒な嬌声で神聖な午睡を破った女。
拓斗は露骨にいやな顔を向けた。
青木には、この女にだけは絶対に近づくなと忠告していたが……。
「変ね。たくと、さっきまで教室にいたんじゃなかった? それにそのボーシとダテめがね、似合わなーい」
校舎横に付設された非常階段の金網のむこうから、彼女は首をかしげて嘲笑った。
この変装が似合わないと自分でわかっているだけに、拓斗はヒジョーに苛立ちながら、
「うるさいなあ。オレはいつだって電光石火、疾風迅雷、一気呵成、奇々怪々なんだよ。いいからさっさと隠れろ。そこに立ったら新校舎から丸見えだろうが」
状況が強いるのでしかたなく、彼女をこの
旧校舎の屋上に上がったら、まず給水タンクの影に隠れねばならない。
立入禁止の旧校舎屋上は新校舎より一階分低く、よって新校舎三階および屋上から眺望された際、給水タンクの影しか死角がないのである。
彼女はずけずけと拓斗の聖域を穢しながら、挨拶がわり、
「ヘロウ、たくと。エッチしてる?」
まちがってもおまえほどにはしてないよ。
総じて偏差値六十のこの学校に不似合いな、身も心も腐ったやつ。
もちろん自分のこと……ではない。
内心忸怩たる思いとともに、拓斗は面接担当官の判断を批判する。
枝毛の多いロングはみごとにブリーチされ尽くした茶髪。
スカートはいつも膝上十五センチ、きょうは大胆に二十センチの日らしく、かがむと中が見える。
規定の青いリボン・タイはつけず、代わりに首に扇情的なピンクのスカーフを巻いている。
なぜか男物のワイシャツを着ていて、ふたつ目までボタンを開けているので、かがまなくてもときどきピンクの下着が見える。
──ん?
「あ、それオレのワイシャツじゃないか。そうだった、おかげでこのまえ、オレはおまえのきっついワイシャツ着て帰るハメになったんだぞ」
あれは先々週、中間試験準備期間中で放課があまりにも早く気候もよかったので、この場所で、すこしばかり秋眠をむさぼっていたときのことだった。
そのときの行為の結果として、ごく単純な錯誤から衣服の交換が行なわれた。いや薬効による錯誤という表現が、より正確であろう。
ふつう、いくらなんでも服をまちがえたりはしない。
言われて彼女は「気づかなかったわ」とでも言いたげに自分の着ているワイシャツを見下ろし、
「じゃ、交換しようか?」
さっさと
「なにを考えてるんだ。交換したって同じだろうが。オレはいま、おまえのワイシャツを着ていないんだからな」
理解力のない彼女はしばらく考えてから、ポンと手を打って了解した。
ボタン穴がほつれたり広がったりするからやめてもらいたいのだが、彼女はいつものようにワイシャツの二番目のボタン穴に五十センチもある七色のストラップを通して、ブレザーの内ポケットにケータイを入れている。
たしか夏の終わりごろだと思うが、マチで拓斗を見かけた彼女がその名を呼びながら走り寄ってきたことがあった。
そのときポケットからケータイを落とし、必然的にストラップに引っ張られて、ワイシャツの襟ぐりがガバッと開いた。
ママー、あの女のひと……。
しっ、見ちゃいけません!
という外野のやりとりに耳をふさぎながら、全身全霊で他人のふりをしたことは言うまでもない。
淫靡なブラを丸出しに、だいぶ長く走ったらしいバビロンの大淫婦は、わが校のほとんど唯一の校則である「公序良俗に反しないこと」に、猛烈に違反している。
「でもホント、ひさしぶりねえ。しばらく休んでたみたいだし、さっきもこっちから行ったら、逃げるようにトイレ隠れちゃうしさァ」
青木、なにもそんな露骨に逃げることはないじゃないか。
もっと要領よくできないのだろうか、あの正直者は。
「おまえにオレが放尿するタイミングまで、とやかく言われる筋合いはない」
ビシリと言われて肩をすくめ、彼女は懐からタバコを取り出した。
右手で髪の毛をかきあげ、行きつけの酒場のマッチで火をつける。手馴れたものだ。
こういう仕草が絵になる女子高生というのも困ったものである。
「で、最近どーなの、ケーキは?」
ケーキ? ああ、景気か。
「最悪だよ。知ってるだろ、月曜、マブダチが死んじまってさ」
「ああ、そうだっけ。たいへんだったね。慰めてあげよっか?」
肩甲骨の下まで真っ直ぐに伸びたストレートヘアを両手で首のうしろにまとめ、蠱惑的なボディラインを誇示するように揺らした。
小顔で、そのぶん脳みそもかなり少なめである。
ブレザーの袖は肘までまくり上げ、ほっそりとした不健康な青白い肌を必要以上に露出する、この露出狂めは。まったくはしたない女だ。
拓斗は内ポケットから電子タバコを取り出し、ニコチン風味の過熱蒸気を胸いっぱい吸いあげる。
一呼吸おいて
中学のころに塾ではじめて出会い、そのときクスリを売ってくれた張本人でもある。
昔はMakaSの連中とつるんでいたが決裂し、いまは敵対組織・悪シ鷹の末端に属している忌むべき女、拓斗にとって「最悪の知人」だ。
「いらねえよ、慰めなんて」
「マジなハナシさ、ゴシューショーサマでしたね、たくと。オクヤミ申しあげるわ」
まじめに言っているのだろうが、なんだかバカにされた気分だった。
工藤はだらしなく両足を投げ出し、ポカポカと暖かいモルタルに身をゆだねる。
上履きは踵を履き潰して完全なサンダル状態、そのうえ白い部分がまったく見えないほど落書きし放題。
どうしようもない女だなと思いながら自分の足下を見ると、こっちも大差ないことがわかる。
慚愧に耐えない。
アホの工藤は、未熟な自己顕示性が強く、目立ちたがり屋である。
自己中心的で、すこしでも思いどおりにいかないと簡単に情緒不安定に陥る。
刹那的な快楽を追い求める傾向と依存欲求が強く寂しがり屋だが、家庭では両親に愛情を求められず、その反動で友だちにべったりとなり、友だちのほうが負担になって離れてしまうことが多い。
中学生になると、その恵まれた容貌から同性より異性との交遊が緊密となり、少女の集団所属欲求と愛情欲求を同時に満たすため、暴走族などの非行組織に密着するようになった──。
彼女のキャラクター・プロフィールは、まあそんなところか。
「どういたしまして、ごきげんよう」
そんな彼女と必要以上に接近したくない拓斗はさっさと撤収しようとしたが、いま校内をウロウロすると青木にぶつかるかもしれない。
それはヤバイと思ったのでやめた。
そうして拓斗たちは、しばらく黙ってプカプカやっていた。
だらしない怠惰な時間だった。
「そうそう。たくと、これ捌いてくれる?」
ふと起き直った彼女は、ポケットから「悪シ鷹」という文字のはいったチケットを取り出した。拓斗は露骨にいやそうな表情をつくって、
「どーせオバケだろ」
暴走族の集金に手を貸したところで、いいことなんかひとつもない。
パー券を受けとる気が微塵もない拓斗が手を出さないので、ひとつのことを長く考えるのが苦手な工藤はそれを懐にもどし、さっさと話題を変えた。
「それじゃさ、こんどの土曜いっしょに走らない?」
「バカ言え。こんどの土日はうちらのガッコの文化祭じゃないか」
「いいじゃん、ばっくれちゃえば。文化祭? ふん、そんなのカンケーないね。校則も、法律だってカンケーないよ。おもしろければいいじゃん。うちらの走りは気合いはいってるし、文化祭なんかよりずっと、ムチャクチャおもしろいよ」
昭和五十三年の改正道路交通法「六八条・共同危険行為等の禁止」施行にともなって、暴走が犯罪となり、おおっぴらに走れなくなった暴走族だが、彼らにとって、いまやそんなものはどこ吹く風のようだ。
「バカどもが……。いいかよく聞け、工藤。暴走族と呼ばれる連中の生存スタンスは、あきらかに四半世紀まちがっている。きゃつらの特攻服とかボンタンとかダボシャツとかいう服装に接すると、オレは身体じゅうチキン肌になるんだ」
「たくと、服のセンスだけはいいもんね。その点は認めるよ。だからさ、あたしの隣にひとつ置いときたいのよね」
オレを置き物や飾り物だとでも思っているのか、このうつけ者は。
「お断りだ、アホめ」
すると彼女は愛らしく、ぷう、と頬を膨らませ、
「アホって犯罪なの?」
「あえて言おう。近いものがある」
「なんでもかんでも犯罪なんだね。集まって走ってるだけでもケーサツが追いかけてくるところをみると、アレもたぶん犯罪なんでしょ」
「昭和五十三年に改正された道路交通法に抵触する。それにおまえら、ただ走ってるだけじゃないだろうが」
「たしかにバカな男たちはメチャメチャにケンカするよ、でも悪シ鷹のやつらは、あれで硬派を自任してるから、ケンカだって一般のひとには売ったりしないんだよ。半端なツッパリか、MakaSのやつらが相手のときは徹底的にやるけど」
MakaSの名が出た瞬間、動きが止まった。
いやな記憶に浸された脳から、脂汗がたらりとしたたる。
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