第7話
彼らは、どこから持ち出したのかナイフの類や棍棒系はもちろん、ひとりは火炎瓶までも装備していた。
MakaSと悪シ鷹のテリトリーが交錯するこのエリアで、彼らの拠点であるこの廃屋は、いざというときに備えた武器庫でもある。
イサムとタツヤを筆頭にしたチーマーたち敵軍をまえに、拓斗と青木は背壁の陣中へと滑落。
敵は勝利を確信し、拓斗は敗北を確信した。
手始め、とばかり金髪の男が手近の石を拾って投げつけた。
この暗がりで、そのけっこうな大きさの石は足下に弾け、バウンド弾となって拓斗の足首に直撃した。
「痛っ」
足を抱えてうずくまる。瞬間、
「やめろーっ」
大きく両手を開いて、青木が拓斗のまえに立ちはだかった。
マーさんらしい。拓斗は不思議に気持ちで眺める。
完全にラリッたジャンキーどもは、ゆらゆらと近づいてきた。
鉄パイプを手にした男が、皮の手袋に痛そうな音を立てながら、
「やめろ、か? かっこいいねえ、脱走患者さんよォ。──やめねえよ、タコ!」
脳天を一撃された青木が、その場に膝をついた。
頭部に包帯を巻いている怪我人に対して、なんてことするんだ。
そのとき別の男が振り下ろした金属バットを、拓斗はすんでのところで躱した。
「野郎、よけるんじゃねえっ」
アホか、このごくつぶし。当たったら痛いじゃないか。
「よせ、拓斗には手を出すなっ」
青木が拓斗の上に覆いかぶさるようにして言った。
もちろん「手を出さない」などという善良なつもりのない敵さんは、
「てめえも、モーホーか? そいつはけっこう、ホモダチを守りたい気はわかるけどよ、独り占めはよくねえぜ。いっちょ共同使用といこうや。ヒヘヘ」
タツヤがジーパンのベルトを緩めながら言った。
なにをするつもりなの? と再びカマトトぶってみても詮無い。
──かつて信心深いクリスチャンとして、固形の汚穢を排泄すべく神が与えたもうた器官を別の目的に使うことを、自他攻守とも生涯にわたり厳に禁じていくつもりであった、この拓斗の決意は揺るぎませんぞ!
五人のうち三人はノーマルらしく、そっちに興味はなさそうだったが、ボーイ・ジョージのようなカマっぽいイサムと、とくに早くもジッパーを下ろして舌なめずりをしているタツヤなどは、一本ピシッと筋金入りのようだった。
このソドムの罪人(男色)は、世が世なら天の火に焼かれるところだ。
「頼む。オレはどうなってもいいから、拓斗は、彼は逃がしてやってくれ」
青木は懇願したが、
「いいからどけよっ」
蹴り飛ばされ、逆らっても無駄だと悟ったすなおな拓斗が残る。
「あの、お金で解決できません?」
一応、言ってみると、
「ヤッてからいただくよ。心配すんな」
にべもない。
「でしょうね。そいつは……お断りだっ」
腰のうしろにまわしていた右手で、ベルトのうしろからスタンガンを引き抜くと、顔を寄せてきた相手のうなじに強く押しつける。
バビロンの罪人どもよ、汝らことごとく天の火に焼かれるがよい!
「ぐあっ」
タツヤは呻いて倒れたが、レザーの後ろ襟に皮膚への直撃をカットされて、意識を奪うまでには至らなかった。
貧弱な天の火だった。
「野郎!」
瞬時に敵が戦闘態勢にはいる。
拓斗は青木の手を取り、
「逃げるぞっ」
「逃がすか!」
追いかけっこは、しかし再びはじまらなかった。
相手の包囲は完全だったのだ。
青木がまたしても殴り倒され、拓斗はかろうじて回避した。昔から逃げ足と闇討ちには自信があった。
藤原先輩仕込みですよ、と言ってやったら当人には嫌な顔をされた。
ジンジンする足の痛みを思い、まだ一抹の希望を捨ててはいなかったものの、こうなったら諦めるしかないなと覚悟を決めた。
こんどこそ追い詰められた拓斗たちは、銃火器でも取り出さないかぎり、この劣勢を挽回するのは不可能だった。
「どうやらここまでのようだな、マーさん」
こんなやつらに犯られるのは癪だったが、ことここに及んでは最低限の痛みで切り抜ける方便を立てるが利口であろう。
そう、世に名高いナマケモノを見習うのだ。
彼らは天敵に遭遇して助かる見込みがないと悟ると、抵抗ではなく、全身の力を抜くらしい。痛みを最小限にするために。
ふと青木のほうを見ると、彼はうずくまったままぴくりとも動かなかった。
二度も頭を殴られたせいか、両手で頭を抱え低く呻き──いや、唸っている。
「どうした、マーさん? 痛いのか? しっかりしろ」
「うああ、ああ、おえぇえ、あぇ」
奇妙な色の吐瀉物(?)らしきものがまき散らされる。
かなり……ヤバそうだ。
卒然として意を決し、昂然と顔を上げ、敢然と要求する、もう一方の友情の人・拓斗。
「頼むよ。ケガしてるんだ。早く病院に連れてかないと、死ぬかもしれない。オレはいいから、こいつだけは逃がしてやってくれ」
「ざっけんなよォ……っ」
拓斗たちを包囲する連中のうしろから、不気味な声が聞こえた。
いましめを解かれてずり落ちたズボンを引き上げようともせず、歩きづらそうに近寄ってくる彼は、拓斗がさっきスタンガンをくれたタツヤだった。
……彼を怒らせたのはマズかったかもしれない。
「よこせっ」
その凶暴なゲイは仲間の手から危険な火炎瓶をひったくり、灼熱の瞳で拓斗を見下ろした。
瓶は口から赤い火の舌をチロチロと出して、噛みつく瞬間を待ち焦がれている。
「ちょ、待ってください。すいません、謝ります。あの、言うとおりしますから勘弁してください」
情けない? 謝るべきときにはきちんと謝りなさいって、小学校の先生に教わらなかったか?
だが相手は、すでに寛容という言葉を完全に見失っていた。最初から知らなかったのかもしれない。
怒り狂った男が拓斗に向けて火炎瓶を投げつけようとした、そのとき。
「うわあぁーっ」
青木が飛び出した。
拓斗しか見ていなかったホモは避ける間もなくタックルをくらい、ふたりはそのままゴロゴロと地面を転がった。
火に油を注がれたタツヤは、憤怒に任せて青木の脳天に火炎瓶を振り下ろした。自分にも燃え広がるだろうことなど、まるで思い至っていなかったらしい。
火炎瓶が砕け、密閉されていたガソリンが飛び散った。
火芯の炎は瞬時に燃え移り、周辺へ爆発的に着火する。
まず青木の頭部を覆っていた包帯とネットが炎をあげて燃えた。それから火炎瓶を叩きつけた男の手にも燃え広がった。
ようやく彼は、自分がなにをしでかしたのかわかったようだ。
火炎瓶、なかんずくガソリンという「危険物」は、使いようによって驚くほどの被害を発生させる事実を、現代人は知らなすぎる。
一方、青木は自分がどうなっているのか自体、わかっていないようだった。
「くそっ!」
タツヤは青木を突き飛ばして距離をとった。レザーの上着を脱いで腕に巻きつけ、炎を消そうとした。
青木は動かなかった。ただ燃える炎のなかから、なにかを見ているようだった。
──やばい。
なにが?
青木が……。
「マーさ……っ」
「ぎゃぁあーっ!」
拓斗の呼び声は、絶叫によってかき消された。
青木の、ではない。
火を消すことも忘れて呆然としていた青木が──あのまま燃え尽きてしまうのではないかと懸念された青木が、突如、消えかけた蝋燭のように燃え上がった。
彼は目前の男に飛びかかって馬乗りになり、狂ったように彼を乱打しはじめた。
闘争本能だけが、そこにあった。
「く、くそっ。やっちまえ」
拓斗を囲んでいた連中が、あわてて仲間の救援に駆けつけた。
青木に向けて振り下ろされる棍棒、金属バット、バタフライナイフ。
それらはすべて青木を捕らえた。そして深甚なダメージを与えた──はずだった。
つぎの瞬間、彼はふりかえった。
両手は返り血に塗れて真っ赤だった。その頭部はまだ燃えていた。
青木は叩きつけられた反動を解き放つように、反撃に転じた。
その腕が抉った男の心臓。迸る血潮。燃え盛る火。血、火、そして血。
狂気の沙汰が、はじまったのだ。
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