第6話
青木はいったい、どこへ行ったのだろう。
拓斗は考え込んだが、もちろん答えなど見つかるはずもなかった。
すでに暗くなった市街を、あまりに寒いのでブレザーを着たまま走った。すでに周囲は真っ暗になっていたことだし、高校の制服を観察しているような暇人がいなくても不思議はない。
原付は快調なエンジン音をたてて走った。
これからどうしよう、と考えてみた。
青木は警察が捜索、保護するだろう。ということは、拓斗などが捜索するよりも、よほど効率的だ。
ドライな功利主義者の結論は、速やかだった。
さっさと家に帰ろう。
そう決めた、ちょうどそのとき。
学校の近く、主要県道を通過するその一瞬、その姿を見て、思わずコケそうになった。
高校の斜向かいにあるコンビニの隣三軒目にたたずむ建設途中のマンション。というよりも建設を放棄されたマンションの残骸、ひとけのない造りかけの鉄筋コンクリート建築に滑り込んだふたつの影。
──おいおい、マジか。すぐ見っかりすぎ!
もちろん人間が
拓斗は原付をすこし離れた場所に駐輪し、引き返して跳び島のような基礎工事の集合地へ侵入した。
周辺の土地の買収が終わってもいないのに、買い取った土地から順次基礎工事をはじめた結果、世にも中途半端で奇妙なダリの絵のようにシュールな造形を持った建物が、ここにある。
敬愛する藤原先輩が在校していたころから、この建物は不良生徒にとってなくてはならない一拠点だった、らしい。
高いところで地上2階、低いところは地下に埋め込んだ基礎だけが露出する、およそ百平方メートルくらいの跳び地。
なかでも奥まった場所は周囲を高い塀に囲まれ、表通りに面するルートは使いかけの錆びた資材と造りかけのコンクリート壁で塞がれているので、通りがかりのだれかに見られる心配もない。
この奥にはいろうなどと思うのは、よっぽどの物好きか不良くらいのものだ。
したがって……そう、ここはわれわれの土地だ。
いつものルートをたどって地上二階まで潜入した。
ひとの気配が近づく。
うちっぱなしのコンクリートは野晒しにされて、そろそろ老朽化も進んでいた。その腐食したコンクリートの階段を上りきったところ、唯一残っている嵌め殺しのガラス窓からは街路を急ぐ人の群れが眺められた。
視線を移し、拓斗は見た。
夜の使用権を持つ者たちの、たむろっている影を。
夜間、できればかかわりたくないアウトロー、暴力団予備軍といわれる連中がこの廃ビルの顔役に取って代わる。
より詳細な現状認識を求めて、気配を殺し隣の部屋のようすが見て取れる場所まで匍匐前進、敵軍の陣中をうかがった。
と同時に、思わず舌打ちして最悪の事態を嘆く。
まちがいない。彼らはおそらく「
彼らのような、いわゆるチーマーは、都内や横浜などではほとんど解散状態であるが、まだ仲間同士で集ってバカをやる舞台として、ある程度の組織力は必要とされる。
一方、拓斗のかよう埼東高の不良学生のほとんどは、MakaSに敵対する「
拓斗がそちら側の人間であると見做されてしまった場合、いったいだれに文句を言えばいいだろう?
やはりこの
「イサムぅ、遅かったじゃんよォ」
LSDでラリった男のひとりが、ちょうどはいってきた男に向けて言った。
拓斗の位置からは、まだイサムとかいうやつの姿は見えない。必然的に他の面々に対する観察をつづけるうち、そのなかに間接的な知人の存在を認知する。
広瀬は拓斗の成績低下を稲葉たちのせいにしたが、じつはその真の原因は別のところにある。
いま、指呼の間でエル(LSD)を嗜んでいるジャンキーから買ったハッパ(マリファナ)こそ、それに溺れた中学生の成績を著しく低下させた最大の要因であったのだ。
ただ、拓斗が直接購入していたわけではなく、塾で同じクラスだった女を介していたので、あくまで一方的な知己でしかないが……という経歴を話して友好的に接すれば、あるいは穏便に交渉できないだろうか。
そんな希望的観測は、仲介していた女がすでに彼らと決裂していることを思い出して挫けた。
その女、工藤という名の不良少女は、一時ひどいありさまになっていたではないか。あんなザマにされたら、たまったものではない。
電気のない建物を照らすべく持ち込まれた数本の蝋燭に照らし出されて、顔色のわるいイサムと呼ばれた男が答えた。
「そこで妙なモン、拾っちゃってよォ」
拾われた者、その名を拓斗は知っている。
「なんだよ、ソイツぅ」
異口同音、迎える四人のバッドボーイズ。
「表でフラフラ歩いてやがったんだけど、オレにぶつかっても挨拶ひとつしねえのよ。礼儀作法ってもんを教えてやんなきゃなんねえかなと思って、こうして連れてきてやったわけよォ」
彼は「ヒャヒャヒャ」と笑って、車座を組む仲間たちの真ん中に「獲物」を突き飛ばした。
「何者だァ?」
下品な金のネックレスを下げ、ズボンのチャックを開けたままガラもののパンツを惜しげもなくさらしてうんこ座りをしている、気怠そうな男たちのひとりが発した問いに、拓斗は答えることができる。
ぜったいに着たくない
「変な服着てやがるなァ。病院からさらってきたのかよ、オイ?」
南京錠をピアスがわりにぶら下げ、ロン毛をサングラスでうしろにまとめた、これも例外なくラリッた男が、闖入者である青木を指して呂律のまわらぬ巻き舌で言った。
再びイサムに突き飛ばされた青木はフラフラと足を進め、その場に座り込んでしまった。
彼は五人に増えたチンピラに包囲され、呆然として自分の状況さえ理解していないようだ。
「わけわかってねんじゃねえの。ちょうどいいだろ、タツヤ。楽しもうぜ、オレたちでよォ」
「そいつはいいや。ちょうど玩具が欲しかったところだ。このまえのやつみてえによお、楽しもうぜ、楽しもうぜ、楽しもうぜェ。ひへへ」
逆さ十字のはいった黄色いバンダナを巻いた上から、ジャマイカ人のようなドレッド・ヘアを垂らしたその男は、ベロリと舌なめずりをして、いまにも青木に襲いかかろうとしていた。
「好きだな、オマエラ。まあオレたちのケツに関係なきゃ、だれのカマ掘ろうが関係ネエけンどよォ」
腰にチェーンをぶら下げ、だぶだぶのズボンに編み上げの靴、頭には毛糸の帽子をかぶったコテコテのチーマー男が、だるそうに煙を吐きだしながら宣った。
──やばい。対処しないと。
窮地において、拓斗は考えた。
こんなとき、藤原先輩ならどうするだろう。
決まっている、あのひとなら即──強行脱出だ。やはりいまは、それしかない。
相手は基本的に、冷静に話しても日本語が通じない。とくに、いまは麻薬を吸って怖いものがなくなっている。
だったら選びうるのは、三十六計の最上だ。
「せめて走ってくれよ、マーさん」
待って状況が好転する確証はないが、悪化する確信はある。
だったら行くしかないのだ。
頬をパンと軽く叩き、跳ねるように隣室へ飛び出した。
またぞろ悪夢が、はじまった。
のちに思い出し、考える。
なんで警察を呼んで待機しなかったんだろう。
いろんな答え方はあるが、警察に対する「不信感」と「チクり屋」という汚名だけはどうしても避けたかった、という心理的傾向が、拓斗のような半分不良には避けがたくある。
青木をそそのかしてここまで連れてきた真犯人と思われたくない、という保身のようないやらしさではないか?
ふざけんな、だったら自分から危険に身をさらして親友を助けに行くか?
ひっさらうようにして青木の手をとった。
意識朦朧としていた青木だったが、彼には拓斗が理解できたようだった。彼は急速に正気をとりもどし、この奇跡的な再会と展開に驚愕し、またあきらかに歓喜して、表情を複雑に入り組ませた。
もちろん同時に、五人のチーマーは臨戦態勢を整えはじめていた。
このときに幸運だったのは、彼らが
青木が立ち上がったころには、まだ彼らの動きは緩慢で、青木さえ状況に即応してくれれば脱出できる余地は、すくなからずあった。
「拓斗、どうしてここに?」
「いいからこい、逃げるんだ!」
「待てコラ逃がすか、この野郎」
青木が混乱から脱却するより、イサムの動きのほうが速かった。
まだドラッグの深みに沈潜してはいなかったのだ、彼だけは。
イサムはナイフを抜いて、ベロリと口のまわりを舐めた。彼に最短の退路を塞がれた拓斗と青木は、こうなったらめくら滅法、進める道を選んで突き進むしかなかった。
出口への最短距離に背を向け、ベランダへ向かって走る。
地上2階、この青木を連れて、まさか飛び下りるわけにはいかない。
ついさっき彼が病院の2階から飛び下りた、という事実はあるが、だからといって、いま再びそれを要請できる理由にはならないのだ。
拓斗はぐるりと首をめぐらせ非常階段を探した。
──暗くてわからない。
背後にはチンピラどもが迫りくる。
拓斗たちはベランダから隣の部屋に移り、ほとんど暗闇に閉ざされた建物の、建設途中の閑散とした通路をこけつまろびつ駆け抜けた。
真っ暗闇でどこがどうなっているのかまったくわからなかったし、どこをどう走っているのかもわからなかった。
ただ感覚的に出口に近いと思われる方向を選んで進んではいたが、最善の進路と思われる方向から「そっちだ」「野郎」「捕まえろ」という声がのべつ響いていたので、そのたびにあまり最善ではない道を選んで進まざるを得なかった。
青木は苦しそうだった、かもしれない。
暗くてはっきりとは見えなかった。ただあまり健康な状態ではないことだけは、考えるまでもなかった。
頭にグルグルと厳重に巻かれた包帯と固定用のネットが痛々しい。
救急車に乗せられてからの青木が具体的にどのような状態だったのか拓斗は知らないが、看護師などから聞かされるかぎりにおいて、彼は頭部にきわめて重大なダメージを負っているはずだ。
ふと引っ張っていた青木の手が急に重くなったので、拓斗は歩調を緩めなければならなかった。
非常灯の弱々しい光の下で、青木の表情は苦悶に歪んでいた。
「だいじょうぶか、マーさん。しっかりしろ」
「ハァ、ハァ、もうだめだよ、拓斗。オレのことはもう、いいから、ひとりで逃げてくれ」
三文芝居じゃないが、そうすることが最善である場合もあるのだ、と考えはじめてしまっている拓斗は、重ねて不良少年だ。
「でも、マーさん……」
現実問題というきわめてシビアなジャンルでは、三門芝居の理屈はおしなべて通用しない。
──拓斗たちは、すでに行き止まりの袋小路に追い詰められていた。
この危険な追い駆けっこは、はたしてあわてた拓斗たちが、みずから袋の鼠となるまでの短い時間で、すでに決着していたのだった。
退路を捜し、それがチンピラの声のする一方向だけにしか見つからないことに気づいた拓斗は、
「行き止まりか。くそっ」
罪のない壁を思いきり蹴っ飛ばして吐き捨てた。
背後には五人のジャンキー。すでに完全にこちらを捕捉している。
遊びは終わり……いや、地獄の遊びのはじまりだ。
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