(6)

 翌朝、私は目を覚ますとリビングへ向かった。

 もう何十回と見た、立ったままお弁当の残りをつまむお母さんの姿がそこにはある。

「お母さん、おはよう」

「おはよう。早いのね」

「ね、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな」

「恋愛相談!? いいわよ、もちろん!」

 お母さんは目をキラキラさせる。

 どうして、恋愛に結びつけるんだろう。

「恋愛じゃなくって……」

「なーんだぁ」

 そこまで露骨に残念がらなくてもいいと思うんだけど。

「友だちのこと」

「ケンカしたの?」

「……そうじゃないの。その子、明日が来ることを嫌がってて……。明日が来て欲しくないってなってすごく不安がってるの。どうしたらその気持ちを変えてあげられるのかなって……」

「明日、そんなに嫌なことがあるの?」

「具体的には教えてくれないんだけど、ため息をつくくらいには……」

「子どもの世界も大変なのねえ」

「お母さんなら、明日嫌なことがあるって時にどうするの? ずっと今日が続いて欲しいってつい思っちゃう時に……」

「そうね。お母さんなら現実を見る、かな」

「現実を見る?」

「明日、嫌なことがあったとしたら、どうしたらその嫌さを減らせるかを徹底的に考えるの。テストがあるとしたら頭がくらくらするまで勉強するし、嫌な人と会わなきゃいけないとしたら会話のイメトレをしまくるのっ」

「そっか……」

 現実を見る。私はその言葉を頭の中で何度も繰り返す。

 お母さんのお陰で、五十嵐さんにどうするべきか見えてきたはず。

「参考になった?」

「うん、ありがとう。さすがは年の功」

「ちょっとちょっと~。私はまだまだ若いだからね~っ」

「そうだった」

「なにが、そうだった、なのよ~~っ!」

「ちょ、ちょっと!? お母さん!? くすぐらないでよ……! あははは……!」

「お母さんはまだ若いわよねっ」

「ははは! わ、若い! まだ若い、です……! だから、くすぐらないでぇ! 許してぇ……!!」

 私はお母さんにくすぐられ、転げ回った。


 自転車を走らせ、待ち合わせ場所の分かれ道へ急ぐ。

 すでに武田君は待ってくれていた。

「栞、おはよ」

「おはよ、武田君」

「何があったか? 機嫌がよさそうだけど」

「あ、分かる?」

「ああ。いいことでもあったのか?」

「実はね、どうするべきかってことが分かった気がしたの」

 私は武田君に、お母さんとの会話を説明する。

「――って、お母さんが言ってて」

「おばさん、いいこと言うな」

「うん。それで、考えたんだけど……」

 それから私は、五十嵐さんに関して提案をする。でも武田君は「うーん」とちょっと考える素振りをする。

「……駄目、かな?」

「そうじゃないんだ。あの頑な五十嵐さんの考えを変えさせられるのかなって思っただけだ。でもやってみなきゃ始まらないもんな。分かった。放課後、決行しよう」

「ありがとう」

 同意してもらえて、安心する。

 ということで、学校に到着した私は早速、行動を開始する。

 と言っても特別なことをする訳じゃない。やることは前にもやったことの繰り返し。

 近藤さんに手紙が盗まれたこと、そして綿引君に改めて放課後会いたいと直接、伝えたほうがいいと伝えるだけ。

 あとは出来る限り、五十嵐さんと話すこと。

 一番のチャンスは体育の授業の際の2人1組になる時間。

「それじゃあ、全員2人1組になって」

 体育の先生の言葉を受け、私は怯みそうになる気持ちをこらえながら、五十嵐さんのもとへ向かう。

「? 沢海さん?」

「五十嵐さん……私と組んでくれない、かな……」

「え? あたし?」

「どうかな?」

「別にいいけど」

「本当? ありがとう!」

 五十嵐さんはかなり戸惑っていたけど、了解してくれる。

 他のクラスメートが珍しそうに私たち……というか、私のことを見ていた。

 自分から声をかけるだけでも心臓が今にも口から飛び出しちゃいそうなくらいドキドキした。

「じゃあ、パス練しよ」

 五十嵐さんは運動が苦手な私に合わせ、弱めのパスをくれる。

「そうそう、うまいうまい」

 五十嵐さんは私のへなちょこパスを相手にしても、そう声をかけてくれた。

 昨日の五十嵐さんの素っ気なさはやっぱり、それだけ動揺したからなのだろう。

「五十嵐さん、男子よりもずっとサッカー上手だよね」

「まーね。サッカーは力じゃなくってテクニックのスポーツだから。でも……」

「でも?」

「俊一郎は別かな」

「俊一郎……あ、綿引君? 綿引君のことを名前で呼ぶなんて、めずらしいね。女子だと、綿引君って呼ぶことが多いのに」

「とーぜん。あたし、俊一郎とは小学校の時から、サッカークラブで一緒だったし。俊一郎は他の奴と違ってテクがすごいんだからっ」

 五十嵐さんはまるで自分のことのように誇らしげに言った。

「2人は試合したことあるの?」

「練習試合はね。うまい奴って自分だけでゴール目指すタイプが多いんだけど、俊一郎はチームスポーツだってことをしっかり意識してて、パス回しがすごくうまいの。あの視野の広さ、すごいと思う」

「五十嵐さんはどっちタイプだったの? パスを回すのか、ゴールを目指すタイプなのか……」

「あたしはゴールを目指すタイプ。だってそっちのほうが気持ちいいし。でも俊一郎にそれじゃ駄目だって教わったんだ」

「いいコンビなんだ」

「うん。あたしはそう思ってる」

 五十嵐さんは綿引君が単に好きなだけじゃなくって、大切に想っているんだ。

 綿引君のことが好きだから大切に想うのは当たり前なのかもしれないけど、五十嵐さんは相手の意思を尊重できる人だと思えた。

 ヤサ死因だからきっと、分かってくれるはず。

 パス練習をしながら、五十嵐さんはしきりに男子のほうを気にしている。

 もちろん、視線の先にいるのは綿引君だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る