(6)

 翌朝、私がいつも通り目覚めて、お母さんと会話をしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「こんな朝早く誰かしら」

 お母さんがインターホンに出ようとするので、

「ま、待って。私が出るからっ」

 驚くお母さんを尻目に、インターホンに出る。

 画面を表示させれば、武田君の姿がディスプレイに表示された。

 ――沢海栞さん、いらっしゃいますか? 俺、栞さんの同級生の……。

「武田君。私、栞」

 ――行けるか?

「う、うん。すぐに下りるから……」

「ちょっと待った!」

 お母さんが割り込んでくる。

「お母さん!?」

 お母さんが私を押しのけると、

「私、栞の母の沙苗って言いまーすっ。あなた、武田君って言うの? 栞の同級生なんですって? わざわざ迎えに来てくれたの!?」

 画面の中の武田君は少し緊張しているように、いつもより表情が硬い。

「そ、そうです。今日はちょっと……委員会の仕事があって、栞……沢海さんに手伝ってもらう約束をしてて……。すみません。こんな朝早くお邪魔してしまって」

「いいの。あ、良かったらちょっと上がらない?」

「お母さん、やめてったら! お母さんはさっさと支度して、仕事に行って。今日は寝坊してるんでしょ。商談に遅れても知らないからっ!」

 穴があったら入りたい……。

 茹だったみたいに顔が熱い。

「武田君、とにかく今行くから外で待ってて」

 ――了解。

「じゃ、行ってきますっ」

「明日は会わせてね~」

 お母さんてば、のんきなんだからっ。

 エントランスまで下りると、武田君がいた。

「おはよう、栞」

「……武田君、びっくりしたでしょ。お母さんが、ごめんね……」

「賑やかなお母さんだ」

「……言わないで」

「あはは!」

「わ、笑わないでよ……」

「そんなに困ることか。いいお母さんだと思うけど?」

「お母さんのことは、もういいから……。それより、これからのことを話そう。近藤さんと綿引君のこと」

 私は、武田君と並んで自転車を走らせる。

「俺が綿引を説得するから、栞は近藤さんのほうを頼む。失恋の傷をできるかぎり浅くするように……」

「でもどうしたらいいの? 告白を断られたら、どんな風に慰めても絶対に傷ついちゃうと思うんだけど……」

「近藤さんから、相談を持ちかけられるようにすればいいと思う」

「恋の相談なんて無理だよ……そんなの……ぜ、絶対に無理……」

「俺たちが付き合ってるってことにすればいいんだ」

「! む、無理!」

「ひどいな。そこまで否定されると、さすがに傷つく……」

「武田君がどうこうって意味じゃなくって!」

 武田君のしゅんとした表情がすぐに明るくなる。

「冗談冗談。あくまでフリだ。栞に彼氏がいるって分かったら、絶対に相談をしてくるから。そこで相談にのれれば、明日がくることを拒否するほどの失恋じゃなくなるかも」

 そこで私がいつか見た、近藤さんの泣きはらした顔を思い出した。あれは失恋のせいだったんだ。

 あんな辛そうな近藤さんの顔は見たくない。

「……分かった」

 自転車を駐輪場に駐めると、玄関に向かう。

「待った」

「え?」

 次の瞬間、武田君が私の左手を握ってくる。

「な、なに……?」

 思わずびくっとしながらそう叫んでしまう。

「俺たちは付き合ってる。その設定、忘れた?」

「わ、忘れて……ない。でも、手までつなぐ必要ないと、思う……」

「付き合ってるんだから、手くらい繋ぐさ。ほら、行こう」

 あくまでフリなんだから武田君みたいに顔色を変えないのが正解なんだろうけど、思いっきり動揺して、心臓が今にも爆発しちゃいそうなくらい高鳴っていた。

 武田君の手、おっきい……。

 すらりとして細身な武田君だけど、手はごつごつしてて男の人の手だ。

 武田君と一緒に、1年生の下駄箱に向かう。

 と、今日もいつも通り、近藤さんがいた。

 落ち着かないみたいに、うろうろと歩き回っていた。

 近藤さんと目があう。近藤さんの目が、驚きに見開かれる。

「……お、おはよう、沢海さん」

「おは、おはよ……近藤さん……っ」

 恥ずかしいくらい、声が上擦ってしまう。

 それでも俯かなかったのは、私なりのちょっとした成長、なんだと思う。

 近藤さんの目が、私たちの繋いだ手、それから武田君に向かう。

 武田君は爽やかな笑顔で頭を下げる。

「はじめまして。俺、今日からこの学校に転校してきた武田って言います」

「あ、はじめまして……」

「何となく察してると思うけど、俺たち付き合ってるんだ」

「えっ」

「子どもの頃からの幼馴染で。再会したのをきっかけに俺から告白したんだ」

 相変わらず、武田君は口から出任せをさらりと言ってしまうから、すごい。

「そうなんだ。知らなかった」

 私もです――。そんな言葉がのどまで出かかった。

「栞、俺は先生に会ってくるから、また後で」

「あ……うん……」

 武田君が手を振りながら職員室のほうへ消えていく。

 うう。この状況で近藤さんと2人きりなんて気まずい……。

「それじゃ近藤さん、また教室で……」

「待って、沢海さん。今、時間ある? 相談したいことがあって……」

「……私で、良かったら」

「ありがとう」

 近藤さんは下駄箱のほうをチラチラ見ながら私の手を引いて、こそこそと物陰に移動する。

「今からする話、誰にも言わないで欲しいんだけど」

「わ、分かった」

 近藤さんはほんのりと頬を赤らめた。

 そんな近藤さんを見ているだけで、私のほうもドキドキしてしまう。

「好きな人がいるの」

「誰っ?」

「…わ、綿引君なんだけど」

「そ、そうなんだ」

「秘密だよ?」

「うん。私のことも秘密にしてね」

「分かってるわ」

 昨日の美和さんたちの話が頭を過ぎる。知らないのは本人たちばかり。

 そう考えると、目の前で照れている近藤さんがすごく微笑ましかった。

「私、今日、綿引君に告白するつもりで昨日の放課後、彼の下駄箱に手紙を入れたの。スマホのメッセージだとなんだか味気ないと思って……。それで相談なんだけど……」

「――告白してオッケーをもらえるかどうか、不安なんだね」

「そ、そう。ね、沢海さんはどうして久しぶりに会った武田君の告白を受けたの? 久しぶりに会ったんでしょ。なにか決め手みたいなことはあった?」

 何と答えればいいんだろう。

 近藤さんは告白を断られてしまう。

 下手に希望を持たせてしまうと、その分ショックが大きくなってしまうだろうし。

「そうだね。久しぶりに再会して、嬉しかったし」

 私は言葉を選びながら言う。

「だよね。気持ち、なんとなくだけど分かるよ」

「決め手は、まっすぐ気持ちを伝えてくれたこと、かな。――綿引君のどういうところが好きなの?」

「……爽やかなところ。さばさばして、細かいところにこだわらないところとか、話をしてもすごく面白いし。もちろん、サッカーが上手なところ、とかも……」

 綿引君のことを語る近藤さんは、とても幸せそう。

 そんな近藤さんに何て声をかけたらいいんだろう。

 告白を断られる可能性の話なんてできないよ……。

「近藤さんが好きな気持ちをまっすぐぶつけたらきっと……うまくいくよ」

「そ、そう思う? 本当? 綿引君が受け入れてくれるってずっと不安で、最近もよく眠れなくって……」

「うん。学級委員でも息ぴったりだし」

「でもそれはあくまで、友だちとしてはだから……」

「応援してるから。自信もって……っ」

「ありがとう。――また、こうして話を聞いてもらってもいいかな?」

「もちろん。それじゃ、私、行くね」

「また教室で」

 言っちゃった。

 近藤さんと離れてしばらくして、私は後悔してしまう。

 私は結果を知っている。近藤さんの想いは実らない――。

 なのに私は近藤さんを期待させることを口にしてしまった。

 なんて残酷なことをしちゃったんだろう……。

 私は近藤さんと別れると、武田君を探す。

 でも武田君は、職員室にはいなかった。

 スマホを操作して、メッセージを送る。

 ――今どこにいるの?

 すぐに返信があった。

 ――運動場。サッカー部の練習を見てる。

 玄関から外に出ると近藤さんと鉢合わせてしまうから、汚れちゃうけど上履きのまま運動場に出て行く。

 運動場では、男子サッカー部と女子サッカー部が練習をしていた。

 遠目から見ても、綿引君の動きの良さは際立っている。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「……応援してるって言っちゃった」

「気持ちは分かるけど……」

「実はね、私、フラれた後の近藤さんを見たことがあるの」

「いつ?」

「武田君が初めて転校してきた日に、屋上で私に色々と聞こうとしてたことがあったよね。私、怖くなって話の途中で逃げちゃった時。覚えてる?」

「その時に?」

「そう。すごく泣いてて、辛そうで……」

 武田君は「そういうことなら、しょうがないな」と頷いてくれた。

「ごめんなさい」

「謝ることじゃない。そんな姿を見てたのなら、しょうがない。……栞が必要になるのは、フられた後だ。そこでしっかり寄り添えることができれば、きっとうまくいくはず」

「私、どこまで力になれるのかな。失恋した人を慰めるなんて今までしたことない……」

「ただそばにいるだけでも、その人の力になれることはあるから」

「……力になれたらいいな」

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