(3)

 自転車を走らせると、昨日別れた地点にはすでに、武田君はいた。

「おはよう、栞」

「武田君、おはよう。そ、それで……」

「ああ、今日も同じ日を繰り返してる……っていうことは、願望世界の原因は工藤さんと清水さんじゃない。別の人が原因なんだ」

「別の……」

「誰か心当たりはあるか?」

「わ、分からない……。私……他の人と親しくないから」

「それなら簡単だな。栞が、クラスメートたちと仲良くなればいいんだ。仲良くなれれば、相手のことをもっと理解できるだろ?」

「わ、私が? そ、そんなの……無理、だよ。仲良くなんて……絶対、無理……」

 だって入学してから今まで挨拶が関の山だったわけだし。

「心配はいらない。時間ならたくさんあるんだから。ゆっくりやっていけばいい。5月12日が何度も繰り返して、そのたびに、他の人たちの記憶はリセットされるんだから、仮に変なことをしてもみんなの記憶には残らない。会話の練習だったらもってこいだと思う。俺も協力するから」

「……でも」

「それもやめよう」

「え?」

「でも、は、なしだ。そこから少しずつ直していかないか? 5月12日が繰り返すのを止めるためにも。もちろん無理強いはできないけど、沢海さんならできると俺は思う」

「どうして、そう思えるの? 武田君、私のことは何も知らないでしょ? 私はぜんぜんできないと思う……」

「清水さんと工藤さんを仲直りさせられただろ」

「あれはでも……」

「2人がケンカする運命を変えられた。それが重要なんだ。最初は無理でも、いずれ出来ればいいんだ。今日ケンカをしても、別の日に仲直りすればいい。人とのコミュニケーションはその繰り返しだから。コミュニケーションの基本は優しさ、だから。その優しさを、栞はもってる。だから、俺は大丈夫だって言えるんだ。――とにかく今日1日考えてみてくれ。返事は放課後……いや、明日でも明後日でもいいから。『今日』はどこにも逃げない」

 気付くともう、学校だった。

「それじゃ俺は職員室に行くから。少しの間、お別れだ」

「職員室? どうして?」

「俺は転校生だから、ちゃんと先生に会わないとな」

「あ、そっか」

「また後で」

 みんなと話せるようになるのかな。でも武田君の言う通り、話さないことには相手のことが分からない。相手のことが分からないと、相手の悩みも分からない。なにも分からなかったら、5月12日は終わらない――。

 私はもやもやしたものを感じながら、武田君の背中を見送った。


 武田君は親しそうに他のクラスメートたちと話をしていた。

 私なんかよりずっとクラスに馴染んでて、羨ましい……。

 休み時間、なんとなく教室にいるのが気まずくって廊下に出た。

 廊下には他のクラスの人たちが話をしている。

「ね、明日、学校帰りに買い物に付き合ってよ」

「何買うの?」

「CD」

「CD? 配信でよくない? サブスクとか」

「店舗特典が欲しいから。ね、半年も前から待ってて、いよいよ明日発売なのっ! 付き合って。おねがーいっ!」

「分かった分かった。そこまで拝まなくてもいいから」

「ありがと! 明日、約束だからねっ!」

 どこからともなく、そんなやりとりが聞こえてくる。

 他にも、

「次の休み、お母さんとライブ見に行くんだぁ。ファンクラブでチケット当選してさー」

 とか、

「来月、よーやく新作ゲームが出るんだよ。早く来月にならないかなぁ」

 そんなやりとりが聞こえてくる。

「…………っ」

 私が問題を解決しないと、明日は決してこない。

 周りの人たちは、私のように今日が繰り返していることを自覚こそしてないけど、同じ日を繰り返さなければいけない。

 お母さんだって、商談を成功させるために色々と準備しているだろうし、商談が無事に終わったら、プレッシャーから解放されてホッと一息つけるだろう。

 でも今のままでは次の日には何もなかったかのように、また商談に臨まないといけない。

 誰かにとって、明日はとても素敵な日になるかもしれないのに。

 今日、嫌なことがあった人は、嫌なことをずっと繰り返していかなきゃいけない。

 そんな単純なことにもっと早く気付いても良かったはずなのに、自分のことばっかりで今まで考えもしなかった。

 聞き耳を立てれば、他にも明日や来週の約束をしている会話が聞こえた。

 私がいつまでもこの空間を抜け出せないと、他の人たちだって困る。

 これは私にしかできないことなんだ。

 私は駆け足で、自分の教室に戻る。


 放課後になると、私は武田君に「屋上に来て」と言って、一足先に階段を上がって行く。

 重たい扉を押し開けると、涼しい風が顔に吹き付けた。

 しばらく景色を眺めて待っていると、少し遅れて武田君がやってくる。

「栞、決めてくれたのか?」

「……うん、決めた……。私、話してみる。他の人と……。う、うまくできるかは、分からないけど……」

「俺も手伝うから」

「……あ、ありがとう」

 武田君は優しく笑ってくれると、私の口元までゆるんだ。

「それじゃ善は急げだ。会話の練習をしよう」

「なんだか、小学校の頃に戻ったみたい」

「でもそれくらいの気持ちでいいんだ。友だちを作ってみましょう、って。まずは俺で会話の練習をしよう。場所はどうしようか。学校でしてもいいし、俺の家でも……」

「私の家は? お母さん、夜遅くまで帰らないし」

「分かった」

 自分から提案しておきながら、私は今さらながら武田君を――男の子を家に誘うという自分の大胆さに、ドキドキしてしまう。

 でも私のためにしてくれることなんだから、うちでするのは変なことじゃない。

 そう自分に言い訳した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る