18 群青
夜、食事の後で食卓にワインの瓶をどんと置いた。
「飲もうか」
にやっと笑って言ってやると、リカルドは「そうだな」ってうなずいた。
多分おれの意図を察してそのうえで、だろう。
「その酒はどうしたのだ?」
「休み時間中にキーパーさんに連絡して買ってもらっといた」
「つまり、さもおまえが出してきたかのように言うが、うちの酒ということか」
「あ、そうなるな」
肩をすくめるとリカルドも鼻から息を漏らして笑った。
あの昼の一件の後も、リカルドは普通に仕事をしていた。仕事中は完璧に感情を隠していた。
前までなら、なんだ心配いらないな、って思ってたところだ。
けれど、この人の性格をちょっとなりとも知った今じゃ、却って危ういんじゃないかって思う。
「昼間の人は、あんたの婚約者に似てたんだな。彼女があんたのことお父さんって言うから、隠し子かって驚いたぞ」
チーズをつまみにワインをちびりとやって話の口火を切ると、リカルドは力なく笑った。
「隠し子か。あのまま結婚できていれば、あれくらいの子供がいても不思議ではないのだな」
婚約してたのは二十五の時だそうだから、二十歳前ぐらいの子供がいてもいい計算になるな。
それからしばらく、リカルドはぽつりぽつりと、ディアナとの思い出を話してくれた。
幸せな思い出話をするリカルドは、間違いなく、本心からの笑みを浮かべている。
やっぱり、この人の心からの笑顔は、過去の一部分にしかないんだな。
「ディアナのこと、本当に好きだったんだな。政略結婚だったのに」
「……あぁ。私がもう少し早く家に戻れていたらと、何度思ったことか」
酒が進んで、リカルドは普段口にしないような弱音も混ぜてくる。
ディアナが敵対組織の暗殺者に狙われていると気づいて、リカルドが家に戻った時にはもう襲撃された後で、彼女は虫の息だったそうだ。
彼女はリカルドの腕の中で息を引き取った。
「自ら命を絶とうとしないで。わたしのこと、忘れて、幸せに」
それが彼女の今際の言葉だったそうだ。
ディアナもリカルドのことを思ってくれていたみたいだし、好きな男に最期をみとられてディアナは少しだけ救われたのかな。
けど、リカルドは。
「暗殺者に復讐したって噂があるけど、本当なのか?」
「あぁ。彼らが私を誘い出しているのは判っていたが、それでも、許せなかったのだ」
月明かりがほのかに照らす群青色の空の下で、リカルドは複数の暗殺者と対峙した。
闘気を抑え込む薬を塗った弾丸で傷つけられ、かなり不利な状況だったが、リカルドは五人の男を葬った。
「死んでもいいと思っていた。彼女がいない世界で生きる意味がない、と。しかしあの男達は殺そうと思った」
死んでもいい。生きる意味がない。
その気持ちはきっと今も変わってないんだろうな。
おれが、親父をハメた連中を撃った時の状況と感情を今でもはっきりと覚えてるみたいに、この人の記憶の中で、群青色の夜空の下で死闘を繰り広げた時のことは鮮明に残ったままなんだろう。今までも、これからも。
ただ、ディアナが最期に残した「自ら命を絶とうとしないで」って願いがリカルドに自殺という選択肢を与えないだけだ。
幸せにはなれない。ならばせめて、生きることだけが、彼女に報いる唯一の方法だとリカルドは思ってるっぽい。
……くそ重い一言だな。
「暗殺者達を殺した直後、私も意識を失った。ぼんやりとした意識で、これで死ねるのではないかと思ったが、私の行動を察した父が捜しに来て、生きながらえてしまった」
リカルドがため息をつく。
胸が苦しくなる。
この人の抱えるものはなんて暗いんだ。
「おれがこんなこと言っても、あんたは喜ばないだろうけど」
グラスを傾けて中身をあおって、おれは本音を口にした。
「あんたが生きててくれてよかったよ。おれに居場所をくれたあんたの助けに、少しでもなれたらと思う」
リカルドは「そうか」とだけ言って、静かに酒を飲み続けた。
相変わらず、心が読めない。
せめて少しだけでも心が軽くなってくれたら、いいのに。
次の日、何事もなかったかのようにリカルドはバリバリ働いて、当然のように残業に付き合わされる。
日本のビジネスマン顔負けのワーカホリックっぷりだ。
昨夜見た憂いに満ちた顔は幻か?
「しっかり書類を仕上げてください。私の助けになってくださるのでしょう?」
にやりと笑われて、苦笑を返すしかなかった。
けど、まぁ、これでいいのかも、な。
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