4124話
「君がレイか。……ありがとうと言ってもいいのかどうか微妙なところではあるが、それでも君のお陰で私達に被害が出なかった。私はアイネンの泉を率いるグレイスだ」
そう言い、右手を出すグレイス。
肩までのショートカットの女は、こちらもまたオリーブとは違った方向での美形と言えるだろう。
男に人気があるタイプの美人であるオリーブと比べ、グレイスは女に……それも年下の女に人気があるタイプの美形だった。
「もう知ってるようだけど、一応……レイだ。そっちが無事で何よりだよ。アイネンの泉が十九階にいるのは予想外……とは言わないけど」
そう言うレイの視線が向けられたのは、オリーブだ。
昨日、ギルドの訓練場に出した蜃の貝殻を見に来たオリーブに、蜃の貝殻から出てきたボウリングの球と同じ大きさの真珠を見せている。
それを見たオリーブが、真珠に強い興味を持っていたのをレイは見ていた。
だからこそ、そのオリーブが所属するアイネンの泉が十九階にいるのはレイにとって不思議ではない。
実際、二十階に続く階段の側には幾つもの足跡があったのをレイは確認しているのだから。
「そうだろうね」
レイの言葉に異論は口にせず、グレイスもレイの視線を追うようにオリーブに視線を向ける。
そんな二人の……いや、アイネンの泉に所属する他の女達の視線が向けられたオリーブは、どう反応すればいいのか少し迷った様子を見せ……
「何よ、今回の件は私だけで決めた訳じゃないでしょ? グレイスだって、私がレイから見せて貰った真珠の話をしたら、乗り気だったじゃない」
「う……それは否定出来ないが……けど、それでも十九階で蜃を探すのを強く主張したのはオリーブだろう?」
グレイスの言葉にオリーブは反論出来ない。
実際、アイネンの泉のこれからの目的の時に真っ先に十九階の探索をしたいと言ったのがオリーブなのは間違いないのだから。
「いや。別に俺はオリーブ達が十九階にいるのを責めてる訳じゃないぞ。そもそも冒険者がどの階層を探索するのかなんてのは、他の者がどうこう言うことじゃないし。……だからといって他の誰かが所有権を持っている土地を勝手に探索するのは止めた方がいいけど」
「ちょっと、レイ? それはもしかして私達がそういうことをしそうに見えるから言ったとか、そういうことじゃないわよね?」
もしそうだったら、許さない。
そう態度で示すオリーブに、レイはそっと視線を逸らす。
レイの行動こそが、オリーブならもしかしたらそういうことをするかもしれないと、そう示していた。
「レイもオリーブもその辺にしておいてくれ。それより、まずは倒したモンスターの解体をしなければ、すぐに他のモンスターがやって来るかもしれない」
「……まぁ、そうだけど」
グレイスの言葉は決して大袈裟なものではない。
事実、アイネンの泉が倒した牛のモンスターの血の臭いは周囲に漂っているのだから。
……もっとも、牛のモンスターよりもセトが頭部を爆散した砂蛇の血の方が、より周囲に濃厚な血の臭いを漂わせていたのだが。
ともあれ、このままにしておくと新たなモンスターが襲ってくる可能性は充分にあった。
そうである以上、レイとしてもグレイスの言葉にすぐに頷く。
「じゃあ、俺達は自分の獲物を解体するから。……あ、そうだ。もし俺が欲しい部位をくれるのなら、そっちのモンスターの解体もしてもいいけど、どうする?」
「え? ……ああ、そう言えばレイは解体用のマジックアイテムを持っているという話だったね。それを使うのかい?」
「そうなる。一瞬で解体は終わるし、こう言っては何だが素材の類も綺麗に解体される。魔力の消費が多いのが難点だが、俺はその辺はそこまで問題にしないし。……で、どうする?」
「レイが欲している部位次第だね。魔石を集める趣味があると聞いてるが、このモンスターの魔石は譲れないよ」
グレイスはレイを牽制するように言ってくる。
オリーブから聞いたのか、それともレイの情報を集めていて知ったのか。
ともあれ、レイが魔石を集める趣味を持っているというのは、グレイスもしっかりと知っていたらしい。
もっとも、レイも別に自分が魔石を集める趣味があるというのを隠している訳ではない。
魔獣術に魔石を使うのに必要なカモフラージュとしてそういうことにしてある以上、寧ろ魔石を集める趣味があるという情報は広がってくれればそれだけ嬉しかったのだから。
そしてアイネンの泉が倒した牛のモンスターの魔石は、既にレイもセトも魔獣術に使っている。
そもそも、それ以前の話で魔獣術に使う魔石は、その魔石を持っているモンスターを倒す時にレイとセトが戦いに関与している必要がある。
それこそ小石を投擲して命中させる程度の関与でもいいのだが、それはつまりその程度の関与もしていないのなら、魔石を魔獣術に使えないということを意味していた。
アイネンの泉が牛のモンスターと戦っている時、レイとセトは砂蛇と戦っていた。
つまり、もし牛のモンスターの魔石を魔獣術に使っていなくても、その時点で駄目だった訳だが。
「安心してくれ。この牛のモンスターとは以前戦って、魔石はもう手に入れている」
そうレイが言うと、グレイスは安堵した様子を見せる。
色々と例外もあるが、基本的にモンスターの素材で一番高額で売れるのは魔石だ。
その魔石をレイに取られないと断言されたので、グレイスも安堵したのだろう。
「では、レイは一体どの部位が欲しいのだ?」
「素材じゃなくて、純粋に食べるように舌だよ」
「下? 足の肉か?」
「舌。ベロ。味覚を感じる部分。ここだよ」
自分の言葉を理解出来ていなかったグレイスに、レイはそう言いながら舌を出す。
「……え? 舌? そこを……食べるのかい?」
何で驚く?
グレイスの様子にそう思ったが、驚いているのはグレイスだけではなく、オリーブや他のメンバーも同様に驚きで顔を歪めている。
そんなグレイス達の様子を見たレイは、ふと日本にいた時にTVで見た内容を思い出す。
今でこそ牛タンというのは多くの者に好まれ、高級食材と言ってもいい部位ではあるが、第二次世界大戦が終わった後に食べられるようになるまでは、捨てるかもしくは家畜の餌として使うか、場合によっては肥料になっていたりもしたらしい。
牛タンを好むレイにしてみれば、一体何だそれはと思うが、食べ物が時代と共に変わっていくというのはそう珍しいことではない。
例えば今でこそ黒いダイヤと呼ばれているクロマグロだが、江戸時代には漁師に捨てられていたのだから。
そう考えれば、牛タンがこの世界では一般的な食材ではないというのも、理解出来た。
(あれ? でも、ジャニスやフランシスは普通に美味い美味いって食べていたよな? ……その辺は人によるのかもしれないな)
食の好みというのは、人によって大きく変わる。
育ってきた環境もそうだろう。
例えばレイの父親は闘鶏用の鶏や食用に鶏を飼っており、解体した肉の中でもささみを刺身として食べていた。
一般的には鳥肉の生食は食中毒になる可能性が非常に高いと言われているのだが、レイの場合は小さい頃から普通に鳥肉の生食をしていた。……それで食中毒になったことがないというのも、影響してるのかもしれないが。
他にも日本ではイナゴや蜂の子を普通に食べる地域もあるが、レイにとってそれは受け入れられないものだった。
そのように、食というのは育ってきた環境に大きく左右される。
そんなレイにしてみれば、牛タンというのは小さい頃から普通にあった食材だ。
……もっとも、レイが知っている牛タンはあくまでもスーパーで売っていたり焼き肉屋で出てくるようなきちんと下処理がされて、後は焼いて食べるだけという奴だったが。
TVではスライスされた牛タンではなく、一本そのままの牛タンを売ってるというスーパーが紹介されたりしたこともあったが、レイの生活範囲の中にそのような店はなかった。
あるいは、スーパーではなく本職の肉屋にでも行けば、もしかしたらそのような牛タンを売って貰えたかもしれなかったが、生憎とレイにそのような経験はない。
「レイ、その……どうしたんだい? やっぱり舌を食べるというのは……?」
「ん? ああ、いや。悪い。まさかそのことでそこまで驚かれるとは思っていなかったから。ああ、舌……俺は牛タンと呼んでるけど、普通に食べるぞ」
「……何故、よりにもよって舌を? もっと他に美味しい部位はあるだろう?」
グレイスにしてみれば、自分達が倒した牛のモンスターの肉に限らず、舌を食べるよりはもっと他の美味い部位を食べればいいだろうと、そう思ったらしい。
(食わず嫌いって奴だな。……だからといって、わざわざ牛タンの美味さを教えるのは……この様子を見た感じだと、とてもじゃないけど牛タンを食べさせても喜んで貰えるとは思えないし、食べさせて嫌われるのはごめんだし、やめておくか)
牛タンの美味さを知っているレイにしてみれば、それこそ一度実際に食べさせれば、それだけでグレイスやオリーブ、それに他のアイネンの泉のメンバー達も牛タンの美味さに目覚めるのではないかと思ったのだが、まさか無理矢理食べさせる訳にもいかないだろうと諦める。
ただ、グレイスが……いや、他の面々もここまで牛タンに嫌悪感を示すというのは、レイにとって悪い話ではない。
何故なら、レイは牛タンを欲しているのに対して、アイネンの泉は牛タンはいらないと思っているのだから。
「お前達にとっては好ましくない部位であっても、俺にとっては美味いと思える部位なんだよ。……そもそも、気持ち悪いというのなら内臓とかもそうじゃないのか?」
「……内臓と舌を一緒にするのはどうかと思う」
真剣な表情でそう言うグレイス。
オリーブを含め、他の面々もその言葉に同意するかのように頷いていた。
レイにしてみれば、焼き肉的な知識から牛タンも一応内臓の一種だろうという思いがあるのだが……どうやらアイネンの泉の面々には違うらしい。
「その辺は人それぞれだな。それで、どうする? 牛タン……舌と引き換えに俺に解体を任せるか、それとも自分達で解体するか」
これ以上牛タンについて話をしても、双方共に納得はしないだろうと判断し、レイはそうグレイスに尋ねる。
グレイスはそんなレイの言葉に数秒考え、やがて仲間に視線を向けて口を開く。
「私はレイとの取引をしてもいいと思うが、皆はどう思う?」
「私も賛成ね。私達が使わない部位を渡すだけでいいんでしょう?」
グレイスの言葉にオリーブが真っ先に賛成する。
他のパーティメンバー達も、その言葉には反対をしない。
元々、アイネンの泉においてはグレイスとオリーブが強い影響力を持っている。
その二人が反対しないのなら……ましてや、渡すのが特に自分達が欲しい部位でもないのなら、それを渡すのを条件に解体して貰えるのなら文句はなかった。
「誰にも不満はないようだね。なら、レイ。お願いしよう」
「分かった。ちなみに、俺がマジックアイテム……ドワイトナイフで解体した場合、基本的には全てが素材とかになるけど、特定の部位を残したいのなら、前もって言ってくれ。でないと必要な部位は消えるからな。討伐証明部位とか」
「そう言われても、私達はこのモンスターとは初めて遭遇するし……レイはこのモンスターの討伐証明部位は知らないのかい?」
「ああ、知らないな。……というか、俺は討伐証明部位をギルドに持ち込んでないし」
「え? 何で?」
レイの言葉が余程意外だったのだろう。
グレイスは普段の言葉遣いが崩れた様子でそう聞いてくる。
(あれ? もしかしてこれって……いわゆるキャラを作ってるって奴なのか?)
いわゆる、王子様系の女というのは、レイが日本にいた時に楽しんだ漫画やアニメ、ゲーム、小説の類でも人気の高いキャラが多かった。
グレイスもまた、そういうのを考えてキャラを作ってるのではないかと思ったのだ。
実際、レイはそこまで詳しくないものの、グレイスはガンダルシアの住人にかなり人気がある。
(いや、別にキャラを作っていても自然なものであっても、俺には関係ないか)
そう考え、レイは頷く。
「ああ、自分で言うのも何だが、金には困ってないしな。わざわざ討伐証明部位を持っていってギルドでのやり取りが増えるだけだし」
「……それはまた、羨ましい」
心の底からの言葉を口にするグレイスに、もしかしたらアイネンの泉は資金繰りに困っているのか? と、レイは疑問に思いつつも、それを表情には出さず、それでどうする? と尋ねるのだった。
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