4122話
「あ、レイさん。……蜃の件ですよね?」
いつものようにセトをギルドの前で待たせてギルドに顔を出したレイ。
そんなレイが自分のいる場所まで来たのを見たアニタは、レイが何かを言うよりも前にそう言ってくる。
アニタにしてみれば、昨日の今日……それもあれだけ巨大な貝殻や真珠を持ってきたレイがギルドに顔を出したのだから、その件について聞きに来たのだろうというのは容易に想像出来た。
「ああ。昨日は会議中で話も決まっていなかったってことだったけど、今日になればもう話は決まっただろう?」
「はい、ただ……その、二階に行きましょうか。ここで話をするのはどうかと思いますし」
アニタの言葉に、レイはギルドを見回す。
昼も終わり、午後の仕事が始まってから少し経ったといったくらいの時間。
そんな時間なので、ギルドの中に冒険者の姿は少ない。
見覚えのある顔……冒険者育成校の生徒達のパーティが幾つかあったが、セトがいないしデスサイズも持っておらず、ドラゴンローブのフードを被っているのでレイをレイだとは認識出来ていないらしい。
ともあれ、今のギルドにはゆっくりとした時間が流れていた。
もう数時間もすれば夕方になり、朝と同じくらいに忙しくなるのだろうが……今は束の間の休息といったところか。
それだけに、レイとしてはカウンターで話をしても問題ないだろうとは思うのだが、アニタにしてみればそれは駄目らしい。
「……分かった。じゃあ二階に行くか」
カウンターで話をしてもいいのでは? と思ったレイだったが、それでも絶対にここで話をしたいという訳ではないので、アニタが二階で他の者達に聞かれないようにして話をしたいというのなら特に反対することもなく、レイは素直にアニタと共に二階に向かうのだった。
「まず真珠ですが、ステンドグラスと同じくオークションに出すということで構いませんね?」
「ああ。……というか、それについては昨日も言わなかったか?」
「そうかもしれませんが、一応確認の為です。今日になって意見が変わったかもしれませんので」
「意見は変わってないから、オークションでいい」
こうして真珠についてはあっさりと話が決まり、次に今回の本題となる貝殻となる。
現在、冒険者育成校の敷地内に置かれている、巨大な蜃の貝殻。
この貝殻については、ギルドとしても扱いに困った。
そもそも、蜃というモンスターが非常に珍しいだけに、その素材についても具体的にどのようにして使えばいいのかの情報がない。
ガンダルシアのギルドにその情報がないのなら大きなギルドに用意されている対のオーブを使って他のギルドに連絡を取り、そこで蜃の貝殻についての情報を入手するという方法があり……実際、昨日から今日に掛けてガンダルシアのギルドではそうして多くのギルドに連絡を取っていた。
その結果……
「蜃の貝殻についてですが、幾つか他のギルドからの情報にどういう素材として使うのかというのがありました」
「ああ、分かったんだ」
「……幾つかのギルドのうちの一つは、ギルムのギルドなんですけどね」
「あー……うん。それはまぁ……」
自分が拠点としているギルムの名前に、レイは少し戸惑った様子を見せる。
しかし、考えてみればそこまで不思議なことでもないだろうと思い直す。
何しろギルムはミレアーナ王国唯一の辺境だ。
それだけに多種多様な……それこそ未知のモンスターが姿を見せることも珍しくはない。
そんなモンスターの中に蜃がいるのは、そこまでおかしな話でもなかった。
いや、寧ろギルムであるということを考えれば、寧ろ納得すらするだろう。
……実際、こうしてギルムからの情報で蜃の貝殻についての情報を入手出来た訳だし。
「ギルムだしな。ワーカーも頑張ったんだろう」
レイにしてみればそれとなく口にした言葉だったのだが、それが真実であるとは本人も分からなかっただろう。
レイが行ったガンダルシアのギルドからの相談。
ワーカーにしてみれば、それにレイが関与していない訳がないと判断した。……実際、蜃を倒したのはレイとセトだったので、そういう意味ではワーカーの認識は間違っていないのだが。
ワーカーにしてみれば、『うちのレイがすまない』といったように感じ、それで必死になって蜃についての情報を探した。
……なお、その情報を探すのにはワーカーだけではなくレイの担当であるレノラや、そのレノラの親友にしてレイを好きなケニーも頑張った。
その結果が、以前……かなり前にギルムの冒険者が魔の森の近くで戦った蜃についての情報。
「簡単に言えば、薬……うーん、少し違いますね。毒薬? これも少し違いますか。とにかく殻の一部を加工して粉末状にすることによって、それを飲ませた相手に幻影を見せることが出来ます」
「なるほど。……言われてみれば納得だな」
元々、蜃は蜃気楼……幻影を生み出す能力を持つモンスターだった。
レイが蜃と戦った時も、夜の砂漠という周辺の景色を幻影で別の光景にしたりもしたのだから。
そんな蜃の殻を使えば、相手に幻影を見せられる薬を作れるというのは納得出来ることだった。
「他にもこれはギルムではなく他のギルドからの情報ですが、粉末にするのとは別の方法で加工して武器を作る時に媒体とすることで、武器で切った相手に幻を見せるようになるとか」
「単純に加えるんじゃなくて、媒体なのか……」
アニタの説明に納得しつつも、どちらに……あるいはそれ以外に他の素材として使うにしても、あれだけ巨大な貝殻ならかなりの量が作れるのだろうと思う。
「話は分かった。つまり、あの貝殻は色々と有益な素材ということだな。そうなると、買い取り金額は?」
「そうですね。……このくらいでどうでしょう?」
アニタが提示した金額は、レイを納得させるのに十分な金額だった。
それこそ家族が一生……とまではいかないまでも、数十年は遊んで暮らせるだけの金額。
ここでもっと交渉をすれば、もう少し値段は上がるかもしれない。
ただ、レイは特に金に困ってる訳ではないし、ギルドも精一杯の金額を出したのだろうとというのは、アニタを見れば理解出来た。
……本来なら、ギルドでの素材の買い取りというのは値段が決まっており、交渉というのは基本的に出来ない。
素材についている傷で値段の上下が起こり、それが納得出来ないと不満を言ったりする者もいるが。
ともあれ、ギルドとしては自分達の提示した値段で納得出来ないのなら、他の商人に売るなりなんなりご自由にというスタンスだ。
だが……これが蜃の貝殻となると、話が違ってくる。
未知のモンスター……という訳ではないが、今まで実際に倒されたことは数える程度の希少なモンスターなのは間違いない。
その素材も、敵に使えば足止めは勿論、幸運に恵まれれば幻影を倒すつもりで同士討ちをするかもしれないし、武器にも斬った相手に幻を見せられるという特殊効果がつく。
そんな貝殻だけに、ギルドとしては是非とも欲しい。
……あるいは、これがレイでなければ買い取らないと言って、相手に家一軒分の大きさの貝殻を押し付けるといったことも出来るのだが、レイの場合はミスティリングに収納すれば全く問題はない。
そうなると、ギルド以外に貝殻を普通に売られる可能性があった。……いや、他の場所に売るのなら、最悪その他の場所から金で買い取るといったことも出来るだろうが、もし売るのが面倒臭いと判断したレイが、どこかに捨てるなり、もしくは破壊するなりしたらどうするか。
そんなことを考えれば、ギルドとしても最初から出来る限りの金を出して、レイから素直に素材を買い取る方がいいのは間違いなかった。
「分かった。その値段でいい」
「ありがとうございます」
レイの言葉に心の底から安堵した様子でアニタが頭を下げる。
そんなアニタを見ていたレイは、ふと蜃の貝殻を置いていた場所……冒険者育成校の敷地内での出来事を思い出す。
「そう言えば、俺が見た限りだと太った老人が部下に命じて貝殻に何かちょっかいを出そうとしたのを、護衛の冒険者に取り押さえられてたぞ」
「……え?」
どうやらその話はアニタにとっても初耳だったらしく、驚きの表情を浮かべる。
そしてレイからその太った老人についての詳しい顔立ちについて聞き出すと、困った様子で頭を押さえる。
まさに、頭痛で頭が痛いといった表現が相応しい様子で。
「どうやら詳しい話は聞かない方がいいみたいだな」
「……ええ、はい。その、そうして貰えると助かります」
アニタの言葉に、レイはこれ以上聞かない方がいいだろうと判断し、貝殻の代金として用意された革袋をミスティリングに収納すると立ち上がる。
「アニタがそう言うのなら、俺からは他に何も言わない。こうして代金を受け取ったことで、あの貝殻は既にギルドの所有物になったんだしな」
そう言い、レイは部屋を出る。
アニタもそんなレイを追って部屋を出た。
真珠をオークションに出す話と、蜃の貝殻の売買が無事に纏まったこと、そしてレイから聞いた太った老人の話について、上司に報告に行くのだろう。
レイはそんなアニタに頑張れよと思いながら、一階に続く階段を下りるのだった。
「グルゥ?」
転移水晶で二十階にやって来たレイは、セトが喉を鳴らしたのに気が付く。
今日はどうするの? と喉を鳴らしたセトに、レイは当然のように十九階に続く階段を見る。
「今日も十九階の探索だ。……出来れば、蜃をもう一匹倒したいところだけど、どうだろうな」
蜃の能力を思えば、そもそもそう簡単に夜の砂漠の十九階で幻……蜃気楼を見つけるのは難しいだろう。
もっとも、蜃気楼は日中に起きることも多く、そういう意味では夜の砂漠で蜃気楼があった場合はそこに蜃がいるという意味なので見つけやすいとは思うが。
ただ、昨日レイとセトが容易に蜃を見つけることが出来たのは、あくまでも空を飛べるセトがいるからだ。
そうでなければ……砂漠を歩いて移動しているのなら、蜃の生みだした蜃気楼のオアシスはそう簡単に見つけることは出来なかっただろう。
それはつまり、今日もまたセトに乗って空を飛んでいれば蜃を見つけやすいということを意味していた。
(とはいえ、アニタとの話からすると蜃はかなり珍しい存在なのは間違いないんだよな。そうなると、空を飛んでいてもそう簡単に見つかるとは思えないし……あくまでも見つけるのは運がよかったらって風に思っておくか)
そんな風に思いつつ、階段を上って十九階に到達したのだが……
「あー……やっぱりか」
そうレイが思ったのは、階段近くの光っている砂漠に複数の足跡があったからだ。
それもレイ達と同じく二十階から十九階に上がってきた者達の足跡。
それが何を意味してるのかは明らかだ。
「蜃目当ての冒険者、か。オリーブのアイネンの泉もいるのかもしれないな」
ざっと見たところ、階段の側の足跡には複数の……十人分くらいの足跡があるように思える。
つまり、幾つかのパーティが十九階に上がってきたことを意味していた。
ダンジョンの修復能力を思えば、昨日レイとセトがここを通った際に出来た足跡は、今日になれば当然ながら既に消えている。
……そもそも足跡が残っているのなら、レイの足跡はともかく、グリフォンのセトの足跡は非常に分かりやすい筈だが、その足跡は階段の近くにはなかった。
今まで、夜の砂漠という探索のしにくい場所として避けられていた十九階に、今日に限って足跡がある。
それが何故なのかと考えれば、それはやはり蜃目当ての冒険者がいるからとしか思えなかった。
「セト、俺達も行くぞ。他のパーティに蜃を見つけられる前に、最低でも一匹は見つけたい。……後は、出来れば牛のモンスターも」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉にやる気満々といった様子で喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、牛肉も、昨日食べたハマグリ……蜃の身も、どちらも非常に美味かった。
それだけに、出来ればより多くの敵を倒し、食材としてそれらが欲しいと思ったのだろう。
「やる気で何よりだ。……牛のモンスターと蜃の他にもまだ未知のモンスターはいるだろうし、後は……そうだな。出来れば宝箱とかも見つけたいけど、その辺はあくまでも出来ればでいい」
昨日は宝箱を見つけられなかったのが、レイにとっては微妙に残念だったのだろう。
……もっとも、宝箱の代わりに蜃と遭遇することが出来たと考えれば、決して悪いことだけという訳でもなかったのだが。
(さて、今日はどうなる? 出来れば収穫が多いといいんだけど)
そんな風に思いつつ、レイはセトの背に跨がるのだった。
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