4121話

 貝殻の護衛をしていた冒険者に捕らえられた老人。

 その老人は、頬の肉を震わせながら視線の合ったレイに向かって声を掛ける。


「深紅のレイさん、こいつらをどうにかしてくれ! こいつらは、儂を相手にこのような暴挙を働いておる。あんたなら、この状況をどうにか出来るだろう!」


 その言葉に、当然ながら周囲にいる他の見物人達の視線がレイに向けられる。

 レイにしてみれば、一体何故この状況で自分に話を振る? と疑問に思ったが。

 不思議そうに老人を見るレイ。

 レイに見られている老人は、馴れ馴れしい様子でレイを見ていた。


「……というか、お前は誰だ? 初めて見る顔だよな?」


 たっぷりと十秒程考えた後で、レイはそう言う。

 あまりに相手が馴れ馴れしい態度だったので、もしかしたらどこかで会った相手なのでは?

 そう思ってガンダルシアに来てからのことを色々と思い出していたのだが、レイが完全にその顔を忘れている訳ではない限り、間違いなく初めて見る顔だった。

 ここまで太った……それこそレイが見たところ、百kgどころか、百五十kg程もあるような相手なら、一目見れば忘れるようなことはないだろう。

 このエルジィンにおいて、太っているというのは貴族にとっては褒められるべきことではないものの、商人としては決して悪いことばかりではない。

 太っているというのは、それだけ多くの食事が出来るということであり、商人としてそれだけ儲けているということなのだから。

 ……とはいえ、当然ながらそれにも限度があり、レイの視線の先で冒険者に取り押さえられている商人程に太っているのは、その限度を超えていた。

 だからこそ、レイとしてもそんな相手と会ったことがあれば覚えていてもおかしくはないのだが、レイの記憶にはない。


「会ったことはないが、儂のことは知っておるだろう!?」


 レイの言葉は老人にとって予想外だったのか、慌ててそう言ってくる。

 だが、レイはそんな老人の言葉に首を横に振る。


「そう言われても、悪いが俺はあんたを知らない」

「……本気で言っておるのか?」

「本気も何も、知らないのは間違いないしな。……というか、このガンダルシアでは有名なのかもしれないが、それはあくまでもガンダルシアだけの話だろうし、俺は今はガンダルシアにいるけど、別にここにずっといる訳でもない。それに……基本的にはダンジョンとギルドと冒険者育成校と家以外の場所にはあまりいかないしな」


 敢えてレイが行くとなると、防具屋や武器屋、猫店長の店、あるいは屋台といったところだろう。

 この老人がどの分野に影響力を持っているのかはレイにも分からなかったが、レイが老人と会ったことはないし、その老人の影響力を感じたこともない。

 そんな見ず知らずの……それも、見るからにレイが持ってきてギルドに売った貝殻にちょっかいを出している相手を擁護するつもりはレイには全くなかった


「ぐぬぬぅ……それは、儂を敵に回すということか!?」

「あ、馬鹿」


 老人を取り押さえていた冒険者が、慌てて老人が喋れないように口を押さえる。

 ギルドからこの貝殻の護衛を任されるだけあって、厩舎の護衛を任されている冒険者達と同じように、この貝殻の護衛を任されているのもギルドから優秀だと認められた者達だ。

 それだけに、レイについても十分に知っている。

 例えば、貴族出身の冒険者であっても、一度敵と認識すればその力を振るうに一切容赦しないといったように。

 だからこそ、老人を取り押さえている冒険者にしてみれば、ここで老人に下手なことを口にされ、レイに敵として認識されてその力を振るわれるのは困ると、老人の口を手で押さえたのだ。

 ……それでも老人は何かを言おうとしており、冒険者の手は老人の唾でベトベトになり、心の底から嫌そうな表情を浮かべていたが。


「……まぁ、いい」


 そんな冒険者の様子を見たレイは、取りあえず老人の件については気にしないことにした。

 とはいえ、今回は見逃したものの、それを恨みに思って何らかのちょっかいを掛けてきたら、レイも老人を敵だと認定して相応の対処をすることになるだろうが。

 老人にとっては幸いだったのだが、果たして老人がそれに気が付くかどかは微妙なところだろう。


「それで? この連中はどうするんだ?」


 レイが尋ねたのは、護衛の冒険者……老人やその部下を取り押さえてはいない冒険者の一人。


「警備兵は呼んでるから、レイは心配しなくてもいいよ」


 そう言いつつ冒険者が微妙な表情をしているのは、このまま老人を警備兵に引き渡しても、早ければ今日中……遅くても数日以内には解放されると分かっているからだろう。

 レイは知らなかったようだったが、冒険者はこの老人について知っていた。

 レイが言ったように、レイはあくまでも一時的にガンダルシアに滞在しているだけでしかないのに対し、男はガンダルシアで生まれ育った冒険者なので、当然のように老人については知っていたのだ。

 そして知っているからこそ、今回の一件でも特に大きなペナルティはないだろうなと、予想出来てしまう。

 そんな警備兵の考えを全て察した訳ではないだろうが、それでも冒険者の様子を見た限りだと老人は決して好ましい人物ではないのだろうと、予想は出来てしまう。


「そうか。まぁ、この貝殻については既にギルドに売ったんだし、この貝殻がどうなってもそれで困るのはギルドだ。俺にはそこまで関係ないしな」


 全く関係がないのではなく、そこまでと口にしたのは、もしかしたら誰かが何らかの理由で貝殻に危害を加えた場合、ギルドから支払われる金額が下がる……もしくは下げて欲しいと交渉をしてくる可能性もあったからだろう。


「分かっているよ。俺達もここで下手なことをされると仕事の結果に影響が出るしな」


 護衛の依頼において、護衛対象に何らかの被害があった場合、当然ながら依頼の仕事としては失敗だ。

 依頼の失敗と見なされるかどうかはともかく、最終的な評価は間違いなく下がってしまうだろう。

 ギルドから優良な冒険者とみなされていただけに、冒険者としてもその評価を下げたいとは思わなかった。


「頑張れよ。……セト、どうする?」


 レイは冒険者に軽く声を掛けると、次にセトに尋ねる。

 元々貝殻のある場所に来たのは、セトが貝殻を見に行きたいと主張したからだ。

 ……その理由は、もしかしたらあの老人の件を何らかの理由で察知したのではないかと思って尋ねたのだが……


「グルゥ?」


 レイの言葉に、セトは不思議そうに首を傾げる。


「あ、うん。違ったのか」


 老人の件を何らかの方法で察知したのかと思ったレイだったが、どうやら老人の件は偶然だったらしい。


「あまり貝殻に近付かないで見るんだぞ」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、分かった! と喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子を見たレイは、近くにいる冒険者……先程まで話していた冒険者に声を掛ける。


「悪いけど、セトの様子をちょっと見ていて貰えるか? 貝殻にちょっかいを出すようなことはないと思うが、もしそうしそうになったら注意してくれ。セトならその注意をしっかりと聞くから」


 レイの言葉に、冒険者は分かったと頷くのだった。





「へぇ……やっぱりダンジョンって凄いんだな」


 老人とその部下達は警備兵に連れられていき、今は貝殻の周辺も落ち着いており、そんな貝殻から少し離れた場所でレイはハルエスと話していた。

 話している内容は、十九階がどのような階層だったのかについて。

 蜃について説明するのは面倒そうだったので、その件については話さなかったが、十九階……夜の砂漠がどのような場所なのかについては、話しても特に問題はないと判断し、話していた。

 ハルエスにしてみれば、十九階というの今はまだとてもではないが届かない階層だ。

 だが、こうしてレイから十九階についての話を聞けば、それによって自分もいつかは……と思う。


「夜の砂漠は明りになるようなものはない……いや、一応月や星があるけど、普通ならその程度の光で周囲を見るのは難しいだろうから、マジックアイテムか何かでその辺を解決する必要があるな。……夜目が利くなら、問題ないとは思うけど」

「夜目……うーん……でも、そういうマジックアイテムって……」

「他にも夜の砂漠ということでかなり寒いから、寒さ対策も必須だな。もっとも、寒いというのなら氷の階層とかもあるから、それを使い回せばいいだろうけど」

「寒さ対策もか。……俺達がダンジョンを攻略する上で、そういう対策はかなり必要になりそうだな」

「……頑張れ。冒険者というのは、そういうのを集めるのも仕事だし」


 そう言うレイだったが、レイはダンジョンを攻略する上でそこまで専用の道具を用意はしていない。

 十階で使った、悪臭対策のマジックアイテムくらいか。

 寒さに関しては、ドラゴンローブがあるのでその辺は全く問題なかった。

 ……普通の冒険者がドラゴンローブについて聞けば、恐らく心の底から羨ましがるだろう。

 だからといって、羨ましがられてもレイはそれを誰かに譲る気は全くなかったが。


「ぐぬぬ……見てろよ、いつか、いつかレイに追いついてみせるからな!」

「そうか、頑張れよ。……もっとも、お前達が俺に追いつくよりも前に、俺がダンジョンを攻略する可能性が高いけど」


 それはレイの軽口だったが、ハルエスは反論出来ない。

 実際、レイのダンジョンの攻略速度を考えると、本当にそういうことにならないとは断言出来ないのだ。

 黙り込んだハルエスに、レイは訝しげな視線を向ける。


「ハルエス? どうした?」

「いや、何でもない。具体的に、いつ追いつけるのかと考えていただけだ。……悪いけど、俺はもうそろそろ行くよ。レイに追いつく為にも、ダンジョンの攻略を進めないといけないしな」


 そう言うからにはダンジョンに潜るつもりであり、そしてハルエスがダンジョンに潜るということは、パーティメンバーのアーヴァイン、イステル、ザイードの三人も一緒なのだろう。


「そうか、分かった。頑張れよ」


 レイの言葉に頷くと。ハルエスはこの場を走り去る。

 そうしてハルエスを見送ると、レイは特にやるべきことがなくなってしまう。


「セト、そろそろいいか?」

「グルルルゥ!」


 レイの呼び掛けに、貝殻を見ていたセトは喉を鳴らしながらレイの側までやってくる。

 一体この貝殻の何がそこまでセトの興味を惹いたのか、レイには分からない。

 ただ、そのセトもこうしてレイが呼ぶとすぐにやって来たことから、貝殻に対する興味はもういいと判断したのだろう。


「じゃあ、行くか。まずはギルドだな。蜃の件で色々と話をする必要があるし。……オークションの件についても聞いておく必要があるしな」


 十八階で入手したステンドグラスや、蜃の貝殻から出て来た真珠。

 二種類もオークションに出す以上、レイとしてはその辺りについてしっかりと聞いておく必要があった。

 ……レイは金についてはそこまでうるさい訳ではない。

 それこそ趣味の盗賊狩りであったり、モンスターの素材を売れば幾らでも金は手に入るのだから。

 だが、それでもオークションに出品する……それも結構な品を出品する以上、しっかりとオークションについては聞いておく必要があった。


「グルルルゥ」


 レイの言葉に分かったと喉を鳴らすセト。

 セトにとっても、ダンジョンではなくギルドに行くのは嫌いではないのだろう。

 レイと一緒にギルドの中に入れないのは残念に思うものの、それでも外で待っていればセト好きの者達が集まってきて、セトと遊んでくれるのだから。

 セトにとっては、そうした人達と遊ぶのも嬉しいのだ。


「あ、セトちゃん……」


 ギルドに向かう途中、すれ違った何人かがセトを見るとそう呟き、それでいて残念そうな表情を浮かべる。

 セトを見ることが出来たのは嬉しいものの、セトがレイと一緒に行動しているという事で声を掛けることが出来ないと理解したからだろう。

 自分勝手なセト好きなら、レイと一緒にいてもセトと遊ばせろと、そう主張してくる者もいたりするのだが、そのような者は多くはない。……いや。極めて少ないだろう。

 これでレイが異名持ちでも高ランク冒険者でもなければ、そういうことをするような者もいるのかもしれないが、レイは異名持ちの高ランク冒険者だ。

 そんな相手に下手に絡んでも、それこそ結果がどうなるのかは考えるまでもない。

 ……もっとも、中にはそれでもセトと遊びたいが為にレイに絡もうと思う者もいるのだが、そのような者達はレイにとって……もしくはちょっかいを出そうとする者にとって幸運なのかもしれないが、とにかく周囲にいる者達が止めていたので、特に騒動になるようなことはなかった。

 レイは裏でそのようなことが起きていることに気が付かないまま、セトと共にギルドに向かうのだった。

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