4116話

「みなさーん、これからこの貝殻をレイさんが収納しますので、念の為に貝殻から離れて下さーい!」


 訓練場にアニタの声が響く。

 そんなアニタの声を聞いた冒険者達は、大人しく貝殻から離れる。

 貝殻の側にいて、レイがこの貝殻をミスティリングに収納するのに巻き込まれるのはごめんだと思ったのだろう。

 ……実際には、ミスティリングは生き物を収納出来ないので、貝殻を収納しようという時に側にいても、巻き込まれるということはない。

 だが、それはレイの持つミスティリングに関してある程度詳しい者でなければ分からないことだ。

 なので、皆大人しく貝殻から離れる。

 もしかしたら、中には貝殻と一緒にミスティリングに入ればそこから何か奪えるのではないかと、あるいは迷惑料として幾らか貰えるのではないかと、そんなことを考えた者もいたが、結局それを実行するようなことはなかった。

 そんなことをして本当に無事ですむとは思えなかったし、何よりレイを敵に回すというのは絶対に避けたいと思っての行動だった。

 貝殻から冒険者達が離れ……反対側の確認も終えると、貝殻に触れてミスティリングに収納する。

 一瞬にして消える、家一軒分程の大きさの貝殻に、それを見ていた冒険者達の口から驚きの声が漏れる。

 レイがミスティリングを持っているというのは多くの者が知ってるし、それこそ宝箱の罠の解除や鍵を解錠を行う時、レイはミスティリングから宝箱を取り出すのを、何人もの者達が直接その目で見ている。

 だが……それとこれとは話が別だ。

 宝箱と蜃の貝殻では、その大きさが違う。

 だからこそ、それを見た冒険者達は驚いたのだ。

 ……中にはレイがミスティリングから貝殻を取り出した光景を見た者達もいたのだが、それでもやはりいきなり目の前から貝殻が消えたのは驚くべきことだったのだろう。


「あ」


 そしてオリーブもまた、自分が見ていた貝殻が一瞬にして消えたことに驚きの声を上げていた。

 驚きに動きを止めたオリーブに何かを言おうとしたレイだったが、オリーブはそんなレイに笑みを浮かべると、その場から走り去る。

 恐らく、仲間に十九階に蜃というモンスターがいるということを話しに行ったのだろう。

 実際にはまだ十九階に他の蜃がいるのどうか、レイには分からなかったが。


「レイさん? オリーブさんと何があったんですか?」


 アニタが不思議そうに聞いてくる。

 レイはそんなアニタに、少し困った様子で先程まで蜃の貝殻のあった場所を見ながら口を開く。


「オリーブのパーティは十九階を殆ど探索しないで二十階に行ったんだが、十九階に蜃のようなモンスターがいるとは思っていなかったらしくてな。蜃の素材……特に真珠を見て、やる気を刺激したらしいな」

「……見せたんですか?」

「ああ。不味かったか?」

「いえ、不味くはないと思いますけど……ただ、アイネンの泉が無理に蜃と戦って被害を受けるようなことにならないといいんですが」


 アニタの心配はレイにも納得出来た。

 ガンダルシアのダンジョンにおいて、二十階まで到達出来る冒険者というのは多くはない。

 そんな希少なパーティのアイネンの泉が、蜃の持つ巨大な真珠を目当てに十九階の探索を行い、その結果大きな被害を受けたらどうするのかといったことを心配しているのだろう。

 レイもそんなアニタの心配は分かる。

 だが同時に、冒険者である以上はそのくらいの危険は覚悟の上でダンジョンに潜っているのだろうということも理解出来た。


「どういう風に判断するにしろ、それを決めるのはオリーブやその仲間達だ。それに……ギルドにとっても、蜃の素材はあれば嬉しいんじゃないか? まぁ、もし蜃を倒したとしても、真珠を素直に売ってくれるかどうかは分からないが」


 オリーブはレイの出した真珠に完全に目を奪われていた。

 それが金になるだろうからという意味で見ていたのなら、ギルドが買い取るなり、あるいはオークションに出すなりといったことを止めたりはしないだろう。

 だが、もし純粋に真珠が欲しくて蜃を倒したのなら、真珠を入手してもそれを売るようなことはないだろう。


「そうですね。その辺は冒険者の判断ですし。……けど、レイさんは真珠を売ってくれるんですよね?」

「正確にはオークションだけどな」

「はい、分かっています。ステンドグラスと同じくオークションに出します。それで、その……真珠の方、冒険者育成校に行く前に預かっても構わないでしょうか?」

「ん? ああ。問題ない。じゃあ……」

「ちょっと待って下さい! ここで出さないで、ギルドの中でお願いします」


 アニタの言葉に、レイは素直に頷く。

 真珠はギルドに渡す……預けるのだから、そのギルドの要望を聞くくらいはしてもいいだろうと。


「分かった。じゃあ、行くか。……ちなみに、昨日は宝箱を開ける件で冒険者育成校に来た連中がいたけど、今日はどうするんだ?」

「悪いですが、遠慮して貰うことになるかと。……もっとも、あの貝殻の大きさを考えると、それを隠すなんてことは出来ないので、冒険者育成校の敷地の外から見えそうですけど」

「……まぁ、それはそうだな。そうなると警備の問題も出てくるけど、その辺はどうするんだ? まさか、それもフランシス任せとかか?」

「いえ、ギルドの方で用意します。……もっとも、今夜はいきなりで護衛の依頼をするのは無理だと思いますので、ギルド職員が護衛をしますが」


 ギルド職員が? と一瞬疑問に思ったレイだったが、すぐに納得する。

 ギルド職員の中には、元冒険者という経歴を持つ者がそれなりにいるのだ。

 冒険者をギルドがスカウトすることもあるし、あるいは何らかの理由……具体的には年齢だったり、パーティが解散したり、怪我をしたりで冒険者としてやっていけなくなった冒険者がギルド職員となることもある。

 勿論、ギルド職員というのは誰でもなれるものではない。

 冒険者として有能であっても、問題を起こすような者はギルド職員にはなれない。

 ギルド職員……それも冒険者上がりというのは、それなりに狭き門なのだ。

 冒険者としての資質と、ギルド職員の資質は違う。

 その双方を持っている者でなければ、ギルド職員にはなれない。

 ……もっとも、ギルド職員を決めるのはその支部のギルドマスターの仕事なので、実際にはギルドマスターの判断一つでその辺りは変わったりするのだが。


「そうか、分かった。ギルド職員なら、問題はないだろう。……ちなみに、貝殻の買い取り金額はどのくらいになりそうだ?」

「申し訳ありません、何しろ初めて持ち込まれた素材ですので……その辺についても、現在ギルドマスターや幹部の方々で話しています。なので、買い取り金額については明日以降になるかと」

「それならそれで構わないけどな。金に困ってる訳ではないし……というか、それ以外の素材とかは買い取って貰えたんだし」


 特にオアシス……蜃が見せた蜃気楼のオアシスではなく、きちんとしたオアシスの方で大量に獲れた牙魚の素材は、レイが思ったよりも高く売れた。

 金属糸のゴーレムについても、また同様に。

 その為、それなりに金額は貰っているし、そもそもレイは特に金に困っている訳でもないので、支払いが遅くなる程度は構わなかった。

 それにレイとしても、持ち込んだ素材が大きさ的な意味で規格外だというのは、十分に理解していたのだから。


「一応、それはないと思うが、このまま代金を支払わないで没収ということになったりしたら……」

「そ、そんなこと、する訳がないじゃないですか! フランシス様がわざわざ呼んだレイさんを相手に、そんなことをしたらうちはおしまいですから!」


 それならフランシスが呼んだ相手でなければ、そういうことをするのか?

 少しだけそう聞きたくなったレイだったが、アニタの性格を考えれば別にそういうつもりで口にした訳ではなく、ただ話の流れでそのように言っただけというのは、レイにも理解出来た。


「なら、いい。ギルドのことは信じているからな」

「……そうして念を押されると、本当に信じられているかどうか分からないんですけど」


 不満そうな様子で言うアニタに、レイは頷く。


「ガンダルシアのギルドは今のところ誠実な対応をして貰ってるし、問題ないとは思う。そういう意味で信じているというのは事実だ。ただ……全てのギルドがガンダルシアと同じように誠実なギルドとは限らないだろう?」

「う、それは……」


 そう言われると、アニタも反論は出来ない。

 実際、他のギルドで何らかの不祥事が起きたという話は頻繁に……ではないものの、それなりに聞くことがあるのだから。

 それにレイがガンダルシアのギルドは誠実な対応をしていると言ってはいるが、受付嬢として……ギルド職員として働いているアニタには、ガンダルシアのギルド職員であっても何らかの不正に手を染め、処分が下されたのを知っている。

 その処分というのも、口頭による注意程度のものもあれば、ギルドを辞めて貰う首であったり、もっと酷い場合は物理的な意味で首を切断されたりといったこともある。

 アニタは過去にあったガンダルシアのギルドの不祥事を思い出し、何も言えなくなる。

 そんなアニタの様子を不思議そうに見ていたレイだったが、いつまでもここにいるのではなく、冒険者育成校に急いだ方がいいだろうと判断し、アニタに向かって口を開く。


「アニタ、じゃあ俺はそろそろ冒険者育成校に行くから。こっちでの諸々については任せるって事でいいんだよな?」

「え? はい、任せて下さい。……とはいえ、今ここで何かをする必要があるとは思えませんけど。あ、でも真珠は置いていって下さいね」


 先程までは訓練場に蜃の貝殻があったので、それを見る為に多くの者達が集まっていた。

 しかし、その蜃の貝殻は既にミスティリングに収納されているので、集まってきた者達も多くが訓練場からいなくなっている。

 なので、ここを任せるとレイが言っても、実際にここで何かをやるような必要はない。

 ここが訓練場である以上、まだ残って訓練をする者もいるかもしれないが、それは問題ない。

 ここは訓練場である以上、ここで訓練をするというのはおかしなことではないのだから。

 ……もっとも、蜃の貝殻を見て驚いた中で、わざわざここに残って何らかの訓練をする者がいるかどうかは、微妙なところではあったが。


「じゃあ、まずは真珠の件だな。……ここで渡せばいいのか?」

「いえ、申し訳ありませんが、ギルド……それも二階の個室までお願いします。人前であんな巨大な真珠を見せたりしたら、それこそ一体どんな騒動になるか分かりませんし」


 アニタにしてみれば、ここで渡されても自分が真珠を持って訓練場からギルドに向かうまで、無事でいられるとは思えなかった。

 当然ながらアニタを襲撃して真珠を奪うといったことをすれば、冒険者としては終わり……いや、最悪人としても終わりだろう。

 だが、レイが持っているボウリングの球程の大きさの真珠というのは、一生遊んで暮らせるような値段で売れてもおかしくはない。

 それだけ、貴重な物だった。

 もしオークションに掛けた場合、グワッシュ国やその周辺諸国の貴族や王族、大商人ではなく、ミレアーナ王国やベスティア帝国の貴族や王族、大商人が落札してもおかしくはない代物なのだから。

 そんな真珠を持ち歩くのは、アニタとしては遠慮したかった。

 ……もっとも、ギルドの中で真珠を見せたし、訓練場でもオリーブに見せたので、レイがそのような真珠を持っていると知っている者がそれなりにいるのは間違いなかったが。


「じゃあ、ギルドに行くか」


 レイも別にどうしてもここでアニタに真珠を渡したいと思っている訳ではない。

 これで例えばギルドではなくもっと他の場所……例えば隣の村や街まで移動して、そこで真珠をギルドに渡して欲しいといったようなことを言われれば、レイも面倒だと断り、真珠をオークションに出すのを止めて、自分で持っておくという選択をするかもしれないが……ギルドはこの訓練場のすぐ側なのだ。

 なので、レイはアニタと共にギルドに向かう。


「グルゥ?」

「ああ、セトは少し待っていてくれ。……なんなら、先に冒険者育成校に行っていてもいいけど、どうする?」

「グルルゥ……グルゥ!」


 レイの言葉にセトは少し考えてから、ここで待っていると喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、どうせ冒険者育成校に行くのならレイと一緒に行きたいと思ったのだろう。

 ……そんなレイとセトの様子を見ていたセト好きの面々は、少しの間だがセトと一緒に遊べるというのを、嬉しく思うのだった。

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