4115話

 訓練場でレイはセトと貝殻を眺めている。

 ギルド職員の男は蜃の貝殻をどうするのかとギルドマスターに聞きに行っており、ギルドの受付嬢のアニタも夕方になってギルドも忙しくなっているので、いつまでも訓練場にいられないと、仕事に戻っていった。

 そんな訳で、レイはセトと共に訓練場で待機していたのだ。

 勿論訓練場にいるのはレイやセトだけではない。

 最初から訓練場にいた冒険者達、レイが訓練場で何かをやると聞いて集まってきた冒険者達、そしてレイがミスティリングから貝殻を取り出した後、それを見る為に集まってきた冒険者達。

 そのような冒険者達が集まっているのだから、当然ながら訓練場には多数の者達が集まっている。

 ましてや、その訓練場には蜃の貝殻があるので、余計に狭く感じてしまう。


「それで、俺達はいつまで待っていればいいんだろうな、セト?」

「グルゥ? グルルルルゥ」


 レイの言葉にセトは分からないけど、もう少し待っていようと喉を鳴らす。

 レイはそんなセトの様子に笑みを浮かべ、身体を撫でてやる。


「そうだな。セトがそう言うのなら、もう少し待つか。……こうして考えると、少し早くダンジョンから脱出してよかったな」


 もしダンジョンから脱出するのがもっと遅くなっていたら、それこそもっと夜遅くまでギルドに残っていなければならなかったかもしれない。

 ……もっとも、もっと夜遅くになれば、訓練場にこうして多くの者が集まるといったことはなかったかもしれないが。

 そういう意味では、レイはもう少しダンジョンにいてもよかったのだろう。


(けど、戻ってくるのが遅くなると、当然ながらそれだけ家に帰るのも遅くなるしな。それは出来れば避けたい)


 そんな風に思っていると、見覚えのある女……美人と呼ぶに相応しい女が自分達の方に近付いてくるのが見えた。

 それは、レイにとってもそれなりに関わりの深い女……オリーブだ。

 今まで何度か宝箱の罠の解除や鍵の解錠をやって貰った、アイネンの泉という、レイ達と同じ二十階に到達しているパーティに所属する一人。


「レイ、これって一体何なの?」


 レイの前まで来たオリーブは、そうレイに尋ねる。

 誰に聞くでもなく、真っ先にレイに聞きに来たのはこのような巨大な貝殻を持ってくることが出来るのはミスティリングを持つレイしかいないと判断した為か、あるいはこれがレイの仕業だというのを、ここに来るまでの間に誰かから聞いたのか。


「何と言われても、見ての通り貝殻だとしか言えないな」

「そうじゃなくて……分かるでしょう? もしかして、レイは二十一階に到達したの? 私達が探索した限りだと、二十階にこんなモンスターはいなかったわよ。そもそもこんなモンスターがいれば、遠くからでもはっきりと分かるでしょうし」


 そんなオリーブの言葉に、周囲で話を聞いていた者達がざわめく。

 もしオリーブの言葉が事実なら、レイはガンダルシアにおいて真っ先に二十一階に到達したということになるのだから。

 多くの者の視線がレイに向けられる中、しかしレイはあっさりと首を横に振る。


「いや、まだ二十一階には行っていない。それどころか、まだ二十階もろくに探索していない」


 レイの言葉が聞こえた者達は、安堵する。

 レイが強いのは分かる。

 だが、それでも二十一階に行くのは出来ればこのガンダルシアの冒険者である、久遠の牙であって欲しいと思う者は多いのだ。

 そのような者達が、今のレイの言葉に安堵したのだろう。

 ……とはいえ、周囲の者達についてオリーブは全く気にした様子もなく、レイに詰め寄る。


「じゃあ、どこでこんな巨大なモンスターと遭遇したっていうの?」

「十九階だよ」


 レイにしてみれば、別に蜃のことは特に隠す必要があるようなことではない。

 なので、あっさりとレイは蜃とどこで遭遇したのかを口にする。

 ……もっとも、夜の砂漠は非常に寒く、暗い。

 ドラゴンローブを持つレイと、グリフォンなのでその程度の寒さはなんともないセトだけに、そして夜目が利くレイとセトだけに、夜の砂漠の階層である十九階を普通に探索出来たのだ。

 実際、オリーブが所属するアイネンの泉や、ガンダルシアでトップパーティの久遠の牙も、十九階はとてもではないがまともに探索出来ないと判断し、とにかく二十階に下りるのを優先した。

 だからこそ、十九階に蜃が現れるというのは知らなかったのだろう。


「……え?」


 レイの口から出た声に、オリーブは数秒の沈黙の後で、理解出来ないといったような上ずった声を出す。


「だから、十九階だ。オリーブのパーティのアイネンの泉もそうだが、他のパーティも十九階は可能な限り戦闘を避けて、真っ直ぐ二十階に続く階段に向かったんだろう? ……まぁ、実際にはその階段を見つけるまでにモンスターと遭遇したりした可能性はあると思うけど」

「それは……」

「ただ、出来る限りモンスターとの戦闘を避けていた以上、蜃のようなモンスターと遭遇することはなくてもおかしくはない」


 そう言いながらも、レイは十九階に到達し、戦闘を可能な限り避けて進む冒険者であっても、蜃となら遭遇出来るんじゃないか? と少しだけ疑問に思う。

 何故なら、蜃の持つ一番強力な能力は、名前の由来にもなった蜃気楼だ。

 レイ達がオアシスに寄ったように、他の冒険者も十九階を通る上で、オアシスがあればそこに寄る筈だった。

 夜の砂漠で気温が低いとはいえ、湿度という点はもの凄く低い。

 つまり、レイのドラゴンローブやセトのように生身で対処出来ない限り、すぐに喉が渇いてもおかしくはないのだ。

 だからこそ十九階を進んでいる途中、オアシスがあればそこに寄るのはおかしなことではない。

 ……レイの持つ流水の短剣のように、水を自由に生み出せたり、あるいはセトのスキルのように水を自由に出せる何らかの手段があれば話は別だが……いや、それらの手段があっても、オアシスがあるのなら、魔力やマジックアイテムの節約を考えてオアシスを使うのはおかしな話ではない。

 であれば、蜃気楼を使って獲物を誘き寄せる蜃が冒険者と遭遇するというのは自然な話ではないのか。


(あるいは……もしかして、今まで十九階に到達した冒険者は他にもいるけど、二十階に到達していない冒険者達は蜃にやられたとか? いや、でも十八階で遭遇したナルシーナ達は、十八階まで到達出来たのは俺とセトを除いて五組のパーティだって言っていたよな? なら、やっぱり俺の考えすぎか? それとも、十八階に到達してそのまま誰にも遭遇しないで十九階に行く?)


 それは普通なら有り得ない選択ではある。

 だが同時に、早く二十階に到達し、転移水晶に登録したいと思っている者なら、あるいはそのようなことをしてもおかしくないのでは? という思いがそこにあるのも事実だった。


「レイが言うように、私達も十九階は探索をしないで二十階に下りる階段を探すのを最優先にして、探索らしい探索は殆どしなかったわ。それに他のパーティと話をした時、どこも同じような感じだったわ。もっとも、それはあくまでも私に話してくれた内容が事実ならだけど」


 それはつまり、オリーブが他のパーティから聞いた情報の中に嘘がある可能性も否定は出来ないということなのだろう。


「ともあれ、他のパーティがもし十九階で蜃と戦っていても、素材を持ってくるのは……ああ、いや、でもあれなら持ってきてもおかしくはないのか。持ち帰れないこともないだろうし、間違いなく高く売れる。……もっとも、悪目立ちするのも避けられないけど」

「あれ? 何のこと? ……ああ、勿論私が話を聞いてもいいのなら、だけど。もし隠しておきたいのなら、無理に教えてとは言わないわ」

「別に構わない。恐らくオークションに出すことになるだろうが、管理責任はギルドになるだろうし」


 そう言い、レイはミスティリングから真珠を……蜃を解体した時に出て来た、ボウリングの球程の大きさの真珠を取り出す。


「……え? っ!? っっっ!?!?!?!?!?」


 いきなり目の前に見せられたボウリングの球の大きさの真珠に、オリーブは最初自分の目の前にあるのが一体何なのか理解出来ないといった様子で真珠を見たものの、すぐにそれが何かを理解し、叫びそうになる口を必死に押さえる。


「ちょっ、それ……いいからしまって。そんなのをこんな場所で出さないでちょうだい!?」


 周囲に聞こえないような小声で叫ぶという器用な行為をするオリーブ。

 なまじ美人と呼べるだけの顔立ちをしているだけに、一種異様な迫力があった。

 そんな迫力に押されるように、レイは真珠をミスティリングに収納する。


「ほら、これでいいだろう? ……別にオリーブがそこまで心配する必要はないと思うんだが」

「あのねぇ……いい? 本当にいい? あんなお宝、人に見られたらどうなるか分からないのよ!?」

「オリーブの言いたいことは分かるけど、だからといって俺から奪えると思うか? もしくは、ギルドに預けた後で、ギルドから奪えると思うか?」


 レイの言葉に、オリーブも納得した様子を見せる。

 見た物が物だったので、慌ててしまったのだろう。


「普通に考えれば無理ね。……けど、それでもそういうのがあると知らなければ、馬鹿なことを考える人もいないんだから、わざわざ見せる必要はないでしょう?」

「もうギルドでアニタに見せたけどな」

「グルゥ」


 レイがアニタの名前を出すと、ちょうどそのタイミングでセトが喉を鳴らす。

 どうした? とレイがセトの視線を追うと、そこには噂をすれば何とやら。

 レイの方に走ってくるアニタの姿があった。


「ん? アニタか。悪い、オリーブ。多分この貝殻の件で来たんだと思うから」

「ええ。……それにしても、十九階にこんなモンスターが……一度十九階に戻ってみるのもありかしら?」


 レイの言葉に短く答えたオリーブは、蜃の貝殻を見て呟く。

 ……もっとも、もしオリーブの所属するアイネンの泉が蜃を見つけたとして、そして倒したとしても、レイと同じように貝殻を持ってくるのはまず不可能だろうが。

 ただ、それでも先程レイが見せた真珠なら普通に持ってこられるだろうし、その真珠を売ればとんでもない稼ぎになるのも間違いない。


(とはいえ、蜃の全てに真珠が入ってるとは限らないけど。……いや、それ以前に他の蜃も十九階にいるのか?)


 レイが倒した蜃の大きさを考えると、同じような大きさの蜃が十九階に複数いるかどうか、レイにしてみれば疑問だった。

 とはいえ、それでもいないとも断言出来ない以上、オリーブ達がそれを探すというのなら、レイはそれに反対は出来なかったが。

 オリーブの……端的に言って欲に塗れた視線で貝殻を見ているのを眺めていると、アニタがレイの前に到着する。


「すいません、レイさん。お待たせしました」

「このくらいなら別に構わない。持ってきた俺が言うのも何だけど、これだけでかい貝殻だしな。……それで、アニタの上司は?」

「ギルドマスターや他の幹部の人達と、この貝殻をどう使うかについて相談しています」

「じゃあ、まだこの貝殻をどこに置くのかは決まってないのか?」

「いえ、それについてはギルドマスターがフランシス様と連絡を取って決まりました」

「冒険者育成校か」


 フランシスという名前が出て来たので、レイも即座に貝殻をどこに保管するのかを理解する。

 実際、冒険者育成校には使っていない敷地がそれなりにあり、その中には家一軒分以上の広さを持つ場所もあるので、貝殻を保管することも出来るだろう。

 とはいえ、それはそれで問題があるのだが。


「冒険者育成校は警備とかがしっかりとしている訳じゃないけど、いいのか?」


 レイにしてみれば、ギルドに売った――まだ金は貰っていないが――蜃の貝殻が盗まれることになっても、ギルドの不注意なので仕方がないとは思う。

 貝殻の大きさが大きさなので、全てを盗むといったことは出来ないだろうが、レイが破壊した場所から一部を破壊して持っていくといったことをされる可能性は充分にあった。


「えっと、その辺はフランシス様が精霊魔法で対処されるそうです」

「……そうか」


 それはつまり、貝殻が冒険者育成校の敷地内にある間はフランシスは冒険者育成校の敷地内から出られないことを意味するのでは?

 フランシスがマリーナと同レベルの精霊魔法使いならともかく、レイが以前フランシスからマリーナには到底及ばないと聞いている。

 そうなると、やはり敷地内から出られないだろうと思い……後で何か差し入れでもした方がいいのかもしれないなと思うのだった。

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