4109話

「おっと、また一匹」


 氷を割るようにして飛び出してきた牙魚をセトは即座に前足の一撃で吹き飛ばす。

 魚……それも十九階に棲息する魚のモンスターの身を出来るだけ多くストックしておく為、レイはセトと共にオアシスにある泉の氷を突いては、牙魚を誘き寄せ、セトの一撃で吹き飛ばしていた。

 既に十匹以上の牙魚を誘き寄せ、倒すことに成功している。

 レイとセトにしてみれば、それだけやっているので既に慣れた行動だった。

 ビタンビタンと砂の上で跳ねている牙魚を仕留めてドワイトナイフで解体を終えると、ふとレイは今の時間が気になり、ミスティリングから懐中時計を取り出して時間を確認する。

 これがダンジョンの外と時間が連動しているような階層なら、明るさから時間を確認出来るのだが、この十九階は朝になることがない、永遠の夜の砂漠だ。

 そのような場所だけに自分の感覚に頼るか……もしくは、レイが持っている懐中時計のようなマジックアイテムで時間を確認する必要があった。


「……あ、もう二時半くらいか。ここで釣り……釣り? まぁ、牙魚を獲るのも面白いけど、いつまでも続ける訳にはいかないか。出来ればもっと十九階の探索をしたいしな」

「グルゥ……」


 レイの言葉に残念そうに喉を鳴らすセト。

 セトにしてみれば、出来ればもう少しここで魚を獲っていたかったのだろう。

 レイもそうしたい気持ちはあったのだが、いつまでもこのオアシスだけにいる訳にいかないのも事実。

 この十九階がどのくらいの広さなのかは、まだ分かっていない。

 どこまでも砂漠が続いており、その上で夜だというのもこの場合は十九階の広さを確認しにくくしていた。

 だからこそ、レイとしてはいつまでもこのオアシスにいる訳にはいかなかった。


「グルゥ……」


 説明すると、セトもすぐにレイの言葉を理解し、残念そうにしながらも分かったと喉を鳴らす。

 レイはまたここに来ればいいだろうと声を掛け、そしてセトの背に乗り、夜の砂漠に飛び立つ。


「え?」

「グルゥ!?」


 オアシスから飛び立った瞬間、少し――あくまでも夜の砂漠の規模から見てだが――離れた場所にオアシスがもう一個あるのに気が付き、そんな声を漏らす。

 驚いたのはレイだけではなく、セトも同様だった。

 珍しく、セトが驚きの声を漏らす。

 だが、それも当然だろう。

 砂漠にオアシスがあるのは自然なことかもしれないが、そのオアシスがこんなに近くに二つあるというのだから、驚くなという方が無理だった。


「……グルゥ?」


 驚きに声を上げたセトだったが、どうするの? とレイに向かって喉を鳴らす。

 そんなセトの鳴き声で我に返ったレイは、少し考えてから口を開く。


「行かないって選択肢はないな。向かってくれ。ただ……そこまで速度は出さなくてもいい。ゆっくりと、周囲を警戒しながら頼む」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らし、翼を羽ばたかせる。

 指示通り、ゆっくりと……何があっても対処出来るようにしながら。

 レイもまた、何かあったら即座に対処出来るよう、デスサイズと黄昏の槍をミスティリングから取り出しつつ、セトに声を掛ける。


「セト、一応……本当に一応聞くけど、さっきまでいたオアシスを見つけた時、もう一つのオアシスも見つけたりしたか?」


 セトに尋ねるレイだったが、恐らく違うだろうという思いがそこにはある。

 実際、レイもオアシスを見つけた時は周囲の様子をしっかりと確認はしていた筈だ。

 ……それでも、もしかしたら……本当にもしかしたらの話だが、最初に見つけたオアシスに目を奪われ、もう一つのオアシスには気が付かなかったかもしれない。

 そう思ったからセトに尋ねたのだが……


「グルゥ」


 レイの質問に、セトは間違いなくなかったと喉を鳴らす。

 レイもセトに聞いたのはあくまでも念の為だったので、セトの様子に頷く。


「だよな。……だとすれば、俺達が牙魚を獲っていた間にオアシスが出来たのか? ……まさかな」


 自分の言葉を否定するレイだったが、ここがダンジョンであると考えれば、あるいはそのようなことがあるかもしれないのでは? という風にも思える。

 何しろここはダンジョンなのだから、レイにとっても予想外のことが起きるというのは、不思議なことではない。


「とにかく、何があるか分からない。……もし本当にただのオアシスが出来たとかそういうことなら、それはそれで悪くはないと思うんだが。……微妙な感じではあるな」


 もし本当にオアシスが新しく出来たのなら、レイにとって……そして十九階を通る者達にとって、悪いことではない。

 そう思うのと同時に……


(多分、罠とかそういう感じだろうな)


 そうも思う。

 もしダンジョンの力によって新しくオアシスが出来たとしても、何故レイとセトがもう一つのオアシスにいる時に出来るのか。

 明らかにそれはタイミングが良すぎるし、都合が良すぎるだろう。

 だからこそ、罠か何かではないのかとレイは思っている。

 しかし、それでも新たなオアシスに向かうのは、もしかしたら……という思いがあるのと同時に、罠であった場合は宝箱の罠が何らかの理由で動いた可能性もあると判断したからだ。

 もし後者だった場合、罠の解除が必要ない宝箱がそこにあるということを意味している。


(それに今日は宝箱を一つも見つけてないしな。……十九階は二十階を攻略しているパーティも、殆どスルーして、二十階に到達するのを優先させていたって話だから、宝箱は結構ありそうなんだけど……それがないのは、残念だ)


 レイにしてみれば、夜の砂漠という普通の冒険者にとってはかなり探索のしにくい場所だけに、結構な数の宝箱があるのかもしれないと思っていたのだが、残念ながら今日はまだ一つも宝箱を見つけてはいない。


(もしかしたら砂漠だけに砂に埋まってるとか、そういう可能性もあるのか? ……もしそうだとすれば、そう簡単に見つけることは出来ないだろうな。……セトならどうにかなるかもしれないけど)


 二十階で地面に埋まっており、宝箱の角の部分が少しだけ地上に出ていたのを、セトは見つけている。

 であれば、この砂漠にも同じように宝箱があった場合、セトならそれを見つけられるのではないか。

 そうレイが思う……期待するのは、おかしな話ではない。


「セト……え?」

「グルゥ!?」


 セトに、宝箱が砂漠の中に埋まっていないかどうかを尋ねようとしたレイだったが、その前にレイの口から驚きの声が出る。

 それはセトも同様で、レイと同じく驚きの鳴き声を上げる。

 レイとセトがそのような声を発した理由……それは、つい数秒前……いや、一瞬前までレイとセトの視線の先にあったオアシスが一瞬にして消えたからだ。


「セト……?」

「グルゥ」


 戸惑い混じりのレイの言葉だったが、それを聞いたセトは戸惑った様子で喉を鳴らすだけだ。


「取りあえず、オアシスのあった場所に下りてみるか。……まさか、蜃気楼って訳ではないだろうし」


 レイも蜃気楼が起きる正確な理屈までは分からない。

 だが、それでも蜃気楼というのは暑さ……いや。熱さによるものだというのは分かっている。

 レイはドラゴンローブを着ているので実感はないものの、夜の砂漠ということで真冬に近い寒さなのはレイも理解していた。

 つまり、夜の砂漠という寒い環境の中で蜃気楼が起きる筈はない筈だった。


(となると、やっぱり罠とかそういう感じなのか?)


 砂漠に向かって下りていくセトの背の上で、レイは考える。

 やはり宝箱。

 そうも思うものの、実際どうなっているのかは下りてみなければ分からない。

 セトが砂漠に着地すると、レイはその背から下りる。

 レイの手にはデスサイズと黄昏の槍があり、何があってもすぐ対処出来るようにしていた。

 砂漠の上に立つレイは、履いているスレイプニルの靴で地面を……砂を軽く蹴って見る。

 だが、砂には水で濡れた様子は一切なく、それこそここにオアシスがあったとは到底思えない感触だった。


(水の痕跡はない。だとすれば、やっぱり蜃気楼? いや、けど……夜の砂漠で蜃気楼? まぁ、ここはダンジョンだからと言われれば、そうかもしれないとは思うけど)


 そんな疑問を抱きつつ、レイは周囲の様子をしっかりと確認する。

 しかし、やはり何かがあった様子はなく……


「グルゥ!」


 レイから少し離れた場所で、不意にセトが喉を鳴らす。

 そこにあるのは、警戒の色。

 それを聞いたレイは、素早く構え……


「は?」


 次の瞬間、何故かレイの周囲には海が広がっていた。

 もしこれで何らかの敵が襲ってきたのなら、構えていたレイもすぐに対処出来ただろう。

 だが、敵が襲ってくるのではなく周辺の様子が一気に……本当に一瞬にして変わるというのは、レイにとっても予想外だったらしい。


「蜃気楼……というか、幻影? 幻? そんな感じか?」


 砂漠から海と、正反対の光景になったことに驚きつつも、レイはすぐに落ち着く。

 それでも本来ならすぐに落ち着くのは無理なのだろうが、それが出来たのは海の波飛沫が襲ってきても、一切濡れることがなかったからだ。

 つまり、先程見えたオアシスと同じくこれも本物ではないことはすぐに分かった。


(もし本物だったら……それこそ転移トラップでどこかの海に転移したとか、あるいは十七階の海の階層に転移させられたとか、そういう可能性もあったんだろうけど。この感じだと、そういうのはなさそうだな)


 デスサイズを握っている手をそっと伸ばすものの、やはり濡れるようなことはない。


「セト?」

「グルゥ」


 もしかしてセトと分断されたか? そう思ってセトを呼ぶレイだったが、レイのすぐ後からセトの鳴き声が聞こえてくる。

 声だけではなく気配もしっかりとあるので、そこにセトがいるのは間違いなかった。

 そして振り向けば、予想通りそこにはセトの姿。

 ただし、セトもまた海の上……海面に立っている状態で、そのことからもこの海が幻なのは明らかだった。


「セト、これは幻だよな?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。

 レイはセトも自分と同じように感じていることに安堵しつつ、言葉を続ける。


「そうなると、この幻がどういう理由で起こされたかだ」


 レイにしてみれば、一体これは何がどうなってこうして幻が生み出されたのかが分からない。

 普通に考えるのなら、やはり罠だろう。

 今までは宝箱に罠があるということはあったが、ダンジョンそのものに罠が仕掛けられているということは殆どなかった。

 少なくても、これだけ大規模に罠が仕掛けられているということはなかったのだ。

 そうなると、やはりこの罠は何らかの理由があってのことだろうというのは、レイにも予想出来る。

 ……問題なのは、それが具体的に何がどうなってこうして大規模な幻を生み出されたのか、その理由が分からないということだが。


「いや……待て、待て待て待て。砂漠? 蜃気楼?」


 日本にいる時に何かで読んだ記憶のある漫画や小説、もしくはアニメかゲームか。……そのどれだったのかはレイも思い出せないが、砂漠で蜃気楼を生み出すモンスターとして出て来た存在を思い出す。


「えっと……シン……真? 芯? 審? 伸……いや、違う。蜃? そう、そんな名前のモンスターがいたような」

「グルゥ?」


 知ってるの? とレイに尋ねるセト。

 レイは海の幻影を無視するようにして近付いてきたセトを撫でつつ、口を開く。


「確か……ハマグリか何かのモンスターだったと思うけど……薄らとその辺りの記憶があるだけで、しっかりとは覚えてないんだよな。かなりマイナーなモンスターだったし」


 そう口にした瞬間、海から火山に……それも溶岩がすぐ側を流れているかのような、そんな光景に変わる。


(もしかして、俺の言葉を認識してるとか? ……そんなことはないよな? いや、けどモンスターの詳細を知らないんだし、そういう可能性は充分にあってもいいのか?)


 疑問に思いつつも、レイはそこまで動揺はしていない。

 溶岩の階層となれば、それこそ十五階で何度も経験してきているのだから。

 また、これが最初に……周囲の光景が海に変わった時に溶岩であれば、もっと動揺したかもしれないが、既に周囲の光景は幻影であるというのを理解している。

 そうである以上、二番煎じとでも呼ぶべき状況である以上、そこまで大きく動揺しろという方が無理だった。

 あるいは蜃というモンスターについての知識が全くないのなら、こうして次々に幻影を使われることで怯えたかもしれないが……そういうモンスターだと分かっている以上、レイとしてはそこまで動揺したり、怯えたりといったことはない。


「幽霊の正体見たり枯れ尾花……って奴か? 微妙に違う気もするけど」


 そう言い、レイは笑みを浮かべるのだった。

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