4107話

「うわ……これはちょっと夜の砂漠だからっておかしくないか?」


 十九階にあるオアシスに足を踏み入れたレイとセト。

 そんな中、レイはオアシスを見て思わずそんな言葉を口にする。

 上空から見た時から、オアシスの水が波打ったりしていなかったのは少し気になっていたものの、風が吹いていないので、それも影響しているのだろうとは思っていた。

 だが……実際にこうしてオアシスに近付いて泉となっている場所を見てみると、表面に薄らと氷が張っていたのだ。

 砂漠の夜は寒いのは分かっていた――ドラゴンローブのお陰で実感はなかったが――ものの、まさかオアシスが凍るというのは、レイにとっても予想外だったらしい。

 ……とはいえ、この辺りはレイの認識に間違いがある。

 レイの中では、夜の砂漠というのは寒いとはいえマイナスになるかどうかといったような気温だろうという認識だった。

 だが実際には砂漠の夜の温度というのは、マイナス二十度くらいまで下がることも珍しくはない。

 ましてや、それは地球での話だ。

 ここはエルジィンという異世界で、しかもここはダンジョンの中だ。

 そう考えると、オアシスの泉が凍るくらいのことはそうおかしなことではないのだろう。


「これ……もし水中にモンスターとかがいたら、生きていられるのか? いや、ずっとこの温度なんだから、死ぬようなモンスターならもう死んでるんだろうけど」


 これが普通の砂漠なら、日中になれば温度も上がって氷は溶けるだろう。

 だが、この十九階はずっと……少なくてもレイが見ている限りだと、ずっと夜の砂漠だ。

 当然ながら、泉の氷が溶けるようなことはないだろうとレイには思えた。

 ……実際には、レイがダンジョンに入っていない時、具体的には午前中には昼になっているとか、もしくはもっと大きな周期……それこそ十日に一度だけ昼があるとか、そういうことになっている可能性も否定は出来なかったのだが。


「グルルゥ?」


 凍っている泉を見ていたレイに、セトはどうするの? と喉を鳴らす。

 そんなセトの鳴き声で我に返ったレイは、泉に一歩近付く。

 言葉にせずとも、レイの行動を見れば何を考えているのかは十分に分かる。

 セトもそれ以上は鳴き声を上げることもなく、レイを追うように泉に近付く。

 さぁ……と、そんなレイとセトに向かい、冷たい風が吹き付ける。


「涼しい……いや、寒いとか冷たいとか、そういう風に表現すべきなんだろうな」

「グルゥ」


 レイの呟きにセトも同意する。

 ……もっとも、ドラゴンローブを着ているレイと違い、セトは生身でこの状況でも全く何の問題もないのだ。

 涼しいはともかく、寒いという感想を口にすることはないだろう。

 そんな夜の風が吹く中を、レイはセトと共に泉に近付く。


「凍ってはいるけど……そこまで厚い氷じゃないのか?」


 外から見る限り、泉は氷に覆われているように思えた。

 いや、実際にそれは間違っている訳ではない。

 ただ、こうして泉に近付くと、その氷は少し動いている。

 つまり、薄らと張った氷が泉の水に浮かんでいる……そんな状態なのだ。

 これなら泉の中に棲息するモンスターもいるのでは?

 そう思って氷を揺らしていたレイだったが……


「うおっ!」


 不意に水中から氷を割って、何かが飛び出してきた。

 それを反射的に回避するレイ。

 ……普通なら、反射的に回避したことを褒められるだろう。

 しかし、レイは違う。

 反射的に跳び退りながらも、こちらもまた半ば反射的に右手で腰のマジックアイテム、ネブラの瞳を起動し、鏃を生みだして投擲する。

 もし水中から飛び出してきた何かが、そこまで高い場所まで飛んでおらず、水面のすぐ上辺りを飛んで水中に戻ったのなら、レイの行動も間に合わなかっただろう。

 だが、二m程の高さまで飛び出したその存在……剥き出しの牙を持つ魚は、その高さ故にレイに反撃を許してしまう。

 投擲された、魔力によって生み出された鏃。


「グビャアアアアアア!」


 本来なら、牙を持つ魚の身体は頑強な鱗によって覆われている。

 それこそ腕の悪い戦士が振るう武器では、傷一つ付けられない程に。

 まさに、天然のスケイルメイルとでも呼ぶべき防御力を持つその身体だったが、レイの投擲した鏃はその鱗を容易に貫き、牙を持つ魚に悲鳴を上げさせる。

 ……本来なら、魚には痛覚が存在しないのだが。

 ただ、この魚は見るからにモンスターである以上、痛覚を持っていてもおかしくはないのだろう。

 だが、身体に魔力によって生み出された鏃が突き刺さろうとも、牙を持つ魚をそれだけで殺すといったことは出来ず、更には泉の外まで吹き飛ばすことも出来ない。

 結果として、牙を持つ魚はそのまま泉の表面に張っている氷を突き破って水中に戻ろうとし……


「セト!」


 レイが素早くその名を呼ぶ。

 それだけで、セトはレイが何をして欲しいのかを理解し、一気に跳ぶ。

 ……そう、飛ぶのではなく跳ぶ。

 地面を蹴って前に出たセトは、水中に潜る寸前だった牙を持つ魚の身体を前足の一撃で吹き飛ばす。

 それでいながら、しっかりと手加減をしていたのか、牙を持つ魚の身体が爆散するようなこともなく、泉の外……砂浜の上に叩き落とされた。

 どん、どん、どん、と。

 何度もバウンドをしながら、それでも身体が砕けるといった様子はないままに、地面を転がっていく。


「ふぅ」


 逃がさなかったことに安堵の息を吐くレイ。

 そんなレイの横に、一撃を放った後で翼を羽ばたかせ、上空に上がってからレイの側まで下りてきたセトが着地する。


「グルゥ?」


 これでよかったの? と喉を鳴らすセト。

 レイはそんなセトに笑みを浮かべて頷く。


「ああ、ナイスだ。……それにしても予想はしていたが、まさかここまで凶暴な魚がいるとは思わなかったな。魚である以上、地上に出てしまえばどうしようもないみたいだが」


 ビチビチと砂の上で跳ねている魚を見ながら、レイは呟く。

 セトの一撃を食らってまだあそこまで元気なのを褒めるべきか、それとも身体が砂まみれになるから暴れるなと言うべきか。


「ともあれ、ダンジョンにいる以上はモンスター……だよな?」


 自信がないのは、ジャングルの階層で虫が普通にいたことを思い出したからだろう。

 とはいえ、こうして牙を剥き出しにした魚……それも一m以上の大きさの魚となれば、普通に考えてモンスター以外のなにものでもないだろう。

 実際、レイの目から見ても普通の魚には思えない。

 ……そもそも、それなりの広さを持つこの泉だが、このようなメーター級の魚が棲息するのは不可能に近いように思える。


「これがモンスターだとすると……最低でももう一匹は確保する必要があるな」

「グルゥ! ……グルルゥ?」


 レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らすものの、一体どうやって確保するの? と喉を鳴らす。

 レイは当然ながらそんなセトの考えを理解し……


「あの魚は俺がちょっと氷を動かしたら、それだけで反応してきた。……それだけ空腹だったのだろう。つまり、釣り……いや、釣り竿とか針がないからちょっと違うか? とにかく、少し氷を動かせば、その振動が水中に広がって上で何かが動いたと判断して、同じ種類の魚が出てくる可能性がある」

「グルゥ」


 なるほど、と。セトはレイの言葉に納得した様子で喉を鳴らす。

 実際に泉に薄らと張られている氷を少し動かしたくらいで、いきなり水中から牙を持つ魚が飛び出してきたのは間違いないので、レイの言葉には一理あると……そう思ったのだろう。


「この牙を持つ魚……毎回こう言うのは面倒だな。省略して牙魚でいいか。この牙魚は、それだけ餓えているのか、単純に食欲に貪欲なだけなのか。その辺は分からないが、誘き出すには楽な相手……あ、その前にあっちで騒いでいる牙魚を倒してしまうか」


 レイがセトと話している間も、最初に襲ってきた牙魚は砂の上でビタンビタンと激しく動いている。

 こうして激しく動いていると、それこそ砂の中にいるモンスターが襲ってくる可能性は充分にあった。

 ……それだけではなく、レイが見た限りでは牙魚はビタンビタンと暴れつつ、次第に……少しずつではあるが、泉に近付いているように思えた。

 つまり、こうして暴れながら自分の住処である泉に戻ろうとしているのではないか。

 そのようにレイには思えたのだ。

 だからこそ、折角釣り上げた……いや、正確にはセトの前足の一撃で吹き飛ばしたのだが、とにかく水中から地上に上げた魚をそのままにしておくという選択肢はレイにはない。


「グルゥ? ……グルゥッ!」


 レイの言葉にセトは砂漠の上をビタンビタンと跳ねている牙魚に視線を向け、自分が吹き飛ばした場所から随分と近くまで来ていることに気が付き、驚きに喉を鳴らす。


「な? あのままだと泉の中に戻ってしまいそうだ。その前にきちんと倒してしまおう」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らし、必死になって泉に戻ろうとしている牙魚に近付く。

 牙魚も、自分に近付いてくるのがセトだと……先程自分を吹き飛ばした相手だと気が付いたのだろう。

 レイが牙魚と呼ぶ理由となった剥き出しの牙をカチカチと鳴らして威嚇する。

 ……もっとも、セトはそんな牙魚の威嚇については全く気にした様子もなかったが。


「グルルゥ!」


 鳴き声を上げ、素早く前足の一撃を振り下ろす。

 あっさりと……それはもう、本当にあっさりと牙魚はその一撃で命を落とした。

 また、解体する時のことを考えたのか、セトの一撃は牙魚の命を奪いはしたものの、その身体を破壊するようなことはしていない。

 これなら美味い魚の身を食べられるなと、嬉しく思いながらセトを褒める。


「よくやってくれたな、セト。これで上手い具合に解体出来ると思う」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 レイはそんなセトを撫でつつ、改めて泉に視線を向ける。


「さて、じゃあこの牙魚も倒したことだし、最低でももう一匹は牙魚を見つけないとな」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトはやる気満々といった様子で喉を鳴らす。

 レイとセトは泉の前まで移動すると……泉に浮かんでいる薄い氷を軽く突く。

 ツンツンと、そうして突くが……すぐには何の反応もない。

 それを残念だと思いつつ、それでもレイは氷を突き続けていた。

 まるで、氷の上に何らかの生き物がいるかのように……そして砂漠という場所で慣れない氷に戸惑っているかのように。

 ……ただし、これは力が強すぎると氷が割れてしまうので、力加減には注意する必要があった。


(いや、氷が割れたら割れたで、虫か鳥か……とにかく、泉に落ちて混乱して溺れているように見せ掛ければ、あるいは……それに騙されて襲ってくる牙魚もいるか?)


 そんな風に思っていると、月明かりと星明かりだけが光源の中で、氷の下に……水中を急激に上がってくる影を見つける。


「来た!」


 そうレイが言うと、暇そうに周囲の様子を眺めていたセトが、真剣な表情になってレイの側までやってくる。

 そして、セトが泉の側で準備を整えた次の瞬間、薄い氷を割って水中から飛び出してくるのを見たレイは、素早く氷を突いていた指を引っ込めていた。

 先程の……最初に氷を突き破って姿を現した牙魚と同じく……いや、それ以上の高さまで達する牙魚。……それも、二匹。

 それを見たセトは、素早く前足の一撃を連続して放つ。

 牙魚は空中ではせいぜいが身体をくねらせるようなことしか出来ず、セトの一撃によって二匹揃って吹き飛ばされた。


「よし!」


 まさか二匹同時に飛び出してくるとは思わなかったものの、レイにとってはラッキーでしかない。

 日頃の行いの成果だな。

 そう思うレイだったが、もしその考えを他の誰かが聞いたら、一体何の冗談だ? と鼻で笑うか、ふざけるなと怒鳴るなりしていただろう。


「セト、まずは牙魚を仕留めるぞ!」


 セトが吹き飛ばした牙魚だったが、ある程度の手加減をしてはいたのだろう。

 最初に飛び出してきた牙魚よりは、泉に近い場所に落ちていた。

 これは仕留めるのに離れた場所に移動しなくてもいいというのはレイにとって楽ではあるが、同時にビタンビタンと暴れている牙魚が泉に戻ろうとする距離が近いということでもある。

 その為、レイはセトと共に一匹ずつ牙魚を揃って仕留める。

 水中でなら自由に泳げるので倒すのに苦労するかもしれないが、こうして地上に上げてしまえばどうということはない。

 レイはデスサイズであっさりと、そしてセトは前足の一撃であっさりと二匹の牙魚を倒すことに無事成功する。

 こうして、レイとセトは合計三匹の牙魚を倒すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る