4092話

「うーん……やっぱり二十階というのは無理だったか?」


 既に夕方となり、ギルドは忙しさのピークを迎えていた。

 レイはギルドの外で、宝箱の依頼を受けた誰かが声を掛けてくるのを待っている。

 夕方ということもあり、ダンジョンから……あるいは転移水晶から次々に今日のダンジョンの探索を終えた者達が姿を現しては、ギルドに入って行くのが見える。

 そして喜怒哀楽、様々な表情を浮かべた者達がギルドから出て、街中に向かうのだが……そのような者達の中で、今のところレイに声を掛けてくる者はいなかった。

 その為、レイは特にやることもなく、セト好きの面々がセトと遊んでいる光景を眺めたり、ギルドの側にある屋台で串焼きを買って食べたりしている。


「くそっ、もう少し高く売れると思ったんだけどな」

「しょうがないわよ。素材にあそこまで傷がついてちゃ。……だから、倒す時に気を付けてって言ったのに」

「へーへー、俺が悪うございました」


 ギルドでの買い取りが上手くいかなかったのだろう。

 不満そうな様子でパーティが歩いていくが……


「あれ? レイ教官ですか?」


 その中の一人が足を止め、近くにいたレイに声を掛ける。

 教官と呼ばれたレイは、それだけでそのパーティがどのような者達なのかを理解する。

 実際、声のした方に視線を向けると、そこにいたのは見覚えのある顔だった。

 具体的には、数日前に冒険者育成校の午前中の授業で模擬戦の時に見た顔。


「お前達は見た感じ、これから打ち上げか?」

「あー……いや。ちょっとその……素材が安く買い叩かれてしまったので、打ち上げは……」

「馬鹿、安く買い叩かれたんじゃないってば!」


 そんなやり取りに、レイはどこか微笑ましい光景でも見るようにしながら口を開く。


「モンスターを倒す時、高く売れる素材……牙とか爪とか、毛皮とか、そういう場所には出来るだけダメージを与えないようにして倒す必要があるぞ」


 ドワイトナイフを使えば、多少は何とかなるけど。

 そう思ったレイだったが、当然ながら実際にそれを口にするようなことはない。

 もしドワイトナイフについて口にすれば、それこそ生徒の中にはドワイトナイフを貸して欲しいと言ってくる者がいるのは明らかだったからだ。

 当然ながら、そのようなことがあった場合であってもレイはドワイトナイフを貸そうとは思わない。

 そんなに使いたかったら、自分で買えと言うだろう。

 ……一般的な冒険者に購入するのはまず無理だろうから、もしガンダルシアの冒険者でそれが欲しいのなら、それこそダンジョンの宝箱で見つけるしかないだろうが。


「分かってるんですけど、戦いの中ではそこまで考えてはいられませんよ」


 生徒の中でも、安く買い叩かれたと不満を持っている男がレイに向かってそう言う。

 すると残り二人の女が、そんな男の言葉に納得出来ないといった様子で口を開く。


「だから、冒険者としてやっていくんなら、戦いの中でもその辺について考える必要があるってことでしょ!?」

「そうよ。それくらいのことが出来ないで、本当に冒険者として成功出来ると思ってるの?」

「ぐむぅ……いや、けどそれは……」


 男は二人の仲間に同時に注意され、何かを言おうとしたところで……


「ちょっといいかしら?」


 不意にそんな風に声を掛けられ、動きが止まる。

 そして、三人揃って声のした方に視線を向けると……三人のパーティのうち、男がその女に目を奪われる。

 それだけ、声を掛けてきた女は美人だったからだ。

 ……もっとも、男が声を掛けてきた女に見惚れているのを、男の仲間の女二人は不満そうに見ていたが。

 そんな生徒達とは違い、レイはそのような美人に声を掛けられても特に動揺したりはしない。

 以前話したことがある相手だったからというのが、この場合は大きいのだろう。


「オリーブ?」


 そう、女の名前を口にする。

 その女は、昨日宝箱を開ける依頼を受けてもらったオリーブだった。

 久遠の牙と同じく……そして今となってはレイと同じく、二十階を探索しているアイネンの泉というパーティに所属している女。


「昨日ぶりね。……それにしても、まさか昨日の今日でもう追いつかれるとは思っていなかったけど」

「その言葉からすると、俺が出した依頼を受けたのか?」


 オリーブの言葉にあった追いつかれたというのは、レイ達が二十階に到達したことを示しているのは明らかだった。

 何故それを知ってるか。

 勿論、アイネンの泉が二十階を攻略している以上、もしかしたら二十階でレイとセトを見た……という可能性も否定は出来ないだろう。

 だが、そうではない場合。

 レイが宝箱の罠の解除や鍵を開けるのを依頼した件で、それを引き受けようとした者なら、アニタから、あるいは他の受付嬢からそれが二十階の宝箱であるというのは聞かされている筈だった。

 そこからレイが二十階に到達したと予想するのは、難しい話ではない。

 オリーブも依頼を受けた件を隠そうとはせず、素直に頷く。


「ええ、そうよ。……今日の依頼を勝ち取ったのは私」


 自慢げに言うオリーブだったが、レイはそんなオリーブに呆れの視線を向ける。


「勝ち取ったって、また大袈裟だな」


 だが、そう言うレイに対し、オリーブはレイと同様、あるいはレイよりも強い呆れの視線を向けながら口を開く。


「あのね、以前まで……もっと浅い階層ならともかく、もう活動しているパーティは殆どいない階層よ? それも昨日は十八階だったのに、今日は二十階。そんな階層の宝箱を開けて中身が幾らか貰えるのなら、それをやりたいと思う人は多いに決まってるでしょう」


 そう断言するオリーブ。

 実際には宝箱を開ける依頼を受けた時は、前もって決まった金額を貰うか、それとも宝箱の中身の割合によって報酬を変えるかといったことになっているのだが、オリーブにとっては既に宝箱の中身の割合一択なのだろう。

 ある程度のランダム性があるとはいえ、二十階の宝箱ともなれば相応の良い物が入っている可能性の方が高いので、当然かもしれないが。


「そういうものか? 俺としては宝箱を開けてくれればそれでいいんだけどな。それで今の話を聞いた限りだと聞く必要はないと思うけど……報酬については、中身の割合でいいんだな?」

「ええ。じゃあ、行きましょう。中身が気になるわ」


 嬉しそうに笑みを浮かべ、そう言うオリーブ。


「あ、ちょっ……そのレイ教官。宝箱を開けるって奴、俺も見てもいいですか?」


 先程まで話していた生徒達のパーティの男が、慌てたようにレイに言う。

 レイが宝箱を開ける依頼を出しており、その依頼を受けた者は訓練場で宝箱を開けるというのは、生徒達の間でもそれなりに知られたことだった。

 実際に今までも生徒の中に宝箱を開けるところを見た者がいるし、レイも別に隠している訳ではないのだから。


「それは別にいいけど……今回は二十階の宝箱だから、場合によっては危険だぞ?」

「レイ教官が二十階に到達して入手した宝箱を開けるところ、見逃したくはないですから!」


 そう言う男だったが、視線がチラチラとオリーブに向けられているのを見れば、何が目的なのかは明らかだった。

 それを察したパーティメンバーの二人は、それぞれ男の耳を掴む。


「痛っ! おい、ちょ……痛いって、あ、ビリって、ビリって!」

「ほらほら、行くわよ。私達はまだ浅い階層で行動してるんだから、レイ教官の邪魔にならないようにしようね」

「そうそう、そういうのを見るのなら、十五階……せめて十階までは到達してからにしましょう」


 耳を引っ張りながら、そう言う女達。

 男はそれに抗議の声を上げるも、耳を引っ張られている以上、抵抗は出来ない。

 結果として、最後の最後までオリーブに目を奪われながらも、二人の女達に引張られていくのだった。


「あの子達、レイの知り合い?」

「ああ。俺が冒険者育成校で教官をやってるのは知ってるだろう?」

「ふーん。……元気一杯って感じね」


 オリーブが口にした元気一杯というのは、文字通りの意味ではなく、自分を見ていた男の様子を見てのことなのは明らかだった。


「まぁ、年頃だしな」

「……その割には、一緒にいた二人の気持ちには気が付いていないようだけど?」

「まぁ、年頃だしな」


 数秒前と全く同じ言葉。

 だが、当然ながらそこに込められた意味は大きく違う。

 オリーブもそんなレイの様子に気が付いていたが、特に突っ込むことはしない。

 オリーブも自分が美人だというのは十分に理解している。

 それだけに、先程の男のような視線を向けられるのは珍しくはない。

 ……いや、先程の男に向けられたのは、年上のお姉さんに向ける憧れの視線だ。

 男から向けられることが多い、欲望の視線ではない。

 そういう意味では オリーブとしてもそんなに不愉快には思わなかった。


(けど……そういう意味では、レイからは欲望の視線は勿論、さっきの男の子のような視線も向けられたことがないのよね)


 それを少し……少しだけ不満に思うオリーブ。

 オリーブも、別に男から欲望の視線を向けられたいと思っている訳ではない。

 だが、それでも自分の美貌にそれなりに自信を持つ身としては、一切自分の美貌に興味がないといった様子のレイには、女として不満もある。


「どうした?」

「いえ、何でもないわ。いつまでもここにいてはなんだし、訓練場に行きましょうか」


 かといって、それを堂々とレイに言える筈もないので、そう誤魔化す。

 ……オリーブにとって不運だったのは、レイの仲間にエレーナ、マリーナ、ヴィヘラという極上の……それこそ、歴史上稀にみる美女がいたことだろう。

 オリーブも間違いなく美人だが、エレーナ達と比べればどうしても負けてしまう。

 そんなオリーブとレイがセトを回収して訓練場に向かうと、そこにいた者達はすぐに慣れた様子でレイ達の側に集まってくる。

 本来はここはあくまでも訓練場で、冒険者としての訓練をする場所なのだが、毎日のようにレイが宝箱を開ける依頼をしてここで開けているので、それを見たい者達がそろそろだろうと待っているのだろう。

 中には昨日と同じくオリーブ目当ての者もいたが。


「さて」


 訓練場の中央付近までやって来たところで、オリーブが足を止めてレイを見る。


「レイ、この宝箱の件について話せば、レイがどこまで進んだのかも知られることになると思うけど、それは構わない? 知られたくないのなら、誤魔化すけど」

「いや、別にその件については話しても構わない。どのみちそう遠くないうちに知られるだろうし」


 レイとアニタの会話が聞こえた者もいるかもしれないし、先程の生徒達との話でも少しその辺の話は出て来た。

 であれば、そこから話が広がる可能性は十分にあったし、それを抜きにしてもレイは自分がどこまで攻略しているのかといったことを隠すつもりはない。

 その為、オリーブに問題はないと告げたのだ。


「そう、分かったわ」


 オリーブもレイの言葉に軽くそう返す。

 オリーブが所属するアイネンの泉も、現在二十階を攻略している。

 それは別に隠していないので、レイがそこまで気にしていないのなら、別に自分がその件についてそこまで気にする必要はないと判断したのだろう。

 レイの承諾を得たオリーブは、周囲に集まっている者達に向かい、口を開く。


「これからレイがダンジョンで回収してきた宝箱を開けるわ。けど、この宝箱は二十階の宝箱だから、かなり強力な罠が仕掛けられている可能性があるから、万が一の時に巻き込まれたくない人は避難してちょうだい」


 ざわり、と。

 オリーブの言葉を聞いた冒険者達はざわめく。


「おい、俺の聞き間違いか? 今、二十階って聞こえたような気がするんだけど」

「いや、聞き間違いじゃないって。俺にもそういう風に聞こえたし」

「じゃあ……つまり、レイは二十階に到達したのか? 昨日の宝箱は十八階だっただろう? つまり、今日だけで十九階を」

「うっそだー……いや、本当に嘘だよな? 冗談だよな? 誰か、そうだって言ってくれ」


 冒険者達のざわめき。

 当然ながらそのざわめきはレイにもしっかりと聞こえてはいるのだが、それに対してレイが何かを言うようなことはない。


(実際、セトがいたからこそ十九階は今日だけで攻略出来たんだしな。普通に歩いて移動するとなると……運が良ければ、本当に運が良ければ、二十階に続く階段に真っ直ぐ行けるかもしれないけど)


 どういう理由か、二十階に続く階段の周囲にある砂は光っていた。

 ある程度の距離があっても光っている砂は見つけることが出来る筈だった。

 ……もっとも、何の手掛かりもないままに夜の砂漠を移動して光っている階段を見つけるのは、かなり難しいのは間違いなかったが。

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