4081話

 氷の魔剣を売った翌日……いつものようにレイがセトと共に冒険者育成校の校舎に向かっていると、校門の前でマティソンが真剣な表情でレイを待っていた。


「レイさん、おはようございます」


 真剣な表情のまま、レイに朝の挨拶をするマティソン。

 レイはそんなマティソンの様子を不思議に思いながらも、言葉を返す。


「ああ、おはよう」

「グルゥ」


 レイを真似したのか、セトもマティソンに向かっておはようと喉を鳴らす。

 マティソンはそんなセトにも挨拶をすると、レイに向かって口を開く。


「レイさん、少し話が……いえ、相談があるんですけど、構いませんか?」

「相談? まぁ、いいけど」


 マティソンには色々と世話になっているので、レイとしてもここで断るという選択肢はなかった。

 これがもしアルカイデからの要望であれば、あるいは断っていたかもしれないが。


「ありがとうございます。では……まずはセトを厩舎につれて行きましょうか。それから相談に乗って下さい」


 そう言うマティソンの言葉に、レイは頷くのだった。






「ここならいいでしょう。誰かに話を聞かれる心配もなさそうですし」


 セトを厩舎に預け、護衛をする冒険者達に軽く挨拶をした後、レイはマティソンに連れられて職員室から少し離れた場所にある教室にやってきた。

 この教室は具体的にどのようなことに使うのかは、レイにも分からない。

 ただ、特に散らかってるようにも思えないことから、生徒が増えて教室が足りなくなった時に使うのだろうなとは予想出来たが。


「そこまで厳重にする必要があることなのか?」

「はい。出来れば他の人には聞かれたくないことなので」

「……分かった」


 教官の中でも冒険者達の派閥を纏めているマティソンがここまで言うのだ。

 相応に重要なことなのだろうというのは、レイにも容易に予想出来る。

 であれば、何を聞いても驚かないようにしようと思いながら、レイはマティソンの真剣な視線を受け止める。


「それで、用件は?」

「実は昨日、レイさんがギルドの訓練場で開けた宝箱の中から、魔剣が……それも相当に強力だと思われる魔剣が出たと聞いたのですが」

「ああ、その話か」


 レイも昨日の今日なので、恐らくは誰かに聞かれるだろうなとは思っていた。

 これがダンジョンの中で開けた宝箱であれば、偶然一緒に行動していた他のパーティか、あるいは同じパーティの仲間しかその宝箱の中身は分からないだろう。

 だが、レイが昨日開けた――正確には、開けたのは依頼を受けたオリーブという女だったが――宝箱は、ギルドの訓練場で、それも多くの者が見ている中で開けたのだ。

 そして中身が魔剣であるというのも、多くの者が知っている。

 ましてや、レイが宝箱を開ける依頼を出すというのが、ギルドにおいて恒例の出来事だ。

 少しでも自信があれば……あるいは自信がなくても、情報収集的な意味で何階の宝箱を開ける人員を募集してるのか、受付嬢に聞けばすぐに知ることが出来る。

 特に昨日の宝箱は十八階――正確には十八階からしか行くことが出来ない十七階――にあった宝箱だ。

 危険な罠の類があってもおかしくはないし……実際、オリーブが解除はしたものの、かなり凶悪な罠が仕掛けられていたと聞く。

 そんな危険な罠が仕掛けられた、深い階層にある宝箱から出て来た魔剣。

 それが噂になって広がらない訳がなかった。


「はい。前置きはなしにして、率直に言います。その魔剣、私に譲ってくれませんか?」


 真剣な……本当に真剣な表情。

 それこそ金を払えと言われれば、出せる限りの金を出してもおかしくはない。

 そんな雰囲気を発するマティソンだったが、レイはそんなマティソンに対し、首を横に振る。


「悪いな、それは出来ない」

「……何ででしょう? レイさんが満足出来るだけの代金は支払うつもりですが」

「あー……いや、そういう訳じゃなくてな。あの魔剣はもう売ったんだよな」

「売っ……た……?」


 信じられないといった様子でレイを見るマティソン。

 だが、レイはそんなマティソンの言葉に頷きを返す。


「そうだ、売った。……マティソンがあの魔剣についてどこまで情報を持っているのかは分からないけど、俺は昨日訓練場で実際に魔剣を使ってみた。それについては知ってるか?」

「はい。その……あまりいい結果ではなかったと」


 言葉を選んで言うマティソンに、レイは微妙な表情を浮かべて頷く。


「そうだな。それは間違いない。……けど、それを知ってる割には、よくあの魔剣を買おうと思ったな?」


 レイが人前で氷の魔剣を使った時、薄らとした氷が魔剣の刀身を覆っただけだ。

 レイの事情を何も知らない者であれば、そのような魔剣はとてもではないが欲しいとは言わないだろう。

 だが、マティソンはこうしてレイに魔剣を売って欲しいと……それも相応の……いや、かなりの金額を出してもいいと、そう言ってきたのだ。

 普通に考えれば、金をドブに捨てるようなものだろう。


「レイさんが炎魔法を得意としているのに関係してるんだろうなと思いまして」

「……そうだな。正解だ」


 レイの言葉にマティソンは目を輝かせる。

 マティソンにも、決して確信があって今回の取引を持ち掛けてきた訳ではないのだろう。

 だが、レイの反応から自分の考えが当たったのを理解した。

 もっとも、それはそこまでおかしな話ではない。

 あの魔剣はレイが見た限りでも間違いなく一級品だった。

 ……実際にレイが使ってみると、その魔剣は薄らとした氷しか出せなかったが。


(いや、俺が使っても薄らとした氷が出たという時点で、凄いのかもしれないな)


 そう思いながら、レイは改めて口を開く。


「とにかく、あの魔剣は俺以外の者が使ったら強力かもしれないが、俺が使っても役に立たない。なら、俺が持っていても仕方がないだろう?」


 実際にはミスティリングに収納しておいて、いざとなったら……自分以外の者に使わせてもいいかもしれないとはレイも思っていたのだが。

 それよりもガンダルシアの冒険者の強化に使った方がいいだろうと、最終的には売るという決断をしたのだった。


「とにかく、あの魔剣はもう俺の手元にはない。どうしても欲しいのなら、自分で探してくれ」

「どこの店に売ったのかは教えて貰えないんですか?」

「悪いな」


 猫店長の店と、教えてもいいかもしれない。

 そう思ったレイだったが、それを教えればマティソンはすぐにでも猫店長の店に行くだろう。

 そしてレイからこの店に売ったと聞けば、猫店長もレイが教えたのならと、売る可能性は否定出来なかった。

 もっとも、猫店長の店に入るのは特殊な手順が必要だ。

 もし猫店長の店だと知らせても、マティソンがそれを知らなければどうにもならないのだが。


「……分かりました。自分で探してみます。その代わり、私がその魔剣を手に入れても、後から文句を言うのは止めて下さいね?」

「そのつもりはないから、安心しろ」


 もしマティソンが猫店長の店に辿り着き、魔剣を購入出来たのなら、それは猫店長がマティソンを認めたということだ。

 レイに配慮したのではなく、猫店長の目に適ったのなら、それについてはレイも不満を言うつもりはない。


「分かりました。では、そうさせて貰います」


 そう言い、マティソンは決意を込めた目で教室を出ていく。

 レイもまた教室を出たが、マティソンは職員室に向かうのではなく、そのまま冒険者育成校の敷地を出ていく。

 どこに向かったのか……何をしに向かったのかは、レイも先程までの会話から理解出来る。

 教官の仕事は? と思わないでもなかったが、冒険者が雇われて教官をしている場合、冒険者としての行動の為に教官の仕事を休んでもいいということになっている。

 マティソンはその権利を使ったのだ。


「これ、俺が職員室に行ったら、マティソンはどうしたと聞かれないか?」


 マティソンは校門前でレイを待っていた。

 そんな二人が話している光景を、何人もの者達が見ているのは間違いない。

 であれば、その中には教官がいてもおかしくはなく……


「あれ、レイ。マティソンはどうしたんだ? 一緒だったんじゃないのか?」


 予想通り、レイが職員室に入ると近くで他の教官と話していたニラシスがそう聞いてくる。


「マティソンは俺との話が終わった後で、用事があるって出ていったぞ」

「ふーん。……なぁ、マティソンの話は別として、昨日凄い魔剣を手に入れたって聞いたぞ? 見せてくれよ」

「あの魔剣は俺向きじゃなかったから、昨日のうちに売り払ったから、もう手元にはない」

「……本当に売ったのか?」


 ニラシスが聞いた情報では、魔剣はかなりの品だというのがあったのだろう。

 だからこそ、レイがその魔剣を売ったというのは納得が出来なかったらしい。

 驚いているのはニラシスだけではない。

 ニラシス以外にも、魔剣についての情報を得ていた者はいたのだろう。

 だからこそ、レイが魔剣を売ったという話を聞き、何人もの者達が驚いていた。

 ……冒険者組だけではなく、アルカイデの取り巻きの中にも、そして教師の中にも、驚いている者がいた程だ。

 それだけ、レイが昨日宝箱から入手した魔剣については多くの者が気になっていたのだろう。


(一体、どれだけ情報が流れているのやら)


 そう思うも、昨日の宝箱の時に集まっていた者達の様子を思えば仕方がないのだろうと、レイは思う。


「ああ、売った。ニラシスが知っての通り、俺の武器はデスサイズと黄昏の槍だしな。長柄の武器は得意だが、長剣の類はそこまで得意って訳じゃないしな」

「けど……だからって、それでも売るのは勿体なくないか?」

「そう思わないでもないけど、俺の場合は持ち続けると、どこまでも溜まるし」


 レイの言葉に、ニラシスはそういうものかと納得する。

 ……それでも完全に納得した様子ではないのは、それだけ魔剣に強い興味を持っていたのだろう。


「それでも、やっぱりしみじみ勿体ないと思うけどな。俺なら凄い魔剣を手に入れたら、武器を代えてもおかしくはないんだが」


 そんなニラシスの言葉に、話を聞いていた他の者達が同意するように頷いている者が何人もいた。

 そのような者達にしてみれば、レイの行動が理解出来なかったのだろう。


「その辺はそれぞれの考え方次第だろ。俺はそうするつもりがなかったってだけで」

「……ちなみに、レイが魔剣を売ったのって、どこの店だ?」


 ニラシスのその言葉に、周囲にいる者達の表情が大きく変わる。

 レイの見つけた魔剣を、もし自分が入手出来たら……それは、非常に得だと、理解したからだろう。

 冒険者は勿論、アルカイデ率いる貴族派の者達も……そして何故か、教師をしている者達ですら、レイに期待の視線を向けていた。

 そんな面々に対し、レイはどう答えるべきかと考え、やがて首を横に振る。


「店に売ったというのは教えたが、具体的にどこの店に売ったのかは秘密にさせて貰う」


 マティソンにも、どの店に売ったのかは秘密にしているのだ。

 そうである以上、ここでわざわざその件について教える必要はないだろうと、そう判断しての言葉。


「えー……まぁ、レイがそう言うのなら、仕方がないか。ここで無理に話を聞こうとしても、レイのことだからまず話さないだろうし」


 ニラシスも、レイと一緒に行動することが多かったので、こういう時のレイは何を言っても大人しく話してはくれないだろうと理解し、それ以上は突っ込まない。

 ……周囲で話を聞いていた他の者達は、そのくらいで諦めるな。もっとしっかりと話を聞けと、そう視線で言っていたが、ニラシスがそれに応えることはなかった。

 ニラシスにしてみれば、これ以上聞いても無理だろうし、最悪レイを怒らせるだけだというのを理解している。

 だからこそ、自分ではこれ以上突っ込もうとは思わない。

 そんなに聞きたいのなら、自分で聞けというのがニラシスの正直な気持ちだった。

 そしてニラシスが聞くのを止めると、それから改めてレイに売った店について聞くような者はいなかった。

 ここでレイに無理を言っても、機嫌を損ねるだけだというのを理解しているのだろう。


「魔剣かぁ。……俺も早いところレイに追いつきたいところだけど……それは難しいだろうな」


 話題を変えようと思ったのか、ニラシスがそう言う。

 レイもそんなニラシスの考えは分かっていたが、どの店に売ったのかといったことを延々と聞かれるよりは、話題を変えるのに付き合った方がいいだろうと考え、頷く。


「俺の場合はソロだし、セトもいるからな。パーティで活動する者達だと、追いつくのはそう簡単なことじゃないと思うぞ。もっとも、そんな俺よりも先に進んでいる者達もいるんだが」

「いや、それはレイよりも早くダンジョンに潜っていた連中だろう? どのみち、そういう連中をごぼう抜きにしていったんだから、そういうのをレイが言っても聞く奴によっては嫌味に思えるぞ」

「そうか? 悪い、気を付ける」


 そう言いながら、レイは朝礼が始まるまでの時間を潰すのだった。

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