4076話

「貴方がレイさんでいいのよね?」


 宝箱の件でアニタに依頼を終えた後、ギルドの前でセト好きがセトと遊んでいる光景を眺めていたレイにそんな風に声が掛けられる。

 声のした方に視線を向けると、そこには二十代程の……美人という表現が相応しい女の姿があった。

 落ち着いた大人の女といった感じで、身軽さを重視している為かかなり露出の激しい格好をしている。

 一瞬……本当に一瞬だったが、もしかしたらハニートラップか? と思ったレイだったが、女の様子を見る限り、レイを誘うような様子は見えない。

 もっとも、ハニートラップを仕掛ける場合であっても、それを相手に悟らせないようにするのはそうおかしな話ではなかったが。

 ともあれ、レイは女から自分に対する悪意や害意のようなものは感じられなかったので、ハニートラップの心配はないと判断する。

 ……自分に声を掛けてきた相手がハニートラップの為に近付いて来た疑いがあるのではないかというのは、少し大袈裟すぎるだろう。

 だが、レイに声を掛けてきた女は、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラといったような歴史上希に見る美女といった者達には及ばなくても、間違いなく美人という表現が相応しい顔立ちをしている。

 また、露出の激しい服装の為に、その女らしい身体付きをしっかりと見て取ることが出来るのだ。

 そんな女が声を掛けてきたのだから、レイの立場としてハニートラップを疑うなという方が無理だろう。

 そんな警戒心を僅かに声に乗せ、レイは口を開く。


「ああ、俺がレイだけど。何の用件だ?」


 女は当然のように自分がレイに警戒されているのは理解していたが、それを気にせず言葉を続ける。


「宝箱の依頼よ。出したでしょう?」

「……ああ」


 女の言葉はレイにとっても意外だったが、それでも宝箱の一件についてはレイが依頼をしたのは間違いのない事実。


「依頼を受けてくれたのは感謝する。それで、依頼料の方はどうする? アニタから聞いてるよな?」

「ええ、聞いてるわ。報酬については、宝箱の中身によって割合が変わる方でお願い」


 宝箱を開ける依頼を受けてくれたのだから、レイにとってはその件について特に不満はない。


「ああ、そう言えば自己紹介をしておく方がいいわね。アイネンの泉に所属する盗賊のオリーブよ。よろしくね。……ちなみに、私達は現在十九階を攻略してるわ」

「……へぇ」


 自己紹介についてはレイもそこまで気にしはしなかった。

 名前を知ることが出来たのはよかったが、それだけでしかない。

 だが、現在十九階を探索していると聞けば、それを気にしない訳にはいかなかった。


「十九階を?」

「ええ。そもそも、レイが依頼をした宝箱は十八階にあった宝箱なんでしょう? ……正確には、十七階らしいけど」

「まぁ、そうだな」


 今回の宝箱は十八階から十七階に続く階段の上……宝箱だけが置かれてある部屋があったのだ。

 そうである以上、普通に十八階に置かれている宝箱よりも凶悪な罠であったり、厳重な鍵があってもおかしくはない。


「そういう宝箱を開けるとなると、その辺の冒険者には出来ない……訳じゃないけど、かなり難しいわ」


 そう言われると、レイとしてもそうだろうなと頷くことしか出来ない。


「そうか。じゃあ、頼む。……ちなみに、アニタからは聞いてると思うが、希望者には宝箱を開けるのを自由に見て貰うってことになってるのは知ってるよな?」

「ええ、その辺については聞いてるわ。……正直なところ、その件に思うところはあるけど……ただ、今の状況を考えると、それも仕方がないとは思うわ」


 オリーブにしてみれば、自分の技術を他人に見せるのは面白くないのだろう。

 それはレイにも理解出来る。

 何しろ、オリーブのパーティは、十九階の探索をしているのだ。

 それだけ腕利きの盗賊の技量を見せるというのは、オリーブの立場としては面白くないだろう。

 ……とはいえ、それを説明された上で依頼を受けた以上、オリーブとしてもその件についてどうこうと言うつもりはなかったが。


「なら、いい。じゃあ、行くか。……セト!」

「グルゥ!」


 レイが声を掛けると、すぐにセトは喉を鳴らし、セト好きの面々と遊ぶのを止めてレイの方にやって来る。

 セト好きの面々はセトと遊ぶのが終わったのを残念に思ってはいたが、その不満を口に出す者はいない。

 もしここでそのようなことをしたら、セトに嫌われてしまうと理解してるのだろう。

 セト好きの面々にとって、セトに嫌われるというのは一番避けたいことだ。

 ……中には、自分がセトと遊んでいるとセトが喜ぶので、レイよりも自分の方がセトと一緒にいるのに相応しいと、そのように思う者もいないではなかったが。

 ただ、そのような者は他のセト好きによってそれとなく排除されている。

 普通のセト好きにしてみれば、そのような自分勝手な者の行動によって、セトが自分達と遊んでくれなくなるといったことは避けたかったのだろう。

 その為に、セトの周辺は危うい一線がありながらも、今はまだ特に何がおきたりといったことはないままだった。

 ……その辺りの事情を、セトは全く理解していなかったが。

 そうしてレイとセト、オリーブ、それとオリーブが宝箱を開けるのを見たい者達が事情を察し、訓練場に向かう。

 中には宝箱ではなく、露出の激しい服装の美人であるオリーブをもっとよく見たい。あわよくばお近づきになり、一夜を楽しみたいといった者達も訓練場には集まってきていたが。

 ただ、そのような者達の多くは真剣な様子で宝箱を開ける技術を見て盗もうとする者達に気圧され、すごすごと逃げ帰ったりもしていたが。

 また、中にはオリーブに憧れている女もいるのか、お姉様と名前を呼んでうっとりしているような者もいる。


(この様子を見る限りだと、どうやらオリーブってかなり人気者なんだな。……それだけ実力があるからと思っておくか)


 これで実力がなく、その外見だけで人気なのだとしたらレイとしても残念に思うものの、オリーブのパーティであるアイネンの泉は、現在十九階を探索しているのだ。

 色々と事情があったとはいえ、それでも他に類を見ない程の速度でダンジョンを攻略しているレイよりも、更に先。

 そんなパーティに所属するオリーブが、実力がない筈はなかった。


(オリーブの外見を考えれば、そういう意味でパーティに入れるというのも分からないではないけど。ただ、オリーブの様子を見る限りだと、そういう感じじゃないんだよな)


 そんな訳で、レイはオリーブの実力は期待出来るだろうと思っていた。

 今回開けるのを依頼している宝箱が、十八階から十七階に続く特別な場所に作られた部屋に置かれていた物だから、中身は恐らく貴重な物であって、それを無事に入手したいと思っているのもあるのだが。


「さて、じゃあレイ。宝箱を出してくれる?」


 訓練場の真ん中で、オリーブがレイに向かってそう言う。

 オリーブの指示に、レイも特に抵抗することなく……この状況で抵抗することに意味がある訳でもないので、素直にミスティリングから宝箱を取り出す。


「じゃあ、頼む」

「ええ、任せておいて」


 オリーブはレイの言葉に頷くと、早速宝箱を開けることに挑戦する……よりも前に、周囲に集まっている観客達に向かって口を開く。


「この宝箱は、レイが十八階……それも特別な場所から回収してきた宝箱よ。そうである以上、凶悪な罠が仕掛けられていても不思議じゃないわ。罠の解除には自信があるけど、それも絶対じゃないわ。結果として、見ている貴方達にも被害が出る可能性があるわ。だから、それを覚悟の上で、あるいは十八階の宝箱の罠が発動しても自分なら対処出来ると思う人だけがここに残ってちょうだい」


 その言葉に、何人かが顔を見合わせ、訓練場から立ち去る。

 なお、その何人かは、この一件が終わったらオリーブを口説こうとした者達であり、それ以外の覚悟を決めた者達がこの場から立ち去ることはなかった。

 そんな周囲の様子を見てから、オリーブは早速宝箱を調べ始める。

 レイはセトと共に離れた場所でそんなオリーブの様子を見守る。

 オリーブはそんなレイの……それ以外にも他の者達の視線にも全く気にした様子がなく、慎重に宝箱を調べていく。


「グルゥ」


 オリーブを見ているレイに、セトは大丈夫? と喉を鳴らす。

 セトもまた、今まで多くの宝箱を見てきている。

 それだけに、宝箱のあった場所から考えて、あの宝箱はとてもではないが普通ではないと……非常に危険な罠でも仕掛けられているかもしれないと、そう予想しているのだろう。

 実際、レイもまたそのような危険な罠が仕掛けられていてもおかしくはないと、そう思えたのだから。


「大丈夫だろ。今は、取りあえず、問題ないと思っておこう。オリーブはかなりの腕利きだろうし、それなら罠があってもどうにか出来る。……と信じておきたい」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトもまた納得した様子で喉を鳴らす。

 レイがそう言うのなら、自分も信じたい。

 そのように思ったのだろう。

 レイとセトの会話が聞こえた訳ではないだろうが、不意にオリーブが口を開く。


「これは……ちょっと危険な罠が仕掛けられているわ。念の為に見ている人達はもっと下がってちょうだい」


 宝箱から……より正確には罠のある場所から視線を逸らさず、オリーブは周囲にいる者達に忠告する。

 その忠告を聞き、周囲にいた者達の少なくない数の者達が後ろに下がる。

 ここに残っているのは、既にオリーブをナンパしようなどと考えているような者達ではない。

 純粋にオリーブの技術を見て盗みたいか、あるいはオリーブに憧れている者達となる。

 そんな中でも、オリーブの言葉を直に聞いてそのまま下がる者もいれば、その場に留まった者もいて……中には、寧ろこの状況で更に前に出るような者も少数だがいた。

 なお、レイはセト共にその場に留まっている。

 ……ただし、レイの手にはいつの間にかミスティリングから取りだした防御用のゴーレムがあり、いつでも発動出来るように準備を整えられている。

 もし何かがあった時、具体的にはオリーブが罠の解除を失敗して罠が発動した時、レイとセトだけはこの防御用のゴーレムを起動させ、その障壁で自分達の方に来た罠を防ぐつもりだった。

 場合によっては、近くにいる別の何人かも一緒に守ってやってもいいとは思っていたが。

 レイ以外にも、何かあったら即座に対応出来るように準備をしながら、オリーブの罠の解除を見ている者もいる。

 この辺りは危険を承知で訓練場にいてオリーブの罠の解除や開錠の技術を見ている訳で、完全なる自己責任だった。

 そもそもの話、オリーブは先程危険だからということで、避難するように言っている。

 それを聞き、その上でまだここに残っているのだから、それは明確なまでに自己責任……もしここで何かがあっても、自分で対処出来る者だけだろう。

 ……もっとも、中にはそこまで深く考えず、レイがいてオリーブがいるのだから大丈夫だろうと、そのように思っている者がいる可能性もあったのだが。

 それについては、レイにしろオリーブにしろ、何があっても特に気にするつもりはない。

 あくまでもそういうことだと、認識しているという前提でレイもオリーブも、そして他の大部分の者達も認識してるのだから。


「ふぅ……ふぅ……」


 自分を落ち着かせるように呼吸をしつつ、オリーブは宝箱の罠を解除していく。

 非常に緊張はしているものの、その手は淀みなく動いており、それがオリーブの技術力の高さを示していた。

 しん、と。

 訓練場は静寂に満ちている。

 時間が時間なので、ダンジョンから戻ってきた者達が反省からか、もしくは単純に訓練をしたくてか、とにかく訓練場にやって来る者もいたが、訓練場の様子を見ると思わず足を止める。

 ここで一体何が起きているのか理解している者と何故このような状況になっているのか分からない者にそれぞれ分かれる。

 それでいて、興味を持ってレイ達のいる方に近付いてくる者や、触らぬ神に祟りなしと訓練場から去っていく者にも分かれていたが。

 そんな風に一種異様な雰囲気が周囲に漂い……オリーブの額から数粒の汗が流れ落ちる。

 だが、オリーブは集中しているらしく、自分の額から流れた汗に気が付いた様子もない。

 そして……カチリ、と。そんな音が周囲に響く。

 その音が鳴れば、後は早かった。

 オリーブは素早く宝箱の鍵も開ける。

 勿論、罠が二重に仕掛けられていないかどうかを確認しながらだが。

 やがて再びカチリと、先程よりも少し高い音が響き……オリーブは宝箱の蓋を開ける。

 中を見て驚きの表情を浮かべ……そっと手を伸ばし、宝箱の中身を取り出す。

 それは、レイが見ても分かるくらいに立派な魔剣だった。

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