3975話
「そう、ですか。残念ですが仕方がないですね」
長はレイの言葉に本当に残念そうな様子を見せる。
明日、レイがガンダルシアに向かうというのは、長にとってそれだけショックだったのだろう。
ニラシスに二日後に帰ると言った翌日……明日にはガンダルシアに出発するのだが、その挨拶に妖精郷にやって来ていた。
昨日はギルムの中にいる知り合いの場所に顔を出して挨拶をし、そして今日はこうして妖精郷に来たのだ。
「えー……もうレイは帰るの? もう少しいてもいいじゃない?」
不満そうにそう口にしたのは、ニールセン。
ニールセンにしてみれば、自分と親しいレイがまたどこかに行くというのがつまらないのだろう。
「あ、そうだ。私もレイと一緒に……」
「ニールセン?」
「何でもありません!」
ニールセンが最後まで言うよりも前に、長がその名前を呼ぶと、即座にニールセンは自分の言葉を否定する。
(あれ? ニールセンが長に激しくお仕置きされてから、もう結構な時間が経ってると思うんだけど。ニールセンのことだから、もうその件については忘れていてもいい筈……だよな? となると、もしかして俺がいない間にまた長を怒らせてお仕置きでもされたのか?)
そんな風に予想するレイだったが、何となく……本当に何となくだが、その予想は当たっているように思えた。
ニールセンの性格を知っているからこそ、そのように思えてしまうのだ。
「……何よ」
自分をじっと見ているレイに気が付いたのか、ニールセンは不満そうな様子でそう言う。
レイはそんなニールセンに何かを言おうとしたが、止めておく。
もしここで何かを言っても、恐らく……いや、ほぼ確実に騒ぎ出すだろうと理解出来た為だ。
それだけならレイとしても別に構わない。
しかし、それでニールセンが長に叱られて新たなお仕置きをされるようなことがあったら……と、そう思った為だ。
「いや、何でもない。とにかくだ。明日には出発するから、今日はその挨拶回りってところだな」
「次は……その、いつ帰って来るのでしょうか?」
「秋の終わりだろうな。ガメリオン狩りには参加したいし」
ギルムの秋から冬に掛けての名物、ガメリオン狩り。
多くの冒険者が参加するだけに、レイも参加を逃したくなかった。
レイにとっては、一種の祭りに近い。
もっとも祭りとはいえ。それは平和な祭りではない。
それどころか、毎年大勢の怪我人が出るし、死人が出るのも珍しくはない。
ガメリオンの肉は非常に美味いものの、同時に非常に凶悪だ。
ガメリオンを倒すことが出来れば美味い肉にありつけるものの、倒せなければ冒険者がガメリオンの餌食となる。
(去年は、ニールセンと一緒に行動していたこともあって、ガメリオンが来る方、魔の森の近くで大量にガメリオンを倒したんだよな)
この一年でそれなりにガメリオンの肉を消費はしているものの、まだ去年の肉が……いや、一昨年、あるいはそれよりも前の肉もミスティリングには収納されている。
ミスティリングに収納しておけば腐らないので、食べたりして減らさない限りはずっと残っているのだ。
「そう、ですか。では……また会えるのは随分と先になりそうですね」
「は? いや、だから秋になったら戻ってくるんだぞ? そんなに長くないと思うんだが」
現在は夏の真っ盛り。
そしてレイがガメリオン狩りをする為に戻ってくるのは、秋。
晩秋になる予定なので、そういう意味では秋は秋でもかなり遅くなるのは間違いないが、それでも長が言うような随分と先という表現は、レイには素直に頷けなかった。
この辺り、レイが長の想いを理解していないからというのもあるのだろう。
長にしてみれば、自分の想い人とまた会えるのに季節が移り変わるまで待たないといけないのだから、随分と長い。
レイにしてみれば、友人――と思っている――長と会うのに、秋が深まる頃なのだから、そんなに長い時間であるとは思えない。
この辺り、お互いの認識の違いだろう。
とはいえ、レイはそれを知らないが、長はお互いに認識が違っていても、それをレイに言うつもりはなかった。
自分の抱いている想いは理解しているが、それが成就するとは思ってもいないのだから。
「それでも、ですよ。レイ殿とこうして会うのは、私にとっても楽しいことなのですから。……ニールセンがいなければ、それこそ私がギルムに行きたいくらいです」
「え? ちょっ、長? 私の役目を取らないでよ!」
ニールセンにしてみれば、ガンダルシアに行くのは自分の役目という思いがある。
それ以上に、ガンダルシアに行けば美味い料理やお菓子を食べられるというのが長に自分の役目を取られたくない最大の理由なのだが。
そんなニールセンの様子を理解しているのか、いないのか。
長は安心させるようにニールセンに向かって口を開く。
「安心しなさい。私も別に本気で言ってる訳ではないのだから。……もっとも、ニールセンがあまりに私の手を煩わせるようなことがあった場合は、話も変わってくるでしょうが」
「……あ。ちょっと他の妖精達と話をしないといけない時間だから、そっちに行ってきますね!」
そう言うや否や、ニールセンは素早く飛んでいく。
その飛行速度は、今までレイが見たニールセンの空を飛ぶという行為の中で一番速いように思えた。
「全く」
ニールセンの飛んでいった方向を見た長は、呆れたように言う。
ただし、口では不満そうな様子だったが、その表情は決して言葉程に悪いものではない。
寧ろ慈愛に満ちているという表現の方が合っているだろう。
……それを本人に言っても、間違いなく否定するだろうが。
なので、レイはその件については何も言わず……別のことを口にする。
「さて、そんな訳で明日俺はガンダルシアに戻る。次に帰って来るのはさっきも言ったが、秋になる予定だ。その時はまたこっちに顔を出すから」
「あ、はい。レイ殿の無事を祈っています」
そう言い、長は一礼するのだった。
「え? ……その、もう、ですか?」
長との話を終え、次にレイがやって来たのは、リザードマン達のいる生誕の塔。
そこでゾゾはレイから明日には帰るという話を聞き、驚き……そして衝撃を受けていた。
「ああ、悪いけどそうなるな。元々ギルムに帰ってきたのは、夏休み……いや、こういう表現だと分かりにくいか? とにかく夏だから少し休む為に帰ってきたんだ。一応、今の俺はまだガンダルシアの冒険者育成校の教官という立場だしな」
レイの言葉に、ゾゾはそうですかと残念そうに言う。
ゾゾも、レイが今ギルムにいるのは本当の意味で帰ってきたからではないのは知っている。
知ってはいるが、レイに忠誠を誓う者として、出来ればレイと一緒にいたいと思うのは自然なことだった。
もしこれで、ゾゾが忠誠を誓うといったことを軽く考えているようなタイプであったりすれば、また話は違ってくるだろう。
それこそ、忠誠を誓うレイがいないので、レイが再びギルムに帰ってくるまでは遊んで暮らせる……そんな風に考えるような者なら、レイがいなくなるというのを喜んでも、残念には思わない。
だが、幸か不幸かゾゾはそのようなタイプではない。
自分に勝利したレイに対し、心の底から忠誠を誓っている。
その忠誠の深さは、もしレイが死ねと命じれば躊躇なく自分の命を差し出すかのような、深い忠誠だ。
それだけに、ゾゾとしては出来ればレイと一緒にいたいと思う。
「その……私も一緒に行くということは難しいでしょうか?」
だからこそ、ゾゾも思わずといった様子ではあったが、そう聞いたのだろう。
しかし、レイはそんなゾゾの言葉に首を横に振る。
「難しいな。何しろダンジョンにはリザードマンとかも普通に出てくる。街中でリザードマンを見つけたとしてゾゾを攻撃した……そんなことにもなりかねない」
ゾゾを始めとした、転移してきたリザードマンとこの世界に棲息しているモンスターとしてのリザードマン。
同じリザードマンという名称であるだけに、外見も非常に似ている。
それはあくまでもレイから見てのことであって、実際にリザードマンにしてみれば、全然違うということらしいのだが……レイにはその辺は分からなかった。
そして分からないのはレイだけではなく、他の者達も同様だ。
唯一にして最大の違いは、ゾゾ達は知性があって、この世界の言葉を習得し、話せるようになったということだろう。
もっとも、街中でいきなり遭遇したリザードマンが話したりすれば、それこそ希少種という扱いになってしまうかもしれないが。
「いっそ、セトのように高ランクモンスターなら、連れていてもそこまで驚かれないんだろうけど」
「グルルゥ?」
リザードマンの子供と遊んでいたセトが、呼んだ? とレイを見て喉を鳴らす。
それに何でもないと首を横に振ってから、レイは改めてゾゾに向かって口を開く。
「それに、このトレントの森は今もまだ安全って訳じゃない。ガガがいるとはいえ、いざという時の為に手練れの戦士は多い方がいい」
身長三m程もあるガガは、元の世界でも英雄として名高いだけあって、この世界に転移してきたリザードマン達を無事に纏めている。
ゾゾはガガの弟という立場でもあるので、レイとしてはこの場所を守る戦力として頑張って欲しかった。
生誕の塔から少し離れた場所には冒険者達の拠点もあり、そこでは生誕の塔やそこに住むリザードマン達の護衛として、冒険者達が待機している。
しかしそれでも、ここはギルムの外であり、しかもまだ多くの動物やモンスターが自分の縄張りを確保しようと争っているトレントの森だ。
……もっとも、縄張りの件についてはレイにも原因があるのだが。
いや、より正確にはレイではなくエレーナか。
以前エレーナが穢れの件でトレントの森に来た時、穢れを一掃する為に竜言語魔法を使い、レーザーブレスによって、穢れだけではなくトレントの森にも大きな被害を与えた。
それによって、被害を受けた場所の縄張りが空き、それを狙ってモンスターや動物が集まるといったことになり、縄張り争いが激化したという経緯がある。
そのことについては、気が付いていないのか、あるいは気が付かない振りをしてるのか。
気にした様子がないレイは、ゾゾに向かって改めて言う。
「ゾゾが俺に忠誠を誓ってくれるのは嬉しい。けど、ここにはお前の仲間が大勢いるのも間違いはないだろう? それに俺は……自分で言うのもなんだが、相応に強いし、セトもいる。何かあっても対処出来るだけの実力は持ってる」
「……分かりました」
完全には納得していない様子だったが、それでもゾゾはレイの言葉に頷く。
これで、例えばゾゾが戦闘だけではなく日常生活でも活躍出来る……そう、執事のような能力でもあれば、また少し話が違ったかもしれない。
とはいえ、ガンダルシアでレイが住んでる家には、ジャニスがいる。
メイドとして高い能力を持つジャニスだけに、レイは生活する上で全く困っていなかった。
あるいは家がもっと広ければ家の管理がジャニスだけでは手が回らず、それによって人手を欲するといったこともあったかもしれないが、家はそこまで大きい訳ではない。
「まぁ、そこまで気にするな。実際、この場所で何かあってもゾゾがいるから安心しているという一面があるのも事実だしな」
それはゾゾを慰める為に口にした言葉ではあったが、同時にレイの本心でもある。
このトレントの森という場所は、ギルムにとって大きな意味を持つ。
その場所を守る戦力は、多ければ多い程にいいのだから。
そんなレイの気持ちをゾゾも理解したのだろう。
顔を上げ、レイに決意の視線を向ける。
「このトレントの森は、私が必ず守ります」
「ああ。任せた」
そう言い、レイはガガの姿を捜す。
だが、三mを超える巨体はどこにも見えない。
それはつまり、ガガが今ここにはいないということを意味していた。
「そう言えば、ガガはどうした?」
「森の探索に行ってくると。肉が食べたいと言ってましたので、正確には狩りでしょうが」
「ガガの体格を思えば、食料は多ければ多い程いいからな。もっとも、今の季節を考えると、腐りやすいから注意が必要だろうけど」
「……この前、兄上ではありませんが、一族の者が仕留めた肉の血抜きをする為に湖に沈めておいたら、翌日には骨だけになっていたそうです」
レイから見ても微妙な表情といった様子で言うゾゾ。
湖の中は冷たいので、血抜きと肉を保存するという意味でも湖の中に沈めておいたのだろうが、湖には肉食の魚やモンスターも多い。
それが、結果として仕留めた獲物が骨だけになってしまった理由なのだろう。
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