3293話

 突然のレイの言葉に、洞窟の住人達は驚く。

 だが、驚くと同時にレイが敵だと認識したことによって、すぐに迎撃態勢に入る。


「敵だ! 敵が来たぞ! 迎撃準備をしろ!」


 叫ぶ男の言葉に、他の者達も我に返る。

 だが……この場合問題なのは、戦える者がかなり少ないということだった。

 穢れ――向こうにしてみれば御使い――を使うことが出来る者の多くは、ヌーラやオーロラと共に出ていて、ここにはいない。

 勿論、ここにも戦闘が出来る者が誰もいない訳ではないが、それでもレイを相手に……それこそこの洞窟を見つけ、ここまでやってきた相手に勝てるかとなると微妙なところだ。

 実際には、それこそオーロラがいてもレイに勝つのは難しいのだが、幸か不幸かその辺についての情報はまだ持っていない。


(人数は……ニールセンから聞いた話だと、結構いるって感じだったな。だとすれば、ヌーラやオーロラを追ってきた連中を抜かしても、まだ相応に人数がいる筈だ。そうなるともう少し人を集めた方がいいか)


 マリーナが少しでも安全に、そして素早くオーロラの執務室を見つけられるようにする為には、ここに自分がいるというのをもっと大々的に知らせる必要がある。

 そう判断すると、レイは意図的に……そして不必要な程にデスサイズを振るう。


「どうした、俺を相手にそうやって黙って見ているだけでいいのか? このままだと、お前達は何も出来ずに死ぬことになるぞ? もっとも……」


 そこまで考えたレイは、見張りの二人のことを思い出す。

 何があの二人をあそこまで怒らせたのか。

 それは、間違いなくレイが穢れを穢れと呼んだのが理由だった。

 相手を自分に集中させるには、怒らせるというのも手段の一つだ。

 そして怒り狂った者というのは、その対象だけに向かって怒り、憎悪する。

 つまり、それ以外の対象……今回はレイと別行動をしているマリーナの存在に気が付かない。


「お前達が御使いとか呼んでいる穢れを使ったところで、俺に勝てる筈がないがな」


 しん、と。

 レイの言葉を聞いた瞬間、ざわついていた周囲の様子が一瞬にして静かになる。

 まさに静寂という表現が相応しい、それこそ針が落ちた音すら聞き取れるのではないかと思える程の静寂。


(あれ? ちょっとやってしまったか?)


 相手を怒らせる為とはいえ、少しやりすぎてしまったのではないか。

 そうレイは思ってしまう。

 とはいえ、相手を怒らせる必要がある以上、今の状況を思えば仕方がない。


「貴様……貴様ぁっ!」


 静寂を最初に破ったのは、レイからそう離れていない場所にいた男。

 その男は拳を握り締め、レイに向かって殴り掛かる。

 レイの手にはデスサイズと黄昏の槍があり、普通に考えてそんな相手に正面から殴り掛かろうと思う者はいない。

 ……だが、それが頭に血が上ってのものであればどうなるか。

 それが現在のレイの視線の先にいる男の姿だった。


(殺すか? いや、殺すと頭に血が上っていても他の連中が逃げ出しそうだな)


 レイが行いたいのは、あくまでもマリーナがオーロラの執務室を見つけて資料の類から本拠地のある場所を見つけることだ。

 そうである以上、ここで殴り掛かってきた男を殺して集まってきている者達が逃げるといったことになれば、それは当初の予定が大きく崩れる。

 そう判断したレイは、男の拳の一撃を後ろに退いて回避しつつ、左手の黄昏の槍を振るう。

 ただし、槍の穂先で男の身体を斬り裂くのではなく、もっと浅い部分……柄で男の脇腹を殴ったのだ。

 その一撃に、拳を振り切った直後の男は回避出来る筈もなく、真横に垂直に吹き飛ぶ。

 五m程も吹き飛んだところで、地面を転がる。


(死んでない、な)


 吹き飛んだ男の手足が微かにだが動いているのを見て、殺さずに気絶させることに成功したとレイは安堵する。

 しかしそんな感情を表に出さず、自分の前にいる……憎悪の視線を向けてくる者達に向かって口を開く。


「どうした? もうこれで終わりか? だとすれば、お前達にとって穢れというのは結局その程度のものだったんだろうな」


 レイの言葉に、集まっていた者達は再び動こうとする。

 最初の男程ではないにしろ、特に血の気の多い者の数人がレイに向かって殴り掛かろうとするが……レイが視線を向けると、その視線の圧力に負けたかのように足を止めてしまう。

 レイの一撃によって最初に殴り掛かった男が冗談か何かのように吹き飛ばされたのを見たのが、この場合は大きかったらしい。

 もし自分が殴り掛かっても、とてもではないが勝てないと、そう思ったのだろう。


(殴り掛かってこないな。……けど、今のままでもそれはそれで悪くないか? ここで、攻撃をしてこなくても、こうしてここに集まっているのを他の連中が知れば集まってくるだろうし)


 目の前にいる住人達を牽制しつつ、レイは相手に気が付かれないように周囲の状況を確認する。

 洞窟の奥の方にいた者達の何人かが、一体何があったのかとレイ達のいる場所に集まってくるのが見えた。

 それはつまり、こうしてレイの側にやってくればそれだけ洞窟の中にいる者の数が少なくなるということだ。

 下手に相手を叩き潰したりすれば、もしかしたら自分もそのような力を振るわれるのではないかと思い、退避する者がいてもおかしくはない。

 そういう意味では、こうしてお互いが相手の出方を待つといったような状況で停滞している状況というのはレイにとって決して悪いものではなかった。

 しかし、レイにとっては悪くないと思うものの、それが向こうにとっても同じかと言えばそれは違う訳で……


「やい、お前は一体誰だ! 何をしにここに来た!」


 五十代程の男が、短剣を手にレイに向かって叫ぶ。

 そんな中でレイが驚いたのは、自分のことを全く知らない様子だった為だ。

 セトがいないので、一目でレイを深紅の異名を持つ冒険者であると認識するのは難しいかもしれないが、深紅のレイの象徴はセトの他に大鎌のデスサイズもある。

 デスサイズのような武器を実際に使う者は、そう多くはない。

 吟遊詩人の歌や噂からレイに憧れてデスサイズのような武器を持つ者もいるが、基本的にそのような者達は長続きしない。

 見ている者にしてみればもの凄い迫力があるし、誰も使わない武器を自分だけが使っているという特別感もある。

 しかし、実際に大鎌を使いこなすというのは、非常に高い身体能力や戦闘の才能が必要となるのだ。

 結局レイに憧れてという理由で大鎌を使うようになった者は、その大半が途中で諦める。

 ただし、中には身体能力やセンスがあったり、とにかく努力を重ねて使いこなせるようになる、本当に一握りの者だけが大鎌を実戦で使うようになる。

 そのように珍しい大鎌のデスサイズを右手に持ち、更に左手には黄昏の槍を持つという変則的な二槍流。

 レイについての噂を知っていれば、それこそデスサイズと黄昏の槍を持っている時点でそれをレイだと判断してもおかしくはない。

 だというのに、洞窟の住人はそんなレイを見ても深紅の異名を持つ人物だと全く理解出来ていないのだ。


(俺、そこそこネームバリューはあったと思うんだけど)


 自分について全く何も知らないといった様子に、レイは少しだけショックを受ける。

 だが、いつまでもそのようにショックを受けたままでいる訳にもいかず、男に向かって口を開く。


「俺の名前はレイ。ランクA冒険者だ」

「ランクA冒険者? 何だってそんな奴がここにいる!」

「お前達穢れの関係者は危険な存在だ。そんな穢れの関係者の拠点がここにある以上、それを制圧するのは当然だと思うんだがな」


 その言葉に、集まってきた者達……特に後から合流してきた者達の憎悪の視線がレイに向けられる。

 レイの言っている穢れというのが、この場にいる者達が敬う御使いであると理解した為だろう。

 あるいは最初にいた者達からレイが言ってる穢れというのが御使いであると聞かされたからか。

 ましてや、自分達が危険なので制圧に来たと言われれば、余計に怒り狂ってもおかしくはない。


「ふざけるな! 俺達が……俺達が一体どんな思いでここにいると思っている!」


 ああ、なるほど。

 レイは今の言葉で何となく自分のことを知られていない理由を思いつく。

 男の言葉通り、ここにいる者達はこの洞窟で生活しているのだ。

 ギャンガのように洞窟から出る者もいるのだろうが、そのような者が少ないのは、今までのこの洞窟の住人の様子を見ていれば明らかだ。

 であれば、つまり外の情報が何も入ってきていないのだろう。

 あるいは外と繋がっている者……それこそ洞窟の中だけで手に入れられない物資の類を何らかの方法で仕入れている者がいれば、そのような者は洞窟の外の情報についてある程度は知っていてもおかしくはないのだが。

 幸か不幸か、現在この場にそのような者はいなかったようだが。

 あるいはいても、それを口に出すことが出来ないのか。

 もしレイの情報について少しでも知っていれば、それこそレイが来た時点でもうこの洞窟が終わりだというのは理解出来てしまうだろう。

 何しろレイは一人で――正確にはセトもいてだが――ベスティア帝国軍を壊滅させるだけの実力を持つと噂されているのだから。

 もっともそれはあくまでも噂として広がっていく間に尾びれや胸びれまでもついて拡大された噂だ。

 実際にはベスティア帝国軍全てをではなく、その一部を蹂躙したのだ。

 その後で行ったベスティア帝国の内乱では、それこそ炎の竜巻を使って散々に暴れたのも事実だが。

 ともあれ、ベスティア帝国というこの大陸においても二大国家と呼ばれる片方の軍隊を相手に一人で無双出来るだけの規格外が姿を現したのだ。

 この洞窟にいる戦力程度でどうにか出来る筈がないのは明らかだった。


「お前達がどう思おうと、関係はない。穢れなんて存在を使い、この世界諸共に無理心中しようとする連中。……そんな相手を放っておけると、本気で思ったのか?」


 そう言うレイだったが、穢れの関係者の隠蔽能力は非常に高い。

 もしレイがボブとの一件で穢れの関係者について何も知らなければ、今もまだ穢れの関係者について知ることは出来なかった筈だ。

 それこそ、気が付かないままに穢れの関係者によってこの世界が崩壊していた……などということになっても、おかしくはなかっただろう。

 ……レイはトラブルの女神に好まれているので、ボブの件がなくても穢れの関係者と関わり合うようになった可能性は否定出来なかったが。


「貴様ぁっ!」


 レイの言葉に我慢の限界に達したのだろう。

 今までレイと話していた男はレイに向かって短剣を手に走り出す。

 最初にレイに向かって殴り掛かってきた男がどうなったのかは見て知っているのだが、それを吹き飛ばすくらいにレイに対する我慢の限界が超えたのだろう。


「せめて、もっとしっかりとした武器を持ってこい」


 そう言うと、レイはデスサイズを振るう。

 あくまでも実力が近い者同士での話だが、武器というのは間合いの長い方が有利だ。

 長剣と槍では、圧倒的に間合いの長い槍の方が有利となる。

 長剣でも槍の方が有利である以上、それが短剣……それも純粋に能力という点では男はレイより圧倒的に低い。

 そのような今の状況で戦いがどうなるのかは考えるまでもない。

 いや、それ以前に戦いと呼べるような状況ですらなかった。


「がは……」


 デスサイズによって吹き飛ばされた男は、先程黄昏の槍で吹き飛ばされた男以上の距離を吹き飛ばされる。

 この差は、武器の差だろう。

 黄昏の槍も武器としてはそれなりの重量があるものの、それと比べてもデスサイズの重量は百kgを超えている。

 吹き飛んだ距離の差は、そこからくるものだろう。


「きゃあっ! 父さん! 父さんに何をするのよ!」


 吹き飛んだ男を見て、その男の近くにいた女がレイに向かって叫ぶ。

 父さんという言葉から、レイによって吹き飛ばされた男の娘だというのは明らかだった。

 そんな女の声に、周囲に集まっていた者達が今まで以上に責める視線をレイに向けてくる。

 だが、レイはそんな視線を向けられても特に気にした様子もなく、口を開く。


「言っておくが、俺はこの洞窟を制圧に来たんだ。俺の邪魔をするようなら、誰が相手でも容赦はしない。もし俺の前に立ち塞がるのなら、それを承知の上で……ランクA冒険者の俺と戦うつもりで行動してくれ」


 そう言われると、集まってきた者達も迂闊に反論出来ない。

 レイのことは知らなかったが、ランクA冒険者というのがどのような存在なのかは、さすがに知っていたのだろう。

 そうしてレイと洞窟の住人達は、半ば無言で対峙し続けることになる。

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