3249話

「うわ、これは……綺麗に消えてるな」


 グリムアースの馬車や馬の死体を届けた翌日、レイは野営地の中を見て回るとその光景に驚く。

 昨日穢れを捕らえたミスリルの結界の中には、穢れが一匹も生き残っていなかったのだ。

 それはつまり、ミスリルの結界に捕らえられた穢れが全て一晩で死んだということを意味している。

 レイが使っていたミスリルの結界……最初に作られたオリジナルと呼ぶべきミスリルの釘によって展開されたミスリルの結界が一晩で穢れを殺すというのは、何度かテストを行ったのでレイにも分かっていた。

 しかし、それ以外のミスリルの釘はオリジナルを作った者が作り方を教え、他の錬金術師達が作った物だ。

 それらもオリジナルと同じようにきちんと一晩で穢れを殺すことが出来るのなら、ミスリルの釘の実験は大成功だろう。


(こうなると、穢れの関係者の拠点に向かってもいいかもしれないな。……もっとも、ミスリルの釘はまだ結構な数が必要になるだろうけど)


 今あるだけでも、それなりに穢れには対抗出来るだろう。

 だが、昨日のように一日に何度も穢れが現れるといったようなことになった場合、もしかしたらミスリルの釘の数が足りなくなる可能性は十分にあった。

 だからこそ、今のこの状況では少しでも武器となるミスリルの釘を確保しておく必要があるのだ。

 とはいえ、マジックアイテム……それもミスリルの釘という名称通り、ミスリルを使ったマジックアイテムは作るのに相応の技量が求められる。

 そういう意味では、やはりこの仕事を任せられる錬金術師達は優秀だということなのだろう。

 ……性格と能力は別物とはよく言われるが、事実だということなのだろう。

 レイにしてみれば、出来れば能力だけではなく性格もまともな人物というのが付き合いやすいのだが。


「レイ様、おはようございます。少しよろしいでしょうか」


 野営地の中を見て回っていたレイに声を掛けてきたのは、ゾゾ。

 レイに忠誠を誓っているリザードマンだ。


「ゾゾ? どうしたんだ?」

「レイ様が探しているのものかどうかは分かりませんが、指輪が見付かりました」

「……は?」


 ゾゾの言葉に、レイの口から出たのは間の抜けた声だ。

 当然だろう。レイはセトにも頼んでグリムアースの家に伝わる指輪を探して貰ったのだ。

 セトの嗅覚は非常に鋭く、通常の状態でも犬よりも勝る。

 そのような状況で嗅覚上昇のスキルまで使ったのだ。

 それはつまり、非常に鋭い嗅覚を持つということを意味していた。

 そんなセトですら、見つけることが出来なかった指輪だ。

 リザードマンの子供達をお菓子で釣って探して貰っていたものの、それについては一応、念の為、駄目で元々といった感じだった。

 無理矢理理由を挙げるとすれば、指輪を探しているということでグリムアースの精神を落ち着かせる為といったところか。

 そのような状況である以上、レイはリザードマンの子供達が指輪を見つけるとは思っていなかった。

 セトでも見つけることが出来なかった指輪が、何故リザードマンに見つけられるのか。

 それは分からなかったが、だからといってゾゾが嘘を吐いているとも思えない。

 だとすれば、それは一体何がどうなってそのようになったのか、調べる必要がある。


「指輪は?」

「こちらです。ただ……」


 少し言いにくそうな様子のゾゾ。

 その理由は、指輪にあった。

 何も指輪が壊れているとか、そういう理由ではない。

 樹液か何かと思しき液体によってコーティングされている指輪がそこにはあったのだ。


「これは、樹液か?」

「はい。木にあった穴の中に指輪がこのような状態で入ってました」


 その言葉にレイも納得する。

 木の穴の中に樹液が溜まっており、そこに赤ん坊と一緒に落ちてきた指輪が、何らかの理由……木の枝や木の幹にぶつかって落下軌道が変化して入ったのだろうと。


(って、いやいやいや。それは偶然に偶然が重なって、更にその上から偶然が重なったことであるかもしれない。けど、指輪が木の枝や木の幹にぶつかったのなら、赤ん坊やグリムアースの匂いがそこに付着していてもおかしくはない。セトの嗅覚があって、更には嗅覚上昇のスキルを使って、何でその匂いを嗅ぎ分けることが出来なかった?)


 そんな疑問を抱くレイだったが、ともあれ指輪が見付かったのは事実。

 そのことだけは、喜ぶべきことだった。


(こうなると、グリムアースの判断は正しかったということか。けど……赤ん坊を連れ去った鳥のモンスターは、一体何を考えてこんな真似をしたんだ? 赤ん坊を食うでもなく、狩りの練習として殺すでもなく、ただギルムから連れ去ってトレントの森で落とす。本当に一体何がどうなってこうなったのか、全く理解出来ない)


 それこそ遊び半分でこのような真似をしたと言われた方が、まだ納得出来る。

 ……納得出来るからといって、それを受け入れられるかどうかは別だろうが。

 レイの場合は、自分が直接被害を受けた訳でもないので、そこまで気にはしていない。

 しかし、我が子を悪戯半分に連れ去られたグリムアースにしてみれば、それを許容出来るかどうかは難しいだろう。


(その辺は俺が考えることじゃないか。ミスリルの結界の件についてもダスカー様に知らせる必要があるし、その時にこの指輪も渡しておくか。……けど、この指輪……)


 レイがグリムアースの家に伝わっているという指輪に興味を持ったのは、その指輪がマジックアイテムではないかと思ったからだ。

 指輪型のマジックアイテムというのは、珍しくはない。

 それこそありふれたマジックアイテムですらあるだろう。

 そしてマジックアイテムである以上、その性能は千差万別。

 ちょっとした明かりを生み出す程度のマジックアイテムもあれば、風の刃を飛ばしたり、結界を張ったりといったように。

 グリムアースの家に代々伝わっているのなら、効果が明かりを生み出す程度ということはなく、かなり強力なマジックアイテムの可能性が高い。

 そう思っていたのだが……


「分からないな」


 樹液によってコーティングされてる……というか、樹液に埋まっていると表現すべき指輪。

 樹液が柔らかいのなら、指輪を拭くといった方法でどうにか出来る可能性もあっただろう。

 だが、樹液は既に固くなっており、宝石か何かのようにすら見える。

 このような状態でマジックアイテムを発動させるのは無理だし、だからといって下手に樹液を斬ってしまった場合、中の指輪も一緒に切断される可能性は十分にあった。

 これがレイのマジックアイテムなら、そのような手段を試してもいいだろう。

 しかし、この指輪はあくまでもグリムアースの物である以上、レイが勝手にどうこう出来る代物ではない。

 もしレイが勝手に樹液を斬ろうとして指輪を一緒に切断してしまったら……その時、間違いなく面倒なことになるだろう。


「これは、やっぱり俺がどうにも出来ないな。ダスカー様に持っていって、それをグリムアースに渡すしかないな」

「分かりました。では、指輪の捜索はこれで終わりということでいいでしょうか?」

「そうしてくれ。恐らく、後で指輪を見つけた感謝の気持ちとして何か報酬を支払うことになると思う。……具体的にどういう報酬になるのかは分からないが」

「ありがとうございます」


 そう言い、ゾゾはレイに一礼すると生誕の塔に戻っていった。


「ねぇ、レイ。ちょっとそれを見せてくれる?」


 ゾゾが立ち去ると、今まで黙っていたニールセンがレイの持つ樹液に埋まった指輪に興味を示す。

 ニールセンにしてみれば、このようなことになるとはどうしても思えなかったのだろう。


「別にいいぞ。ただ、あまり妙な真似をするなよ」

「分かってるわよ。ただ、樹液に何か埋まっているのは珍しいのよ。しかもそれが指輪でしょう? ……本当に珍しいわ」


 レイの持つ樹液に埋まった指輪をじっと見るニールセン。

 樹液が固まって宝石のようになっているので、見ている限り一種の芸術品のように思えなくもない。

 とはいえ、それはあくまでもレイが見て綺麗に思えるというだけで、実際にこの指輪の持ち主であるグリムアースにしてみれば、とてもではないが堪ったものではないだろう。


(この指輪……実はグリムアースの探していた指輪じゃなかったりしてな。いや、さすがにそんなことはないか?)


 トレントの森が出来たのは、数年前だ。

 これがもっと昔……数十年前に出来た場所なら、その間に何らかの理由……それこそ鳥が光り物をどこかから持ってくるとか、泥棒が盗んだ指輪をそこに隠したといったような真似をした可能性もある。

 だが、まだトレントの森が出来てから数年しか経っていない。

 そうである以上、この指輪がグリムアースとは全く関係がないものだとは、レイには到底思えなかった。

 あるいはもし違っていても、その場合はこの指輪を返して貰えばいいだけとなる。


「ほら、ニールセン。もういいだろう? フラットに指輪の件を知らせてくる必要がある」

「えー……しょうがないわね。ねぇ、レイ、でもなんでこんな風になったの? 例えば指輪が樹液の中に入ったからって、それがこうして固まるなんてことはまずないわよ? 少なくても私は初めて見たわ」

「それを俺に言ってもな。そもそもこのトレントの森は、色々と特殊な場所だ。それこそ何が起こってもおかしくはない。こういうこともあるとだけ覚えておけばいいだろ。……この先も同じように理解の出来ない現象が起きるかもしれないんだから」

「そういう場所に住んでるのね、私……」


 レイは今でこそトレントの森で寝泊まりしているものの、ギルムにはマリーナの家や夕暮れの小麦亭といった宿がある。

 だが、ニールセンの家とも呼ぶべき妖精郷は、このトレントの森にあるのだ。

 そのトレントの森が理解の出来ない何か特殊な場所だったりした場合、妖精郷をトレントの森に置いてあってもいいのか?

 そんな風に思ってしまうのは、仕方のないことだった。


「妖精郷なら……というか。長がいればどうにでもなると思うけどな」


 レイの知ってる限り、長の実力は非常に高い。

 もし何かがあっても、すぐ対処出来るのではないかと思えるくらいに。

 トレントの森で低ランクモンスターが出ても霧の空間で対処出来るし、高ランクモンスターが出ても長がいればあっさりと倒してしまいそうな気がするというのがレイの意見だった。


「う……それはまぁ、長なら場合によってはドラゴンが出てもどうにかしそうだけど」


 マジか。

 ニールセンの言葉を聞いたレイは、思わずそう突っ込みたくなる。

 ドラゴンがどれだけ強いのか、それこそクリスタルドラゴンを倒したレイは心の底から理解していた。

 ……ドラゴンとはいえ、下位種のワインバーン辺りであれば、レイやセトにとってはいい獲物でしかない。

 肉も美味いし、素材も高額で取引される。

 残念なのは、既に魔獣術で魔石を使ってしまっているので、そちらの方面では役に立たないということだろう。……もっともワイバーンの魔石ともなれば結構な高値で売れるので、魔獣術に使えないからといってゴミという訳でもないのだが。


「長の強さが凄いのは分かった。……取りあえず話はこの辺にして、俺はフラットに指輪を渡してくるな」


 そう言い、レイはフラットを捜しにいくのだった。






「レイ? どうした?」


 幸いなことに、捜し始めてすぐにフラットの姿は見付かった。

 もっともこれはそうおかしなことではないだろう。

 フラットはこの野営地を纏めている人物なのだから、この野営地を捜せば見付かるのは自然なことなのだから。

 勿論、野営地を纏めるからといって絶対に野営地の中にいる訳ではない。

 何らかの理由があって野営地から出ることも十分にある。

 湖や生誕の塔に用事があったり、もしくは何か他の用事があったり……といった具合で。

 しかし、それでもやはり野営地の中の方が見つかりやすいのは事実。

 そうして見付かったフラットに、レイは手に持っていた指輪を……樹液に埋まっているそれを見せる。


「ん? 何だこれは? ……指輪? って、おい。ちょっと待て。これはもしかして……」

「ああ。多分……いや、ほぼ間違いなくグリムアースの家に伝わる指輪だと思う。リザードマンの子供達が見つけてくれたのを、ゾゾが持ってきてくれた」

「待ってくれ。グリムアース様の指輪は、あの辺りにない筈だろう? セトも見つけられなかった筈だ」

「俺もそう思っていた。けど、これを見れば……分からないか?」


 その言葉に、フラットは改めて樹液に埋まっている指輪を見る。


「もしかして、樹液に埋まっているから匂いが?」

「恐らくだけどな。……セトの嗅覚なら、本来は指輪そのものは無理でも、指輪が触れた場所に残っている匂いは嗅ぎ分けられる筈なんだが」

「つまり、この樹液は何か特殊なのか?」


 尋ねるフラットに、レイは恐らくとしか答えることは出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る