3250話
樹液に埋め込まれた指輪をフラットに見せたレイだったが、それをどうするのかが問題となる。
「レイ、この樹液の固まったのを切断出来ないのか?」
「出来るけど、この樹液は明らかに普通じゃない。そもそも樹液はこんなに早く固まったりはしないだろ? ……考えられるとすれば、この指輪が影響してるのか、それともトレントの森にある木だからか。とにかく、性質とかが分からない以上は迂闊に手を出さない方がいい」
もしここでレイが迂闊に樹液を切断した時、それによって指輪にも何らかの被害が出ないとも限らない。
これがただの指輪、あるいはその辺で売ってるようなマジックアイテムの指輪なら、レイもそのくらいは試してもいい。
だが、この指輪はグリムアースの家に代々伝わるという指輪なのだ。
その指輪を壊してしまった場合、面倒なことになるのは間違いない。
「だから、この樹液に入ったままグリムアースに渡したらどうだ?」
「それは……だが、そうすると向こうで困るだろう? それにグリムアース様がそういう真似をするかどうかは分からないが、それが俺達のやったことだと言われる可能性もある」
「フラットが何を心配してるのかは分かるが、グリムアースはそういう真似をしたりしないと思うけどな」
フラットが何を心配しているのかは、レイにも理解出来た。
だが、レイが知ってる限り、グリムアースはそのような真似をするような性格をしてるとは思えない。
そもそもグリムアースは、貴族ではあっても決して影響力のある貴族ではない。
三大派閥にも入ることが出来ない状況が、それを示している。
そんな中で、三大派閥の一つ、中立派を率いるダスカーの本拠地でそのような真似をすれば、ダスカーに喧嘩を売るも同様だ。
グリムアースがそんな真似をするとは、とてもではないがレイには思えなかった。
「グリムアースについては、それこそ俺よりもフラットの方が接する機会が多かったんだし、分かるんじゃないか」
グリムアースはレイの態度を気にしないと口にしていたが、それ以外の者達……具体的にはグリムアースの妻や護衛、御者がそんなレイを受け入れるとは限らない。
グリムアースの性格から考えれば、恐らく受け入れるとは思ったものの、それも絶対ではない。
であれば、レイも特にグリムアースに用事がある訳ではないので、無理に自分が会ったりする必要もないと判断したので、その辺は気を付けていたのだ。
「それは……まぁ、レイの言いたいことも分かるけど」
フラットも、グリムアースと接したことからレイの意見は十分に理解出来た。
グリムアースが貴族としては優良な相手なのは間違いない。
だが……それでも、フラットは経験豊富な冒険者として、多くの貴族と面会してきた。
その中には受け入れることが出来ない無茶振りをしてくる貴族も多く、それによって報酬を値切ろうとしたり、当初の約束以上の物を奪おうとしてくる貴族もいたのだ。
だからこそフラットは貴族を相手にどうしても警戒してしまう。
これは別にフラットに限った話ではない。
悪い意味で貴族らしい貴族と接したことがある冒険者であれば、その辺りについて警戒するようになるのも自然な流れだろう。
「フラットが何を不安視しているのかは分かる。けど、これもダスカー様経由で渡すんだろう? なら、特にこのまま渡しても問題はないと思うが」
「……これを受け取ったグリムアース様が、この件で話があるとトレントの森に来たりしないか?」
「来るか来ないかと言われれば分からない。けど、俺もちょっとしか会ったことはないけど、グリムアースの性格から考えると、そんな真似はしないと思うぞ。するとしても、文句を言うんじゃなくて感謝する為に来るんじゃないか?」
そんなレイの言葉に、フラットは少し考えてから頷く。
「分かった。なら、この指輪は……どうする? レイが直接領主の館に行って渡してくるか? それとも補給の馬車に預けるか?」
「補給の馬車の方がいいだろうな。個人的には俺が持っていきたいところだけど、そうなると野営地から離れることになるし。……ミスリルの釘がある以上、今は俺がずっとここにいなくてもいいんだろうけど」
「いやいや、何かあった時のことを考えれば、やっぱりレイにはいて欲しいと思う。今までの実績が十分にあるからな」
これはお世辞でも何でもなく、フラットの正直な気持ちだ。
何かあった時にレイがいるのといないのとでは、安心感が大きく違う。
昨日レイがギルムに行ってる時に穢れに襲撃された時に対処する際、かなり不安を抱いた者も多かった。
フラットもまた、その一人だ。
それが分かっているからこそ、フラットはレイにはここにいて欲しいと頼む。
「この指輪はグリムアース様には重要な物かもしれないが、だからといって見つけたからといって至急運ぶ必要がある物でもない。なら、この指輪は補給の馬車に任せよう」
「フラットがそう決めたのなら、俺はそれで問題ない」
レイにしてみれば、正直なところどちらでもよかった。
なので、フラットが決めたのなら素直にそれに従う。
「悪いな」
「別にフラットが謝る必要はないだろう? ……まぁ、その件はそれでいいとして。取りあえず指輪が見付かった以上はこれ以上の指輪の捜索は終わりだな」
「そうだな。もっと時間が掛かるかと思っていたが、予想以上に早く終わった」
レイの言葉にフラットも気分を変えたのか、しみじみといった様子で言う。
「リザードマンの子供達には報酬……という程に大袈裟な物ではないが、焼き菓子か何か渡した方がいいかもしれないな」
「そうするよ。グリムアース様から、その辺は任されているので、金額の心配はいらないし」
グリムアースが用意した金額が、それなりにあったらしい。
もっとも、グリムアースにしてみれば自分の家に代々伝わる指輪で、家宝と言ってもいい代物だ。
それがなくなり、見つけるのに焼き菓子や干した果実を買う程度の金額でいいのなら、何の問題もない。
いや、寧ろ安くすむとすら思うだろう。
「そっちについては任せるよ。具体的にどういうのが必要なのかとは、俺にも分からないし」
これが日本の子供であれば、駄菓子とかを買ってやれば喜ばれるとは思う。
……全国的に少なくなっている駄菓子屋だが、レイの地元にはまだ駄菓子屋が一軒だけだがあった。
レイが小学生の時には、それこそ五軒程あったのだが、子供が少なくなったり、そもそも子供があまり駄菓子を買ったりしなくなったりしたこともあってか、次々と減っていったのだ。
唯一残っている駄菓子屋も、駄菓子を売るだけではやっていけず、夜には塾となっていたくらいだ。
(駄菓子か。こっちで作ることが出来れば、かなりヒットしそうなんだけどな)
子供の数が多く、何よりゲーム機の類もないこの世界においては、もし駄菓子屋があったら子供達にもの凄く流行るとレイには思えた。
……実際にどうなのかは、やってみないと分からないのだが。
新しい物好きという意味では、子供達だけではなく大人達にも喜ばれるだろう。
だが、そんなアイディアの中で唯一にして最大の欠点は、レイが駄菓子の作り方を全く分からないことだ。
いわゆる知育菓子と呼ばれる類の駄菓子は勿論、それ以外のスナック菓子や一口サイズのカステラといったような諸々も、作り方が分からない。
これが例えばうどんとかなら、完全にではないにしろ、何となくだが作り方が理解出来たのだが。
だが、駄菓子は何となくの作り方すら分からない。
……そもそも、レイの料理の知識というのはTVで見たり、料理漫画で見たようなうろ覚えの知識だけだ。
そんなうろ覚えの知識の中には、駄菓子を作るといったものはなかった。
「レイ? どうした?」
「ん? いや、リザードマンの子供達に何を食べさせたら喜ぶかと思ってな。そこからギルムで商売すれば大繁盛間違いなしの流れになった」
「……一体何がどうなってそんな風になるのか分からないが、まぁ、いい。その件について聞いても、そこまで儲かるのなら話したりはしないだろうしな」
「いや、別にそこまで大袈裟なものでもないんだが」
「商売大成功なのにか?」
「あくまでも実現すればだけどな。実現しない以上、意味はない。それこそ、例えば美味い料理を銅貨一枚で売る店を出せば繁盛間違いなしといったような、そんな話だし」
実際には違うのだが、まさか駄菓子について説明する訳にもいかないので、レイはそう誤魔化しておく。
「なんだ、その手の話か。……知ってるか? ギルムは辺境で未だに未知のモンスターや素材が見付かるから、その手の話も結構多いらしいぞ。中には専門の詐欺師とかもいるらしい。レイもその手の相手に引っ掛かったりしてないだろうな?」
「大丈夫だ。俺はただそういう風に思いついただけの話だし。……けど、そうか。やっぱりその手の連中ってのはいるんだな。スラム街の連中とかか?」
「そっちもいるが、普通に街中にもいるな。騙す相手から離れすぎるのも問題なんだろう。……さて、取りあえずこの話はこれで終わりだ。レイも問題がないのなら、別にいいだろう?」
「ああ、それでいい。……俺もいつまでもフラットと話し続ける訳にもいかないし、それはフラットも同じだろう?」
「そうなるな。こう見えて、それなりに仕事が多いんだ。穢れの件でレイ以外にも対抗手段が出来たから、多少はマシになったが」
多少はと口にしたフラットだったが、実際は多少どころではなくかなり精神的な負担が減っていた。
何しろ今まではレイがいないとどうしようもなかったのだ。
それが今では、ミスリルの釘を使えば誰でも穢れを捕らえることが出来る。
……もっとも、ミスリルの釘を中心に結界が張られる以上、穢れを上手い具合に引き付けないといけないし、そうなると場合によっては穢れに触れて致命傷となる危険もある。
そういう意味では、レイだけに任せていればいい時と違って危険がそれなりに増えたということでもあるのだが。
「フラットが多少なりとも楽になってくれたようで何よりだよ」
そう言い、レイはフラットの前から立ち去る。
指輪も渡したのだから、レイは他に何かやることはない。
フラットも忙しいと言ってる以上、ここで自分がこれ以上フラットの時間を邪魔するような真似はしない方がいいと判断したのだ。
「よかったの、レイ? 指輪を渡してしまって」
フラットから十分に離れたところで、不意にニールセンがそう尋ねてくる。
レイはそんなニールセンの言葉に疑問を抱く。
「別に構わないだろう? 補給の馬車でダスカー様の屋敷に届けるって言ってたんだし。まさか、フラットが指輪を自分の物にするとでも思ってるのか?」
レイから見て、フラットがそのような真似をするようには見えない。
そもそもフラットは実力のある冒険者なのだ。
ランクA冒険者や異名持ちのように突出した実力を持っている訳ではないが、ギルドから優秀だと判断され、野営地を纏めるようにと指示されるくらいには有能な人物だ。
そうである以上、指輪を盗むような真似をせずとも、それこそ普通に冒険者として活動しているだけで十分に稼ぐことが出来るのだ。
……勿論、そのような状況であっても思わず盗むという者もいるのだろうが、レイが見る限りフラットはそういうタイプには思えなかった。
「そうは思わないけど。ただ、何となくそういう風に思っただけよ」
「止めてくれ。ニールセンの勘となると、何だかもの凄く当たりそうだし」
妖精のニールセンが……それもただの妖精ではなく、長の後継者という扱いの妖精のニールセンの勘だと言われると、もしかしたらと思ってしまう。
レイにそんな風に言われたニールセンは、不満そうな視線を向ける。
「何となくそう思っただけで、本当にそうだとは言ってないわよ。それに……そういうことが絶対にないとは言わないでしょう?」
「ないとは言わないけど、可能性はかなり低いだろうに。……まぁ、それはいいとして。俺は問題ないと思っている。それに領主のダスカー様が関わってる件でフラットがそんな真似をしたら、それこそ言い訳出来ないだろうし」
あれ? もしかしてこれってフラグでは?
ニールセンと話していたレイはそう思ったが、特に問題はないだろうと思い直す。
もしこれがフラグだったら、その時はその時だろうと。
「ともあれ、今は穢れが新たに出て来ないことを祈って、そしてもし出て来た時の為にゆっくりとするだけだな」
そう言うと、レイはニールセンやセトと共に野営地の中を進むのだった。
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