3244話

「ほう、これが新しいミスリルの釘を使った結界か。……見たところ、最初の奴とは違わないな」


 黒いサイコロが二匹に、黒い円球が一匹が捕獲されたミスリルの結界を見て、オイゲンは感心したように呟く。

 この穢れを巡って問題を起こした研究者は、もうここにはいない。

 オイゲン達が使っているテントの一つに、縛って転がされている。

 貴族の後ろ盾を持ってるだろう研究者にそんな扱いをしてもいいのか?

 そうレイは思ったのだが、野営地で寝泊まりをしている研究者を率いているオイゲンがそのように判断したのなら、取りあえず問題はないのだろうと思っておく。


「ああ、使うのは初めてだけど、こうして見る限りでは問題ない。他のミスリルの釘も同じようにきちんと動くのなら……」

「穢れの関係者の拠点に行くのはそう遠くないって訳ね!」


 そう割り込んで来たのは、ニールセン。

 レイの頭の横を飛びながら、何故か自慢げにそう言う。

 一体何故この件でニールセンが偉そうにしてるのかは、レイにも分からなかったが。


「レイがいなくなると、いざという時に不安なのだが……それは仕方がないことか」

「そうなるな。もっとも、本当にいざとなれば、ダスカー様が穢れを相手にしても対処出来る実力者を連れてくるだろうだろうから、そこまで心配するようなことはないと思うけど」


 この場合の穢れに対処出来る実力者というのは、レイが知ってる限りではエレーナだけだ。

 実際に穢れを倒したという実績を持つだけに、頼りになるのは間違いない。

 あるいは他にもレイが知らないだけで、穢れに対処出来るだけの実力を持った者がいるのかもしれないが。


「だといいんだが。やはり実際に穢れを倒したことがある者達がいないと、安心感はないな」

「そう言われると、少し困るな。もっとも、何かあってもすぐに対処することは約束しよう」


 オイゲンの言葉にそう言ったのは、当然のようにレイではなく……


「ダスカー様!?」


 レイはそこにいたダスカーの姿を見て驚く。

 まさかここでいきなりダスカーが姿を現すとは、思ってもいなかったのだ。

 グリムアースと何らかの話をしていたのは分かるが、そのグリムアースもダスカーの後ろにいる。

 ……ただし、グリムアースの視線はレイに向けられるといったことはなく、レイから少し離れた場所にあるミスリルの結界に……もっと正確には、半透明のミスリルの結界に捕らえられている三匹の穢れに向けられていた。

 グリムアースにしてみれば、この野営地には子供の一件と指輪を探す為にやって来たのだ。

 まさか穢れのような存在がいるとは、思ってもいなかったのだろう。


(こうして堂々と見せてもいいのか? いや、ダスカー様が平然としている以上は問題ないんだろうけど)


 ダスカーが何も考えず、グリムアースに穢れを見せるとは思えない。

 だとすれば、何らかの理由があってそうしたと考えるべきなのだろうが、生憎とレイにはそれが具体的にどのような理由なのかは分からなかった。


「ダスカー様……その、先程のお話ですと、あの……黒いのが穢れ、という奴なのでしょうか? 私の馬車を攻撃したのも……」


 穢れを見ていたグリムアースは、そこでようやく我に返ってダスカーにそう尋ねる。

 自分の言葉が正しいのかどうか分からない。

 そんな様子のグリムアースだったが、ダスカーは特に考える様子もなく、あっさりと頷く。


「そうだ。先程も言ったように、現在このトレントの森はあそこにいる穢れという存在に何度も襲撃されている。お前の馬車は、恐らくその穢れに接触したのだろう」

「そんなことで……」


 我慢出来ないというか、納得出来ないといった悔しそうな様子を見せるグリムアース。

 幸い、死人はいなかったものの、それでも怪我をした者はいる。

 また、レイは知らなかったが、馬車を牽いていた馬はグリムアースが子馬の頃から可愛がって育ててきた馬で、愛着もあった。

 それがそんな偶然……いや、不運で死ぬことになったのだから、それを不満に思うなという方が無理だろう。

 もっとも、グリムアースもここで自分が喚いても意味がないのは理解しているし、ダスカーに恥を掻かせるだけになる以上、怒りから怒鳴ったりといった真似はしなかったが。

 そんなグリムアースを見て、レイは不運だなと思う。


(子供を鳥のモンスターか何かに連れ去られて、家に代々伝わっている指輪をなくし、家族や護衛、御者といった身内が穢れと接触して怪我をして、馬車は壊れて馬は死ぬ。……不運どころの話じゃないな。もしかして、何かに呪われてたりするんじゃないか?)


 グリムアースの様子を見て、レイはそう呟く。

 もっとも、それを口に出すような真似はしなかったが。

 もしそのようなことを口にして、それによってグリムアースが怒ったら、面倒なことになるのは確実なのだから。


「それでどうする? さっきも言ったが、この野営地に関わるのなら相応の覚悟をして貰うことになる。場合によっては、穢れと戦ったりすることになるかもしれん。……もっとも、レイが穢れの件を解決すれば、それなりに安心にはなるのだが」


 微妙に言葉を濁すダスカー。

 穢れの件を抜いても、このトレントの森は色々な問題がある。

 寧ろ穢れの件が解決しても、これで複数ある問題のうちの、ようやく一つが解決するといったことになるのだ。


「分かってます。ですが……え?」


 ダスカーに何かを言おうとしたグリムアースだったが、不意にその言葉が止まる。

 その視線が向けられているのはレイ……ではなく、レイの横。


「あ」


 グリムアースの視線を追ったレイは、自分の顔の横を飛んでいるニールセンの姿に気が付き、そんな声を漏らす。


「え? ……あ」


 ニールセンもまた、グリムアースが一体何で驚いているのか分からなかったものの、自分を見たレイの口からそのような言葉が漏れたことで、その理由を理解した。


『……』


 たっぷりと数分、その場に沈黙が満ちる。

 どこかから聞こえてくる、生活音。

 誰かが叫んで仲間を呼ぶような声や、モンスターや獣の鳴き声、もしくは木々が風で揺れる音といったような諸々が聞こえてくる。

 そんな中、沈黙を破ったのはダスカー。


「グリムアース。見ての通り、このトレントの森には妖精がいる。具体的には、妖精郷があると言った方が正しいだろう」

「……え?」


 グリムアースはダスカーの口から出た妖精郷という言葉に、そんな間の抜けた声を漏らす。

 妖精がいる以上、もしかしたらという思いがあったのかもしれないが、それをこうもあっさりと言われたことに驚いたのだろう。


「妖精郷だ。他にも異世界から転移してきた湖や、同じく異世界から転移してきた高い知能を持ち、言葉を話せるリザードマン達もいる」


 次々とトレントの森の秘密を話すダスカー。

 それでもさすがにトレントの森の中央に存在する、異世界と繋がっている地下空間については話す様子がない。

 そちらに関しては、王都にも連絡をしていないのにグリムアースに話すことは出来ないと思ったのだろう。

 異世界との貿易というのは、ギルムにとって非常に大きな意味を持つかもしれないのだから。

 もっとも、その異世界に存在するのは遊牧民のケンタウロス達なので、異世界間で貿易をしてもあまりメリットがないようにレイには思えたのだが。


「その……ダスカー様、何故そこまで秘密を教えてくれるのですか?」


 ダスカーはグリムアースを呼び捨てにするが、グリムアースはダスカーを様付けで呼ぶ。

 この辺りに、二人の貴族としての力の差が表れているのだろう。

 ダスカーは最も小さいとはいえ、三大派閥の一つである中立派を率いる身だ。

 また、純粋に爵位としても、ミレアーナ王国に唯一存在する辺境を治める辺境伯で、どの派閥にも入っていない……もしくは入れないグリムアースとは、貴族としての力が違いすぎるのだ。

 もっとも、だからこそダスカーはグリムアースを自分の味方に引き込もうとしているのだが。


「こうしてトレントの森に関わってしまった以上、何も知らない方が危険だ。下手に中途半端な情報しか知らない場合、最悪の結末になる可能性も否定出来ないからな」


 最悪の可能性と言われ、グリムアースが思い浮かべたのは自分の子供のことだった。

 今回は鳥のモンスターか何かに連れ去られたが、もし悪意のある者、グリムアースを脅そうとする者がいた場合……子供は絶好の取引材料と判断されるのではないか、と。

 それを考えると、グリムアースはダスカーに感謝の気持ちを抱く。


「ありがとうございます。……この先、私がこのトレントの森にどのように関わるのかは分かりません。ですが、出来るだけ積極的にやっていきたいと思います」

「そうか。具体的にどのようになるのかは分からないが、それでもグリムアースが最善の結果をするようにして貰いたいと思う」


 ダスカーとしては、グリムアースには自分に協力して欲しい。

 中立派に所属してくれるのが最善なのだが、そこまでは希望しない。

 自分の派閥に所属しなくても、協力関係を築けることが出来るのならありがたいと。


「それで、レイ。新しいミスリルの釘はどのような状態だ? こうして見る限りでは、特に問題はないように見えるが」


 グリムアースとの話はこれで一段落と考えたのだろう。

 レイに向かってそう尋ねてくる。

 新しいミスリルの釘は、今回量産された代物だ。

 そうである以上、新しいミスリルの釘が問題なく使えるかどうかをきちんと調べる必要があった。


「そうですね。こうして見た限りでは、今のところ特に問題はないかと。……ただ、最初に使っていたミスリルの結界と同じような効果を発揮するのかどうかは、明日にならないと分かりませんね」


 ミスリルの結界に捕獲されている穢れだが、これが明日死ぬということになれば、新しいミスリルの釘がしっかりと動いているということになる。

 もしくは、量産されたミスリルの釘はレイが以前まで使っていた物よりも高性能になる……そんな可能性も十分にあったが。


「そうか。これでもし明日、ミスリルの結界が上手い具合に動いていると判断したら、出来るだけ早く穢れの関係者の拠点に向かって欲しい」

「出来るだけ早くですか? 俺は構いませんけど」

「私もそれには賛成するわ!」


 レイの言葉にニールセンが続く。

 ニールセンにしてみれば、穢れの関係者の拠点を出来るだけ早くどうにかしたいと思っているのだろう。

 そもそもレイが野営地で寝泊まりしているのも、穢れが原因なのだから。


「けど、マリーナとヴィヘラに話を通す必要がありますね。それはこっちでやっておきましょうか?」

「そうしてくれると助かる。俺で何か協力出来ることがあれば、言って欲しい」


 レイの言葉にこれ幸いと食いつくダスカー。

 ダスカーにしてみれば、ヴィヘラはともかく、自分の黒歴史を知っているマリーナとはあまり会いたくはないのだろう。

 レイもそれが分かるからこそ、自分がどうにかしようかと言ったのだが。


「分かりました。今夜にも対のオーブで話しておきます。……まぁ、それもあのミスリルの結界が問題を起こさなければの話ですけど」

「その辺は大丈夫だと思いたいな」


 そう言い、レイとダスカーは新しいミスリルの結界に視線を向ける。

 するとそこには、オイゲンを含めて何人もの研究者が既にミスリルの結界の周囲に集まっていた。


「うわ」


 先程までは穢れの一件で問題を起こした研究者の件で色々とあったオイゲン達だったが、それでもやはり新しいミスリルの結界については強い興味を抱くのだろう。

 研究者の性とでも呼ぶべき衝動に動かされた面々を眺めつつ、レイは改めて周囲を見る。

 ……すると、先程までダスカーの側にいたグリムアースもまた、興味深そうにミスリルの結界に視線を向けていた。

 グリムアースにとっても、初めて見る穢れという存在については思うところがあるのだろう。

 そう思っていたレイだったが、そう言えばと思い出す。


「ダスカー様、グリムアースの馬車と馬の死体が俺のミスティリングの中に入ってますけど、どうします?」

「何? ああ、いや、そうか。そうなるのか。……だが、その件については俺がどうこう言えることではない。グリムアース!」

「はい、何でしょう?」


 ミスリルの結界を……正確にはその内部に捕獲されている穢れを見ていたグリムアースだったが、ダスカーに呼ばれているのに気が付くと、すぐに我に返る。


「レイが持っている馬車と馬の死体をどうする?」

「それは……屋敷に戻ってから出して貰えると助かります。出来ればきちんと埋葬してやりたいので」


 真剣な表情で、そう言うのだった。

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