3230話

「レイ、ちょっとレイ。起きてってば。……レイ!」


 眠っていたレイは、そんな声で目を覚ます。

 そして自分を呼んでいるのがニールセンだと知ると、すぐに口を開く。


「穢れか?」

「ええ。ただ、二ヶ所に同時に出たみたいそれも野営地じゃない場所に」

「な……」


 時間差で二ヶ所に出たということはあったが、同時に二ヶ所というのにはレイも驚く。

 それだけではなく、この野営地以外の場所に穢れが現れたというのも驚いた。


「また、アブエロの冒険者か?」

「それは分からないわよ。行ってみないと。ただ、二ヶ所に現れたということは、多分違うんじゃない?」


 これで一ヶ所なら、ニールセンもアブエロの冒険者だと納得も出来ただろう。

 だが二ヶ所だ。

 偶然アブエロの冒険者達が同時にトレントの森に入ったのなら、そのようなことも起きるかもしれない。

 しかし、そのような偶然があるとは思えない。

 勿論、可能性が皆無という訳ではないだろう。

 だが同時に、限りなく可能性が低いことも、また事実。


「とにかく直接行ってみるしかないか」


 ここで話していても始まらないと、レイは素早く身支度をすませるとマジックテントから出て、それをミスティリングに収納する。


「セト」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは素早く反応する。

 ニールセンがマジックテントに入っていったのはセトも当然気が付いており、その様子から穢れが出たのだろうと考え、いつでも行動に移れるようにしておいたのだ。

 そんなセトの様子にレイは笑みを浮かべ、すぐに背に乗る。


「じゃあ、ニールセンの案内に従って頼む」

「グルルルルゥ!」


 セトは鳴き声を上げながら、数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて上空に駆け上がっていく。

 そんなセトの鳴き声は当然のように野営地の中に響き渡り、それを聞いた見張りの者達が空を飛ぶセトを見て、安堵する。

 セトが飛び出していったのは穢れがまた現れたからで間違いないだろう。

 だが同時に、こうして飛び出していったということはこの野営地に穢れが現れた訳ではないのだろうと、そのようにも理解出来る。

 つまり、今のこの野営地が安全なのは間違いない。

 それはあくまでも穢れに対して安全であるという意味で、それ以外のモンスターや動物といった存在に対しては特に安全という訳ではない。

 野営地の周囲は一応柵で囲っているものの、その柵を跳び越えるなり、破壊するなり、隙間から入ってくるなりといったような真似をするモンスターや動物がいてもおかしくはないのだから。

 とはいえ、この野営地にいる冒険者はギルドに優秀と認められた者達だ。

 穢れのように普通の攻撃が通用しないような相手ならともかく、モンスターや動物の類であれば対処するのも難しくはない。

 ……レイが以前遭遇したように、高ランクモンスターの類が現れたりすれば、話は別だが。


「穢れがいないと分かっているのは、こっちにとっても悪くない話だよな」

「そうだな。穢れの場合はレイが戻ってくるまで回避するなり、もしくは攻撃をしないで様子を見ていることしか出来ないし。ミスリルの結界だったか? あれが早く使えるようになればいいんだけど」

「あー、あれな。今はまだ本当に使えるかどうか、もしくは何か問題がないかどうかを確認中なんだろ? 出来るだけ早く使えるようになってくれると俺も助かるけど……ただ、俺が聞いた話によると、あのミスリルの結界が使えるようになったらレイはどこかに行くって話だぜ?」

「何? それ、本当か!?」


 相棒の言葉に、焦った様子で尋ねる男。

 その様子に、レイがいなくなるということを口にした男は意外そうな表情を浮かべる。


「何だ、知らなかったのか? 結構知られている情報だと思ったんだが」

「レイがいなくなったら、どうなると思う? ミスリルの結界がきちんと穢れに通用しても、完全に安心は出来ないだろう?」

「それには同感だ」


 しみじみといった様子で、男は相棒に同意する。

 ミスリルの結界がきちんと効果を発揮すると言われても、やはりレイがいるということの安全性には叶わないのだ。

 その辺は、それこそ今までの行動によって培われてきた信頼性が影響している。

 レイがいるというだけで、絶対的な安心感を抱く。

 同じ冒険者としてそれでいいのか? と思わないでもなかったが、レイの強さ……正確にはレイとセトの強さは、ここにいる冒険者達とは桁が違う。

 そんな安心出来る相手がいなくなるというのだから、不安になるなという方が無理だった。


「けど、レイが出る必要がある何かだ。だとすれば、レイじゃないといけない何かでもあるんだろうよ」


 そう言われると、レイがいなくなるということで焦っていた男も頷くことしか出来なかった。






「レイ、ほらあれ。あそこよ。逃げてる! ……って、あれボブじゃない!?」


 レイの右肩で騒ぐニールセン。

 夜目の利く自分やセトならともかく、ニールセンが一体どうやってこの夜空の中で地上を走るボブの姿に気が付いたのか、レイは分からない。

 あるいは覚醒して強化されたことによってその辺もどうにかなったのかもしれないが……とにかく、今はまず必死になって地上を走っているボブを助け、ボブを追っている黒いサイコロを倒すのが先だった。


「ボブ!」


 上空から地上に向かって叫ぶレイ。

 そんなレイの叫びに気が付いたのか、ボブは走りながら上を見る。


「妙だな」

「そうね。……黒いサイコロの移動速度が速いわ」


 レイの呟きにニールセンが同意する。

 その言葉通り、ボブを追っている黒いサイコロの速度は明らかにレイ達が知っている黒いサイコロよりも速い。

 黒い円球もそうだが、基本的に穢れの移動速度は決して速くない。

 それこそ人が走れば普通に抜き去るといったような真似が出来るくらいの速度だ。

 だというのに、現在ボブを追っている黒いサイコロの速度は間違いなくレイ達が知っているよりも速かった。


「ボブだからか?」


 今となってはレイも気にならなくなっていたが、元々穢れがトレントの森に転移してくるのはボブを殺す為だ。

 転移した先にボブがいなければ、ボブを探して行動するのか、それとも本能からか移動しつつ触れた存在を黒い塵にして吸収するといった行動をしていたものの、もしそんな穢れが実際にボブを見つけたらどうなるのか。

 もしかしたら、現在地上で行われているその光景こそが答えである可能性があった。


「取りあえずボブを助けるか。……セト、ボブの前に降りてくれ。いつも通りに戦うといった真似は出来ないかもしれない」


 いつもなら、セトが穢れに攻撃をして誘き寄せ、レイの魔法を使って一網打尽にする。

 しかし、今はそれが出来るかどうか分からないというのがレイの予想だった。

 何しろ穢れはボブを追ってひたすらに移動しているのだ。

 そうである以上、横からセトが攻撃をしても、それが向こうにとって注意を引くといった真似が出来るかどうか、微妙なところだ。

 なら、今の穢れはボブを追っているのだから、そのままボブに黒いサイコロを引き付けて貰い、いつものようにレイの魔法で倒してしまった方が手っ取り早い。


「グルゥ? ……グルルルゥ……」


 レイの様子から、レイが何をしようとしているのかを理解したセトだったが、少しだけ残念そうな様子を見せる。

 セトにしてみれば、レイが穢れを倒すのなら自分がそのサポートをするべきだと思っていたのだろう。

 だが、今はボブにその仕事を奪われてしまった。

 それがセトにとって残念でならなかったのだ。

 とはいえ、セトも穢れの危険性は十分に理解している。

 そうである以上、自分のつまらない意地でレイやボブ、ニールセンといった相手を危険な目に遭わせるのは避けたかった。

 そうして地上に着地すると、レイはそこから降りて叫ぶ。


「ボブ、こっちの方に向かって走ってこい! 穢れを魔法で一掃する!」


 トレントの森に響き渡る、レイの声。

 その言葉がボブに聞こえたのかどうかは、生憎とレイにも分からない。

 分からないが、それでも今は聞こえたと判断してレイは行動する。


「セト、ニールセン。ボブがやって来たら、援護を頼む。ボブがどんな状況になっているのか分からない以上、お前達に頼るしかない」

「グルゥ!」

「任せて。ボブは私が助けてあげるわ」


 レイの頼みにセトは嬉しそうに喉を鳴らし、ニールセンもやる気満々といった様子で言う。


「じゃあ、俺は魔法の準備を始める。黒いサイコロを纏めて倒せるようにな」


 セトとニールセンは、レイのその言葉に頷いてレイから距離を取る。

 いつボブがやってきても、すぐ対処出来るようにと考えての行動。

 そんな一人と一匹の様子を見つつ、レイはミスティリングから取り出したデスサイズを手に、呪文を唱え始める。


『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』


 デスサイズの石突きに、炎が生み出される。

 こうして呪文は完成し、後は実際に魔法を発動するだけとなり……ちょうどそのタイミングで、レイの前方からボブが走ってくるのが見える。

 必死になってボブが走っているものの、そのボブを追う黒いサイコロは決して距離を開けることもなく追ってくる。

 幸いだったのは、ボブと黒いサイコロの間にある距離が開くことはなかったが、縮まることもないことか。

 それはつまり、このまま走っていればボブが黒いサイコロに追いつかれることはないということになる。

 ……もっとも、それはあくまでもボブが全速力で走っていればの話だ。

 全速力で走るという行為は、当然ながらいつまでも続く訳ではない。

 腕の立つ猟師であるボブなので、体力そのものは一般人よりも高いだろう。

 それでもいつまでも全速力で走り続けることが出来る訳ではないのは明らかだ。


「グルルルルルゥ!」


 ボブを応援するように、セトは大きく喉を鳴らす。

 そんなセトの鳴き声を聞いたボブは、その鳴き声を聞いた瞬間、走る速度が増す。

 このまま走れば、そして黒いサイコロを引き付ければ助かると、そう思いながら。

 そうして当初の予定の場所まで来たところで……


『火精乱舞』


 魔法が発動する。

 生み出された赤いドームが、ボブを追っていた黒いサイコロの群れを捕らえる。

 ボブを追っていた黒いサイコロ達は、自分に状況は関係ないと言わんばかりに突っ込む。

 だが、赤いドームによってその行動は制止された。

 動こうとしても、赤いドームから抜け出すことが出来ないのだ。

 その光景は炎獄に閉じ込められた穢れと同じような行動に見える。

 炎獄もこの赤いドームを参考にしている部分があるので、その考えは決して間違いではないのだが。

 赤いドームの中に生まれる火精のトカゲ。

 そのトカゲが無数に増えていき……そして限界に達したところで爆発する。


「ボブ、こっちだ」

「はぁ、はぁ、はぁ……ありがとうございました」


 赤いドームの中で穢れが燃えているので、夜のトレントの森を照らすのには十分な光量がある。

 そのおかげで、ボブも転んだりといったようなことはなく、レイやセト、ニールセンのいる方に近付いてきた。


「取りあえず穢れはこれで全部倒したが、何だって夜中にトレントの森の中に出るような真似を? 狩りをするにしても、別に夜にやる必要はないだろうに」


 今までレイが知ってる限りだと、ボブが夜に狩りに出るといったような真似をすることはなかった。

 ボブと初めて遭遇した時は夜だったが、その時くらいだろう。

 トレントの森に来てからとなると、そういうことはしていない。

 なのに、何故今日に限ってこうして夜にトレントの森にいるのか。

 そんな疑問をレイが抱いても、おかしくはない。


「いえ、その……何だか眠れなくて」

「眠れないから夜の森で狩りをするのか?」


 呆れた様子で言うレイ。

 いや、その中には怒りの感情もある。

 妖精郷にいることによってボブが穢れに狙われるようなことはなくなったものの、それで気を抜いてこのような危険な真似をする必要があるのかと。

 レイにしてみれば、呆れと怒りが混ざった思いを抱くのは無理もない。

 レイの視線に黙り込むボブ。

 そんなボブに対し、レイは何かを言おうとし……


「ちょっと、レイ。ゆっくりしてないでよね。もう一ヶ所穢れが現れた場所があるって言ったでしょ!」


 ニールセンの言葉で、レイはそう言えばと思い出す。

 ニールセンが自分を起こしたのは、二ヶ所に穢れが現れたからなのだと。


「取りあえずこの件は後で長に知らせておく。……お仕置きは覚悟しておけよ」

「え? あ、ちょ……」

「仲間ね」


 レイの言葉に戸惑った様子のボブ。

 そんなボブに、ニールセンは笑みを浮かべてそう告げるのだった。

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