3189話

 妖精郷に戻って来たニールセン達は、そこでようやく一息を吐くことが出来た。

 穢れの関係者の拠点を調べたり、巨大な鳥のモンスターとの戦い――とはとても呼べるものではなかったが――があったりしたので、体力的にも精神的にもかなり疲れていたのだ。

 だが、この妖精郷の中にいる限りは、取りあえず安心出来る。

 そう思ったことによって気が緩み、一気に疲れが襲ってきたのだろう。


「どうやら疲れてるようね。少し休んでから話をしましょう」

「え? その、大丈夫です。まだ何とかなりますから」


 降り注ぐ春風の言葉に、ニールセンは慌てたようにそう告げる。

 ニールセンにしてみれば、今回の一件は自分の失態だ。

 そうである以上、ここで報告を遅らせるような真似は出来なかった。

 しかし、そんなニールセンに降り注ぐ春風はいつものように笑みを浮かべながら口を開く。


「落ち着いてちょうだい。ニールセンはまだ色々と混乱してるでしょう? なら、まずは一度休憩して、落ち着いてから色々と話した方がいいでしょう?」

「それは……」


 降り注ぐ春風の言うことを、ニールセンも理解出来た。

 今の自分はかなり疲れていると、そう自覚出来るのだ。

 肉体的、精神的には勿論、巨大な鳥のモンスターに対して妖精魔法を使い、嫌がらせを続けたのだから。

 実際には妖精魔法を使い続けた時間はそう長いものではなかったが、それでも遠距離から魔法を使っていたこともあり、ニールセンの魔力的な消耗も激しい。

 莫大な魔力を持ち、魔法を半ば使い放題のレイとは違い、ニールセンは相応の――それでも普通の妖精よりは多いのだが――魔力しかないのだから。


「分かりました。じゃあ、休ませて貰いますね」

「ええ、そうしなさい。別に無理に急ぐ必要もないんでしょう?」

「えーっと、そうですね……」


 降り注ぐ春風の言葉にニールセンは何人かの顔を思い浮かべる。

 だが、そうして何人かの顔を思い出したことによって、自分がここで無理をしてもその者達に褒めては貰えない……どころか、叱られるだろうと思ってしまったので、休むという行為を受け入れることにした。


「じゃあ、一休みして回復したら会いに来てちょうだい。……ニールセン達が休むのを、邪魔しちゃ駄目よ?」


 その言葉は、ニールセンに向けてではなく、他の妖精達に向けてのもの。

 妖精達は、先程の轟音……巨大な鳥のモンスターの風のブレスの音を聞き、一体外で何が起きているのかと興味津々だったのだ。

 しかし、降り注ぐ春風は妖精達に外に出ないようにと指示を出していた。

 これが同じ妖精から外に出ないように言われたのなら、それを聞かない者もいただろう。

 だが、今回の指示……もしくは命令と言い換えてもいいが、それは長の降り注ぐ春風からのものだ。

 これを無視したらどうなるか。

 この妖精郷の妖精であれば、降り注ぐ春風の怖さは十分に知っている。

 そうである以上、ニールセン達に向かって何があったのかを聞こうとする者はいない。

 そして降り注ぐ春風は再び口を開く。


「それと外の騒動は解決……はしてないけど、一段落はしたから、気になるなら妖精郷の外に出てもいいわよ」


 飴と鞭という言葉を思い浮かべたニールセンだったが、実際にそれを口にするような真似はしない。

 もしそれを口にした場合、それは自分にとっても決して愉快な出来事になるとは思えなかったからだ。

 それにそう言うのなら、実際に経験したニールセンから話を聞いてもいいといった風に言われたらどうするか。

 それなら自分が感じたことを心の内にしまっておいた方がいいのは間違いなかった。


「外よ、外に行くわよ!」

「あ、ちょっと待って! 置いていかないでってば!」

「いーやっほー! 外だ外だ外だ!」


 何人もの妖精が、歓声を上げつつその場から飛び去る。


「さて、じゃあゆっくりと休みなさい。あの子達も外に行くから騒がしくはないでしょうし」

「ありがとうございます」

「いいのよ、数多の見えない腕のところの子にはしっかりと休んで貰った方がいいでしょうし」


 そう言い、降り注ぐ春風もまた他の妖精達と同様に――向かう方向は正反対だが――飛び去る。

 先程自分達の側に突然現れたような、妖精の輪を使ったと思しき転移ではなく、普通に自分で飛んで。


「じゃあ、私達もゆっくりしましょうか。私は木の中で眠らせて貰うけど、イエロとドッティはどうするの? イエロはともかく、ドッティはかなり疲れてると思うんだけど」


 イエロはニールセンと一緒に小屋の探索はしたが、それだけだ。

 それに比べると、ドッティは巨大な鳥のモンスターに追い回されたのだから、こちらもまたニールセン同様、精神的にも肉体的にも疲れていない筈がなかった。


「ギャア? ……ギャアア」


 ニールセンの言葉をどこまで理解しているのか、ドッティは鳴き声を上げると、その場から飛び去る。

 妖精郷から出る訳ではなく、妖精郷の中でゆっくりとするのだろう。


(私の言葉、しっかりと理解出来たのかしら?)


 そんな疑問を抱くも、ドッティは言葉こそ正確には理解出来ていないが、決して頭が悪い訳ではない。

 自分が疲れているのを理解出来ている以上、休憩しに行ったのだろう。

 確信はないものの、ニールセンはそう思うことにする。


「イエロはどうするの?」

「キュ? ……キュウ!」


 こちらもまた、何を言っているのかニールセンには分からない。

 分からないものの、それなりにまだ元気なのは見れば納得出来た。

 これが、巨大な鳥のモンスターとの戦いに参加していないからか、それともドラゴンの子供ということで元々の体力が高いのか。

 ニールセンには分からなかったが、その件については特に気にしないことにした。


(イエロの元気がいいのとか、私には関係ないし。いえ、一緒に行動してるのだから関係ない訳じゃないけど、今は早く休みたいわ)


 こうして話したり考えたりしている間にも、気が付けば意識がぼうっとしていることがある。

 出来るだけ早く休んだ方がいいと思いながら、ニールセンはイエロに声を掛ける。


「じゃあ、私は休むからイエロは好きにしていてちょうだい。ただ、妖精郷からは出ないようにしてね」

「キュウ!」


 ニールセンの言葉にイエロは嬉しそうに鳴くと、ドッティと同じようにその場を飛び去る。

 そうして自分一人になると、ニールセンは近くにあった木に向かう。

 本来なら、木というのはそれぞれ特徴がある。

 その妖精の好みによっては、非常に眠りにくい木であったり、あるいはぐっすりと眠れる木だったりといったように。

 だが、ニールセンは自分の疲れをかなり自覚しており、少しでも早く眠りたかった。

 もっと離れた場所には昨夜この妖精郷でニールセンが眠った木もあったのだが、そこまで行くのすら面倒だと思えるくらいに。

 ふらふらと、見る者が見れば酔っ払いではないかと思えるような動きでニールセンは近くの木の中に入り……そのまま、数秒と掛からずに意識が闇に沈むのだった。






「急げ、急げ、急げ! 何があったのか分からないが、あんな爆発があったんだ。もしかしたら、高ランクモンスターが現れたのかもしれないぞ!」


 馬に乗って先頭を走る男が、必死になって叫ぶ。

 その人物は、この辺り一帯を治めている領主に仕えている騎士の一人。

 ちょうど見回りをしていてこの付近にいたのだが、その途中でいきなり爆発……正確には爆発かどうかまでは分からなかったが、とにかく巨大な音を聞いたのだ。

 普通なら考えられないような、そんな音。

 それだけに、もしかしたら高ランクモンスターが現れたのではないかと、非常に焦っていた。

 この領地は辺境のような異常な場所ではない。

 ごく普通の……それこそ、高ランクモンスターは基本的に出て来ないような、そんな場所なのだ。

 だというのに、森で起きた爆発。


「でも、小隊長。あっちにある森は、特に何かがある訳でもない、普通の森ですよ? とてもではないですが、高ランクモンスターがやって来るとは思えません!」


 男……小隊長の部下の一人が、先頭を走る小隊長の馬を必死に追い掛けながら、何とか叫ぶ。

 ただの森である以上、とてもではないが高ランクモンスターが現れるとは思えなかったのだ。

 だが……


「馬鹿者! 高ランクモンスターに常識を求めるな!」


 そう一喝される。

 小隊長のその声は、非常に真剣なものだった。

 それこそ、もしここでふざけるような真似をしたら、殺されるのではないかと思える程に。

 必死に馬を走らせながらも、小隊長は自分が厳しく叫びすぎたと判断する。

 普段ならこのままでも問題ないが、これから自分達は高ランクモンスターと戦うかもしれないのだ。

 そうである以上、味方が怖じ気づいたりするのは絶対に避けるべきだった。


「俺は若い頃に冒険者だった。それは分かるな!?」


 叫ぶ小隊長だが、それは別に苛立ちからのものではない。

 馬を全速力で走らせているので、余程近くにいない限り、言葉は聞こえないのだ。


「そして冒険者として俺はギルムに行ったことがある!」


 それは、冒険者としては一流に近い技量を持っていたということを意味していた。

 今でこそ、ギルムは増築工事の影響で多くの冒険者が……それどころか、本来なら冒険者でない者ですら、増築工事の仕事を求めて冒険者となり、ギルムに行くのは珍しい話ではない。

 だが、小隊長が冒険者だった時は、本当に冒険者の中でも限られた者だけがギルムに集まっていたのだ。

 この小隊長もその一員だったということになれば、それは腕利きであったことを示すものだ。

 しかし、ギルムに行ったことがあるという小隊長の顔は決して誇らしげなものではない。


「ギルムで活動していた俺達は、他のパーティと一緒に依頼を受けている時、偶然高ランクモンスターと遭遇し……そして俺を含めて三人だけが生き残った」


 そう口にした小隊長の顔には、悔しさが浮かんでいる。

 それだけギルムの周辺で遭遇した高ランクモンスターに負けたことが堪えたのだろう。


「結局俺達は冒険者を辞めた。パーティも解散したしな。その後も色々とあって、今ではこうして騎士団の小隊長なんかやってるが……正直に言おう。今の俺は冒険者をやっていた時と比べると、明らかに腕が落ちている」


 不思議とその言葉は、叫んだ訳ではないのに聞いている全員に聞こえた。

 馬で走っているにも関わらず。

 そして聞いた者達の多くは信じられないといった表情を浮かべる。

 小隊長をしているだけあって、男は強い。

 それこそこの小隊の中で小隊長に勝てる者は誰もいないと思える程に。

 そんな小隊長が、今よりも強かった時に戦っても勝てなかった相手が、高ランクモンスターなのだ。

 とてもではないが、そのような相手に自分達が勝てるとは思えない。


「安心しろ!」


 部下達の雰囲気から、何を心配しているのかを理解した小隊長は再び叫ぶ。


「確かに俺は以前に比べれば弱くなった! だが、それはあくまでも俺個人としての話だ! 連携して戦うという点では、間違いなく俺は以前よりも強くなっている! だから心配するな! 覚悟を決めろ! ここで俺達が高ランクモンスターを逃がすような真似をしたら、民間人に被害が出るかもしれないんだぞ!」


 小隊長の口から出た言葉に、話を聞いていた者達は不安に思いつつも、それを何とか押し殺す。

 小隊長が言うように、もしここで高ランクモンスターを自由にさせたら、一体どれだけの被害が出るのか分からないのだから。

 部下達の顔に決意が宿ったのを見て、小隊長は安堵する。

 らしくもなく、自分の過去話をしてみせた甲斐があったというものだと。


(俺の恥の一つや二つでこいつらが生き残るのなら、それはそれでいいか)


 そんな風に考えつつ、小隊長は馬を走らせることに集中する。

 何だかんだと話をしていたので、その間は走るのが幾分か……本当に多少ではあるが、疎かになっていたのは間違いない。

 遅れた分を取り戻そうとする小隊長に、部下達も負けないように後を追う。

 もし本当に高ランクモンスターがこのような場所に出たら、何としてでも自分達が止めるのだと、そう考えて。

 走り続ける騎士達。

 幸いにも、走っている騎士達を邪魔するような何か……例えばゴブリンであったり、盗賊であったりといったような者達が姿を現すことはない。

 もっとも、そのような者達がいても、先程の爆音は聞こえていただろう。

 そうである以上、もしかしたら何かがあったかもしれない。

 そんな風に思い、自分達がそのような何かに巻き込まれるのを避ける為、この場を逃げ出していたのかもしれなかったが。

 そのことに安堵しつつ、小隊長は何が出ても倒してみせる。

 あるいは民間人に被害が出ないようにしてみせると考えながら、馬を走らせるのだった。

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