3188話

 巨大な鳥のモンスターがいなくなったが、ニールセン達はまだその場から動くことはなかった。

 もしここで動いたら、またあの巨大な鳥のモンスターがやってくるのではないかという思いがあったのは事実だが、それ以上に未だに完全に緊張は解れず、すぐにこの場を離れるということが出来なかったのだ。


「それにしても……辺境でもないのに、あんな巨大なモンスターがいるなんて。これもやっぱり、空を飛ぶモンスターだからかしら」

「キュウ」


 ニールセンの言葉に、イエロが鳴き声を上げる。

 同意しているのか、それともただ鳴き声を上げただけなのか、生憎とニールセンには分からなかったが。


「ギャア」


 そんなやり取りを見ていたドッティも、イエロに続いて鳴き声を上げる。

 ただ、その鳴き声はニールセンが聞いても疲れているように思えた。


「もう少し休んでから、妖精郷に戻りましょうか。これからまた小屋を調べるのは、ちょっと大変だし」


 小屋の中には特に穢れの関係者の本拠地の情報と思しきものはなかった。

 もっと調べれば、あるいは何らかの手掛かりが隠されている可能性もある。

 しかし、精神的な疲労状態にある今の自分達が小屋の中を調べても、何かが見つけられるとは思えなかった。

 もし何らかの偶然によって手掛かりを見つけても、それこそ精神的な疲労からその手掛かりを壊してしまうなり、破いてしまうなりといったような真似をしてもおかしくはない。

 だからこそ、ニールセンとしては今のこの状況で小屋に戻ろうとは思えなかった。

 なら、まずは妖精郷に行って降り注ぐ春風に事情を説明した方がいい。

 幸いなことに、巨大な鳥のモンスターの放ったブレスは妖精郷とは違う方向に放たれている。

 ……もしあのブレスが妖精郷に向かって放たれていたらどうなっていたのかと、今更ながらにニールセンは背筋に冷たいものを感じてしまう。

 降り注ぐ春風は優しげな笑みを浮かべているものの、それでも妖精郷の長をしているのだ。

 ただ優しいだけである筈もないだろう。


(もしあのブレスが妖精郷に命中していたら、あの巨大な鳥のモンスターは降り注ぐ春風に殺されていたんじゃ?)


 普通の妖精なら、あのような巨大な鳥のモンスターに勝てるとは思えない。

 しかし、長となるだけの実力を持つ妖精だったらどうか。

 長……数多の見えない腕のお仕置きを何度となく受けているニールセンにしてみれば、その数多の見えない腕と親しい降り注ぐ春風なら、あの巨大な鳥のモンスターにも勝てそうに思える。

 とはいえ、それでも戦闘になったら無傷でという訳にはいかないだろうというのがニールセンの予想だったが。


「……さて、いつまでもこうしている訳にもいかないし、そろそろ妖精郷に行きましょう。今回の件の説明もしないといけないし」


 巨大な鳥のモンスターのブレスは、確かに妖精郷とは違う方向に放たれた。

 それは事実だ。

 だが、それでも妖精郷の近くでこのような騒動があった以上、何があったのかと調査に来る者がいてもおかしくはない。

 そして誰かが調査に来れば、もしかしたら妖精郷の存在が表沙汰になる可能性もある。

 ここはあくまでも普通の森……それこそ他に幾らでも同じような森が存在するのだが、普通ならそのような場所に妖精郷があるとは思わないだろう。

 降り注ぐ春風が長をしている妖精郷は、そんな盲点に付け込んでここに妖精郷を構えたのだろう。

 この森に妖精郷を構えてから、どのくらい経つのかはニールセンにも分からない。

 しかし、ニールセンが妖精郷を見た限りでは、それなりに長い時間が経っているように思えた。

 そんな妖精郷が人目に触れるかもしれないという状況になったのだから、その報告と謝罪はする必要があった。


「あら、それならもう少し早く来てもよかったと思うけど」

「っ!?」


 不意に聞こえてきた声に、ニールセンは息を呑む。

 いや、その声はニールセンだけではなく、イエロやドッティをも驚かせるには十分だった。

 ギギギ、という音が聞こえるような動きで、ニールセンは声のした方を見る。

 その視線の先にいたのは、予想した人物……降り注ぐ春風。

 突然姿を現すというのは、ニールセン達が最初にこの森にある妖精郷に来た時もあったので、今は驚きはしているものの、それでも以前よりは驚いていない。

 ……それでも驚いているのは間違いがなかったが。


「何でここに……というのは、聞くまでもないですよね」

「そうね。妖精郷の近くでこんなに大きな騒動があったんですもの。そうである以上、様子を見に来るのは当然でしょう?」

「そ、そうですね……じゃあ、その、実際に何があったのかは見ていなかったんでしょうか?」


 そうであって欲しいという思いを抱きながら、ニールセンは尋ねる。

 巨大な鳥のモンスターが放った風のブレスを見ていないのかどうかというのは、大きな影響を持つ。

 だからこそ、出来ればそうであって欲しいと思ったのだが……


「いえ、しっかりと見ていたわよ?」

「……そうですか」


 終わった。

 そんな思いを抱きつつ、ニールセンは落ち込む。


「あら、別に今回の件で責めるつもりはないわよ? 詳しい事情は分からないけど、ニールセンが意図的にああいう光景を作り出した訳ではないでしょう?」


 降り注ぐ春風の視線が、風のブレスによって荒れた森に向けられる。

 そんな降り注ぐ春風に対し、ニールセンは当然だと頷く。


「勿論です。まさかあの巨大な鳥のモンスターがブレスを使えるなんて思ってなかったですし。というか、その……こうして聞いてもいいのかどうかちょっと分からないんですが、この辺りにああいう巨大な鳥のモンスターって現れるんですか? ここが辺境なら納得出来るんですけど」

「そう言えば、ニールセンの妖精郷は辺境にあるって言ってたわね。辺境なら色々なモンスターも出るんでしょう?」

「はい。もっとも、私達が辺境で暮らし始めてからはまだそんなに経ってないので、ああいう巨大な鳥のモンスターは初めて見ましたけど」

「大きかったもの。ああいうモンスターが頻繁に姿を現すとか、そういう事なら辺境というのは凄いところなんでしょうね。……ちなみに、当然だけどこの近辺にああいう巨大な鳥のモンスターが姿を現すということはないわ。ここに移ってきてから十年以上経つけど、初めてね」

「それは……」


 何て運の悪い。

 しみじみとそう思うニールセン。

 何も自分達が穢れの関係者の拠点を調べている時に、そんな初めてがなくてもいいのにと、そんな風に思ってしまう。

 もし巨大な鳥のモンスターが姿を現さなければ、小屋の中をもっと詳細に調べることが出来たのだ。

 そうなれば、何らかの手掛かりを見つけられた可能性も十分にあった。


「ギャアア……」


 ニールセンの様子に、ドッティは謝罪するように鳴く。

 ニールセンの言葉は理解出来ていないのだが、それでも話題が巨大な鳥のモンスターにあることは分かったのだろう。

 そして巨大な鳥のモンスターがこのような状況を作ったのは、空を飛んでいたドッティを見たから。

 つまり、ドッティがいなければ、あの巨大な鳥のモンスターはこの森の上空は飛んでも、特に何か気になるようなものがないので、ただ通りすぎただけの可能性が高かった。

 しかし、ドッティがいた為に巨大な鳥のモンスターはただ通りすぎるような真似はせず、嗜虐心のままに追い掛け始め、その結果が今のこの状況だ。

 ドッティが自分のせいだと思ってもおかしくはない。


「べ、別にドッティのせいじゃないわよ? そもそも、私とイエロが小屋を調べている時に空で待っててって言ったのは私なんだし!」


 落ち込んだ様子のドッティに、慌ててニールセンが言う。

 もしあのような巨大な鳥のモンスターが来ると分かっていれば、ニールセンもドッティにただ空で待つようにとは言わなかっただろう。

 それこそ、森の中に入って出来るだけ見つからないようにして待つように言った筈だ。

 あるいはここが辺境やその近くなら、ニールセンも最初からそのように言っただろう。

 だが、ここは辺境でも何でもない普通の場所だ。

 そのような場所に、あのような巨大な鳥のモンスターが来ると予想しろという方が無理だった。


「そ、その……一応聞きますけど……」


 ドッティに対する罪悪感を誤魔化すように、ニールセンは話題を移す。


「降り注ぐ春風なら、あの巨大な鳥のモンスターを倒せましたか?」

「どうかしら。倒せたかもしれないけど……その場合、この森の被害はこれどころじゃなかったでしょうね」


 うわ、と。

 ニールセンはその言葉に何も言えなくなる。

 ニールセンはまだ降り注ぐ春風のことはそこまで詳しくないものの、数多の見えない腕のことは知っている。

 数多の見えない腕なら、あのような巨大な鳥のモンスターであっても勝てると予想……いや、半ば確信があったので、降り注ぐ春風も同様に勝てると言われても、そこまで疑問は持たない。

 だが、その結果として、森に巨大な鳥のモンスターが使った風のブレス以上の被害が出ると言われれば、それに驚くなという方が無理だった。


「それで、拠点の方はどうだったの?」


 自分の言葉でニールセンに大きな衝撃を与えたと気が付いているのか、いないのか。

 降り注ぐ春風は、自分の言葉を気にした様子もなくニールセンに尋ねる。

 そんな様子に、ニールセンはようやく少しだけ落ち着きを取り戻して口を開く。


「いえ、残念ながらこれといった手掛かりはなかったと思います。もしかしたら、そういうのがどこかに隠されてるのかもしれませんが、見つけることは出来ませんでした。ただ……床には埃がそれなりに積もっていたので、あまり出入りしている人はいないんじゃないかと」

「おかしいわね。私の里の子達に聞いた話だと、それっぽい人がそれなりに利用してるという話だったけど。だからこそ、あの小屋は穢れの関係者の拠点であると認識したんだし」

「それは……」


 改めて降り注ぐ春風の話を聞けば、十分に納得出来る内容ではあった。

 もしあのような状況であったのなら、一体どうやって小屋が穢れの関係者の拠点であると認識したのか。

 それこそ何らかの手掛かりになるような書類の類も小屋にはなかったのだから。……単純にニールセンとイエロが見つけられなかっただけかもしれないが。

 そのような中で、降り注ぐ春風が小屋を拠点であると認識したのは、相応の理由があるのはおかしくない。おかしくないのだが……


(じゃあ、小屋の床にあった埃は何で? 誰かがあの小屋を使っていたのなら、それこそ床に足跡とかが残っていてもいい筈なのに)


 埃に足跡の類が残っていないのは、ニールセンもしっかりと確認している。

 そんなに大量に埃が積もっていた訳ではないが、それでも十日やそこら程度の埃ではないのは間違いない。

 この矛盾をどう考えるべきか、ニールセンには分からない。


「どうしたの?」


 悩むニールセンの様子に気が付いたのだろう。

 降り注ぐ春風は不思議そうに尋ねる。

 ニールセンはそんな相手にどう反応すべきか迷うも、別に隠すことではないので素直に話す。

 降り注ぐ春風なら、自分には分からない何らかの方法に思い当たってもおかしくはないと思い。


「小屋の床には埃が積もってたんです。もし誰かが小屋の中に入ってるのなら、足跡とかあってもいいんですけど。……あ、別に妖精達が嘘を吐いているとか、そう思ってる訳じゃないですよ?」


 実際には、妖精達は面白ければいいといった性格の持ち主が多い。

 そういう意味では、嘘を吐いたりもするだろう。

 しかし、長の降り注ぐ春風に対してもそのような真似をするとは、ニールセンには思えない。

 もしそのような真似をした場合、恐らく……いや、確実にお仕置きを受けることになるだろう。

 数多の見えない腕のようなお仕置きとは違う、また別のお仕置きを。

 柔らかな笑みを浮かべることの多い降り注ぐ春風だが、だからこそどのようなお仕置きをされるのかといったことを心配に思ってもおかしくはない。

 妖精郷の妖精達が、そのような真似をするとはニールセンには思えなかった。

 しかしそうなると、ますます小屋の床に積もっていた埃の説明が出来なくなる。


「色々と考えられることはあるけど……取りあえず妖精郷に戻りましょう。ここまでやったら、いつ調査しに来る人達がいるかもわからないわ」

「それは……まぁ、そうですね」


 巨大な鳥のモンスターのブレスによって、森の一部が壊滅状態になっているのだ。

 この付近に村や街はないが、それでも人が来ない訳でもない。

 あるいは直接この森にやって来なくても、あのブレスの規模ならある程度離れた場所からでも分かる筈だ。

 そのような者達が森の様子を見れば騒ぎになり、冒険者を雇って調査をする……といったようなことをしてもおかしくはなく、ニールセンは長の言葉に頷くのだった。

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