3185話

 ニールセンが降り注ぐ春風の妖精郷に到着した翌日、ニールセンは昨夜の歓迎の宴によって気力も体力も充実した状況だった。


「ニールセン、気を付けてね。絶対に敵に見つからないようにしなさい」

「はい。分かりました」


 降り注ぐ春風の言葉に、ニールセンがそう言う。

 ニールセンにとっても、今回の一件はかなり厳しいものになるのは予想出来ている。

 そうである以上、何があってもすぐ対処出来るようにする必要があった。

 もっとも、イエロがいるのでもし拠点に敵がいてもそう簡単に見つかるようなことはないと思っていたが。

 イエロの周囲の景色に紛れる……一種のカメレオンに近い能力は、今回のように侵入する時にはかなり役立つ。

 ただし、ハーピーのドッティはさすがに一緒に侵入することは出来ないというのは前もって分かっていたが。

 ドッティの大きさを考えれば、正面から攻めるのはともかく、侵入という行動は出来ない。

 そして正面から攻めるのはレイが行うことである以上、今回必要なのはその拠点が本当に穢れの関係者の拠点なのかどうか、そして本拠地に関する何らかの手掛かりがないのかを調べる為だ。

 そんな訳で、ドッティは離れた場所で待機しており、拠点の偵察が終わった後に何も問題がなければニールセン達と一緒にこの妖精郷まで戻ってきて入手した情報を話すし、もし拠点で敵に見つかったら即座に退避し、そのままトレントの森まで一緒に逃げることになる。


「ギャギャ」


 降り注ぐ春風とニールセンの会話を聞いてドッティは、残念そうに鳴き声を上げる。

 ドッティは二人の会話を完全に理解出来た訳ではない。

 だが、会話の雰囲気から自分の出番がないというのは、容易に予想出来てしまったのだろう。


「じゃあ、行ってきます」

「ええ、何度も言うようだけど、気を付けてね。ニールセンに何かあったら、数多の見えない腕が悲しむわ」


 そう言われたニールセンは、数多の見えない腕……自分の妖精郷の長が、自分に何かあったからといって悲しむのかと疑問に思ったが、それは口にしないでおく。

 降り注ぐ春風は自分よりも深く数多の見えない腕について知ってるのは、これまでのやり取りから見れば明らかだ。

 また、長が厳しいのも事実だが、それはきちんと意味のある厳しさだ。

 何の意味もなく、気紛れに厳しくしている訳ではない。

 ……だからといって、厳しいのを喜んで受け取るかと言われれば、それは否なのだが。

 とはいえ、ニールセンは自覚していないものの、妖精郷の規律というのは一般的な者にしてみれば決して厳しくはない。

 ニールセンが自由に妖精郷から出て、トレントの森にある野営地で悪戯をしていたのを見れば明らかだろう。

 ともあれ、ニールセン達は降り注ぐ春風に見送られて妖精郷を出るのだった。






「うーん、聞いた話が正しければ、この辺だと思うんだけど。拠点を見つけたという妖精に一緒に来て貰えばよかったわね。今更だけど」


 森の上空を移動しながら、ニールセンは地上を見つつ呟く。

 拠点のある場所は聞いてきたのだが、実際にその言葉だけで見つけるとなると、そう簡単なものではない。

 例えば、何か分かりやすい目印……特徴的な形をした岩とか、大きな木とか、池とか、そういうのがあったら、もう少し分かりやすかっただろう。

 だが、穢れの関係者の拠点を見つけた妖精は、森の中を適当に移動していてその場所を見つけていた。

 そのような経緯である為か、しっかりとした場所は説明出来なかったのだ。

 一応、昨日の歓迎の宴の時にその辺について何人かに話を聞いてみたものの、妖精だけに特に印象的でもなかった出来事についてそこまで詳しく覚えている者は少なかった。

 その為に、結果としてニールセンはうろ覚えの知識を聞かされ、それを手掛かりとして穢れの関係者の拠点を見つけなければならないのだ。


「キュウ!」


 と、不意にニールセンが乗っているイエロが短く鳴く。

 そんなイエロの様子に、ニールセンはイエロの視線を追う。

 するとその先には木々に紛れるように……それこそしっかりとカモフラージュをされたと思しき建物があった。

 上空から見る限り、その建物は決して大きくはない。

 それこそ掘っ立て小屋よりは上といった程度だろう。


「もしかして、あれが拠点?」


 呟くニールセン。

 あのように木々で屋根を偽装しているということは、上空にいる敵に見つからないようにする為のものだろう。

 それが一体誰を想定しての隠蔽なのか。

 ハーピーのように、空を飛ぶモンスターの興味を引かない為か、それともニールセンのようにそこが穢れの関係者の拠点であると認識してやって来る者に対してか。

 ニールセンもその辺は分からなかったが、とにかく自分で見つけられなかった場所を見つけてくれたイエロに感謝する。


「ありがと、イエロ。まさかあんな風になってるとは思わなかったわ。……妖精郷で聞いた情報にも、そういうのは別になかったと思うし」


 ニールセンは改めて穢れの関係者の拠点を見る。

 イエロのおかげで、そこが木の枝で隠蔽されていると理解出来ているので、そこが怪しいというのは分かる。

 だが、もし何も知らないままにそこを見ても、怪しいと思えるかどうかは微妙だった。


「あそこでしょうね。じゃあ、ドッティ。少し離れた場所で待っていてくれる? 脱出してきたら、すぐにここから離れるから」

「ギョギャ!」


 本来なら、ドッティはここにいる必要はない。

 もっと離れた場所……それこそ、降り注ぐ春風が長を務める妖精郷で待っていても構わなかった。

 いや、どちらかといえば、それが最善なのは間違いない。

 しかし、ドッティはそんなニールセンの指示を聞くようなことはしない。

 あるいはニールセンの指示を認識出来ていないのか。

 理由はともあれ、ドッティはニールセンやイエロと大きく離れるのを嫌う。

 そういう意味では、ニールセン達が穢れの関係者の拠点に忍び込むのをこの場所で待っているというのも、ドッティはそれなりに妥協した結果なのだろう。

 ドッティは翼を羽ばたかせながら、心配そうな様子でニールセンとイエロを見ていた。

 そんなドッティからの視線を感じつつも、ニールセンはイエロに声を掛ける。


「じゃあ、いい? イエロ、行くわよ」

「キュ!」


 任せて! と喉を鳴らすイエロ。

 そしてイエロとニールセンは、地上に向かって降下していった。


(さて、気を引き締めるのよ。ここで何とかして穢れの関係者の本拠地の場所を見つけることが出来れば、長からも褒められるでしょうし、何より穢れの件が解決出来るかもしれないし)


 イエロの背中の上で、ニールセンは真剣な表情を浮かべる。

 普段のニールセンを知ってる者にしてみれば、とてもではないが信じられないと思ってもおかしくはないような、そんな表情。

 もしレイがそのような姿を見れば、間違いなく戸惑うだろう。

 そうして地上に向かって降下していくイエロ。

 既にイエロは能力を使って、周囲の景色に溶け込んでいる。

 もしこの状況で上を見ている者がいても、イエロやニールセンの姿には気が付かないだろう。


「慎重に、ゆっくりとね」


 ニールセンは、その声が下にいる者達……小屋の中にいるかもしれない者達に聞こえないよう、静かに言う。

 イエロはそんなニールセンの言葉に何も答えない。

 何故なら、今のイエロは自分の体色を変えるのに集中している為だ。

 これがどこかに止まったままの状況なら、体色を変えるのはそう難しい話ではないだろう。

 だが、今はゆっくりとではあるが、それでも常に移動しているのだ。

 今のような状況で上空を見ている者がいる可能性は低い……それどころか、拠点には人がいたことはないと聞いているので、大丈夫だとは思うのだが、それでもやはりニールセンやイエロにしてみれば、慎重に慎重を重ねて行動する必要があった。


(こうして見ると、やっぱり人の気配ないわね。……このまま、私達が一通り調べ終わるまでは誰も来ないでよ。もっとも、本当に誰もいなかったら重要な情報が残っている可能性は低いんだけど)


 そんな風に思いつつ、ニールセンはイエロの身体の上で気配を消す。

 ……実際には気配を消すといったことは出来ないで、気配を消すような真似をしているというのが正しいのだが。

 そうしてイエロは地上に向かって降りていき……やがて、建物の屋根の上に着地する。

 そのまま数分、動かずにいた。

 もし小屋の中に誰か人がいた場合、イエロが屋根の上に着地したことを察知するという可能性は否定出来ないからだ。

 実際、イエロの主人であるエレーナであれば……いや、エレーナに限らず、その仲間の大半の者達なら屋根の上に誰かが着地したと、察知するような真似が出来るのだから。

 勿論、穢れの関係者が同じような真似を出来るとは限らない。

 いや、それどころか、そこまでの技量を持ってる可能性はかなり低いだろう。

 だが、それでも。

 万が一を考えれば、やはりここは慎重になる必要があるのも事実。

 何しろ敵は穢れの関係者だ。

 ニールセンやイエロにとって、理解出来ない何らかの特殊な力を持っていても、この場合はおかしくないのだから。

 だからこそ、ニールセンとイエロは慎重になっていた。


(私は特に何も気配の類は感じないわね。イエロも……特に緊張した様子はないし)


 イエロは全く緊張していない訳ではない。

 実際にはイエロもまた、ここには何があるのかといったような意味で緊張はしている。

 しかし、それは明確に建物の中に敵がいるから緊張しているといったような訳ではなく、あくまでも通常の状態、未知の場所に突入する為の緊張だ。

 そうして自分達の存在に誰も気が付いていないと確認してから、ニールセンはイエロの身体を軽く叩く。

 イエロはニールセンの合図に喉を鳴らし、そのまま屋根の上を移動して地上に降りる。

 そこでもまた数分。

 ニールセンは自分でも慎重すぎないかと思うのだが、何しろここは穢れの関係者の拠点だ。

 拠点といっても、小屋が一つあるだけでニールセンにしてみれば、特に何か重要な情報の類があるようには思えなかったが。

 これがただの盗賊の拠点なら、ニールセンもここまで慎重になることはなかっただろう。

 しかし、相手は穢れの関係者だ。

 穢れについてはまだ分かっていることは少ない。

 レイが魔法によって穢れを捕らえることが出来るようになったし、錬金術師達もそれを目指してマジックアイテムを作っている。

 そうである以上、将来的には穢れについて色々と判明することもあるのかもしれないが……それはあくまでも将来的にはの話で、今はまだ無理だ。

 だからこそ、慎重すぎると思いながらもその態度を崩すことはない。


「行くわよ」


 小さく、イエロにだけ聞こえるような声で呟くと、地上から小屋に近付いていく。

 もしいきなり扉を開けて誰か……この場合はほぼ間違いなく穢れの関係者だろうが、そのような相手が姿を現したら即時に逃げられるように準備をしつつ。

 やがて普通に移動するよりもかなりの時間を使って扉の側まで到着したニールセンとイエロだったが、小屋の中に何らかの動きはない。


「気配もないと思うけど……いい? まずは私が少しだけ扉を開けて、そこから入って確認するわ。もし中に誰かいたり、何らかの罠があったら、すぐに逃げるからそのつもりでいてね」

「キュ」


 イエロもニールセンの言葉に真剣な表情で鳴き声を上げる。

 ここで何かがあっても、すぐに逃げるというつもりなので、そのような心構えをしながら。

 イエロの様子を見て問題ないと判断したニールセンは、地上から飛び上がる。

 小屋の中に人がいた時、少しでも見つかりにくいように。

 そのような思いから、扉の上の方に移動する。

 人というのは、基本的に真っ先に見るのは自分目線と同じ高さだ。

 しっかりと訓練されている場合は違うのだろうが。

 それだけに、扉の上の隙間から入るといったことをすれば、もし扉が開いたことで疑問に思う者がいても、すぐに見つかるということはないだろう。

 そのように思いながら、ニールセンは扉を開ける。

 ……本来なら、扉を開けるというのもニールセンの力だけでは難しかった。

 扉は人が普通に開け閉めするように出来ているのだから。

 だが、降り注ぐ春風が治める妖精郷の妖精達がこの小屋の中に入った以上、扉を開けるのが不可能ということはない。

 もっとも、その時は妖精達もここが穢れの関係者の拠点であるとは知らなかったので、ニールセンのように見つからないようにといったことに配慮する必要はなかったので、もっと楽に入れたのかもしれないが。

 とにかくそんな中で、扉を開けるのはかなり厳しかったのだが、ニールセンはここで失敗するという選択肢はなく、火事場の馬鹿力とでも評すべき力を発揮し、小屋の中に入るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る