3184話

 二時間程、ニールセンは降り注ぐ春風との話をする。

 そうしてお互いに大体の情報交換――実際にはニールセンの方が圧倒的に多くの情報を提供した形になったが――を終えると、次にこれからどうするのかといった話になった。


「それで、これからどうするの? 拠点に向かうにしても、今すぐじゃなくて、今日はゆっくりと休んでからの方がいいんじゃない? 数多の見えない腕の子供が来たんだし、歓迎の宴も開きたいし」

「それは……」


 ニールセンにしてみれば、正直なところ今日くらいは休んでもいいのではないかと思う。

 だが、穢れの拠点についてのことを考えると、少しでも早く行動した方がいいのではないかとも思えた。


「数多の見えない腕の妖精郷からこの妖精郷まで、慣れない旅で疲れたでしょう? そんな疲れた状態で拠点に侵入しても、失敗をするかもしれないわよ?」


 そう言われると、ニールセンも反論は出来ない。

 自分ではそこまで疲れているようには思えないが、それはあくまでも自分がそのように思っているからだ。

 トレントの森からこの妖精郷まで、野営を続けてきたのだ。

 これが、レイの持っているマジックテントのように、野営であってもゆっくりと休むことが出来るようなマジックアイテムでもあれば、話は別だったかもしれない。

 しかし、そのような便利なマジックアイテムをニールセンは持っていない。

 もっとも、ニールセンの場合は木の中で眠るといった手段が使えるので、野営でもそこまで大変ではなかったのだが。

 ただ、それでもいつもなら妖精郷やレイのいる側で眠っていたりするのに、見ず知らずの場所を旅してきたのは事実。


「その、私は疲れてるように見えますか? 自分では自覚がないんですけど」

「そうね。自覚がないのが問題かもしれないけど……別に今日すぐにでも拠点を調べないといけない訳でもないのでしょう? なら、やっぱり今日は休んで、万全の状態で明日拠点を見てきたらいいと思うわよ? もっとも、イエロとドッティだったかしら。あの子達は連れていかない方がいいでしょうけど」

「いえ、ドッティはともかく、イエロは連れて行きます。イエロには周囲の景色に自分を溶け込ませて、見つかりにくくするといったスキルがありますから。それに、イエロの主人はイエロが見た記憶を自分でも見るといったことが出来ると聞いていますし」


 ニールセンが欲しているのは、イエロの周囲に溶け込むといったスキルではなく、エレーナがイエロの記憶を見ることが出来るという方だ。

 ニールセンは出来るだけ早くトレントの森の妖精郷に戻って、レイを連れてくるつもりではいる。

 しかし、もしそうしてレイを連れてきた時に何らかの理由で拠点を既に引き払っていた場合、何も情報を入手出来なくなってしまう。

 また、拠点を引き払っていなくても、ニールセンが忍び込んでからレイがやって来るまでの間に、拠点の中で色々と変化がある可能性もあった。

 そういう時、ニールセンが侵入した時とレイが制圧した時の二度に渡る情報を入手出来る可能性が高いというのは、大きな意味を持つ。

 ニールセン達にとって必要なのは、穢れについての情報だ。

 トレントの森では、オイゲンを始めとした研究者達が穢れの研究をしているものの、まだそこまで研究は進んでいない。

 また、その研究でもし成果が出たとしても、それはあくまでも穢れについての研究だ。

 その穢れをトレントの森に転移させてくる、穢れの関係者については全く何も分かっていないのが正確なところだ。

 唯一、最初に穢れがトレントの森に転移してきた時、その転移の出入り口となっているところにレイが攻撃をして、相手に多少なりもダメージを与えることが出来たというのが成果らしい成果だろう。

 それ以外は、穢れの関係者についての情報はない。

 いや、正確にはボブが偶然遭遇した一件……それこそボブが襲われるようになった一件があるが、生憎とボブはその時のことは殆ど覚えていない。

 そもそも、ボブはあくまでも猟師なのだ。

 冒険者でも何でもない以上、穢れに関係する何らかの儀式を目の前で見ても、それが具体的にどのような意味を持つのかは分からないだろうし、それをいつまでも覚えていろという方が無理だった。

 その辺りの状況についても、先程までの説明でニールセンは降り注ぐ春風に話してある。


「そうね。少しでも情報は多い方がいいと考えると、イエロは一緒に行った方がいいのかしら。でも、ニールセンだけならそう簡単に見つからないでしょうけど、イエロの大きさを考えると、周囲に溶け込むといった能力があっても見つかる可能性が高いわよ?」

「それは……まぁ、そうなった時は、拠点を脱出したらここには寄らずに、すぐにトレントの森の妖精郷まで戻ります。幸い、穢れは移動速度がそんなに速くないので、追いつかれる可能性は低いかと」


 見つかったところでこの妖精郷に戻ってきてしまえば、この妖精郷に穢れが襲撃してくる可能性も否定は出来ない。

 だからこそ、ニールセンはこの妖精郷に被害が出ないようにする為に、もし見つかったら真っ直ぐトレントの森に戻ろうと考えたのだ。


「でも、大丈夫なの? もしそういうことになったら、寝たりとかも出来ないでしょう?」

「その辺は……どうにかするしかないかと。私はイエロやドッティに乗って眠れますし、イエロもドッティに乗って眠れますから」

「その場合、ドッティはどうなるのかしら?」

「それは……うーん、どうしましょう。眠ったまま飛ぶことが出来ればいいんでしょうけど。あ、でもイエロならドッティを持って移動出来そうですけど」


 イエロは小さくてもドラゴンだ。

 そうである以上、ドッティを背中に乗せるといった真似は不可能でも、吊り上げるように持っていくといった可能性も十分にあった。


「とにかく、可能なら見つからないようにするのが最善でしょうね。……ニールセンも気を付けてちょうだい」

「はい。頑張ります」

「その為に、今日はやっぱりゆっくりとしなさい。明日の為にも」

「そうですね。分かりました」


 降り注ぐ春風にそう言われたニールセンは、やがて頷く。

 出来るだけ早く穢れの拠点を偵察し、トレントの森にある妖精郷に戻りたいニールセンだったが、降り注ぐ春風の言う通りしっかりと休んで体力を回復してからの方がいいだろうと判断する。

 ニールセンが自分の言葉に頷くと、降り注ぐ春風は嬉しそうな笑みを浮かべる。


「じゃあ、今日は歓迎の宴ね」

「それは……いいですけど、明日に響かないようにお願いします」


 もしこれが、穢れの関係者の拠点を偵察するといったような必要がなければ、ニールセンも心の底から歓迎の宴を楽しむことが出来ただろう。

 だが、明日には重要な仕事がある以上、歓迎の宴で思う存分楽しむことは出来ない。

 ……もしそれが原因で拠点の偵察に失敗した場合、どのようなお仕置きを受けることになるのか。

 長からのお仕置きは今まで何度も受けているが、今回のように特別な時のお仕置きと考えると、ニールセンは絶対に避けたい。

 それこそ何が何でも。

 だからこそ、ニールセンとしては体調を万全にしておきたかったのだろう。


「ふふっ、分かったわ。数多の見えない腕は真面目だから、貴方も大変ね」

「お仕置きは勘弁して欲しいです」


 しみじみといった様子で呟くニールセン。

 数多の見えない腕という呼称は、ニールセンの妖精郷の長を評するのに非常に相応しい表現だ。

 それこそ見えない腕によって、自分が今まで一体どのようなお仕置きを受けてきたことか。

 その辺りのことを考えると、微妙にニールセンは震えてしまう。

 ……もっとも、そうして震えているにも関わらず、それでも悪戯を繰り返して長にお仕置きをされることになるのがニールセンらしいのだが。


「今日の歓迎の宴で、数多の見えない腕のことを色々と聞かせてちょうだい。……そうね。レイだったかしら。その人との関係とか、興味あるわ」

「止めて下さい。妙なことを言って、お仕置きを受けるのは私なんですから」


 降り注ぐ春風が何を聞きたいのか、すぐに理解したニールセンは、即座にそう告げる。

 自分が今の状況で何を喋ったのか……それを長に、数多の見えない腕に知られたら、それこそ洒落にならないお仕置きを受けるのは間違いない。

 ニールセンとしては、絶対にそんなことはごめんだった。


「ふふ。じゃあ、そうしておきましょうか。とにかく、今日の歓迎の宴ではここまでの旅の疲れをゆっくりと癒やしてちょうだい」


 そう言う降り注ぐ春風の言葉に、ニールセンは少し困った様子ながらも頷くのだった。






「ねえ、ねぇ。貴方がニールセンよね? 貴方の妖精郷って、一体どういうところなの? こことは違うのかしら?」


 降り注ぐ春風との話が終わり、取りあえず歓迎の宴の準備が整うまでは妖精郷でゆっくりしているようにと言われたニールセンは、イエロとドッティを捜すついでに妖精郷の様子を見て回っていた。

 そんなニールセンの姿を見つけた妖精の一人が、いきなり話し掛けてきたのだ。

 とはいえ、ニールセンにとってもそのような気安い態度というのは好ましいので、特に驚いたりといったようなことはせず、笑みを浮かべて口を開く。


「そうね。私の妖精郷があるのはかなりモンスターの多い場所だから、周囲をマジックアイテムで作った霧の空間で覆ってるけど、その点はここと違うわね。妖精郷の雰囲気としては、ここも悪くないと思うけど、やっぱりちょっと慣れないと思うわ」

「えー、そうなの? この妖精郷はかなりいい場所だと思うんだけど」


 その言葉はニールセンも否定出来ず、素直に頷く。


「そうね。かなりいい雰囲気だと思うわ。何と言うか、こう……ゆっくりとしたくなるといった感じがあるし。けど、それでもやっぱり自分の妖精郷の方がいいと思うのよ」


 もしレイがそのことを聞けば、旅行に行って実家に戻ってきた時に感じるようなものかと表現しただろう。

 生憎とそのような経験はニールセンにもないので、分からなかったが。


(トレントの森に移ってきてから、まだそんなに経ってないんだけどね)


 ニールセンは自分でも不思議にそう思う。

 基本的に妖精達は妖精郷からそう離れた場所にはいかない。

 妖精郷がある場所の近くになら……例えばトレントの森の野営地辺りまでなら、悪戯をしに行ったりはするだろう。

 しかし、例えばギルムやアブエロといったように、大きく離れた場所まで移動することは基本的になかった。

 だからこそ、ニールセンは今のように感じている自分に少し驚く。


「私達の妖精郷に来た妖精が戻ってきたら、その辺について聞いてみてもいいと思うわよ。多分だけど、今の私と同じように感じるでしょうし」

「そうなの? うーん……妖精郷ってそれぞれ違うのね」

「ちょっと、あんたばっかり狡いわよ! 私達も話させてよ!」


 ニールセンと話していた妖精の側にいた別の妖精が、そう割り込む。

 割り込まれた方は不満そうにしていたものの、妖精というのは基本的に自分が楽しければそれでいいのだ。

 それだけに、そんな仲間のことを気にせずにもう一人の妖精は口を開く。


「貴方と一緒にやってきた、ドラゴンとハーピーだけど、一体どういう関係? やっぱりテイムしたの? それとも召喚魔法?」

「イエロ……ドラゴンの子供の方は、私の知り合いの番いの使い魔ね」

「使い魔!? え、ちょっと待って。子供とはいえ、ドラゴンを使い魔にしてるの!?」


 ニールセンの口から出た言葉は、尋ねた妖精についても余程意外だったのだろう。

 驚愕という表現が相応しいような顔になっていた。

 いや、それは尋ねた妖精だけではない。

 最初にニールセンと話していた妖精もそうだったし、自分も話に割り込もうと考えていた者も同様だった。

 それだけ、ドラゴンを使い魔にしているというのは妖精達にとっても驚くべきことだったのだろう。


「そうよ、使い魔。何がどうなってそうなったのかは分からないけど」


 実際にはエレーナがドラゴンの卵を手に入れて使い魔にした訳ではなく、竜言語魔法によって生み出されたのがイエロだ。

 そういう意味では、竜言語魔法によって生命を生み出した……それもドラゴンという、モンスターの中でも頂点に位置する存在を生み出したことになるのだが。

 もしその辺りの事情をニールセンが知れば、一体どのような反応をするのか。

 そういう意味では、その辺りについては知らない方が幸福なのかもしれない。

 ともあれ、ニールセンは妖精達と話を続け……歓迎の宴の準備が出来たと妖精が呼びにくるまで、楽しい時間をすごすのだった。

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