3183話

「さて、これでようやく落ち着いて話が出来るわね」


 そう言い、降り注ぐ春風は笑みを浮かべる。

 妖精郷の奥まった位置にあるここは、長の部屋……壁の類はないので、長のテリトリーとも呼ぶべき場所だ。

 大袈裟に表現するのなら、長の領域やテリトリーといったところか。

 そのような場所があることは、ニールセンも別に驚くようなことではない。

 ニールセンの住んでる妖精郷にも、同じような場所があるのだから。


「ありがとうございます」

「あら、別に感謝する必要はないと思うわよ? ……けど、これから穢れの件について話すけど、そちらのイエロとドッティはどうするのかしら? 私達が話している間、退屈じゃない?」

「それは……まぁ、そうかもしれませんけど」


 イエロはブラックドラゴンの子供で、モンスターとしては高い知性を持つ。

 また、言葉も普通に理解は出来るものの、子供である以上、小難しい話を聞いているのを我慢出来るかどうかは微妙だった。

 ドッティにいたっては、言葉を理解出来ない。

 ニールセンやイエロの言葉なら、ニュアンスで大体分かってくれるのだが。

 そんな二匹だけに、ここにいても暇なのではないか。

 そう降り注ぐ春風が言い、ニールセンもその言葉には納得出来てしまう。


「どうする、イエロ、ドッティ。私はここで話をするけど、イエロ達もここで聞く? それとも、妖精郷の中を見たりしてくる?」


 ニールセンも他の妖精郷に来るのは初めてなので、出来れば自分の住んでいる妖精郷とどう違うのか、もっとしっかりと見てみたい。

 降り注ぐ春風とある程度は一緒に移動したが、そのような状況で見ることが出来たのは、本当に限られた場所だけだ。

 もっと他の……それこそ、見たこともないようなところを自分で見てみたいと、ニールセンは思う。

 好奇心旺盛な性格をしているだけに、そのように思ってもおかしくはないのだろう。


「キュ? ……キュウ!」

「ギャアア」


 イエロとドッティはそれぞれ返事をする。

 もっとも、ニールセンはその言葉の意味を完全には理解出来ないのだが。

 イエロは言葉を理解はするものの、イエロの鳴き声をニールセンが理解出来ない。

 それでも、イエロとドッティがそれぞれこの場から離れたのを見れば、ニールセンの提案に乗ったのは間違いなかった。


「さて、じゃあ話をしましょうか」

「お願いします。それで、この妖精郷の近くに穢れの関係者のアジトがあると聞いたのですが」

「穢れの関係者ね。そちらではそう呼称しているみたいだけど……そうね、そちらの方が相手が分かりやすいかしら。なら、私もそのように呼びましょう」


 降り注ぐ春風の言葉に、この妖精郷では穢れの関係者をどのように呼んでいたのか少し気になったニールセンだったが、今はそれよりも拠点についての話をする方が先だと考え、その件には触れない。


「そうして貰えると、私も分かりやすいです」

「そうでしょうね。……それで穢れの関係者のアジトだけど、この妖精郷の近くではあるけど、それなりに離れてる場所よ」


 その説明は、ニールセンにも理解出来る。

 この妖精郷からある程度の距離があっても、その拠点とニールセン達の妖精郷を比べれば、この妖精郷からの方が近い。

 そういうことなのだろう。


(それに、本当に穢れの関係者の拠点がこの妖精郷のすぐ近くにあったら、それこそこの妖精郷は穢れの関係者に襲われていたでしょうし。そうなった場合、この妖精郷が一体どれだけの被害を受けるか、分かったものじゃないし)


 穢れの関係者が妖精の心臓を欲していたのは間違いない。

 そうである以上、妖精郷が近くにあると知れば、どうなっていたか。

 勿論、ニールセンの妖精郷に長……数多の見えない腕がいるように、この妖精郷には降り注ぐ春風がいる。

 もし穢れや穢れの関係者と戦うようなことになっても、相応に対処は出来るだろう。

 だが、それはあくまでも相応にだ。

 数多の見えない腕もボブに取り憑いていた穢れを対処したが、それは結構な手間を掛けている。

 これがレイの魔法のように一撃で殺すことが出来るのならいいのだが、生憎と妖精にそのような真似は難しい。

 ……いや、妖精に限らず、多くの者にとってそのような真似は難しいだろう。


「それで、具体的にどのくらい離れているんでしょうか? 私は長から、その拠点の偵察をするようにと言われて来ましたから、実際にその様子を見て、それから一度私達の妖精郷に戻って、レイを連れてくる必要があります」

「レイを? ああ、それで……」


 ここに来る途中、レイのことを興味深そうに聞いて、会ってみたいと口にした降り注ぐ春風だったが、それを聞いたニールセンはレイとすぐに会えるかもしれないと、そう言ったのだ。

 その理由こそが、穢れの拠点の襲撃を行うのがレイであるということ。

 そう理解した降り注ぐ春風は、納得しながらも笑みを浮かべる。


「そういうことなのね。なら、少し楽しみが増えたわ」

「……怒らないんですか?」


 自分の言葉、それこそレイを連れてきて穢れの関係者の拠点を襲撃するというのを聞いた降り注ぐ春風は、もしかしたら怒るのかもしれないと思っていた。

 しかし、ニールセンが見たところ、そのような様子は全くない。

 それどころか、楽しみにしてるようにすら思えた。


「数多の見えない腕がそのように判断したのなら、私は信じられるわ」


 降り注ぐ春風が数多の見えない腕を深く信頼しているということを、その様子は示していた。


「じゃあ、その……穢れの関係者の拠点を偵察したら、レイを連れてきてもいいですか?」

「私個人としては構わないと思うけど、妖精郷全体として考えた場合、即座に返事をすることは出来ないわね」


 長である以上、自分の趣味嗜好だけで全てを決めることは出来ない。

 妖精郷全体のことを考える必要があるのは間違いなかった。もっとも……


(うちの子達のことを考えると、レイに興味を持つのは間違いないでしょうけどね)


 降り注ぐ春風も自分の妖精郷にいる妖精達がどのように思っているのかは分かっている。

 そしてレイのことを知れば、間違いなく会ってみたいと思うだろう。

 ニールセンから少し話を聞いてみただけでも、降り注ぐ春風はレイに興味を持ったのだから。


「あー……でも、その……」

「ニールセン? どうしたのですか?」


 何か言いにくそうにしている様子のニールセンに、降り注ぐ春風はそう尋ねる。

 ニールセンにしてみれば、レイを連れて来たり、紹介するのは構わない。

 寧ろ自分の知り合いにはこんな人がいるんだと、そう自慢したいくらいなのだから。

 だが、ニールセンにとってレイはそんな相手だったが……


「その、ですね。もしレイをこの妖精郷に連れて来て、降り注ぐ春風がレイを気に入ったら、うちの長がどんな風に思うのかな、と」


 ニールセンはレイと一緒に行動をするようになってから、長と直接会う回数は少なくなった。

 だが、念話によって長と話をすることは多く……そして念話というのは、場合によっては相手の気持ちを直接伝えるといったようなこともある。

 勿論それは明確に言語化されて伝わるといったようなことではなく、あくまでもそういうイメージで伝わってくるのだが。

 そうして何度も長と念話を繰り返せば、薄らとだが分かってくることがある。

 それはつまり、長がレイにどのような感情を抱いているのかを。

 生真面目という表現が相応しい長が、まさか……と、そんな風にニールセンは思うのだが、それでも伝わってくるイメージからすると、その思いは間違ってないように感じた。

 そう、長がレイに好意を抱いているということを。

 長が自分の気持ちに気が付いているのかどうか、ニールセンには分からない。

 だが、レイを好意的に思っているのは間違いのない事実だ。

 ニールセンもレイに好意を抱いてはいるが、それはあくまでも友人としての好意でしかない。

 ここで男女間の友情は成立するのかといったようなことを言うような者がいたら、色々と騒動になったかもしれないが、幸いなことにここにそのような者はいない。


「…………それは、また…………」


 ニールセンの口から出た言葉は、降り注ぐ春風にとっても意外だったのだろう。

 たっぷりと数秒は沈黙した後で、出た言葉はそれだけだった。

 そしてまた一分程沈黙した後で、ようやくといった様子で口を開く。


「あの堅物が……? しかも人間を……時間というのは、凄いものね」


 思わずといった感じの言葉。

 それを聞けば、降り注ぐ春風が数多の見えない腕をどのように思っているのか、予想するのは難しい話ではない。

 もっとも、そんな予想をしなくても、ニールセンは実際に数多の見えない腕を知っているので、何にそこまで驚いているのかは十分に理解出来たが。


「でも、そうなると、余計にそのレイという人間に会ってみたいわね」

「えっとその……うちの長とは友達なんですよね?」

「勿論よ」


 そう断言する降り注ぐ春風だったが、今の一連のやり取りを考えると、ニールセンから見るとからかう気満々といったようにしか思えなかった。

 とはいえ、降り注ぐ春風の様子を見ている限りでは自分を騙そうとしてるようには思えない。

 そもそもの話、もし降り注ぐ春風が敵……とまではいかずとも、数多の見えない腕に敵意を持っているのなら、出発する前にその辺について話があってもいい筈だった。

 しかしそのようなことがない以上、長に対して悪意を持っている訳でないのは明らかだった。


「そうですか。……まぁ、レイについては今回の件が終わって私が妖精郷に戻ったら一緒に来ることになると思いますから、その時に会ってみて下さい」

「そうさせて貰うわ。あの数多の見えない腕にそういう感情を抱かせる相手は、凄く興味深いし。それに……穢れを倒すことが出来るのでしょう? 私達が知ってる限り、穢れを倒すということはそう簡単には出来ない筈なのだけど」

「そうですね。私も実際に自分の目で見てないと信じられなかったと思います。もっとも、穢れについての伝承は長から聞くまで知らなかったんですけど」

「それはここでも同じよ。いえ、ここだけではなく、他の妖精郷も同じだと思うわ。何しろ今までずっと穢れの件で実際に動きはなかったんだもの。私も変な場所を見つけたと妖精郷の子達に言われた時、最初はそれがどういう意味を持っているのか分からなかったもの」


 降り注ぐ春風にしてみれば、この妖精郷に住んでいる妖精達が偶然その拠点を見つけて、報告してきたのだ。

 最初はそんなに危険な場所ではないと思っていたので、特にそこまで気にすることはなかったのだが、妖精の一人が悪戯のつもりでその拠点にある書類を持ってきたのが、全ての始まりとなる。

 何気なく書かれた書類は、文章が明らかに変だったのだ。

 それが暗号となっているのに気が付き、興味本位で暗号を解読し……そして、降り注ぐ春風は驚いた。

 いや、いっそ恐怖したと言ってもいい。

 降り注ぐ春風も、長の座を受け継ぐ時、穢れについての伝承を聞いていた。

 そんな中で、何故自分が長の時に? と思ったのも事実。

 ともあれ、色々と思うところはあるものの、だからといって穢れと関わってしまった以上、それを放っておくような真似も出来ない。

 その為、知り合いが長をしている妖精郷の幾つかに妖精を派遣したのだが……まさか、数多の見えない腕の妖精郷も穢れに関わっているとは思わなかった。

 そういう意味では、降り注ぐ春風の行動は間違っていなかったということだろう。


「でも、その拠点で穢れの関係者に妖精達が見つからなくてよかったですね。私が遭遇した穢れの関係者は、妖精の心臓を欲していて私を捕らえようとしてきたんですけど」

「何ですって?」


 ピクリ、と。

 ニールセンの言葉に反応する降り注ぐ春風。


「妖精の心臓です。一体何に使うのかは分かりませんけど、それを欲していたのは間違いないです。実際、そう言ってるのを聞きましたし」

「……そう。だとすれば、妖精郷の子達がその拠点に行って無事だったのは、凄い偶然だったのね」

「私もそう思います。もし穢れの関係者に妖精の存在が明らかになっていれば、この妖精郷も襲撃されていたかと。……もっとも、穢れが襲ってきた場合は対処が難しいでしょうけど」


 数多の見えない腕も、穢れ一匹を対処するのにかなり苦労をした。

 そんな中で、もし多数の穢れが出て来たらどうなるか。

 それこそ倒すといったことが出来ない以上、最終的には逃げるといった選択肢しか存在しないだろう。


「穢れは、本当に厄介な存在ね。……何とかなるといいんだけど」


 ふぅ、と降り注ぐ春風は息を吐くのだった。

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