3182話
降り注ぐ春風の案内によって、ニールセンとイエロ、ドッティは妖精郷に入る。
トレントの森にある妖精郷は霧の空間によって守られていたが、この妖精郷は周囲の景色に溶け込むといったことで、周辺からここに妖精郷があると認識されないようになっていた。
(多分、外見だけじゃないんでしょうね)
外見だけをこうして誤魔化しているだけなら、何らかの手段で魔力を感知出来る者がこの近くに来れば、そこに妖精郷があるとは断言出来ないものの、何かがあるとは認識出来るだろう。
そうなれば何があるのかと気になって周囲の探索を行い、最終的に妖精郷を見つけられる可能性も否定は出来ない。
だが、降り注ぐ春風の様子を見れば、その辺りのことを考えていないとは思えなかった。
「どう? 数多の見えない腕の妖精郷と比べて」
「どことなく、こう……雰囲気が柔らかい気がしますね」
「そう言って貰えると嬉しいわね」
ニールセンがお世辞で言ってる訳ではないというのを、降り注ぐ春風もしっかりと理解したのだろう。
だからこそ、見ている方も嬉しくなるような笑みを浮かべる。
その柔らかな笑みは、ニールセンの長……数多の見えない腕が浮かべる笑みとは全く違う。
(でも……何でかしら? 私達の長の笑みの方が、こうしっくりくるわね)
降り注ぐ春風の笑みが駄目だという訳ではない。
見る者をリラックスさせるという意味では、間違いなく本心からの笑みだろう。
だというのに、何故かニールセンは心の底から安堵するといったことはなかった。
「キュウ?」
ニールセンの様子に気が付いたのか、イエロがどうしたの? と視線を向けてくる。
なお、現在ニールセンはイエロに乗ってはいない。
ニールセンも妖精である以上、当然のように飛ぶことが出来る。
妖精郷に入った今は、イエロやドッティと共に自力で空を飛んでいた。
また、妖精郷の中に最初にドッティが入って来た時は少し騒動になりそうになったのだが、そちらについては降り注ぐ春風が声を掛け、落ち着かせている。
そのカリスマ性はこの妖精郷の長を名乗るに十分なものだった。
今では、長がいるのだから安心だろうと他の妖精達も興味津々といった様子でニールセン達を見ている。
この妖精郷に住む妖精達にしてみれば、他の妖精郷からやって来たニールセンは勿論、ブラックドラゴンの子供のイエロや、ハーピーのドッティもまた珍しい存在なのだろう。
長と一緒にいるので問題はないと、様子を見ている。
何人かの妖精は、イエロやドッティに話し掛けようとしていたみたいだったが、近くの妖精に止められていた。
(妖精郷が違っても、やっぱりこうなるのよね)
そんな妖精達の様子を見たニールセンは、納得した様子を見せる。
例え長がどのような存在であっても、やはり妖精の持つ本来の性質は変わらない。
珍しいものには興味を持つし、自分の好奇心の赴くままに行動したい。そして、場合によっては悪戯もしたいと思う。
そんな様子の妖精達を見て、ニールセンは安堵する。
大丈夫だとは思っていたが、それでも自分達の妖精郷とは別の妖精郷にやって来るのは、これが初めてなのだ。
同じ妖精だとは思っていたが、実際に見るまでは完全に安心は出来なかった。
「安心した?」
「っ!?」
まるでニールセンの考えを読んでいたかのように……いや、実際に読んでいたのかもしれないが、降り注ぐ春風に声を掛けられ、言葉に詰まる。
そんなニールセンに、降り注ぐ春風は面白そうに笑う。
「そんなに緊張しなくてもいいでしょう? 今まで別の妖精郷に行ったことがないのなら、そんな風に緊張するのも分かるけど。……別に数多の見えない腕の所の子供達に妙な真似はしたりしないから、安心しなさい」
それは、もしニールセンが別の……数多の見えない腕の妖精郷とは別の妖精郷から来た者だった場合、妙な真似をするというようにも思える。
ニールセンは思わずといった様子で背筋を伸ばす。
「えっと、それで……私がここに来たのは、穢れの拠点が近くにあると聞いたので、様子を見に来たんですけど」
「その辺の話は後にしましょう。こういう場所で話すようなことではないでしょう?」
「う……はい。分かりました」
降り注ぐ春風の言葉には説得力があったので、ニールセンはそれに対して反論出来ない。
実際にはここで話しても、それで何かが悪くなる訳ではないと思うのだが。
それでも降り注ぐ春風としては、他の妖精達に聞かせたくないのだろうと予想は出来た。
出来たのだが……
「それにしても、まさか穢れが数多の見えない腕の妖精郷の近くに出るとは思わなかったわ」
「えっと……あれ?」
穢れについてはここで話すようなことではないと言ったはずの降り注ぐ春風だというのに、何故か今はここでこうして穢れについての話題を出す。
そんな降り注ぐ春風に戸惑うニールセン。
先程の、このような場所で話す内容ではなかったというのは、一体何だったのか。
そのように疑問に思っても、それはおかしくないだろう。
「あら、ごめんなさい。話題を変えるわね。それで、貴方達の妖精郷では今どんなことが流行ってるのかしら?」
マイペースな様子の降り注ぐ春風に対し、ニールセンは戸惑いつつも素直に口を開く。
「そうですね。現在は人間達の食べ物が流行ってますよ」
そんなニールセンの言葉は、マイペースな降り注ぐ春風の動きを止めるに十分だった。
「人間の食べ物? ……どうやってそれを手にしているの? まさか、数多の見えない腕は人の村や街に行くことを許してるのかしら?」
心配そうなその様子は、人間と関わると色々と面倒なことになると理解しているからだろう。
人間達の欲深さというのは、降り注ぐ春風も十分に知っている。
だからこそ、数多の見えない腕が人間の村や街に妖精が行くのを許しているのなら疑問だった。
だが同時に、あの数多の見えない腕がそのような真似をするのか? といった疑問もある。
降り注ぐ春風が知っている数多の見えない腕は、とてもではないがそのような真似を許すような性格をしていない。
それどころか、もし自分の妖精郷の妖精がそのような真似をしたら、厳しい罰を与えてもおかしくはなかった。
「あ、いや。その、違いますよ。いえ、私は長に指示されて、レイと一緒に街に行ったことがありますけど……」
降り注ぐ春風の様子が変わったことに気が付いたニールセンは、慌ててそう言う。
するとそれが功を奏したのだろう。
降り注ぐ春風から発されていた妙な迫力が消える。
「そうなの。……でも、そのレイというのは?」
「変な奴です」
きっぱりと、即座に断言する。
実際、ニールセンから見てレイは間違いなく変な相手だった。
……もっとも、レイがそれを知ったらお前に言われたくはないといった反応をするだろうが。
「あら、そう」
ニールセンの様子に、降り注ぐ春風は笑みを浮かべてそう言う。
ニールセンにそこまで好かれているレイという人物はどのような相手なのかと思いながら。
もしニールセンが降り注ぐ春風の考えを知ったら、別に好きじゃないと主張するだろう。
あるいは照れて何も言えなくなるか。
普段は他の者達を振り回すことが多いニールセンだったが、レイには逆に振り回されてばかりなのだ。
……それで全く好意を抱いてないかと言われれば、微妙なところなのだが。
「そうなんです。本当に変な奴なんですよ。……ねぇ?」
「キュ?」
「ギャア」
イエロとドッティに同意を求めるニールセンだったが、イエロはそう? と不思議そうに首を傾げるだけで、ドッティは理解出来ないといった様子だ。
イエロはともかく、ドッティがニールセン達と行動を共にし始めたのは、ニールセンが今回の旅を始めてからだ。
そんなドッティがレイのことを知っている筈もない。
「全く。……とにかく、変な奴なんですよ。あ、でも腕は立ちますよ。冒険者の中でもランクA? とかいう、一番高いランクですし」
実際にはランクAの上にはランクSがあるのだが、ニールセンはそれを知らないので、レイを最高のランクだと認識していた。
また、レイの実力を間近で見てきた者として、レイ以上に腕の立つ冒険者がいるとも思えない。
もっとも、高ランク冒険者というのは実力も大事だが、実力だけでなれるようなものではないのだが。
例えば貴族とのやり取りといった具合に。
そういう意味では、本来ならレイはまだランクA冒険者としては未熟なのだが……その辺りの受け持ちをパーティメンバーのマリーナが行うということで、その辺は解決した。
実力だけならランクAでも上位、セトと協力した場合、それこそランクSにすら届くのではないかと言われているレイの弱点がそこだった。
(そもそも、私がギルムで色々と聞いた話によると、テイマーというのはテイムしたモンスターに戦わせて、テイマー本人はそこまで強くないというのが一般的らしいのに……)
レイはセトを従えている以上、表向きはテイマーとなっていた。
だが、同時に戦士と魔法使いの能力を併せ持つ魔法戦士でもある。
一般的なテイマーとしての認識はレイには当て嵌まらない。
「ふーん。面白そうな人に会えたのね。そういう人なら、私も会ってみたいけど」
「あ、それなら会えるかもしれませんよ?」
「え?」
降り注ぐ春風は、ニールセンのその言葉に不思議そうな視線を向ける。
レイという人物に興味があったのは間違いないものの、それでもまさか自分が会うようなことになるとは全く想像していなかったのだ。
「その、レイもここでは話せない件に関わってますので」
「キュウ?」
ニールセンの口からレイの名前が出た為か、側を飛んでいたイエロがどうしたの? と視線を向ける。
だが、ニールセンは降り注ぐ春風と話をしているので、そんなイエロの様子には気が付かない。
あるいは気が付いてもスルーしているだけなのかもしれないが。
ドッティがそんなイエロに構うように翼を伸ばす。
二匹のモンスターのやり取りは、見ている者にとっては愛らしいと思えることもあるだろう。
実際、周囲でニールセン達の様子を見ていた他の妖精達は、イエロとドッティのやり取りを興味深そうに見ていたのだから。
「そうなの? なら、後でその辺も詳しく聞かせて貰いましょうか。もっとも、他にも色々と聞きたいことはあるのだけど」
「私で言えることなら……」
長……数多の見えない腕に知られると困るようなことは、ニールセンも言えない。
言えないのだが、降り注ぐ春風を見る限りでは、何だか自然とその辺について話してしまいそうな気が……と、嫌な予感を抱いてしまう。
とはいえ、ここで降り注ぐ春風と話をするのは自分にとっても必須のことだ。
穢れの関係者の拠点の一つがこの近くにある以上、降り注ぐ春風の協力は必須なのだから。
(そう言えば、今更だけど私達が空を飛んでこの妖精郷に近付いた時、穢れの関係者に見つかったりしなかったのかしら? まぁ、空を飛んでいる以上は向こうも手を出しにくかったのかもしれないけど)
そう思うニールセンだったが、自分が遭遇した穢れの関係者の様子……それこそ、妖精の心臓を奪おうとしていた相手の必死さを思えば、向こうがその程度のことで諦めるとは思えない。
それこそひたすらに追って、この妖精郷を見つけてもおかしくないのではないかとすら思ってしまう。
「その、今更ですけど私達は普通にこの妖精郷に入ってきたんですけど……大丈夫ですか?」
穢れについては後でということになっていたが、自分達のせいでこの妖精郷が穢れの関係者に見つかったら、どうすればいいのか分からない。
そんな思いから、今ここで話すのは不味いと思ったが、もし対処するのなら少しでも早い方がいいだろうと考えて降り注ぐ春風に尋ねるニールセン。
だが、そんなニールセンに対し、降り注ぐ春風は笑みを浮かべて頷く。
「その辺は問題ないから、気にしないでちょうだい。ニールセン達が近付いて来た時、もうこっちで手を打っておいたわ」
「……手を? いつの間に……」
ニールセンは降り注ぐ春風が具体的にどのようなことをしたのかは分からない。
だが、それでもこうしてきちんと何かをしたと口にしてる以上、ニールセンに気が付かれないようにしっかりと何かをしたのは間違いないのだろう。
一応、ニールセンも長に次ぐ者という扱いになっているのだが、そんなニールセンの実力でもその辺については分からなかったのだ。
凄い、と。
実力の違いを認めるしかない。
(けど、私やドッティはともかく、イエロも分からなかったのは……いえ、分かった上で気にしなかったのかしら?)
イエロはまだ子供とはいえ、ドラゴン……モンスターの頂点に立つ存在。
そうである以上、そんなイエロが降り注ぐ春風の行動に気が付かなかったかもしれないというのは、普通に驚くべきことだ。
寧ろ、気が付いていながら自分に害がないから放って置いたという方が、納得出来ることだった。
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