3151話
「さて、ゴーシュの件はあれでいいとして。オイゲンはいつまでもここにいてもいいのか? 湖の方に行くんじゃなかったか?」
「そうだった! ……レイも一緒に来てくれないか? どうやら、炎獄に捕らえられた黒い円球がかなり弱ってきているらしい」
「……そうなのか?」
元々弱まってきていたのはレイも知っていた。
しかし、それでももう少しは生きているだろうというのは……レイにとっては本当に何となくだが、そのように思っていたのだ。
だが、こうしてオイゲンが言っているということは、実際に黒い円球が弱ってきているのは間違いない。
「ああ。私もそう聞かされたので、様子を見に行くところだったのだ」
「その割には、ゴーシュとのやり取りがあったけどな」
「ぐ……それは……とにかく、レイも来て欲しい。もし本当にこれで黒い円球が消滅するのなら、大きなことだ」
誤魔化すように言うオイゲンだったが、実際に穢れが消える光景というのはレイも初めて見るものである以上、見逃せない。
今までレイは何匹もの穢れを倒してきたが、それは焼滅させるという手段での話だ。
だからこそ、倒した時は既に炭や灰まで燃やしつくされ、何も残っていない。
餓死、もしくはエネルギー切れで死ぬ場合、穢れはどのようになるのか。
穢れと戦う機会の多いレイとしては、少しでも情報は多い方がよかった。
「分かった。じゃあ、行くか。……それにしても、オイゲンだけなのか? 助手と護衛はどうした?」
「助手の方はサイコロと円球が混在している方に残っている。護衛は、他の護衛達と一緒に周辺に異常がないのかを調べている」
それはレイにとっても少し意外だった。
助手の方はともかくとして、護衛はオイゲンの側にいた方がいいのではないかと。
そもそも、野営地の安全を守るのは生誕の塔の護衛を任されている冒険者達だ。
……実は他にもリザードマン達も冒険者達と一緒に行動していたりするのだが。
「野営地の冒険者達と協力してるのか?」
「いつまでここにいるのか分からないが、それなりに長期間になる可能性は高い。なら、野営地にいる冒険者達と友好的な関係を築いておいた方がいい」
「そういうのを、お前が考えるんだな。もっと研究一筋といった感じだと思っていたけど」
「一応、野営地にいる研究者達を率いる身としては、その辺りについても考える必要があるのだ」
そう言われると、レイも納得するしかない。
実際問題、研究者達の護衛と野営地の冒険者達の関係が険悪よりも友好的な方がいいのは間違いないのだから。
そんな風に話しながら歩いていると、やがて湖に到着する。
「グルルゥ?」
今までずっと大人しくレイと一緒に来ていたセトだったが、湖を見て遊びたくなったのか、レイに遊んできてもいい? と喉を鳴らして尋ねる。
レイはセトに頷くと、軽く叩く。
「俺は穢れを観察してるから、セトは湖で好きなように遊んでいてくれ。遠くに行きすぎないようにな」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らし、セトは湖に向かって走っていく。
そんなセトを見送ったレイは、隣を見るとそこに誰の姿もない。
いつの間にかオイゲンは炎獄のある場所まで向かっていたのだ。
そんなオイゲンを追おうとして……
(ん?)
殺気……というよりは、悪意の込められた視線を感じ、そちらを見る。
するとそこには数人の護衛。
それが一体誰だったのかと、少し考えたレイはすぐに思い出す。
以前騒動を起こした護衛だ。
その件についてレイを憎んでいた護衛が数人いたのだが、その数人が現在レイの視線の先にいる者達なのだろう。
(とはいえ、睨むだけならそれはそれで問題ないんだけどな。問題なのは、睨むので我慢出来ずに何らかの行動をしたりとか、そういう時か)
これが野営地にいる冒険者なら、ギルドから優良な存在として認められた者達なので、依頼中に妙なことをしたりといった真似はしないだろうとレイも思う。
だが、研究者の護衛というのはギルムで雇われた冒険者だけではなく、その研究者の専任という者も多い。
そしてレイが見たところ、敵意の視線を向けてきているのはその手のギルムの冒険者ではなく、専任の護衛と思しき者達だ。
(面倒なことにならないといいけど)
これ以上自分に敵意の視線を向けている相手を見ても意味はないと判断し、レイは炎獄のある方に向かう。
するとそんなレイの態度が自分達を相手にするまでもないといった風に見えたのか、レイに向けられる敵意の視線が強くなる。
もっとも、自分にそのような視線を向けている護衛達が何か妙な真似をしようとしても、何があってもレイならそれに対処するのは難しい話ではない。
炎獄のある場所に近付くレイだったが、研究者達は場所を空ける様子はない。
炎獄に捕獲されている黒い円球……それもいつ死んでもおかしくはないくらいに小さくなっている黒い円球に集中してるのだ。
そんな研究者達に代わって、多くの助手達がレイに向かって頭を下げる。
ここで研究者達に何を言ったところで、話を聞く様子はないと判断したのだろう。
レイよりも研究対象の方が大事。
ある意味、研究者らしいのは間違いなかった。
だからといって、レイもそのまま炎獄を見ない訳にはいかない。
オイゲンがわざわざもう一つの炎獄からここに様子を見に来たのだから、それをレイが見逃すといったことは有り得なかった。
そうして研究者達を押しのけながら炎獄の前に到着する。
不思議なことに、レイですら研究者達を押しのけるのにかなりの苦労があった。
本来なら研究者というのは精神的にはともかく、肉体的にはそこまで強い訳ではない。
研究の為に出歩く者もいるので、それなりに鍛えられている身体を持っている者もいるのだが……それでもレイが苦労する程ではない。
だというのにレイが苦労したのは、それだけ研究者達が炎獄に意識を集中していたからか。
若干の苦労をしつつ、レイはオイゲンの隣に到着し……
「これは、また……」
炎獄の中にいた三匹の黒い円球が以前見た時と比べても明らかに小さくなっている……それこそこの速度で小さくなっていくのなら、いつ消えてもおかしくはないと思える程に。
「オイゲン、これはどのくらいで消えると思う?」
「……」
隣のオイゲンに尋ねるレイだったが、オイゲンからは何も言葉が返ってこない。
それを疑問に思ってオイゲンを見るレイだったが、オイゲンは一心不乱に炎獄の中にいる黒い円球を見て、何かを考えているようだった。
自分の考えに集中しすぎて、レイの声は聞こえていないのか、あるいは素通りしているのだろう。
そんなオイゲンの様子にどうするべきかと考えたレイだったが、このオイゲンの考えが穢れの研究に大きな進歩をもたらすかもしれないと考えると、それに何かを言ったりは出来ない。
(これで本当に何かが分かればいいんだけど。……というか、ドワイトナイフを穢れに使ったらどうなるんだろうな。……駄目か。そもそも死体にしか効果がないって話だったし)
モンスターの死体に突き刺せば、込めた魔力によって死体が素材となって分解される。
しかし、穢れは生きている。
……それ以前に、穢れは死んでも魔石を残さない以上、正確にはモンスターではないのだろう。
便宜上、レイはモンスターとして扱っているものの、それは十分に理解していた。
そうである以上、もし穢れの死体にドワイトナイフを使っても、素材になるようなことはないと思えた。
死体どころか、生きている穢れにドワイトナイフを使った場合、それこそドワイトナイフの深緑の刀身が黒い塵となって吸収されてしまう可能性もあった。
そのようなことになれば、せっかくダスカーから貰った……それもかなりの高級品のドワイトナイフを失ってしまいかねない。
レイとしては、それは絶対に避けたかった。
(取りあえずドワイトナイフを使うのはなしだな)
そう判断し、同時にこれ以上オイゲンに話し掛けても返事がないのは間違いないと判断し、そしてレイは目の前にある炎獄を見る。
自分が炎獄の中にいる黒い円球を見て、何か分かるとは思わない。
だが、それでも見ないよりは見た方がいいだろうし、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、何らかの鍵となるだろうものを見つけることが出来るかもしれない。
「小さいな」
改めてそう呟くレイ。
既に黒い円球はかなり小さくなっている。
それこそこのままでは、いつ完全に消えてしまってもおかしくはないくらいに。
(もしこの炎獄を壊したら、どうなる? ……多分、また穢れは元気に動き回って、触れた存在を黒い塵にして吸収するんだろうな)
黒い塵を吸収して自分の存在を維持している。
レイはそう予想しているものの、実際にそれが正解なのかどうかは分からない。
それこそ一度試してみないと、どうしようもないだろう。
(試すにしても、それはこの炎獄じゃなくてもう一つの炎獄の方だろうな。こっちではまず穢れが本当に餓死をするのかどうか、試してみる必要があるし)
そんな風に思いつつ炎獄を見ていたレイだったが、炎獄の中にいる穢れは相変わらずその中で動き回っているだけだ。
以前と比べると、幾らか元気がなくなってきたような気がしないでもなかったが、それについては気のせいかもしれないという思いもそこにはあった。
五感は間違いなく鋭いものの、それも絶対ではない。
思い込みや勘違いによって間違うという可能性は十分にあった。
「オイゲン、俺はちょっと離れるから」
いつまでも自分がここにいても、役には立たない。
それなら研究者達に場所を譲った方がいいだろうと、レイはオイゲンに声を掛ける。
ただし、そのオイゲンは相変わらずレイの言葉を聞いていなかったが。
代わりにオイゲンの助手がレイに向かって頭を下げる。
そんな助手に頷き、レイはその場を離れた。
炎獄から離れたからといって、それでレイが行きたいところがある訳ではない。
それこそ湖で遊んでいるセトのいる場所くらいだ。
「グルルルゥ?」
どうしたの? とセトはレイが近付いてきたところで、喉を鳴らす。
セトにしてみれば、レイが炎獄に捕らえられた穢れから自分のいる方に来るのを不思議に思ったのだろう。
だからといって、それを嫌っている訳ではない。
レイが大好きなセトにしてみれば、そのレイが自分と一緒に遊んでくれるのなら大歓迎なのだ。
それでも不思議そうに喉を鳴らしたのは、レイが穢れについて色々と調べていたからというのが大きいだろう。
レイもセトが何を考えて喉を鳴らしたのかというのは、何となく理解出来る。
その為、セトを撫でながら口を開く。
「炎獄に捕獲した穢れは確かに小さくなってきたけど、場所がちょっとな。多くの研究者が穢れを観察したい中で、研究者な訳でもない俺がそれを見るのはどうかと思ったんだよ」
「でも、レイが見たら研究者じゃないからこそ、色々と分かることもあるんじゃないの?」
「ニールセン?」
レイの言葉に答えたのは、セトではなくニールセン。
木の幹の中に避難していた筈だったが、いつの間にかレイの側までやって来たらしい。
「こっちに出て来ていいのか?」
「いいのよ。研究者達は穢れに夢中になってるみたいだし。それに、新しくやって来た研究者達は、仲間内で言い争ってるしね」
「そうなるか」
ゴーシュが自分だけでは決められないと言ってきたことから、もしかしたらとは思っていたのだ。
ゴーシュはギルムに残った研究者達の纏め役ではあるらしいが、オイゲン程に実力のある人物という訳でもないのだろう。
(いや、当然か?)
研究者達の中でも、野営地で寝泊まりするのを嫌がった者……勿論色々と理由はあっての行動だろうが、レイから見れば自分が快適に生活するのを穢れの研究よりも重視したといったように思えてしまう。
そのような者達にしてみれば、まずは自分の生活が最優先といったことになってもおかしくはない。
ゴーシュがそのような相手を纏められるかどうかというのは、生憎とレイにも分からなかった。
ゴーシュが無理でもオイゲンなら?
そうも思わないではなかったが、野営地に寝泊まりしている者達を纏められているのは、研究者としての一面の方が強い者達が集まっているからという理由もあるのだろう。
「それで? ニールセンは、そろそろ覚悟を決めたからここに来たのか?」
「ぐ……それは……」
「その様子だとまだか。どのみち行くことになるんだから、早く決めた方がいいと思うけどな」
「わ、分かってるわよ。けど……でも、色々と思うところがあるの!」
そう叫ぶニールセンにレイは微妙な視線を向け、そしてセトは慰めるように喉を鳴らすのだった。
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