3150話

 レイの魔法によって、穢れは焼滅した。

 目の前に存在する敵の残骸を眺めていると、ふと音が聞こえる。

 何だ? と思って視線を向けたレイが見たのは、何故かこちらにやって来る複数の馬車だった。

 その馬車が先程穢れ達に追われていた馬車だというのは、レイも当然理解出来る。

 だが、何をする為にわざわざここまでやって来たのか。

 それが全く分からなかった。

 穢れに追われていたのだから、とっとと野営地に戻ればいいのに。

 そんな風に思いつつ、レイは頭を擦りつけてくるセトを撫でながら馬車が到着するのを待つ。

 向こうが何を思ってこうして戻ってきたのか、生憎とレイには分からない。

 分からないが、それでも何の理由もなくそのような真似をする訳ではないというのは、十分に理解出来た。


「どうするの?」

「取りあえず待つ。……多分問題ないとは思うが、万が一がある。ニールセンはドラゴンローブの中に入るか、木の幹に隠れてろ」

「はーい」


 予想外に素直にレイの言葉に返事をしたニールセンは、近くにある木の幹の中に入っていった。


(あそこまで素直に俺の言葉を聞くなんて、珍しいな?)


 そう疑問に思ったレイだったが、上空からセトが急降下した時、ニールセンは必死になってレイのドラゴンローブにしがみついていた。

 それによって、かなり疲れてしまったのだろう。

 レイはそんなニールセンの様子に全く気が付いた様子もなかったが。

 とにかくニールセンが素直にレイの指示に従って木の幹の中に隠れて、数分……レイのすぐ側まで近づいてきた馬車が停まる。

 そうして先頭の馬車の扉が開き……


「何だ」


 そこから降りてきた相手を見て、レイが口の中で小さく呟く。

 そんな風に呟いたのは、その相手に見覚えがあったから。

 同時に、その相手を見たことでこの馬車に乗っているのがどのような相手なのかを確信する。

 馬車を見た時、予想はしていた。

 だがもしかしたら違うのでは?

 そんな思いもあったのだが、そんなレイの予想は裏切られることなく的中した。


「レイか。助かった。まさかこのような場所で穢れに襲われるとは思っていなかったのでな」


 オイゲンと比べると若い……三十代といった様子の男が、レイに向かってそう感謝の言葉を口にしてくる。


「何でお前達がここに?」


 この研究者は、オイゲン達とは違って野営地で寝泊まりをするという選択をしなかった者達だ。

 そうである以上、穢れの研究についてはもう関わらないとレイは認識していたのだが。


「ギルムで寝泊まりはしているが、だからといって穢れの研究をしない訳ではない。今の状況を考えれば当然だと思うが」

「……なるほど。そう言われると、納得出来ない訳でもないな」


 レイにしてみれば、その言葉を理解出来ると同時に、素直に納得することは難しい。

 オイゲン達が野営地で寝泊まりをしているのに、目の前の男達はギルムで優雅に寝泊まりしながら穢れの研究をすると主張するのだから。

 もっとも、それはあくまでもレイの考えでしかない。

 客観的に見た場合、穢れの研究を少しでも進める為に研究者は多い方がいい。


「分かった。じゃあ、ここにいるとまた穢れやモンスターに襲撃されるかもしれない以上、俺が一緒に移動するよ」

「いいのか?」

「ああ、お前達が知ってるかどうかは分からないが、穢れは人のいる場所にしか転移してこない。そうである以上、ここでお前達を放っておくと穢れに襲われる可能性は十分にある」


 レイの口から出た言葉に、レイと話していた男は……そして馬車の中にいる者達は、驚きと恐怖の表情を浮かべていた。

 レイが言っている以上、その言葉は決して間違いではないのだろうと。


「分かった。じゃあ、出来るだけ早く急いで野営地に向かおう。穢れの研究をしたいし」


 このままここにいれば、再び穢れに襲われるかもしれない。

 そう思っての言葉だったが、実はレイが一緒にいれば穢れを倒すのは難しいことではなく、場合によっては穢れ達を引き連れて野営地の近くまで移動し、そこで炎獄を使って捕らえるといった方法もあるのを、実は知らない。

 穢れについての大雑把な情報は知っていても、レイが新たな魔法を生み出して穢れを捕らえられるようになったのは、完全に意識の外だったのだろう。

 そんな男達にレイは今更なので、炎獄については何も言わず、野営地に向かうことになるのだった。






「レイ、戻ってきたか。途中で穢れと遭遇するようなことはなかったか?」


 野営地に到着した瞬間、偶然野営地にいたオイゲンはレイに向かってそう尋ねてくる。


「オイゲン、何でここに? ああ、取りあえずここに来る途中で穢れと遭遇はしたが、遠かったから倒した」

「ぐ……それは……」


 オイゲンは少しでも多く穢れの観察をしたい。

 そうである以上、出来るだけ穢れを炎獄で捕らえて欲しいと思っているのだろう。

 だが、不満に思っていてもそれを口に出すようなことをしないのは、レイがそう判断したのなら仕方がないと思った為だろう。

 自分の中にある複雑な思いを何とか押し殺し、オイゲンは改めて口を開く。


「私がここにいる理由だったな。先程まではレイが二度目に捕らえた方の穢れを観察していたのだが、湖の穢れを観察しようと思って移動する途中だっただけだ。それより……」


 そこでオイゲンはようやくレイの近くにある数台の馬車に気が付き、不思議そうに視線を向ける。

 

「レイ、この馬車は?」

「オイゲンのお仲間だよ」


 そうレイが言うと、まるでそのタイミングを待っていたかのように……いや、もしかしたら本当にまっていたのかもしれないが、先頭の馬車の扉が開いて先程レイと話していた男が姿を現す。


「オイゲン、昨日ぶりだな」

「ゴーシュ? 何故ここに?」


 驚きの言葉を口にするオイゲンに対し、ゴーシュと呼ばれた男は笑みを浮かべて口を開く。


「そこにいるレイにも言ったが、私達も穢れの研究には興味がある。……だからといって、別にトレントの森で寝泊まりをするつもりはないが。だからといって、問題はないだろう?」


 ゴーシュの言葉に、オイゲンは不満そうな様子を見せるものの、何も言わない。

 実際、ゴーシュの言葉はそんなに間違っている訳ではない

 オイゲン達が野営地で寝泊まりをしているのは、あくまでも自発的なものだ。

 それをしていないからといって、ゴーシュ達に穢れの研究をするなということは出来ない。


(それに……)


 自分の中にある複雑な気持ちを何とか収めるオイゲン。

 自分達が野営地で寝泊まりをしているということは、それだけ研究の時間がゴーシュ達よりも多くなるのは間違いないのだ。

 そうである以上、ゴーシュ達が穢れの研究をしようとも、自分達の方が研究に有利な環境にいるのも事実。

 ……ただ、ゴーシュはオイゲンとは別の考えを持っている。

 何かあったらすぐに研究を出来るという意味では、確かにオイゲン達の方が研究するには良い環境だろう。

 だが同時に、野営地という場所は寝泊まりをする環境として考えた場合、決して良い環境ではない。

 ましてや、ギルムにいる研究者の中には毎日のように裕福な生活をしている者達も多い。

 そうである以上、野営地で暮らすよりはしっかりとした宿屋で寝て、気力体力を十分に回復させて研究した方が最終的には研究が進むというのがゴーシュの考えだった。

 実際、これはどちらが正しいのかという問題ではない。

 あくまでも個人の考えによるものなのだから。


「取りあえず、ゴーシュだったか? お前達も研究者である以上、オイゲンから話を聞いてそれに従ってくれ」

「ちょっと待ってくれ! 私達に、オイゲンに従えと!?」


 まさかそのようなことを言われるとは思わなかったのか、心の底から意外だといった様子でゴーシュがレイに向かって言う。

 だが、レイはそんなゴーシュに当然だといった様子で頷く。


「お前がどう思っているのかは分からないが、既にこの場所での研究はオイゲンを中心として行われている。それにゴーシュが初めてここに来た……いや、来たのは別に初めてではないかもしれないが、穢れの研究をする為には初めて来たのに対して、オイゲンはもう昨日からここで寝泊まりをしている」

「それは……」


 レイの言葉にゴーシュは反論出来ない。

 もしこれがレイ以外のものであれば、ゴーシュも反論出来たかもしれない。

 だが、オイゲンに従えと言ってるのはレイなのだ。

 そしてゴーシュはまだ知らないが、穢れを捕らえることが出来る炎獄の魔法を使えるのもレイだけだ。

 そのような状況でレイに逆らうというのは、穢れの研究を放棄するのに等しい。

 ゴーシュは事情や状況の全てを理解している訳ではないが、それでもレイの言葉に逆らうといった真似は出来ない。

 ……いや、やろうと思えば出来るだろうが、実際にそのような真似をした場合、穢れの研究をするのが難しくなるのも事実。

 野営地の様子を全て確認した訳ではないにしろ、自分達を見ている冒険者達の視線を考えれば、もしレイの言葉に従わなかった場合は自分達だけで穢れの研究をする必要がある。

 だが、問題なのはゴーシュ達だけで穢れを見つけるのはかなり難しいということだろう。

 レイでさえ、ニールセンを通して長からの情報を貰って、空を飛べるセトに運んで貰うことでようやく穢れと接触出来ているのだから。

 そしてもし幸運にもゴーシュ達が穢れと接触出来ることがあっても、炎獄がない以上は観察するのが難しい。

 穢れは移動速度はそこまで速い訳ではないが、触れるとそれが致命傷となる。

 そんな存在が自由に動き回っている中で、どうやって研究するのか。


「どうする? 俺としては素直にオイゲンの指揮下に入ってくれた方が色々とやりやすいんだが」

「……少し待って欲しい。どのような形で研究をするのかは、私だけでは決められない。他の研究者達にも話を聞く必要がある」


 ゴーシュは即断出来ず、レイにそう言う。

 そんなゴーシュの様子を見て、時間稼ぎか? と思ったものの、ゴーシュの様子を見る限りでは時間稼ぎをしているようにも思えない。

 だとすれば、何かもっと他の理由があってこのように言ってるのは間違いないだろう。

 そして他の理由という中で一番可能性が高いのは、本人が言ってるように自分だけで全てを決めることは出来ないというものだろう。


(もしかしたら、ゴーシュは俺が思ったよりも研究者達を纏められてないのか?)


 レイにしてみれば、オイゲンを基準にしての提案……いや、要望だった。

 もしオイゲンがゴーシュの立場なら、それを受け入れるにしろ、断るにしろ、オイゲンの判断ですぐに返事をしていただろう。

 だが、もしゴーシュがオイゲンとは違って他の研究者達を纏められていないのなら、レイの言葉にすぐ返事が出来ないのも納得出来ることだった。


「分かった。なら相談して決めてくれ。……とはいえ、それぞれ馬車に乗ってる状態では相談もしにくいだろう。降りてきて野営地で話し合うといい。そのついでに、オイゲンが現在どんな風にして穢れの研究をしているのかを見ればいい」


 レイの言葉を聞いたオイゲンが、いいのか? といった視線をレイに向けてくる。

 だが、レイはそれに問題ないと頷く。

 実際に穢れを研究する上で、レイの炎獄は必須だ。

 あくまでも今はだが。

 この先……それこそレイがダスカーに頼んで錬金術師達に結界のマジックアイテムを作って貰っている以上、将来的にはマジックアイテムによる結界で穢れを捕らえるようなことが出来るようになる可能性は十分にあった。

 ただ、実際にそのようなことになるのが具体的にいつになるのかは、生憎とレイにも分からなかったが。

 とにかく今の状況では、ゴーシュ達がしっかりと穢れの研究をするのにはレイの協力が必要だというのを理解するだろう。

 そしてレイが全面的に協力をしてるのは、あくまでもオイゲンなのだ。

そうである以上、オイゲンをゴーシュよりも優先するのは当然の話だった。


「分かった」


 レイの言葉を完全に納得出来た訳ではないのだろうが、それでも現在の自分の状況を思えばそのように返事をするしかない。

 もしここでそれは認められないと口にした場合、レイがゴーシュ達に協力するのを拒む可能性が高かった。

 そうなると、本格的に自分達だけで穢れの研究をするか、あるいはいっそ穢れの研究から手を引くしかない。

 一応、まだ湖の研究という点では完全に終わっている訳ではないので、穢れの研究をしなくても研究対象は別にある。

 あるのだが、それでも穢れという未知の存在はゴーシュ達にとって非常に魅力があるのは間違いない。


(最善はゴーシュ達がオイゲンに従うことだけど……最悪、ゴーシュ達がいなくなっても、オイゲンがいるから何とかなるか?)


 馬車に向かうゴーシュの後ろ姿を見ながら、レイはそう考えるのだった。

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